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Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第一幕】腐れ森

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八十二層 : 腐れ森.01


グレイロック診療所の二階の病室に、一瞬の沈黙が降り立った。


亜月と翔、そして店長とドクター。

彼らがいたという余韻すらも、灰色の壁は無機質に吸い込んでいくようだった。


「お嬢、地図を持ってるかい」


その間を割ったのは、闇丸(やみまる)だった。

彼は確かめるというより、「まるで最初から持っていると決まっていたようにユヴェに声をかけた。


「旦那、あんたはあんまりウルネスに行かねえから、一応な」


闇丸が声をかけたときには、すでにその手が地図を広げていた。

ユヴェが肩掛けカバンから取り出した一枚の布地。

広げられた布には、蜂の巣のような六角形の構造が七つ、星型に並べられていた。

中央にある一番大きいハニカム図を囲むように、六つの要塞都市が配置されている。



地図の中央にあるのは“第一区ネスタ” ──悪魔社会の()()()だ。



地図を囲む三人の視線は、一様に中央へと吸い寄せられた。


都市を囲む太い円──それは都市の境界ではなく、“安寧(あんねい)(もり)”と呼ばれる、悪魔領全土を覆う原生林だった。

木々が密生しすぎて空すら閉ざし、ソルの陽光すら届かない。

根と闇が絡み合うその場所は、まるで世界が“息をひそめている”かのようだった。



闇丸が小さく喉を鳴らして地図を指差す。



「ガット・ビターが捕まってんのは中央都市ネスタの裁定(さいてい)(とう)、地下。闇牢(やみろう)だ」



その言葉に、ユヴェが小さく息を呑む。

店長から告げられた名が、再び現実として地図に浮かび上がる。


「……どのくらい地下に広がってるかは分からねえ。出入り口は一つ。──()()()


塔の中にしか“出入り口”がない。

その言葉が意味するものに、凌の眉がわずかに動いた。


「……それじゃ、どうする」

「──あっしの提案だが、まず扉を繋ぐなら第六区()()()の“(くさ)(もり)”の中ですね」


闇丸が指差したのは、地図の南西、苔色で塗りつぶされた広大な領域だった。

──“腐れ森”。

名前だけで、何かが侵蝕していることを訴えてくる。


「ここは裁判所もほぼ見捨ててる無法地帯。森の中には不正扉(ブラックドア)の不法投棄が多い」

「…逆に、そこは“そういう場所”ってわかってるなら、監視の目があるんじゃないの」


凌が疑問を挟むと、闇丸は大きな目を閉じて肩をすくめた。


「そうですねえ…第六区はガット・ビターの管轄区の()()()()()。でも、なんの権利も持たねえ天使ですからね。今は第三裁判官のリーテが、手すきに見てる程度とはいえ……」

