百三十二層:問いの幕開け.04
クリスの足元に風が集まる。
風のウフで編まれたブーツが、音もなくそっと、彼女を空へと押し上げた。
白いマントを翻し、空へと高く昇っていくクリスは、緩く手を上げた。
それを合図に、前線兵士は盾と槍を。
後列に銃器兵。上空には同じく“風の靴”を履いた弓兵と投擲兵団が構えをとる。
「……ジャック」
くるりとネクが彼の周りを回った。
ジャックは相変わらず両手をポケットに入れたまま、
上昇しながら、後方に控える兵の後ろへとさがっていくクリスへ目線を向けている。
「ソルファリウムは完全に空間封鎖され、飽和射撃の準備が完了しています。頭上角度五十度より──」
「ネク」
即座に戦場の分析をするネクの言葉を、ジャックが遮った。
彼の目線の高さまで下がった機械眼が、赤く点滅する。
「分析より自分の身を守れ」
「しかし」
「一歩間違えたら、お前も”使う”ぞ」
「?……了解しました。回避を最優先に行います」
二メートルの間合いから、少し遠ざかるネク。
それを確認したように、ジャックは手をぶらりと下げた。
「──殺せるつもりなら、殺してみろよ」
クリスの手が静かに下ろされる。
瞬間。
矢とウフ爆弾の雨が空を覆う。
避ける隙間さえない高密度な飽和射撃。
確実な殺意が宿る無数の影の中に立つ、ただひとりの男の背中を見つめ、ネクは小さく呟いた。
「この時点をもって“問いの場”ではなく、あなたの“誇り”がどう応えるかを記録します」
濃密な武器の豪雨が空中で既にぶつかり、へし合い、誘爆を起こす。
「ジャック。──ご武運を」
空をかける稲妻と爆発。
合金で出来た雷のウフの矢は、爆風に煽られつつも彼へと降り注ぐ。
矢の先端が、空気を裂く音を立てずに光の筋となった。観衆の瞳がその線を追う。
誰も避けられない。
そう訓練されてきたはずだった。
──だが。
最前線で盾を構える戦士は確かに見た。
ジャックが一歩、あえて踏み出したのを。
散歩のように。怯えも焦りも、微塵も見せずに。
崩れた石畳の一角だけが、不自然に盛り上がっていた。
訓練された者なら一目で「罠だ」と悟る違和感。
──爆発系、もしくは集中砲火の命中率を上げるための足止め。
感電、凍結……どれにせよ、足元から殺意が爆ぜる。
だったら──
ジャックはわざとその場所へ小石を蹴った。
そしてその上から踏み抜くと──同時に、地面が盛り上がる。
その瞬間、辺りが無重力のように重さを失った。
──無重力地雷。
普通の爆発とは違い、殺傷力の衝撃は与えない。
だが、半径三メートルに“疑似宇宙”を生み出せる。
あくまで爆発。その効果は十秒に満たない。
けれど、例えどんなに研ぎ澄ませた技術があっても。
“足が浮いて”しまえば、手も足も出ない。
これで奴は身動きがとれなくなる。そうしたら、あの集中砲火は避けられない。
戦士たちが生唾を飲み込む。
しかし、彼らの期待を裏切るように。
無重力に捕らわれたその瞬間、考えるより早く、彼は、なお高く跳んだ。
爆発の瞬間、足元からわずかに石畳が圧で浮く。
その浮いた石の慣性と、重力が失われる直前に蹴り上げた脚力だけで、彼は高々と舞い上がる。
それは反射に近い速度だった。
誰も追えない一瞬を、ネクは確かに記録していた。
どんなウフであれ、その爆風で弾ける小石の“力”で上昇するつもりだったジャックは、最初から自分の重力を抑えていた。
重さが抜けると、体はふわりと笑う。まるで木の葉のように。
多くの者にとっては慣れない“質量のなさ”も、ジャックにとっては日常だった。
「鍵も握ってないのに──」
誰かが呟くより早く、殺意の雨を突き抜けるように、高く、軽やかに跳躍する。
誰もいない地面へ矢が注ぐ。
その重さで他の地雷が連鎖して爆ぜた。
前線の盾が宙を掴むように空を撫で、東の空のソルが目を刺した。
