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Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第一幕】死なない檻

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百三層 : 死なない檻.01


音だけが、世界を縁取っていた。

それでも、この空間を把握するには、それだけで十分だった。


ガットは変わらず、ただ、そこにいた。


研究員たちの足音。遠ざかる機械音。

空気の流れ、そして自分の全身を拘束する重力椅子の、ごくわずかな“揺らぎ”。



── “沈黙の時間”(モーン・ムーン)はすぐそこだ。



研究員たちは帰り支度を始めている。

書類を束ね、機材を片付け、影を引くように足音を遠ざけていく。


けれど、ガットはひとつも動かない。



その代わりに、ただ──数えていた。



この拘束椅子は、一定の間隔で重力ウフの回路を切り替える。

高めた出力を維持するための、定期的な補充制御。


座らされている間に、その“切り替え”がすでに()()、訪れていた。


重力圧がわずかに緩む、ほんの一瞬。

毎回同じ間隔、同じタイミングで訪れる“隙”。


ウフ回路が切り替わる、その一フレームだけ。



──脳内の時計が、16時を指す。



3……2……1……



ガットは息を止めた。


一瞬、重力の波が、音もなく揺れた。



0.3秒。

その瞬間、拘束椅子の回路が切り替わった。



世界が、きしむように一度、緩んだ。



刹那。

ガットは自分の身体に巻きついた拘束具の“たわみ”を感じとった。



「次、皮膚断層の──」



研究員が本日最後のまとめ作業をはじめている。

でも、その言葉が終わる前に、照明がオレンジに染まった。


【ERROR_32:主電源異常】

【セキュリティロックダウン開始】

【WARNING:不正コード検出】


モニターに無機質な文字が並ぶ。


──ぱん、と、なにかが小さく爆ぜた。


散った金属片が床を走る。

ウフ回路が遮断され、拘束椅子が磁石のように研究員たちを引き寄せる。

重力の波に逆らえず、彼らは一斉によろけた。


次いで、重いものが落ちる音。


──ずしり。


誰かが振り返る。

けれど、ガットの姿はもう椅子の上にはなかった。


ただ床の上に、重ねられていた拘束具だけが、静かに転がっていた。



「非常アラーム!遮断コードを──!」



警報が鳴るはず()()()


……だが、鳴らない。すでにコードが()()()()()()()



