第七話 ロケットペンダント(学生時代)
学園卒業が迫る頃、私たちは最後の課題を与えられた。
「自らの魔力を込めた魔法具を作成せよ」
それは、単なる卒業試験ではない。
多くの生徒にとって、それは”想いを込めた贈り物”だった。
恋人同士で交換する者もいれば、恩師に贈る者もいる。
未来の自分のために作る者もいた。
そして、私が作ったのは──エメラルドの宝石が嵌め込まれた万年筆だった。
自分の手で生み出した万年筆を見つめながら、私はぼんやりと思う。
(この学園を離れたら、私はどうなるのだろう)
もう、二度とここには戻らない。
もう、二度と彼を見ることもなくなる。
──なのに、なぜこんなに胸がざわつくのだろう。
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「学年成績上位五名の作品は、学園に保管されることになりました」
教師の発表を聞いた瞬間、私は静かに息を飲んだ。
私の作った万年筆は、学園に残されることになった。
──そして。
「シリウス・アストラの作品も、学園に保管される」
当然のように呼ばれた彼の名。
その瞬間、私は思わず教室の窓際を見た。
シリウスは静かに座っていた。
表情は、何も変わらない。
ただ、手元で小さなロケットペンダントを握っていた。
(……それが、彼の作った魔法具)
銀の細工が施された繊細なロケット。
中には、彼の瞳の色と同じ紫水晶が嵌め込まれている。
彼の大切な想いが込められたもの。
誰もそれを手にすることはできない。
私も──それを手に入れることはできない。
でも、本当は欲しかった。
理由は分からない。
ただ、何か”心の支え”のようなものが欲しかった。
卒業とともに、すべてが終わるのだと思うと、どうしようもなく寂しかった。
(……私は、どうかしている)
⸻
「今年の学年一位は──エステル・フォン・リヴィエール」
成績発表の日、私は変わらぬ表情でそれを受け止めた。
しかし、その後に続く言葉で、心が大きく揺れた。
「なお、学年成績一位の者には、学園長の気まぐれにより“可能な限りの願い”を叶えることになりました。」
──一瞬、心臓が跳ねた。
可能な限りの願い。
それはつまり、もし頼めば──
(シリウス殿下の作ったロケットペンダントを、私に……?)
思わず、視線を彷徨わせる。
遠く、窓の外を見た。
彼がいた。
淡々とした横顔。
何も変わらない。
あのロケットペンダントが、彼にとってどれほどのものなのか、私は知らない。
でも、魔法具には魔力だけではなく、作り手の想いが込められる。
ならば、彼もあれに何かしらの願いを込めたはず。
──私は、その願いを奪おうとしているのか?
(……私には、その資格があるの?)
迷いが、胸の奥を締めつける。
それに、これは間違いなく”おかしなこと”だ。
こんなことを願うのは、ただの未練。
卒業したら二度と会わない相手のものを、どうして私が欲しがるの?
“私は、シリウス・アストラ殿下の婚約者ではない”
“私は、彼と親しい間柄ですらない”
“私は、ただ遠くから彼を見つめていただけの存在”
──それなのに、こんなことを願ってもいいの?
⸻
私は、その日何度も迷った。
寮の部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。
窓の外には、夕焼け。
学園を離れるまで、もうあと少ししかない。
(このまま何も言わずに卒業すれば、何も変わらないまま終われる)
そう、分かっているのに。
何かが喉の奥に引っかかって、苦しい。
“それで、本当にいいの?”
自分の中の、もうひとりの自分が問いかけてくる。
そして、気づけば私は、ひとりの足で学園長のもとへ向かっていた。
迷いながらも、もう後戻りはできないと悟りながら。
⸻
学園長室の前に立つと、手が震えていることに気づいた。
一度、深呼吸。
ノックをして、中に入る。
「エステル・フォン・リヴィエールです」
学園長は、書類を整理していたが、私の姿を見て穏やかに微笑んだ。
「エステルか。よく来たね」
「……学年一位には、可能な限りの願いを叶えてくれるとは本当でしょうか?」
そう言った瞬間、緊張が走った。
学園長は、優しい眼差しで微笑んだ。
「もちろん。君は優秀な生徒だったからね。どんな願いでも、可能な限り叶えよう」
「……シリウス・アストラ殿下の作られた魔法具を、私にいただけませんか?」
学園長は、私をじっと見つめた。
驚くでもなく、咎めるでもなく、ただ静かに。
そして、やがて、ふっと笑う。
「……なるほど」
机の引き出しを開け、小さな箱を取り出した。
「これが、彼の作ったロケットペンダントだよ」
私は、震える手でそれを受け取った。
── ほんのりとした温もりがあった。
それが、彼の魔力なのだと気づいたとき、胸が詰まった。
「……ありがとうございます」
私は、その言葉を絞り出した。
⸻
私は、制服の下にロケットペンダントを忍ばせた。
──これで、終わり。
窓の外を見ると、彼の姿があった。
私は、知らず知らずのうちに指先でロケットペンダントを握りしめる。
──どうして、こんなに胸が苦しいのだろう?
名前を呼びたいのに、呼べない。
話したいのに、話しかけることができない。
やがて、彼の姿が遠ざかる。
その瞬間、気づいたら涙が流れていた。
(……これで、本当に終わり)
そう思いながら、私はそっとロケットペンダントを握りしめた。
誰にも知られぬように。
誰にも気づかれぬように。
──それが、叶わぬ恋の最後の証だった。