三十八層 : 陽の届かぬところ.05
──朱の構造が、空間を呑んでいた。
鳥居だった。
いや、それが本当に「鳥居」と呼べるものなのかは、もうユヴェにはわからなかった。
通常、参道に立つ鳥居は“門”だ。
結界と俗世の境界に立ち、通行を許す形式を取る。
けれど、目の前に並ぶこの連なりは、あまりに異常だった。
幾重にも、幾重にも。
延々と続く朱色の柱が、視界を削るように並び立ち、空間を圧迫する。
空が見えない。地の色も薄れていく。
まるで──理に対する“過剰な構造”。
ユヴェは慎重に歩を進める。
何本目かの鳥居をくぐったあたりで、風の通り方が変わった。
「……時間が、剥がれていくみたい……」
耳元で誰かが囁いた気がした。けれど何もいない。
石畳の感触だけが、かすかに現実をつなぎとめていた。
何度、鳥居を数えただろう。
十歩進んでも、五歩戻っても、周囲の景色は何一つ変わらない。
やっぱり、時間が折り返している。
脳が焼けるような違和感に、初めてユヴェの手が震えた。
“記録にない”ものに、私は踏み込んでしまった。
そんな確信が、喉を締め付けるように滲んだ。
「……迷子ってあんたのことか」
──声。
突然、空気が弾けた。
音も気配もなかったはずの場所に、ただ“そこに在る”ように、ひとつの影が立っていた。
緋色と翡翠色の鮮やかな羽織。
月の色よりも静かな灰銀の髪。
振り返ったその瞳は片方は閉じられ、片方が見つめてくる。
それが、夜明けのように赤かった。
「え……?誰?どこから…?」
「──その服、フォールドラークだろ」
静かな声が、まっすぐに自分を射抜く。
警戒されていることは目に見えている。
けれど、男の後ろに立つ少年が、労わるような眼差しを向けてくることで、ユヴェは少しだけ勇気を振り絞った。
「あ、あの、私ここから出たいんだけど……!」
震える彼女の声に気付いているのか。
焦る彼女とは対比して、落ち着き払った男……凌は静かに答える。
「……手、出せば出られるよ」
そう言って、凌がすっと手を伸ばした。
包帯が巻かれた白い手。
ユヴェの手が、半信半疑で伸びる。
指先が触れた瞬間。
──ぱちん
視界が反転した。
鳥居が、ひとつ、ふたつと消え──
そして、微かな朝の光の中に、立っていた。
「……え、ええ……?」
見渡せば、月が登る時間に見たはずの鳥居が、目の前にあった。
今度は登り始める直前の太陽の微かな光を浴びて、ぼんやりと朱色の輪郭を滲ませている。
「……出れた?」
惚けるユヴェをおいて、さっさと歩き出す凌。
それを、彼女は慌てて止めた。
「待って!あの、ありがとう」
感謝の言葉をスルーして、凌は目線だけよこす。
ユヴェはあまりに淡白な対応に一瞬気圧されたが、一歩、踏み出した。
「私この中に用事があって──」
「無理だよ」
入りたいと続けるより先に、凌がピシャリと答えた。
「あんたはここに入れない」
「え、でも…」
「…残念だけど、主は入れる気ないってさ」
ショックを受けて固まる彼女に、凌は少しだけ後ろめたさを覚える。
自分が拒んだわけじゃないが、鳥居の管理は店長のものだ。
凌がどうこうできるものではない。
「……何しにきた」
せめて中にいる奴を連れ出すことはできる。
が、それをするほどの価値があるのか。
見極めるように紅い目を細める。
しかし女は口が重い。
言っていいのかと悩む様子から、時間がかかりそうだと判断し、今度こそ彼女へ背を向けた。
一応、一回は情けをかけた。
手を取るかどうかは相手次第だ。
焦る彼女を、翔がチラチラと見る。
途方に暮れている相手を救わないのかと、翔が凌を止めようとするのと、
ユヴェが凌の羽織の家紋を見つけたのは、ほぼ同時だった。
「それ、“霞と三日月”の紋…!」
凌が歩みを止めた。
無言で視線だけを向ける。
「あなた、もしかして──獏……?」
風が止まった気がした。
それでも、凌は表情を変えずに言った。
「……だから?」
けれど、わずかに──ほんの、ひと呼吸だけ──言葉が遅れた気がした。
「私、私はユヴェ。フォールドラークの鍵職人……“星の扉をひらく”種族です」
言葉を詰まらせながら、それでも必死な様子で言葉を続ける。
「お願い。どうしても……伝えたいことがあるの」
ユヴェの声は震えていた。
焦燥と後悔と、わずかな希望を含んだ音だった。
「“悼む槍”が、裁判所に奪われたの。封印されてたのは、獏の里だった──もしかして、あなたは知らないかもしれないけれど……」
凌の目がわずかに細められる。
「悼む槍……?」
耳にしたことはある。だが、実物は見た事がない。
それは御伽話のようなものだった。
獏の里にあった、というのも、初耳だった。
死と夜と慈悲の神獣、キング・ハーウェンの神器。
死を悼み、魂の行き先を決めると言われるそれは、“何者も殺すことができない槍”だと。
けれど、なぜそれが──獏の里に?
