四十六層 : 停止から、加速.04
フォールドラークの工房には、今日もいつもと変わらない火の音が満ちていた。
炉の奥では白熱した光が揺れ、槌の音が金属にリズムを刻む。
その中に、いつものように黙々と作業するユヴェの姿もある。
けれど──
「……なあ、ユヴェ、今日はずいぶん無口じゃないか?」
隣で作業していた青年が、冗談交じりに声をかけた。
槌を握る時は、普段ほど口数は多くない。
彼女が集中してる時は、特にそうだ。
けれど、今日のそれは“沈黙”というより、意識がどこかにあるように見えた。
「おーい、ユヴェ」
「……うん?」
反応がワンテンポ遅れる。
ユヴェは返事はしたが、音のない独り言のように小さかった。
そしてまた、どこかに心が飛んでいく。
間近で声をかけたにも関わらず、まともに会話が成り立たない様子に、青年は眉をひそめた。
「……な?なんか変だよな、あいつ」
ぽつりと言う。
だが、別の職人が溶接作業の手を止めずに答えた。
「元々ちょっと変だろ。工房飛び出して消えるのもいつものことだし」
「神獣の話も、ちょっとどころかかなり詩的に解釈してるしな」
くすくすと笑いが起きる。
ユヴェの奇行は、フォールドラークの中では“笑い話”になっていた。
けれど、本当のところ、誰もそれを軽くは見ていなかった。
「でもな……」
工房の入り口にいつの間にか立っていた鍵屋の責任者──メテオが、低く言った。
眉間に刻まれた皺は、職人としての厳しさと、長くこの場を守ってきた責任の重さだった。
分厚い耐熱服で大きな体を包み、扉に寄りかかるようにして、工房の奥のユヴェを見ている。
「あいつ、金槌の持ち方が今日は違う。右手に力が入ってない」
その言葉に、一瞬だけ工房が静かになった。
誰も言葉を返さない。
けれど、それを聞いた誰もが心のどこかで納得してしまった。
ユヴェはゼノラ層東端にある鉱山都市──グラルメアで、燻っていた存在だった。
そしてメテオは、彼女の才能を最初に見つけた者だった。
通常、フォールドラークは神官、鍵職人、扉技師の三つに分けられる。
多くは扉技師や鍵職人を担い、神官は一部に限られる。
そしてそのほとんどは扉と鍵、どちらも手掛けられるように研鑽するが──
やはり、得手不得手はある。
そんな中で、ユヴェはどちらにおいても一流と呼べる腕を持っていると、メテオは見ていた。
ただ、あいつの思想は──あまりに時代の先を行きすぎていた。
どちらも両立できるからこそ、彼女は独立を望んでいた。
そして、フォールドラークが神獣を語る言葉は、もっと“彼ら”に寄り添うべきだと主張していた。
もっと──神獣の本質を、他種族へ伝えていくべきだと。
──神獣の本質。
それを、ひと口に伝えることなど不可能だ。
言葉を残している神獣の方が少ない。
姿かたちさえ、ほとんどが言い伝えの域を出ない。
けれど、“それ”がなにを意味しているのか。
彼女はそれを“問い”のかたちで感じ取ろうとし、
そして──神獣たちが、いまも私たちへ“語りかけている”のだと信じている。
夢を見るような言葉を吐くだけなら、構わない。
だが、あいつの言葉は、どこか他人を惹き付ける。
まるで世界に恋するような、優しい響きをもつ言霊だった。
神官たちは、神獣の教えに余計な解釈がつかないように、あえて言葉少なに生きている。
鍵の儀式室でも、決められた所作、決められた文言を、ただ繰り返すだけだ。
変わらない神獣の存在を、自分たちで“変えてしまわないように”──
フォールドラークは、星を繋ぐ扉と鍵の管理に、長い歴史をかけて情熱を注いできた一族だ。
けれどそこに、“言葉が力を持つ”という思想が混ざれば、たちまち宗教性が増す。
悪魔の裁判所。ゼノラの富裕層。
その技術と信仰を“利用したがる”者たちにとって、バランスが崩れれば、それは火種にもなる。
神獣信仰は、大切だ。
だが、それを必要以上に広めることは、時として“危険”になりうる。
信仰が“思想”へ。思想が“命令”へ。そして命令は──誰かを縛る力になる。
その危うさを、一族は嫌というほど知っていた。