誰かが低く呻く。
しかしジャックが空へ回避することは、戦略的にも想定内だった。
すぐさま地上の銃器兵後方から、光のウフを仕込んだ照射機を展開。
真白い閃光が空を切り裂き、彼の視界を阻害する。
ジャックがその眩しさにわずかに目を細めた時、上空兵らがこぞって風が巻く刃を振り下ろした。
風刃が降り注ぐ。見えないはずの殺意が、空気を切り裂く音だけで形を持った。
だが、それが届く直前──
急に“重さ”を思い出したように、ジャックの体が落ちていく。
おかしなほどの急降下だった。
けれど誰も、その違和を説明できるほどの余裕を持っていない。
白いジャケットの裾が、爆風に裂かれ、宙を舞った。
落下しながら、ジャックは腰の鍵束からひとつ、銀の鍵を引き抜いた。
武器に顕すが、光が白く視界を焼く。
それでも、手の中の重さと熱だけは“ちょうどいい”と思えた。
彼はただ一瞬、地上を見下ろし──
それを、投げた。
狙いは後列の照射装置。
あの鬱陶しい光を、まず潰す。
体勢はひどく不安定だった。
だが、その腕だけは、重さと距離と死角を正確に計算していた。
豪速球で落ちていくのは、かつて両肩で構えるはずだった光熱砲。
「あの武器は、投げるためのものじゃない──」
誰かがそう呟くより早く、着弾した。
黒光りするランチャーが炎を巻きながら照射機に直撃。
埋め込まれていた炎のウフが、ジャックの適性外を受けて必要以上に燃え広がる。
瞬く間に戦場の一角が、赤く焼け爛れた。
悲鳴と炎の光が揺れる中、すとんと重さもなく地上へ降り立ったジャックは、すでに次の鍵を握っていた。
──水のウフ。盾。
「チッ、ハズレか」
威力の弱いそれを、彼はためらいなく上空へ放る。
受け止めた弓兵の鎧ごと、水盾が炸裂。
適性外の暴走が水砲を乱射させ、青白い光があちこちに弾けた。
風の靴を履いた上空兵らの隊列が乱れる。
ジャックの手は止まらない。
──次の鍵。雷のウフ。長槍。
「当たり」
しっかりそれを握り込むと、再び空へと向かって投げつけた。
晴れた空に似合わぬ稲妻が天を裂き、さきほどの水盾に雷を纏った槍が突き刺さる。
遅れてやってくる雷鳴。
次の瞬間──空に構えていた兵たちが焼け焦げ、地上へと落下した。
音が、消えた。
風すらも怯えたように、空を渡らない。
焼け焦げた匂いと、ひとつの呼吸だけが残っていた。
「ジャック……あなたの戦いは──いえ、あなた自身が、やはり“異常”です」
距離を取ったまま観測を続けていたネクが、思わず声を漏らす。
だがその声も、爆風や悲鳴にかき消された。
──次の鍵。氷のウフ。両刃斧。
散々体に叩き込んだのだろうことが分かる足運びで、前線兵らが一斉に前へ出た。
兵士たちの耳には音のウフを埋め込んだ金属の輪。
ジャックには聞こえない“指示”が、無数に飛び交っている。
だが、ジャックのエメラルドは距離と速度を計るほかに、別のものを見ていた。
黒手袋が両刃斧を握り直す。
兵の数が多い。
その統率のとれた殺意から、クリスたちがどれだけ本気かを痛感した。
どれだけ俺を殺すために、必死に訓練したかも。
けど。
迫り来る重騎兵の喉元、鎧の隙間へ柄を叩き込む。
ジャックの拳ごと凍りつく。だが構わない。
冷気で霜が降りた横っ腹を蹴飛ばし、転がった騎兵の光のメイスで地面を叩き割る。
白い閃光が、敵の視界を奪った。
次の瞬間にはもう、別の戦士の顎を蹴り上げている。
手から滑り落ちた炎の剣を奪い、それを──まるで不要なゴミでも投げるように放り捨てた。
殺傷能力が高え武器はいらねえ。
代わりに手袋ごと燃えた拳で、次の戦士の顔を殴り抜く。
あっという間の出来事だった。
舞踏でも戦闘でもない。
ただ、そこにある暴力だった。
戦士たちも、報道機関も、それを映像越しに見つめる天使たちも。
