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Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第一幕】濡れ手の策
52/89

五十二層 : 濡れ手の策.04


ガットの問いは直球だった。

刃のような鋭さを投げながら、けれど同時に、音にならない答えを測ろうともしている。


お互いに()()()()()()()()()()()

だからこそ、ここには確かな共犯関係がにじみ始めていた。


実際には、“共犯”とは呼べない。

誓約がある限り、どちらも最後まで信じきることはできないからだ。

それでも、今は“信じ合うふり”をすることが、唯一の賭けだった。


凌は、自身の刀をしばらく見つめた。

螺鈿(らでん)の桜が、ほんのわずかに揺れていた。


やがて、静かに刀を鍵へと戻し、ジーンズのポケットにしまいこむ。

その仕草は、まるで今の“会話”そのものを封じるようだった。

ここでは、真実を語ることすら命取りになる。

だからこそ、彼らの言葉にはいつも“抜け道”が必要だった。


「誓約書は、書かれていることしか裁けない。──だったら、“その行間”で動くしかない。それはみんな考えることだろ?」

「……」

「明確な“行動”が始まる前なら、まだ全部は“想像”で済む。……いつか誰かのたとえ話をしようか」

「…たとえ話、ね」


現実味のない会話。

けれど、どちらもその“不確かさ”にこそ意味があることを理解していた。


「仮に、“誰か”が護送車で運ばれる未来。その護送ルートが分かったとしても──襲うなんてことは、しない方がいい」

「……は?」

「誰も攻撃しない。“誰か”が、ただ、影に落ちるだけだ。……仮に、そんなことができればの話だけど」


名前を伏せ、もしもの話を語る凌の声は、相変わらず穏やかなままだ。

けれど、そこには自分の命を危険に晒すことへの迷いが、まったくない。


「……影?」

「たとえば獏なら──食った悪夢は、自分の影の中に()んでる。ウフを縛られても、固有能力(ノータ)が残ってる限り、そこに沈める方法が──あるかもしれない」


それは断言ではなく、仮定。

自分に言い聞かせるような言い方だった。


だが、“本気の仮定”ほど強いものはない。

そして、ガットはそれを十分すぎるほど理解できる男だった。


ガットは無言で視線を向ける。

続きがあることは分かっていた。


凌は、少し息を整えてから言葉を継ぐ。


「でも、誓約書に触れた瞬間から、()()は操れても、()が使えなくなる。最初から影頼みじゃ、話が成り立たない」


──その通りだ、とガットは内心で頷いた。

誓約破りの瞬間に、魂が自分を拒絶する。

それがどんな生き物であっても、死神の固有能力(ノータ)に例外はない。


「……じゃあ“そいつ”は、どうするべきなんだ?」


低く問いかけるガットに、凌が言葉を投げる。



「──()()()()()()()()って、知ってるか?」



ふいに話の流れが変わったことで、ガットの眉がわずかに動く。

凌は自分の影を揺らしながら、あくまで自らの固有能力(ノータ)を告白するように、言葉をつづけた。


「食えるってことは、実態があって、重さがあるってことだ。もちろん、密度も。だから、たとえば──()()()()()()()()()ことも、できる」


直感的に危険な匂いがした。


「……その瓶、割れたら地獄召喚ってことか。爆発でもすんのか?」


皮肉とも真顔ともつかないトーン。

凌は肩をすくめた。


「似たようなものかもね──悪夢が食えない、他の種族にとっては」


静かな説明に、ガットは目を細める。

それは冗談ではなかった。

その静けさが、逆に確かさを伝えていた。


「……で。それが疑似的な“悪夢空間”になるってわけか」

「ほんの数秒だけ。でもそれで十分だ。悪夢の中では重力も音も、時間さえも、歪む。白昼夢の逆。脳が処理できなくなる」

「……」

「物理攻撃はできない。でも、“戦意”や“行動命令”を、()()()()()()()()()()()ことはできる」


その語り口は冷静だった。

だが、どこか祈るような口調だった。


「もし、広範囲を影のウフなしで混乱させたいなら、そういう手もあるってこと」


ガットの胸中に、冷たいものが落ちる。

凌の声に感情はなかったが、それが余計に本気に聞こえる。


「……」


応えないまま、ガットは目を伏せた。

凌は足元に落ちる自分の影を見つめていた。


「使い捨てで、でも安全だ。悪夢は陽の光が苦手だから、時間が経てば俺の影の中に戻ってくる」

「……」

「それに、“忘れ物”なら、誓約違反にはならないだろ。ただ、何の気なしにそこに置いといた、とかさ」


これは計画じゃない。()()()()()()

