表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第一幕】決意の代償

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/288

七十二層 : 決意の代償.02


──パチン。



照明が瞬き、影が床から這い出してくる。


自分の影じゃない。

あまりに大きい。



「見てる」


──見られている。



壁の隙間、天井の角、医療器具の陰。

無数の“目”が、開いた。


赤く、白く、青く。

色の違うそれらが、すべて「()()()」を見つめていた。


その瞬間、背中を“何か”に引っ張られた。


振り向いた先で、黒い腕が──影から生えた腕が、こちらへ手招きしていた。



床がぐにゃりと沈んだ。



影の中から生えた無数の指が、凌の脚を掴み、腕を縛る。

ぞわりと生えた黒い腕が、ぬめるような動きで背中を這い上がる。


「──!」


凌は叫ばない。ただ、目を見開いた。

けれど声にならないまま、そのまま影に──“引きずり込まれた”。



ぐしゃり。



重力の感覚が反転し、思考の外に何かが飛び散った。

視界が歪む。

重なる。

ぐるぐる回る。



──気づけばそこは、もう「ここ」ではなかった。



最初に感じたのは、風のにおいと土のぬくもりだった。

子どもの目線で見上げる世界。

指先が小さく、声帯が細い。

自分の背丈が、三歳児のように感じられた。


翡翠の屋根と、緋色の布が干された縁側のある、森に溶け込むような里。

木蓮の白い花が咲いていて、思い出せないほど昔のことのはずなのに──


ひどく懐かしいと、思ってしまった。



「……おかえり」



声がした。思わず凌は息を呑んだ。

とても、優しい声だった。


ゆっくり振り向いた先……そこに、母がいた。


もう忘れたと思ってた、あの声、あの顔、あの眼差し。

やわらかな手。

あたたかな匂い。


呼吸するだけで、涙が出そうだった。


ちがう。これは夢だ。

……けれど、腹の底から(よだれ)が出るような、悪夢の甘い匂いはどこにもしない。



抱きしめられた服からは、確かに、母さんの香りがした。



「かあさ──」


抱きしめ返そうとした。握っていたかった。

暖かさを手放さないように、今度こそ、強く、つよく。



でも──言葉を言い切る前に。



涙を堪えるようにまぶたを閉じて、開けた時には。



世界が、燃えていた。



目の前にはもう、火と灰しかなかった。


家が、家だったものが、燃えている。

耳をつんざく悲鳴。焼ける肉の匂い。

地面が灼け、空気が飽和している。


分かってる、分かってた。

()()()()だ。

悪夢の暴走。過去だったけど、今じゃない。


でも、


皮膚が焼けていく感覚まで、鮮明すぎる。

骨が鳴る。熱に耐えきれず、軋むように。

全身に火が這い、喉の奥から獣のような叫びが漏れる。


「……やだ……やだやだ、やだ……!」


走る。走れない。足が溶ける。

熱で視界がぶれて、もうどっちが現実なのかわからない。


母さんがいない。

あの時と同じだ。

逃げ惑う影が誰か判断もできない。


斧を持った悪魔が、誰かの頭を割った。

漆黒の服。大人の足が、赤ん坊を踏みつぶした。


「やめろ……! やめろ、やめろ、やめろ──っ!」


逃げる途中、男が目の前に立ちはだかった。


焦げた服。焦げた顔。

刃を握る手が震えている。


「殺せ」


凍えるほど冷たい声で、誰かがそう言った気がする。



でもその男──あの悪魔は、殺せなかった。



ひどく、困ったような顔で。


「……逃げろ」


焼ける皮膚の背を無理やり押して。

体が崖の下に落とされる。


どぼん、と。

水だ。息ができない。焼けた肌が急速に冷える。

沈む、浮き上がらない。肺が、うまく動かない。


そのまま視界が暗転して、意識を失うように、闇に引き戻された。



けれど、まだ、終わらない。



()()()()がした。


鼻腔をくすぐるその匂いが、悪夢のそれと分かっているのに。

肌を撫でる生暖かい夢が、まるで生き物の舌のようにざらついている。


目を開けていないのに、目の前で鬼灯が揺れる。

病院の淡いウフ(とう)が、無機質に空間に浮いていた。