今、心をひとつにしている。
「……あんなの常識で測れるわけがねえ」
それを代弁するかのように、商船の甲板で、ゾムリスが煙草を落とした。
殴り倒した戦士を雑に蹴り捨て、ジャックは拳に残る炎を払う。
自分を中心に、一定の距離の輪を描いたまま静止せざるをえなかった兵士らへ、ちらりと視線を送る。
「止まんなよ。日が落ちたら停戦になっちまうだろ。ただでさえ冬はソルがはやく眠んだからよ」
静まり返る。
それも当然だった。
クリス達は長年、ジャックただひとりを殺すために準備を重ねた。
“武器を、武器として使う”という前提の上に、あらゆる戦略を組んだ。
ジャック討伐隊は、ウフと武器の組み合わせ訓練を血が滲むほどに繰り返した。
奴は最適なタイミングで、最適な武器を鍵束から引く。
だからこそ、予測システムまで作った。
“次にどの鍵を引くか”を解析して。
にも関わらず。
「…──~~~完全にくじ引きじゃんか!!」
ネクや現地の通信機から送られてくる戦場の映像を見ながら、遠くエザンバウトの司令室でアントラは頭を机に打ち付けた。
「適性外気にしないのは知ってたよ!!でもそれ利用して殴るってなに?!自分も燃えてんじゃん!!てか盾とかランチャーとか投げんなよ!!信じらんない!バカなの?!」
「あんな戦い方……過去のデータのどこにもない」
「そりゃそうだよ!!普通“武器”なんだから武器として使うでしょうよ?!えなに今まで猫被ってたってことコイツ?!」
転げ回るアントラと対比して、呆然と立ち尽くす研究員や司令官たち。
武器予測システムはエラーコードばかりが並ぶ。
その横で、モニター越しにクリスの声が響いた。
「……あなたのそれは、戦士の戦いではないわ」
震えていた。
それは寒さではなく、確かな怒りだった。
「他人の鍵を使い、しかもそれを、まるで使い捨てるように投げる。……ふざけないで」
ジャックは止まった戦場から、はるか後方の空に浮く彼女を見上げた。
「ふざけてねえよ。正当な使い方だろ」
「どこが、正当だっていうのよ…!」
「同じ殺意が向けられてんなら、俺が生き残るために何をどう使おうが、関係ねえだろ」
鍵束が鳴った。
乾いた金属音が、空の静寂を裂く。
「他人の武器だろうが、自分の武器だろうが──使えれば、それで十分だ」
「……戦士だけではなく、鍛冶職人まで敵に回したいのね」
「ちげえよ」
足元に転がっていた一本の剣を爪先で弾いて拾い上げる。
ティティルのシンボルが掘られたそれは、よく研ぎ澄まされていた。
けれど、ジャックはそれを迷いなく、地面へ突き立てた。
「俺にとって武器は誰かを“殺す”ためのもんじゃねえ。──守るためのもんだ」
ジャックが深く吐いた息が、風に流される。
「そんで今、なにより俺が守るもんは、自分の“命”だ。世間だか職人だか、そんなもんに忖度して自分の火ぃ消したら笑い種にもなんねえよ」
引き結んだクリスの唇。
彼女の拳が握り締められた。
「バカにしてるわ…!」
「そう思うなら思ってろ」
ジャックは肩をすくめ、
「けどな──“ただ死なねえ”のと、“生き残る”ってのは、大きな違いがあんだよ」
見上げてくるエメラルドグリーンの光は、逸れることなく彼女を射抜いていた。
その奥に炎立つ意志が、“生”が、尋常ではなく、熱い。
「テメーの正義の旗の元じゃ、死なねえことしか出来ねえ。
けど俺の誇りは、自分らしく生き残るためにある」
まるで彼の周りだけ熱に浮かされたように。
空間が引っ張られる。
「何でも使う。たとえば──この神殿の屑でもな」
足元の瓦礫を片手で持ち上げた。
ずいぶんな重量があるはずのそれが、玩具のように軽く見える。
そして間髪入れずに、会話の途中から標準を定め始めていた銃器兵の一団へ、ぶん投げる。
瓦礫が唸りを上げて飛んだ。
