十二層 : 異層へ.04
重い扉が軋む音を立てて開かれ、亜月は静かに中へと足を踏み入れた。
思っていたよりもずっと天井が高い。
円形の広間には、中央に広がる水面──
まるで時間が止まっているかのように、薄く張った水が、鏡のように床を覆っていた。
踏む場所はわずかで、点々と浮かぶ石の上を渡って進むしかない。
水の中には、無数の小石。
そのひとつひとつに、螺旋や波紋、風の渦、音の振動、見たことのない生き物たちの姿──
神獣のモチーフが、丁寧に刻み込まれている。
壁沿いには、等間隔で掘り込まれた窪み。
その中に、美しく光る宝石のような結晶が一粒ずつ、静々と並んでいた。
ルビーのような熱を孕んだ赤、サファイアのような凍てつく青、ヘマタイトのような重厚な黒光り──
光が当たる角度によって表情を変えるその石たちは、静かに、しかし確かな存在感を放っていた。
儀式を執り行う神官は、ゆったりとした動作で、点在する石の上を渡り、部屋の中央で祭服の袖を払った。
光を吸い込むような深い藍色の衣服の、肩や腕の部分に施された鱗のような金の刺繍が僅かに煌めく。
相変わらず顔の一部はフードに隠れており、ただ静かに、重ねた手のひらを開いた。
「神獣フーナルースの元で、運命を選びなさい」
柔らかな声が、広間の空気を震わせた。
不思議と、どこか鐘のような残響がある。
「──この円の中で、あなたは“選ぶ”。あなたに宿るウフを。あなたの魂と共鳴する石を。それは同時に、あなたという存在を“この層に刻む”ということでもある」
亜月は、促されるようにして一歩、円環の中へ踏み込んだ。
水の上に浮かぶ石を慎重に渡っていく。
その足元を揺らす波紋が、まるで神獣の目を覚ますかのように、ゆっくり広がった。
壁際の窪みの中で、様々な宝石──ウフが淡く光を放っている。
それらに手を伸ばすけれど、炎立つように熱かったり、水のようにすり抜けたり、重すぎて持ち上がらないものもあった。
一つ一つ触れながら進むうちに、アメジストのような紫の一粒へたどり着いた。
不思議と、その中心から誰かが呼びかけているように感じた。
そして──淡く、耳を澄ますと、かすかに「音」が聞こえるような石。
──音のウフ
亜月の手が、そっとそれに伸びた。
石を掴んだ瞬間、鼓膜が震えた。
いや、心そのものが振動した気がした。
“聞こえる”。でも“誰にも聞こえない”。そんな不思議な気配。
神官は、その選択に頷いた。
「──音。心に響くが、記録には残らぬもの。……よろしい」
そして、水面に沈む無数の小石へと視線を向ける。
「次に、あなたの魂に寄り添うものを選びなさい。それは、あなたの軌道を象るもの。神獣が差し出した“しるし”を」
足元の水に沈む小石たち。
どれも異なる形や模様を持っている。
二重螺旋、渦、雲、羽、鼓動の波──
選べと言われても、どれが何を意味するかは分からない。
けれど。
ひとつ、目を惹いた石があった。
円の中心に近い場所、わずかに他の石より、浮かぶように沈んでいた。
その表面には、二重の輪が掘られていた。
月と太陽が重なったような、シンプルにして美しい文様。
不思議と、足音が吸い寄せられるように感じた。
まるで、自分の内側から何かが“浮かんできた”ような──
水が指の先を包み、石に触れた瞬間──
広間全体に、微かな“音”が走った。
誰も口を開いていないのに、確かに鳴った。
「神獣──マハヲ」
神官が静かに告げた。
「始まりを告げる神獣。死の神獣キング・ハーウェンの傍らに在り、ハーウェンの“輪”の外から魂をひとつずつ送り出す役目を担うとされている。その象徴は、“平等”と“共存”。あなたは、その在り方を選んだ」
亜月は、小さく息を呑んだ。
でも、何も言わない。
なにか暖かいものが胸の中心に宿った気がしたのに、言葉が不思議と浮かんでこなかった。
「その鍵は、しばらくすれば“馴染んで”くる。中には、自身の身を守る形を取るものもあるだろう。だが──“形”は、神獣が君に何を問うているかで変わる。忘れないことだ」
神官はふたたび手を重ね、今度は儀式の最後に向けて口を開く。
その声に、微かな間があった。
神官はほんの一瞬、黙り──再び、優しく頷いた。
「稀なる魂。その道を、見失わぬように。プツカ・ポッカは“未来の兆し”を見せる神獣。あなたが進む先──
その予兆を大切に生きなさい」
その言葉が、水の波紋に吸い込まれるように響いた。




