三十五層 : 陽の届かぬところ.02
フォールドラークの鍵工房には、多くの鍵職人が昼夜問わずに火を焚き、槌を振るっている。
それというのも、この百年ほど、天使たちの鍵の紛失、破損が多く、作り直しの申請が後を絶たないからだった。
「なんで鍵をこんなに粗末に使えるんだ…?」
「生とともに授かる神聖なものだと言うのに…天使どもは本当に野蛮だ」
愚痴が工房の職人たちから溢れ出る。
そんな中、ひとりの女が鍵屋の重たい開戸を押し開けた。
濃紺の髪、分厚い耐熱服と皮の手袋。色の濃いゴーグル。
フォールドラークの鍵職人のひとり──ユヴェだった。
ハーウェンの時間も更けて、月は南中に輝く頃。
鍵屋の表も前室も灯りが落ちて、炉の炎しか光源はない。
けれどそんなこと気にもとめず、ユヴェは慌ただしい足音とともに、工房の奥へと駆け抜けていく。
「おい、ユヴェ?帰ってきたのか?」
「また勝手に出てたな?メテオが探してたぞ。どこに行ってた」
職人たちの呆れや責めるような声が彼女の背中を追いかける。
しかしユヴェは答えることなく、工房の最奥にある保管室へ飛び込んだ。
巻かれた古い用紙が、壺の中や棚に所狭しと保管されている。
鍵帳簿だ。
その中の直近分は、最近裁判所の悪魔たちに持っていかれたため、一区画だけ綺麗に空白になっていた。
帳簿を無視して、ユヴェは何百年分と更新され続けてきたゼノラ層の地図を、傷だらけの机に広げた。
上に置かれていた誰かのマグカップが転げ落ちる。
「…ない、ない…ここじゃない……!」
比較的新しい地図から、順々に時代を遡る。
指先が紙面を滑る。
何かを探すように。
フォールドラークの全層地図は、無数に存在する扉の緯度経度を正確に図るため、常に更新を繰り返していた。
ゼノラの層だけでも、その数は相当だった。
「グラルメアの記録庫にもなかった…あとはもうここしか思いつかないよ……」
声に、焦りが滲む。
──グラルメア。
ゼノラ層の東端に位置する鉱山都市。
多様なウフを産出し、その量は全層随一とも言われていた。
とくに、鍵鋳造に不可欠な「アルモラ鉱」そして「カリナイト」。
これらの特殊鉱石が採れるのは、この都市ただ一つだった。
それゆえ、フォールドラークたちはこの地に根を下ろしている。
ユヴェの出身地でもあるこの都市には、”忘れじの洞窟”と呼ばれる記録庫があった。
けれど、記録庫の中身はどれも整いすぎていて──
必要なものは“整頓された情報”の中には、なかった。
──整ったものは、残るべきものしか残してくれない。
だからこそ、ここに戻ってきたのだ。
ゼノラ層最古の建物。
大扉の街ノードの鍵屋。
雑多で、埃まみれで、けれど確かに“過去”が眠っているこの工房に。
錆びた工具、紙の焼けるようなにおい、軋む床──すべてが、時の手から逃れた場所。
ユヴェは何枚も何枚も地図を開いては探し、見つからなくて床へ落としを繰り返す。
ゴーグル越しに視線が彷徨い、そしてようやく、一つの印を見つけた。
その地図の端には、今では使われなくなった「通路」の記録が残されていた。
“鬼灯通り”──
その名を見たとき、ユヴェは、何かに背中を押されたような感覚を覚えた。
「あった…!!」
……獏は確か、妖怪種だったはず。
封鎖された記録。交信不能な地点。
他の種族とは大きく異なる変化をし続けるその種族が、隠れ住む場所。
もし、獏の生き残りがいるとしたら、ここだ。
ユヴェは膨大な量の鍵帳簿を振り返る。
この紙束の中には、探せばきっと獏の最後のひとりの記録もあるはず……。
でも、そんなことをしている余裕は、彼女にはなかった。
「おいユヴェ!お前また抜け出してただろ!!」
背中を裂かれるような怒鳴り声に、肩が跳ねた。
ユヴェは振り返る。
保管室の入り口……そこには腹立たしさを全面に顔に貼り付けた、フォールドラークの鍵屋責任者。
メテオの姿があった。
体格のいい体は全身分厚い耐熱服に覆われ、彼もまた、色の濃いゴーグルをしている。
ゴーグルが感情を遮り、怒気だけが音として響いてくる。
その威圧も相まって、まるで壁のようにそこに立ちはだかっていた。
「あ、えっと…」
「お前グラルメアの”忘れじの洞窟”まで行ってたらしいな?上の連中がまたぼやいてたぞ」
「保管庫に用があって…ちょっと……」
「また自分の工房を持とうと土地探しか?何度言ったら分かる。鍵屋は一つだ。一つだけ!」
降ってくる怒声に肩が縮こまった。
メテオが怒ってる時は、何を言ってもその耳に入らないことは、ユヴェは経験上よく知っていた。
いつもなら取り繕う言葉が出たかもしれない。
けれど、ユヴェの頭の中は、奪われた“槍”の存在でいっぱいだった。
このままメテオに報告すれば、きっと怒られるだけじゃ済まない。
そもそも、あの“槍”を獏の里で見つけていたこと自体、何百年と、彼女は誰にも公言していなかった。
どうしよう──
今にも火を吹くんじゃないかと思うくらい。
説教を聞き流しながら、ユヴェは数秒悩み、意を決した。
「メテオ、ごめんなさい」
「お前の謝罪は聞き飽きた」
「その…ちゃんとする。今までも鍵の鋳造も、扉の製造も、きちんとやってたでしょう?」
「…そういうことを言ってるんじゃない」
「わかってる!工房も、持とうとしないから……」
独立の夢は確かにある。
けれど、フォールドラークの“秘密”を守るために、それは許されないことだった。
いつかきっと──
そう思っていたものを後回しにしてでも、彼女はいかなければならなかった。
「だから、ごめんね!」
地図を引っ掴んで、メテオの横をすり抜ける。
咄嗟にユヴェを捕まえようとメテオが手を伸ばしたが、手が届く寸前、ユヴェは軽やかに身をひねって抜けた。
彼女はあっという間に工房の扉を駆け抜けていく。
「ユヴェ!!お前覚えていろよ!!」