研究員たちが騒ぐ間もなく、室内の灯りが落ちる。


ただひとつ、冷たい光が走る。凍てつく冷気。


「ッ……!」


驚くより早く、最初の研究員の喉が凍りつく。

次の瞬間には、空間の中で四人が──音もなく絶命していた。


わずかな間を置いて、予備電源が作動。

再びオレンジの警告灯が回り出す。

けれど、音は相変わらず鳴らない。


手短に奪った、酒やけ研究員の鍵。

護身用の小さなナイフ。

中身は氷のウフ──まあ、当たりっちゃ当たりだ。


だが、刃を一閃した直後、ガットは眉をしかめた。


「……チッ。凍傷か」


手のひらに焼けるような痛み。

水膨れに似た違和感が広がる。



──適性のないウフを強制的に扱った()()だった。



……構わねえ。

こんなもの、“今はまだ”、痛みとは呼ばない。


それよりも、この先で一歩でもしくじれば、 二度と天使領には戻れない。


……その方が、よっぽど地獄だった。



音もなく明滅するオレンジの警告灯の中、 ガットは踵を返し、すぐに動き出す。


向かうのは、武器保管区。



──こういう場所は、大抵、一番下にある。



「……さて、まずは俺の鍵だ」



その声に熱はない。

だが、それこそが、何より確かな“怒り”を物語っていた。



研究室の二重扉を出ると、そこは完全な闇が待ち構えていた。

地下特有の湿った匂いと、冷え切ったくせに、肌に張り付く重たい空気。

音のウフが床材や壁に使用されているためか、まったくの無音が広がっている。



…裁判所内も壁材が音を消してたが、ここの消し方は異常だ。



常に足音を消し、静けさの中に生きるガットでさえ、その()()()()()は居心地が悪かった。


けれど、ガットは迷わず進んだ。

呼吸すら、内側に沈める。


鉄の匂い、安寧の森特有の“ウフ(たい)”のぬめり。

地下に沈んだすべての気配が、彼の感覚に淡く絡みついてくる。


壁は地面を掘ったまま、補強の枠組みがあるだけのようだった。

音はしないのに、触ると指先に水の感覚。

地下水が上から下へ流れ落ち、床の側溝に音もなく溜まる。


打って変わって、地面は潔癖なまでに整備されていた。

滑らかな石畳。継ぎ目はほとんどない。

足音はかすかだが、均等に響く。広い。道幅3mほど。

だが天井は低い。それでも、頭上の補強材に届くほどではなかったが。



……ここが噂の闇牢(やみろう)ってやつか。



足を進めながら思う。

囚人の気配はする。

だが布こすれや声、呼吸音……ガットの耳にさえ、ほとんど届かない。



──“沈黙の懺悔“。



神獣ディアナ・ホロの“沈黙”から得た発想なら、あまりに狂気的な空間だ。

ひとつ鼻を鳴らす。


どこにも地図は存在しない。灯りもない。

だが、天井の空気孔からわずかに流れる風から、微かな火薬の匂いを嗅ぎ取っていた。


三つ先の鉄扉。その中だ。


殺した研究員の懐から、五つほど鍵が通った鍵束を奪っていた。

それを指先で隠すように持ち、最小限の動きで錠前に差し込む。

ひとつ、ふたつ試して。



カチリ。



小さく、空気を裂く音。

扉がわずかに軋み、隙間を開いた。



武器保管区──

がらんとしたコンクリートの空間。

そこはすでに明かりがあった。

床に埋め込まれたウフ(とう)

だが、淡く輪郭を掴める程度でしかない。


でも、ガットの目には十分すぎる明るさだった。


壁一面、整然と並ぶ鍵、銃器、刃物。

それぞれが、番号と用途、危険度のプレートを掲げて、無言で並んでいる。



そして──



【収容対象:G-06 特級鍵】

【ガット・ビター押収品】



黒革のホルスターに収められた小さなサバイバルナイフと、銀色の鍵。

それ以外、押収品のほとんどが黒鉄の鍵だった。

だからこそ、自前の銀の鍵とホルスターだけが、ひどく空間に浮いてみえた。


ガットは一歩近づき、黙って手を伸ばした。

触れた瞬間、手のひらにわずかな”違和感”が伝わる。


鍵を握って、スナイパーライフルへと姿を変える。

銃身は、冷たく重い。


かつて体の一部だったはずの銃が、いまは微かに──拒絶していた。



重い引き金。

弾倉の噛み合わせが、わずかに狂っている。

握り込んだグリップの感触が、ほんの少し、()()()()()



誓約破りの代償だ。

武器は、“自分の一部”ではなくなった。



それでも、必要だった。



ガットはライフルを鍵へと戻し、ポケットへ静かにしまった。

その上から一度、胸板を押すように、押さえつける。


次に、迷いなくナイフホルスターを胸に巻き、一度ナイフの刃を確認してから滑らせるように差し込む。

慣れた手つきだった。全ての工程が無音だった。


だが、武器を手にしても、身体に戻ってくるのは”力”ではなかった。



──空虚。



取り戻したはずの鍵が、ポケットの中で、ただ『重み』だけが残った。

──それは、かつて”自分”と呼べるものの、なれの果てだった。


ナイフは、違う。

ウフの乗らないそこに刻み込まれた“時間”は、失われていない。

今も自然に、掌に吸い付くようだった。



──ここまでは、最低限だ。



視線を滑らせ、押収された鍵に付けられたラベルを追う。

棚の端、無機質な悪魔文字の列に「ハンドガン」の文字を見つけた。

ガットは迷わず、その鍵を手に取る。


手のひらの中で、黒鉄鍵がコンパクトなハンドガンへと姿を変える。

握った瞬間、手に伝わる重さとバランスで、おおよその性能を測る。

薬室を引き、装填を確認。

タグには《炎のウフ》仕様とある。


……使えば、手は焼けるだろう。


だが、問題ない。


ハンドガンなら、すぐに抜いて使える。

いざというときの護身用。

それ以上でも、それ以下でもない。


腰のポケットへハンドガンを鍵に戻して差し込むと、ガットはもう一度だけ押収棚を一瞥した。



──もう、十分だ。



全てが暗闇の中で行われていた。

音もなく、気配も残さず。

ガットは、夜に溶けるように動き出した。


次に向かうのは、上層。

闇牢の入口。


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