「…リーテか。なら、蝙蝠(こうもり)は確実にいるな」

「あるでしょうね、安寧の森はそこら中に」


少しだけ、場の空気が重くなる。

“なんの権利もない”という一言が、重く胃に落ちていく。

ユヴェは自分の服の裾を、人知れず握りしめた。


「でもね、そもそも第六区は、森の侵食がひどくて誰も手がつけられねえのさ」

「森……?」


呟いた凌の声が静かに響いた。



()()()()()()()──だよね?」



ユヴェが言うと、闇丸が頷きながら、感心したように目を細めた。


「さすがフォールドラークのお嬢。ウルネス層が一番、神獣が多く()んでるってのは有名ですよね?」


闇丸は軽く首を傾けながら、凌を見上げる。

凌は、何も言わずに小さく頷いた。


「中でも“神獣の森”って呼ばれる伐採禁止の原生林──とくに悪魔領“安寧の森”には、イェオロフって神獣が()むって言われててね」

「……へえ」

「無暗に手を入れることもできねえ場所さ。悪魔たちは、あいつに頭を下げて、森を間借りしてるってわけ」


静かな相槌を打ちながらも、凌の眼差しには微かな警戒が滲んでいる。

深い森と共存していることは知っていた。

その暗がりを利用した影文化が発展していることも。



けれど、イェオロフ──()()の神獣がそこに()むなんて、初めて知った。



「悪魔たちはイェオロフを恐れてる。各都市をつなぐ管理道は森を通るが、そこを()()()()()()できねえほどだ」


まるで、その“森”が意思を持ち、悪魔を拒んでいるかのようだった。



「イェオロフは“恐怖”と“憂懼(ゆうく)”の象徴。姿は(はがね)の鱗を持つ巨大魚とされてる。…その大きさは、本能的に恐怖を覚えるほど」



ユヴェの言葉には、どこか畏敬に近い響きがあった。

それはフォールドラークとしての知識ではなく、民の中に根付いた“伝承”を語る口調だった。


「悪魔は秩序社会の先に長寿を好む。死に直結するかもしれねえ恐怖を振り払いたいんでさ。だから森に手をつけられねえ。──秩序のための生か、生のための秩序か……」


闇丸が地図の縁を指先でなぞる。


「狂ってんのさ、悪魔どもも」


その一言に、誰も返す言葉を持たなかった。

闇丸の指先が、地図の南側から緩やかに第五区()()()()()へと滑った。


「キング・ハーウェンの(いた)(やり)は、第五区クレナインにある追悼施設が怪しいとは思ってますけどね……確証はないね」


その声は、確信というより、長年の勘に近いものだった。

しかし“確証がない”という一言が、この国の複雑さと、慎重に進むべき理由をよく物語っていた。


「あんなに必死になっても運びたがるなら、裁判所のほうにありそうじゃない?」

「それも五分五分ですねえ。権威を示すなら、ただ持ってると情報を流すだけで充分だ」


ユヴェの素直な意見を聞いて、腕を組んで天井を仰ぐ闇丸。

まっすぐすぎるお嬢さんだな。

なんて心の中でぼやきながら。


「……裁定の塔にあるなら、潜入が一箇所で済むんだけどな」

「そうもいきませんよ旦那。無駄骨だったらマズイ。塔から脱出して、すぐさまクレナインに──なんて、やってる余裕もないでしょ」


闇丸は手元から地図をたたき返すようにして、第六区ダランへと戻す。


「だから、ダランに拠点を置いて、第七区()()()で情報収集がいいでしょうね」


そう言いながら、今度は地図の西にある“第七区”を小さくトントンと叩く。

深緑の森の中にぽっかりと空いたその街は、まるで病にかかった細胞のように浮いて見えた。


「ここは快楽街だ。通常は眠らない街。でも今は“悼み月(モーン・ムーン)”だから、昼も夜も静まり返ってる」

「……快楽街、眠らない街…」


ユヴェが小さく眉を寄せる。



「眠らない街を謳っても、悪魔だからねえ。“沈黙”はきっちり守る。ただ、その地下にある賭博場だけは、“悼み月(モーン・ムーン)”の間は()()()()()()()()()開いてる」

「悪魔領に、賭博場……?」



思わず漏れたユヴェの声は、驚きと嫌悪が半分ずつ混じったような響きだった。


「おかしな話だろ。あっしはここを、悪魔共が罪人を()()()()()()()()()に作ってんだと思うけどね」


その言葉に、凌の顔からわずかに血の気が引く。



「……嫌なやり方だな」



ぼそりと漏らしたその言葉には、割り切れない感情が滲んでいた。



「……ほんとだね。誇りの象徴、ソルが昇ってる間に地下で……っていうのも、すごく嫌」



ユヴェの声は低く、しかしはっきりしていた。

それはただの反発ではない。

“太陽”と“誇り”を象徴するソル・ベリリウム。

神獣信仰の中で育ったフォールドラークの者として、その象徴を“軽視”することへの本能的な拒絶だった。


闇丸は肩をすくめた。

どこか“もう慣れっこだ”というような、乾いた態度で。


「スロワの賭博場には裁判所の官僚も顔を出す。そいつらに闇牢の構造と槍の在処を聞き出す。それが今、一番の近道ってわけさ」


長い道のり。無法地帯。賭博場。官僚。

どれもがリスクだらけだったが、逆に言えば、それだけ“芯に近い”証でもある。


凌は静かに頷いた。

目の奥には迷いがなかった。


「…よし、じゃあまずは、第六区ダランの腐れ森だね」


ユヴェの声が、次の目的地を明確に指し示した。

それはただの移動計画ではない。“未知”へ向かう旅の覚悟の言葉だった。



──ふと、病室の扉がノックされた。



控えめな音のあと、入ってきたのはヒヨだった。

小さなトレイを両手で持ち、いつもと変わらない顔で、ベッドのそばまで歩み寄る。


「凌さん、鎮痛剤をお持ちしました」

「…ありがとう」


ヒヨが差し出したのは、錠剤を数個と、いくつかの小瓶だった。

その中の一つに、妙にカラフルで、薬とは思えない見た目のものが混じっている。

瓶の中で、赤や青、緑の粒が、きらきらと光を反射していた。


「これは?」

()()()()()()()()()()()。チャメっ声飴(こえあめ)とも言います。妖精がかくれんぼ遊びのために作ったものなんですが、今さっき、シマに買いに行かせました」


淡々と答えながら、ヒヨは手元の瓶に一瞥をくれる。

まるでそれが、当たり前の処方であるかのように。



「…飴?」

「はい。舐めてる間だけ“声が変わります”」



首を傾げたユヴェに返したその言葉に、室内の空気が一瞬だけ揺れた。

飴ひとつで戦局が変わるような事態に、誰もが少しだけ、現実に引き戻されたようだった。


凌は無言でそれを受け取る。


「活用してください。必要だろうと、用意しました」


言い終えたあと、ヒヨは一拍だけ間を置いて、小さく付け加える。



「森には蝙蝠(こうもり)がいますから」



ユヴェがわずかに息を呑む。

リーテの名は出さずとも、誰もがその存在を意識していた。


「中には舐めるとクジラの鳴き声になるハズレもあるので、お気をつけて」


最後にそう告げると、ヒヨの表情はほとんど変わらないまま、ほんの少しだけ、唇の端が動いた。

それは笑みというには淡く、けれど、確かに“妖精”のいたずら心が顔を覗かせた瞬間だった。


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