だからこそ、長老たちはユヴェをグラルメアに留めようとした。
彼女の思想が、やがてどこかを変えてしまうことを、恐れていた。
けれど、それでも。
無理を押して、メテオは彼女をノードの鍵屋へ連れてきた。
それは、彼女の中にある“危うい輝き”を、どうしても埋もれさせたくなかったからだった。
鍵職人として。
扉技師として。
そして、ひとりのフォールドラークとして。
――それは、もはや親心と呼んでもよかったのかもしれない。
「──あいつは誰よりおかしな奴だが、誰より鍵と扉のことを思ってる。それがあんな……」
「また始まった。メテオさん、それは本人に言ってやってくださいよ」
「そうですよ。扉技師と鍵職人、どっちも完璧に出来る数少ない〜ってやつでしょう?」
周囲の鍵職人がうんざりしながらも、いつもの事だと笑う。
けれど、メテオは目を細めただけで、笑わなかった。
むしろ、周囲の声など届いていないかのようだった。
「……目も、どこか見てるようで、見てない」
いつもの“突き抜けた天然”でもない。
かといって、何か大ごとがあったと報告が来たわけでもない。
だからこそ──
「……火傷でもして気づく前に、誰か声掛けてやれ」
メテオはそう言い残し、背を向けた。
ユヴェの様子をちらりと見やったまま、扉の向こうへと姿を消していった。
その背中には、怒りも苛立ちもなかった。
ただ、種族を守っていく者の背中だった。
鍵職人たちは互いに目配せして、肩をすくめた。
「誰が行く?」と言わんばかりに。
背後でそんな会話が繰り広げられていることも知らず、ユヴェは炎を見つめていた。
炉の奥で火花が弾けるたびに、ユヴェの手元が微かに揺れる。
……金槌の持ち手。
少し前までは、何も考えずに力を入れられたはずなのに。
今日は何故か、指先に力が入らない。
「……」
何度か、右手をぎゅっと握り直す。
けれど、震えは収まらなかった。
…ちゃんとやらなきゃ。
周囲の視線が気になるわけじゃない。
見られてるかどうかより、見抜かれたくない。
不正扉の記憶が、喉の奥をじわじわと焦がすように思い出される。
やってしまった。
でも、やらなきゃいけなかった。
あのまま見逃していたら……
悼む槍は二度と、キング・ハーウェンの元に帰れない。
──言い訳になんか、ならない。
だからせめて、いつも通りに仕事をする。
……アルモラ鉱を焚いて、ウフの光を閉じ込める。
自分は、ただの鍵職人だ。
槌を打ち、世界を繋ぐ扉を造る者。
その誇りは、まだ手放していない。
でも、指先の熱は逃げていく。
目の奥が少しだけ、じんわりと重い。
あの獏……本当に、助けてくれるかな。
そんな期待を抱くこと自体、ずるいのかもしれない。
でも、もうひとりでは、どうにもならない。
工房の喧騒の中にいても、自分だけが冷たい水の中にいるみたいだった。
釜の中の火が、一瞬、息を止めたように弱くなった。
「ユヴェ、火、弱まってるぞー」
誰かが声をかけてきた。
ユヴェは慌てて手元を直す。
「……ごめん、今やる!」
笑ってごまかす声が、少しだけ裏返った。
──どうしてこんなに、怖いんだろう。
手は動かしている。
仕事もしている。
でも、頭の中ではずっと、自分の小屋の中に置いたままの扉の向こうのことばかり考えていた。
ユヴェは何も言わず、再び火の前に向き直った。
ただ、視界の隅でメテオがいないことに気づいたとき、ほんの少しだけ、心の奥がざわついた。
……バレてる?
裁判所の悪魔たちにバレたくない。
でも、同じくらい、メテオにも知られたくない。
だって、彼がいなければ、私は槌を振るうことさえ許されてなかった。
グラルメアで、自らの鍵が“槌に姿を変える”ことが出来ても……
皆が私に鍵を、扉を、作らせようとしなかった。
ちゃんと出来るのに。ちゃんと繋がるのに。
ただ、ほんの少しだけ、伝統とやり方が違うだけ──
逸れかけた思考を、首を振って連れ戻す。
頬を軽く叩いて、釜の中へ鉄鋼を放り込む。
燃えている炎の奥に、ほんの一瞬、あの紅い目が揺れた気がした。