「“戦場に立つ”ってのは、そういうことだ」
悲鳴と共に兵団の整列が乱れる。
だが誰も、指示を飛ばすことも、武器を構え直すこともできなかった。
「自分が誰より、自分の味方でいなきゃなんねえんだよ。誰も、テメーを守っちゃくれねえ」
「……っ」
「生きてりゃ、あとはどうにでもなる。足が折れようが、腕が落ちようが。──心臓が動いてりゃ、それで」
誰かが、生唾を飲んだ。
銀髪の天使が、ソルの陽を背負って焼ける刃のように見えた。
──見ている世界が違いすぎる。
気だるげに肩を回しながら。
けれど火傷するほどの熱を帯びたまなざしで、ジャックは言い放つ。
「テメーの命より重たい“倫理”があるなら、示してみろよ」
問いは、クリスだけに向けられたものではなかった。
空気が震え、重く、冷たい圧が降りる。
一歩。
ジャックが進むだけで、まるで重力が変わったように戦士たちの足が地に縫いつけられる。
汗がにじみでて、冷風によって体が一瞬で冷える。
目線が、彼から離せない。
「……たとえ命があっても、誰にも見られないままでは、生きていないのと同じだわ…!」
クリスは絞り出すように答えた。
「ただ生きているだけじゃない。立って、歩いて、誰かのためになってようやく、“自分”は確立する。誰かに認められてはじめて、それが“誇り”だって言えるのよ」
音のウフの拡声が、彼女の声の震えまで増幅する。
「自分の命より守りたいものがあってこそ、誇りに生きていると言える。あなたはなにより“自分”が大事なだけだわ」
「……へえ」
ジャックは目を細めた。
口角がわずかに上がった。嘲りか、本心からの関心か、誰にも分からない。
視界を邪魔する髪を払う雑なしぐさ。
右耳の紫の石が陽光を受けてきらりと光る。
一瞬、ジャックは自らが背負う太陽を振り返った。
眩い朝焼けが彼の横顔を照らし、エメラルドを赤く染める。
ジャックの声は誰ひとり動けない戦場へ、異様なほどに響いて聞こえた。
「……これ、”審問”なんだろ?」
彫刻のような顔で、かすかに首をかしげる。
笑いもしないまま、エメラルドグリーンが止まった戦場を見渡した。
「ま、戦場だとしても……どいつも殺すつもりねえから安心しろよ。武器も、適性外くらいなら、ただの火傷で済むだろ」
ジャラリと鍵束が鳴る。
「俺は“勝てば正義”なんてくだらねえことは言わねえ。──ただし」
“陽傘”がこしきれない高空の風が吹きぬけた。
大きくたわんだ薄膜が、はためく音を響かせる。
「テメーら一人ひとりが、考えろ」
ジャックを囲っているはずの兵士が、一歩下がりかける。
浮遊するカメラが、彼の全身を捉えた。
その姿が、声が、全てがリアルタイムですべての島に送られる。
「そんで誰かひとりでもいいから、答えてみろよ」
蒼殻全土で、全天使が言葉を呑み、たったひとりを見つめていた。
「──“誇り”って、いったいなんなんだよ」
世界が、息を止めた。
「自分の命より重いのか?それのためなら──死を選べるほどに?」
モニターを見ていた老天使がしわだらけの拳を握り込んだ。
商人も、子供も、男も女も関係なく。
いま、全ての天使が胸の奥に手を差し込んで、“それ”を掴もうとした。
……だが、返事はなかった。
数百の兵が並んでいても、誰も口を開けない。
若い兵士は息を呑み、老いた者は唇を震わせる。
指揮官の拳が、白くなるほど力を込めた。
それは、思考を放棄した無言ではなかった。
それぞれが、自分の中に答えを探している沈黙だった。
ジャックの手がまた、鍵束へ伸びる。
赤熱に燃える──巨大な炎斧。
「考えろ。流されんな。自分の中に、答えを見つけてみせろ」
ジャックが大斧を担ぐ。
熱気が空気を歪める。
「“テメーの誇り”は──いったいなんだ」
天使たちがかつて失った翼の幻影を──強制的に思い出させるかのように。




