番外編37 君が美しいと思ったのなら
―シリウス視点
その日、私は珍しく――執務室の片隅で、悩んでいた。
というのも、マークから受け取った報告に、こうあったのだ。
「殿下、王都の某ジュエリー店にて、エステル様が“ブラックムーンストーンのピアス”に強く心を惹かれていたそうです」
……あのエステル様が。
煌びやかな装飾にはさほど関心を示さず、常に実用性と節度を重んじるエステル様が――
“心を惹かれていた”と。
それはつまり、彼女にとって本当に特別な何かを見つけたということだろう。
私はすぐに店へ人を遣り、件のピアスを確認させた。
黒に近い輝きと、月光のような光をたたえる希少石・ブラックムーンストーン。
ゴールドの縁取りに花のモチーフ。たしかに、彼女の雰囲気に非常に合っている。
……ふ、と笑みがこぼれた。
彼女は、きっと躊躇ったに違いない。
贅沢だとか、自分には過ぎたものだとか――そう思って、諦めてしまったのだろう。
だが、私は知っている。
彼女が美しいものを美しいと思うとき、それは理屈ではなく、心が感じたからだ。
ならば。
彼女が“自分のため”に美しさを身にまとうことを、誰よりも私が許したい。
いや、許すなどという言葉は、きっと違う。
私は、彼女にもっと自由であってほしいのだ。
だから、贈ることにした。
一筆添えて。
『君が、君のために美しいと思ったなら、それは君にふさわしいものだと思う。――S』
そうして――件のピアスは、サラに託されて、彼女の元へと届けられた。
……全速力で走っていたのは、あとで知った。
その夜、寝室で静かにピアスの箱を胸に抱いていた愛しき人の姿を見たとき、
私は、ただひとつだけ言葉を口にした。
「とても、似合っていますね」
頬を赤らめながら、そっとピアスを耳に当てた彼女の笑顔。
その美しさを、どう言葉にしたものか――
私は、言葉では言い表せない幸福を感じていた。
……ああ。やはり、“美しいもの”は、人生に必要だ。
特に、それが、愛する人の笑顔を引き出すものならば。
⸻
──数日後(マーク視点)
王宮の執務室の扉を叩く音とともに現れたのは、我らが王子殿下だった。
……例によって、顔が隠しきれてない。
あの、殿下特有の「私の妻が尊すぎて困ってます」モードである。
「マーク、先日のピアスの件……ありがとう」
「いえ、私は殿下のお気持ちを、サラに繋いだだけです」
正直言って、サラに渡した時点で全ては予測済みだった。
翌朝、宮廷内で爆速で配られた「緊急速報:推しにピアスが贈られた件」なる謎のチラシ(※サラ作)。
それを手にして泣いていた侍女たちの姿。
「やっぱ殿下は愛の具現化……!」という名言を残したミシェル。
ああ、ここは今日も平和だな。
そう実感する、王宮の日常である。
「……あ、殿下。ちなみにですが」
「はい?」
「昨日、エステル様が“シンプルで繊細なブレスレット”に少しだけ目を止めておられたのですが」
「……どこで?」
「王都中央の小規模ブランド店です。あちらも手作業で作られた一点物で――」
「……では、視察に行きましょうか」
ああ。
今日もまた、妻に甘々な殿下が行く。
――王宮、ここに安泰なり。