……そう言い切れる限りは、まだ誓約には触れない。

だからこそ、言葉選びの“温度”が一度でも上がれば、全てが瓦解する。


そして──


凌はガットの目を見据える。



「……で、その瓶を“誰か”が壊せば、それでいい」



少しだけ間を置いて、言い換える。


「護送ルートなら、監視もいるだろ。遠くから。周りには気づかれなくても、“よく見える目”を持つやつなら、小さな瓶にも気が付いて“排除”してくれるかもしれない」

「……」

「…その時、そいつが誤って壊してしまっても、それは“事故”だろ」


ガットは一言も返さなかった。

だが、視線の深さだけが、すべてを物語っていた。


本当なら、ここで頷くことも否定することも誓約違反だ。

だから代わりに、ただ“目で読む”しかできない。

それでもその目が、どれだけの葛藤を飲み込んでいるか──凌にはわかっていた。


その言葉は、曖昧な響きしかないはずなのに、どこまでも確信に満ちていた。

迷いも押しつけもなく。

ただ、その一手を相手に託す声だった。


……その提案に対する答えは、雨音の中、どこにも落ちてはこなかった。

けれど、それでも凌は──

まっすぐその影の獣を、見つめ続けていた。


ガットは無意識に眉をひそめた。

信じられているという実感が、ほんの一瞬、居心地悪く胸を突いた。


けれど、聞き捨てならない言葉でもあった。



「……待て、テメー……俺の武器が何かを()()()()()()



その声は、雨音よりも低く、にぶく落ちた。

まるで、何か見られたくなかった記憶を暴かれたような、そんな響きだった。


「言っただろ。あんたのことは──あんたが俺を調べたくらいには調べてるって」


沈黙が落ちた。


それもそのはずだ。

ガットは、戦いよりも先に“名乗るべき相手”を見極める。

だからこそ──誰にも、武器を見せたことがない。


特に、この悪魔社会に来てからは意識的に、隠している。

()()()()()知っている者が、裁判官に数名いるのみ。


それ以前、天使領にいた時でさえ、彼の武器がなにかを知っていた者は少ない。


それなのに……

こいつは“全てを知っている”かのように、計画に組み込んでいる。


ガットは、ブルゾンの下——隠すように装着しているナイフホルダーを触った。

そこにあるのは“ただのナイフ”だ。

ウフの乗らない、純粋な刃。


彼の本当の鍵は腰のポケットに収められている。

そしてそれは、長距離を難なく撃ち抜く銃の類だった。

暗殺を生業とする彼。

その在り方を(かたど)るような、静かな殺意の形。


引き金に指をかけたことは数え切れないが、誰にもその姿を見せたことはない。

銃声よりも早く、息が消えること。

それが彼の武器の“証明”だった。



──確かに俺の鍵(こいつ)なら、悪夢の瓶を正確に狙える。



ガットの目付きは鋭いままだったが、凌は気にせず話を進める。


「とにかく、どんな手段であれ混乱に乗じて、ペナルティが完全に発動するまでに影移動を終わらせる。間に合わない時用に、予備に逃走用の扉も用意しておくのが理想だな。……都合よくあれば、だけど」

「…賭けだな」


凌は視線を外さずに答えた。


「ただのたとえ話だよ」


嘘ではない。

でも、口にするだけで何かが削がれる気がした。


──覚悟は、とっくに決めている。そう言っているような目だった。


そもそも、相手にする裁判所という存在が大きすぎる。

敵に回すと決めた時点で、これから先の生存は地獄と隣り合わせだ。


「あと、その後の逃走経路。それも、つなげてくれる誰かがいれば──」

()()()()()()()()()()か」


確信がある声色だった。

凌は目を細める。


「テメーが接触したユヴェって女、もう見張りがついてる」

「……」

不正扉(ブラックドア)を使う手は裁判所が真っ先に警戒する。とくに、“悼み月”(モーン・ムーン)の時期は取り締まりが…」

「わかってる。でも──」


凌は目線を下げて、言葉を一度飲んだ。

少し間を開けてから、再び口を開く。


「扉の一枚は、瓶を割る“誰か”用だよ」

「──は?」


今度こそ、間抜けな声が出た。

ガットは言葉を失う。

その一言が、雨の音よりも静かに響いた。


彼が思っていた計画の構図が、音もなく塗り替えられていく。

それが、なぜか──胸の奥に、ぬるい水のような感触を残した。悔しかった。


「たとえ危険物だと判断して瓶を排除したとしても……裁判所の上の奴らが、納得してくれるとは限らない。だから、扉を一つ持ってるくらいがちょうどいい」

「……ずいぶん、甘い奴だな」

「…帰りたい場所に帰れないのは、つらいと思うだけだ」


凌は、それ以上言わなかった。


ガットがどんな理由で裁判所に来たのか、さわりしか店長からは聞いてない。

でも、ここにいることが、ガットにとって“大切な誰かを苦しめ続けている”ことさえ分かっていれば、凌には充分だった。


「……いまいち、図りきれねえな」


ガットは眉をひそめた。

けれど五感の鋭い彼だからこそ、目の前の男が嘘を吐いていないことだけは、分かってしまう。

まるで、それが一番厄介だと言わんばかりに。


「ただの無鉄砲か。それとも底なしのお人好しか」

「…さあね」


肩をすくめる凌。

どちらだろうと、他人に判断を委ねているような顔だった。


「ただ、今は、確かに無鉄砲かもな」


ふっと息を吐くように笑う。


「とにかく、亜月(あいつ)を死なせるわけにはいかない」


確かな決意が宿る紅い目を、ガットは静かに見つめていた。

見た目も声も、鼓動のリズムも、何もかもが違う。

なのに思い出してしまう。


記憶の中でも、俺の軌道を捕らえて引き戻そうとする、あの引力。

まぶたの裏に焼きついている、あの炎。

陽の光の届かない場所に身を置いても、忘れられなかった。


……まるで、“あいつ”の目を、もう一度覗き込んでしまったような気分だった。


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