九十層 : 狼と羊.04
「じゃあ──まずは、ひとつずつ。どうしてその願いを選んだのか、教えてくれる?」
彼女の声は甘く、とろけるような響きを持っていた。
けれど、命を賭けるゲームの開幕としてはどこか残酷にも感じられた。
「さぁ、“願い”の奥にある、本当の動機を見せて」
視線が最初に向いたのは、賭博狂いの男だった。
男は鼻をすするようにして、ぼりぼりと首元をかいた。
「──だってよ、金がありゃあ、何でも手に入るんだ。女も、地位も、自由もよ。だから、ずっと夢見てきた」
彼は鼻で笑いながら、しかしどこか真剣な顔をしている。
その隣、分厚い化粧の女は唇の端に微笑みを浮かべたまま、胸を張るようにして語り出す。
「ハンサムな悪魔に養ってもらえたら、それだけで人生勝ち組でしょ?──愛とか忠誠とか、どうでもいいのよ。最後に頼れるのは、美貌と財産だけ。違う?」
わざとらしく観客へウインクして、彼女は座り直す。
三番目、遣いの青年が口を開いた。
やや伏し目がちに、言葉を選ぶように呟く。
「死刑判決を下してみたい──身の丈に合わない夢ですけど、あれって特別な力ですよね。“命を裁く”という行為。……絶対やれないからこそ、一度、触れてみたいと思ったんです」
言葉は静かだったが、底の見えない感情が垣間見えた。
視線が、凌へと移る。
凌はフードの下から視線を上げ、ゆっくり口を開いた。
「大事なやつを失ったなら、誰でも考えるだろ。……死んだ先に、誰かがいるのか。それが知りたい」
説明は短かった。
だが、その言葉には深く静かな熱があった。
最後に、スカーフを巻いたユヴェが小さく息を吐いた。
「“信じたものを守ろうとした気持ちを、誇りって言ってもらいたい” ──っていうのは、みんなもそうだと思うんだけど……」
彼女は少し迷ってから、小さく微笑むように語った。
「自分で選んだけど、本当に正解なのかわからない時……たとえ結果が壊れてて、歪でも──大切だって思った自分の気持ちを、誰かに『間違ってないよ』って言われると嬉しいでしょ…?」
その声には、嘘とも真実ともとれる静けさがあった。
誠実な言葉選びは、虚構と欺瞞の蔓延る空間に、あまりに美しく落とされる。
チェリルは両手を打ち鳴らして、にこやかに笑った。
「あはは、面白い!どれも、“もっともらしい嘘”にも、“本気の願い”にも聞こえる!」
くるりとテーブルを一周し、彼女は中央の椅子に戻った。
「さぁ、それじゃあここからは──話し合いの時間。“狼”は誰なのか、あなたたち自身で決めて?」
星型ランプの灯りが、誰ともなく揺れる瞳を照らす。
声が、静かに空間を支配していく。
「狼は誰かな…?」
悪戯な瞳が、五人を見渡す。
仮面の奥の思惑たちが、静かにざわめき出す。
「じゃあ、どうぞ? “推理の時間”よ」
プレーヤーは全員、互いの見えない瞳を見ようとするように、仮面の目の穴を見つめた。
重苦しい沈黙の中で、賭博狂いの男がまず椅子をきしませて前のめりになる。
「…俺は決めた。狼は──あの兄ちゃんだ」
男の指先が、まっすぐ凌を差した。
「“死んだ先が知りたい”って願い……ああいうのは、本気で書いてる。嘘じゃねぇ。誰か恋人か、親か、死んだんだろ?そいつにもう一回会いたい。その願いが滲み出てんだろうよ」
言葉の勢いだけは確かにあった。
だが、その推理に頷く者は多くはなかった。
賭博狂いの指先を見ながら、凌は静かに返した。
「……ここで生きていくのに、“他人の死”を経験してない奴のが少ない。それなら、俺の言葉の重さは測れないだろ」
「……それは…」
賭博狂いの勢いが失速する。