朱く白く、魂を導く光が交互にゆらめく。

ひそひそと誰かが耳裏に囁く。


「可哀そうに」


店長の声だった。


「皮膚は完全には治らない」


ドクターの声もした。


でも、誰の姿も見つけられない。

灯りが怖い。

──影が怖い。


泣き叫んでも、誰も来なかった夜が、延々とつづく。

火傷の痛みが、いつまでも消えない。


包帯が巻き付く。

体温がない。暑さも寒さも感じない。

感触でさえも曖昧になった、引き攣った肌に。


どうして生き残ってしまったのか──分からない。


泣き疲れて、動けなくなった頃、誰かが影を踏んでくれた。

そこに棲む悪夢を蹴るように。

妖怪たちが、無遠慮に、でも泣きそうな顔で──次々と。


それが、救いだった。


目の前にたくさん腕が伸びていた。

人の手、獣の手、紙の手、布の手。

でも掴めなかった。


新しく背負うことが怖い。

これ以上抱えきれない。


それなのに、


誰かに掴んでほしかった。

支えていてほしかった。

繋がりを断ちたくない。

でも、もう誰とも繋がっていたくない。


ほっといてくれ。

構わないで。

見えない存在になりたい。

誰にも気づかれずにひっそりと、死ぬまでの呼吸を繰り返すだけでいい──



──ブレーキ音。



どかん、と何かが破裂した。


体が飛んでた。小さな子供。

助けなきゃ。でもどうすればいい。


抱きかかえた重みを、腕が思い出す。

ぞわりとした。

心臓が冷えた。

思い出すな。思い出すな。


でも、命がこぼれていく。

冷えていく。

意識してしまう。

死ぬってこと。


「翔……!」


名前を知らないはずだった。

いや、ちがう、知ってる。

でも、あの時はまだ、知らなかった。


ああ、そうだ、だから、ここは夢だ。

忘れるな、吞み込まれるな。

でも、足を止めたら翔が死ぬ。



走れ、止まるな、病院まで、絶対に──



転がるように扉を開けた。

ドクターを呼んだ、はずだった。

なのに、扉の先は、



また、夜の街だ。


また、焼ける臭い。



でも、里じゃない。違う街角だ。イデラだ。

灯りのない裏路地に、ひとりで立ってる。

腕が赤くない。翔がいない。扉もない。

目線が今の高さだった。


影に沈んだ街で、何かが起きている。


遠くで叫び声。怒号。

捕物中の悪魔たち。


そこを、ひとりの男が逃げてくる。

ボロ布に包まれた何かを抱えて。


──赤ん坊。


その顔を見た瞬間、


「……!」



記憶が、今と昔を()()()()()



炎の中の男。

逃げる男の顔。

あの夜、自分を庇ってくれたあの悪魔──


……が、追われている。


亜月だ。──違う。

そんなはずない。

これはイデラだ。ここは、獏の里じゃない。

あの男も、あのときの悪魔じゃない。



──なんで赤ん坊が亜月だってわかった?



腕を引かれる。背を押される。

煤けた手に、“生きろ”と押される。



「ちがう、俺はそんなこと思ってない。

でも——死んだ方が楽だった。

死にたくない。でも、生きたくもない……!」



顔を覆った手が、いつの間にか赤く染まっていた。

自分の血か、誰かの記憶か。

呼吸の仕方すらわからなくなる。



影が囁く。


──なぜ、お前だけが生き残った?

──なぜ、また生きようとする?



「……うるさい……っ、俺は……俺は……!」



その声すら、涙の味にかき消されていった。



大丈夫これは夢だ。

三時間、それさえ耐えれば、もう過去だ。



肩を抱く。耳を塞いで目を閉じる。

そうやって言い聞かせようとするのに──


うずくまった先で、目が合った。


炎の中で、自分を逃がしたあの男と。



──逃げられない



たしかな絶望の色だった。


焼けた記憶。

ぐるぐると回る死者の顔。


何度目だ。いつ終わる。どこまで続く。

声を上げても、また炎が塞ぐ。


記憶が、回る。

ぐるぐると、焼かれた記憶が、皮膚の下から暴れ出す。



「殺せ」

「殺せ」

「殺すな」

「逃がせ」

「獏を殺せ」



どこからともなく、“火の中の指令”が降ってくる。



──獏の里がまた燃えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