十三層 : 異層へ.05
亜月が儀式を受けている、その同じ時刻。
星層の辺境、誰も知らぬ森の奥で──
──その祭壇は、朝も夜も風の音だけが支配していた。
ゼノラの層。未開拓にも見える森林の奥。
石の欠けた柱、長い年月をかけて苔むし、緋色の塗装が禿げた建物。石畳を割って生える草木。
破れて焦げ跡の残る翡翠色の布が、柱に結ばれたまま風に棚引く。
鬱蒼とした木々が、小さな里を飲み込んでいる。
荒廃して、あまりに長い年月が過ぎたそこ。
夜を編んだような濃紺の髪の女──ユヴェは、巨木に背中を預けるようにして立ち、息を潜めていた。
藍色の耐熱服には金の鱗刺繍。分厚い手袋、色の濃いゴーグル。
彼女はフォールドラークの鍵職人だった。
「……ついに見つかっちゃった…」
木立の向こうに、影が差し込む。
黒い制服を身に纏い、無言のまま歩いてくる数人の人影。
それらは、黒く、長く、厄介なものを仕舞うには充分すぎるほど、重厚な箱を持っていた。
足音はほとんど聞こえない。
だが、そこに漂う空気はあまりにも静かで冷たい。
ユヴェは、ただ見ていた。
なにもしなかった。
いや、できなかった。
大木が絡むように押しつぶしたせいで、崩れかけた祠の中。
その祭壇の中央に、封印された一本の“槍”。
本来なら、ある一族だけが触れることを許された神器。
神獣キング・ハーウェンの──悼む槍。
けれど今のそれは、神聖さからは程遠い見た目をしていた。
槍なのに穂先がない。
銀色の柄は、元々は月の光を放っていたと想像出来る。
けれど、繊細な意匠を塗りつぶすように、どす黒い"何か"の結晶がこびり付いていた。
その黒水晶のようなものから、禍々しい靄が溢れ出ている。
彼女は、槍の正統な持ち主ではなかった。
ただ、それが誰にも奪われないよう、ずっと見守ってきた。
それは使命でも役目でもない。
ただ、忘れられていいものではないと思ったから、そうしてきた。それだけだった。
けれど、今それが、他の誰かの手によって持ち去られようとしていた。
「どうしよう…」
その囁きは、風にも木々にも届かず、祠の苔に吸われた。
黒い衣の男たちは、槍に近寄っていく。
槍に触れた瞬間──
男たちのうち数名が、まるで魂を焼かれるかのように呻き倒れた。
ある者は何もない方へ向かって武器を振り回し、
ある者はただ蹲って啜り泣き、
またある者は虚無の中で放心していた。
その異様さに、ユヴェは息を呑む。
やがて多くの者が苦しみながらも、黒く長い鎖に巻きつけられて、槍は厳重な漆黒の箱の中へ。
封印を施すように、重たい錠前の音が落ちた。
しかし、箱の外にまで漏れ出る”恐怖”に、彼らは手を焼きながら、引きずるように運び出していく。
今までは見守るだけで済んでいた。
誰も知らない、深い森に隠された廃村。
夢を食べる一族が、かつて住んでいた里。
いつか持ち主が現れるかもしれない。
あのおぞましい靄を取り払える、誰かが──
そう願って見つめてきたけれど、それより先に、最も見つけてほしくない種族に、見つかってしまった。
ユヴェは指先の震えを抑えるように、拳を握る。
「…なんとかしなきゃ…!」
気づいたときには、足が動いていた。
風が吹き抜け、木蓮の花がひとつ、音もなく散った。