凌はただ淡々と、言葉を投げるだけだった。
すると、厚化粧の女がふっと笑ってユヴェを指差した。
「アタシはあの女の子が怪しいと思うわ。 “守ろうとした気持ちを誇りって言ってほしい”なんて……要するに“誰かに認められたい”ってことでしょ?」
「……」
「こういう年頃の女って、そういうところあるわよね。清純そうで『私がんばってます』って感じ」
「それって……推理じゃなくて批判じゃない?」
ユヴェは穏やかに返す。
率直な切り返しに、女は口を引き結んだ。
「それに、“認めてほしい”のと、“誇りだって言ってほしい”のはちょっと──違うよ」
ユヴェが柔らかく言葉を続けた。
女はすぐに口を尖らせ、前のめりにテーブルを叩く。
「何が違うのよ?どっちにしろ、ありきたりな承認欲求だって言ってるの。そんな願い、咄嗟に嘘として思い浮かぶとは思えないわ」
軽く鼻を鳴らすような声だった。
けれど、その裏にはじわじわと自分が“白だ”と主張したい欲が滲んでいた。
ユヴェは一度視線を落とし、ふと声のトーンを落とす。
「そうかな……」
仮面の奥で表情は見えない。
けれど、その声にはどこか確信に似た静けさがあった。
彼女は椅子に浅く腰掛けたまま、テーブルを囲むプレイヤーたちを静かに見渡す。
「これって、“嘘をついてる羊”を探すんじゃなくて、“真実を語る狼”を探すんだよね?」
その声に、青年が軽く頷いた。
「…そうですね」
「だったら、逆に──ありきたりな嘘しか思いつかなかったって考えることはないの?」
一瞬の沈黙。
誰かが息を吸う音が、静かなざわめきの中に混じった。
女は、仮面の奥で目を細めたようだった。
訝しげな沈黙が、返事の代わりだった。
ユヴェは、そんな彼女に向かって続ける。
「私、嘘つくの確かに上手じゃないよ。だから余計に思うんだけど、あなたの“ハンサムな悪魔に養ってほしい”って願い、それは嘘っぽく感じるな」
女の体がわずかに揺れた。
「アタシは羊だって言いたいの?」
「うん。だってあなた、ちゃんと仕事こなしてきたって感じする。表情も、話し方も。それに──仮面越しでもわかるくらい、背筋がすごく綺麗だから」
それは褒め言葉に聞こえたが、同時に分析でもあった。
女は一瞬だけ黙り込み、それからふっと肩をすくめた。
「……」
賭け狂いの男が肘をついてテーブルに体重を預ける。
「いいね、ひとりずつ削っていくか?その女が羊なら──残りは四人だ」
「…僕はまだ断定してませんが……羊を探す案には賛成です」
青年が静かに頷く。
その理知的な言葉の裏に、どこか冷えた計算があった。
少しの沈黙が落ちた。
その流れを引き取るように、凌が口を開く。
「…俺はあんたも羊だと思う」
視線は青年に向いていた。
「僕ですか…?」
「死刑判決なんて、まともな精神のやつが下したがるか?」
その言葉に、誰かが微かに息を呑む。
仮面の下……凌の視線がちらりとチェリルへ流れたのを、ユヴェだけが察した。
「他人の死を、そう簡単に裁きたいなんて、普通は思わないだろ」
それはあくまで皮肉だった。
けれど、含まれた感情は濃く、揺るぎなかった。
青年は、静かに口元を歪める。
「…そうでしょうか。では僕が羊だとして、それはあなたの願いが真実であると明かしているようなものになりませんか?」
「……」
凌の沈黙が、場の緊張をまた一段深めた。
「死について深く考えていらっしゃるようですから…僕の願いが気に食わないのでは?」
その切り返しは、どこか“探るような”響きを孕んでいた。
「──どうだろうな」
凌の声は低く、けれどどこか達観した響きを持っていた。