「その槍を、裁判所が持っていったの。私、見てることしか出来なかった……それが、悔しくて──だから、取り戻したい」
ユヴェは目を逸らさずに言った。
「お願い、協力してほしい。あなたなら──」
凌はその場で、彼女の言葉を遮るように短く息を吐いた。
「悪いけど」
その一言で、ユヴェがびくりと体をこわばらせる。
「今、そっちに付き合ってる余裕はない」
「──え……」
「俺には別に、やることがある」
ユヴェは言葉を失う。
その視線に、翔が気まずそうに肩をすくめた。
「そんな…でも、神器が…」
「そもそも」
体ごと振り返った凌は、ユヴェをまっすぐ見つめる。
「神獣の神器なんて、本当に実在するのか?」
「──する。するよ。私、ずっと見守ってきたから」
「…なら、どうして獏の里にあった?」
「それは……」
声が震えていた。
今度こそ、困惑と不安に染まっていた。
それが、凌の存在を最後の頼みの綱だったと言っているように聞こえる。
言い淀むユヴェを見据え、凌は一歩、彼女へ踏み出した。
音を立てず、静かな足取りで。
言葉と裏腹な行動にユヴェが身を固くしたところで、凌は自分の唇に指を一本添えて見せた。
そして、包帯の手で軽く手招く。
「……?」
紅い目がユヴェを誘う。
まるで「着いてこい」と言わんばかりに。
戸惑いで動けない彼女を残して、凌は踵を返した。
ひらりと揺れた羽織の裾に、小さな蜘蛛が滑り込んでいくのを、ユヴェは確かに見た。
蜘蛛……
なにかが彼女の中でピンときた。
蜘蛛は妖怪たちの間では特別な存在であると、彼女は認識していた。
一瞬、足が地面に張り付いたように重かった。
けれど、次の瞬間には一歩踏み出していた。
まるで細い蜘蛛の糸に導かれるように、ユヴェはもう歩き出している凌を追いかけた。
本当に、ついて行って大丈夫かな……でも…
理屈じゃない。
あの目には──どこか、嘘がなかった。
小さな足音が、ユヴェの後ろからついてきた。
振り返らずとも、翔の存在があたたかく寄り添っていた。
*
かつての要塞都市が誇る、頑強な外壁を伝って三人は進む。
まだ星が輝きを残す、朝とも言えない時刻。
賑わいがない時間でも、壁の切れ目には都市の出入りを睨むように管理する門兵が立っている。
ここも大扉と同じで、出る時はお金がかかるんだ……
壁の中へ入る自分たちは呼び止められないのに、荷物を担いで出ていこうとしている商人の一団、一人ひとりをチェックする眼差しに、翔は嫌な気持ちを味わった。
都市内へ入った凌は、壁際に体をよせ、そこにうつった自分の影の中へ手を差し込んだ。
歩きながら何かを取り出し、少ししたあと、後ろを着いてくるユヴェへ手渡す。
無言のまま行われたそれに、ユヴェはビクつきながらも手を伸ばした。
そこには右肩上がりの細い悪魔文字で「どこか話せる場所へ」と書かれていた。
ユヴェは紙を落とさないようにポケットへしまいこむ。
逡巡の末、ユヴェは震えを隠すように、そっと羽織の裾をつまんだ。
紅い目が、ちらりと彼女を向く。
都市の中でも屈指の繁華街。その中央を渡る角通りからはずれた小道。
フォールドラークの鍵屋からほど近い自身の小屋に、ユヴェは凌と翔を通した。
白い土作りの壁。木の戸板。
煉瓦が積まれた屋根は趣があり、かしいだ煙突が黒い煙を吐いている。
小屋の中に入ると、少し懐かしさを覚えた。
壁や床板、扉の縁、あらゆるところに、鍵屋で見たような神獣のモチーフがカラフルな塗料で描かれていた。
でも、鍵屋で見た丁寧に彫り込まれ、歴史の中で掠れた曲線とは違って、柔らかく、手書きの真心が滲んでいる。
ふと、テーブルの脚が目に留まった。
小さな金属板で補強され、木目の裂け目には薄い接着痕が走っている。
他の家具もそうだった。
椅子の背もたれ、窓の桟、使い込まれた戸板──
よく見れば、どれも一度は壊れかけた痕跡があり、それを丁寧に、時に不格好に、修繕して使い続けている。
凌は静かに部屋の中を見渡した。
小さな釜と、椅子とテーブル。
部屋は二つしかない。
奥に続く扉は、ユヴェの私室に繋がるのだろう。
所狭しと鍵鋳造の道具やウフの詰まった箱が積み置かれ、立てかけられた扉が数枚、壁を隠している。
雑然さはあるが、清潔で、窓から差し込む光が部屋全体を明るく見せていた。
その光を受け、窓辺に置かれた透明な花が、かすかに虹色を返している。
神獣クロイツェルの足跡に咲くといわれる、宝石花──ゼノラ層の富の象徴。
けれどこれは、色つきの高級品ではない。
淡い光を透かすだけの、ただの透明な百合。
だが凌には、それがこの部屋でいちばん、誇り高く、美しいものに見えた。
この空間の居心地の良さが、ユヴェの人柄を語るようだった。




