番外編33 騒がしくも好ましい日常
──マーク視点
昔の殿下を知っている者からすれば、今の光景は、もはや**「伝説」**である。
あの冷静沈着、礼儀と威厳の塊だった第二王子――
いまや、王宮の廊下で「お疲れさまでした」と微笑みながら王子妃の荷物を持ち、
たまにその手を、さらりと取って歩いていらっしゃる。
(※しかも自然に。誰よりも優雅に。そして甘く)
正直に言おう。最初にそれを目撃したとき、私は手にしていた報告書を落としかけた。
いや、落とした。いや、実際、落とした。びっくりした。
——あの殿下が。
あの、「表情ひとつ変えずに百人の貴族を一蹴する氷の戦略家」が。
王子妃にだけ、やたらと優しく、甘く、柔らかく、ふわりと微笑むのだ。
言葉こそ丁寧語だが、その口調はどこかとろけるようで。
……この前など、「今日は肌寒いですね。では、私が温めましょうか」などと耳元で囁かれていた。
(※聞こえた。偶然通りかかっただけである。聞き耳を立てたわけではない。断じて)
そしてこの激変ぶりに、最も影響を受けた存在が、ひとり。
サラである。
「マークさん!! 今日の殿下も甘々すぎましたあああ!!」
「うるさい。廊下で叫ぶな」
「だって……だって……推しが尊すぎて、感情が限界突破なんです!!」
「“推し”って言うな。王子殿下だぞ」
「だって尊くて可愛いんですもの!!! エステル様の“うふふ”笑いと、殿下の“ふふ”笑いが、シンクロした瞬間、私、寿命が延びました!!!」
「……最近の侍女たちは、“寿命”で尊さを測るのか……」
サラの影響力は想像以上だった。
今では他の侍女たちも口々に、
「今朝のシリウス様、エステル様の髪をそっと結んでいたんです!」
「えっ!?それ見たの!? 尊すぎでは!?」
「今日も“奥様”って呼んでたらしい!」
「ぎゃああああ!」
などと、小声で騒ぎながらも“推し語り”に熱を上げている。
……怖い。
ほんの数年前まで、王宮にこの種の熱狂が存在するとは、誰が予想できただろうか。
だが。
……まぁ。
ちょっと、悪くない。
殿下は、確かに変わられた。だが、それは「丸くなった」わけではない。
必要なときには今も、誰よりも鋭く、誰よりも冷静に国政を見通しておられる。
そして、その冷静さを貫いたうえで、王子妃にだけは、迷いなく“甘さ”を向けられている。
──あの方は、ようやく心の底から「誰かを信じる」という道を選ばれたのだろう。
そして、その「信じられる誰か」が、エステル様であることを、誰もが認めている。
だから今、王宮は少し騒がしくて、少し変わっていて、けれど、どこか明るい。
時折、エステル様が赤面して殿下に口元を押さえられていたり、
殿下が「照れている貴女も美しいですね」と囁いていたり、
……それをサラが物陰から双眼鏡で見ていたり(※何をやっているんだ)
そんな王宮で、今日も書類を抱えて私はため息をつく。
「まったく……もう少し静かになってくれれば、助かるんだがな」
……でも、
「殿下が幸せそうで、なによりです」
小さく、呟いたその声は、誰にも聞かれなかった。
だけどきっと、あの優しい王子妃だけは、そういう想いをすぐに察してくれるのだろう。
――なんだかんだで。
今日も、いい一日だ。




