番外編26 王子妃殿下の嫉妬 前編
——マーク視点
これは、大変なことになった。
いや、王宮警備において、政敵の襲撃とか内通者発見とか、そういう”大変”は今までにもあった。
だが今回の”大変”は――
「我らが王子妃殿下ことエステル様が、ご立腹である」
というものである。
しかも、その怒りの矛先は……
「シリウス様」
……である。
(殿下……いったい、何を……)
この仕事を長くやってきた私だが、今ほど”立ち入れない”空気というものを肌で感じたことはない。
王子妃殿下は、いつも穏やかで慎ましく、優雅で聡明。
怒るような方ではない。
いや、少なくとも、表に出すような方ではないはずなのだ。
だというのに。
「……この一週間、寝室は別にいたしましょう」
この宣言がなされた瞬間、私は思わず警備の配置表を落としそうになった。
「…………」
そのときのシリウス様の沈黙といったら。
まるで雷に打たれた貴族の肖像画のように、固まっておられた。
……そして現在。
王子殿下は、静かに書斎に籠り、ロマンティックなため息を三十分に一回のペースで漏らしている。
王子妃殿下は、侍女のサラ嬢とミシェル嬢を従えて、庭園を「ふんわり笑顔」で闊歩しておられる。
このままでは、王宮が“昼は氷点、夜は零下”である。
———
事の発端は、どうやら「とある王宮の公式晩餐会」にあったらしい。
ある貴族令嬢(※毎回ドレスの露出度が話題になるタイプ)が、シリウス様に「ワルツを一曲お願いできますか?」と申し出たのだとか。
シリウス様は、公的な場でも常に礼儀正しく、丁重にそれを了承。
ところが、それを見ていたエステル様――
にこっ……(笑顔)
としながら、翌朝には「寝室謹慎宣言」をなさったのである。
(エステル様……お気持ちは、痛いほど理解できますが……!)
王宮中の侍女たちは、静かに沸いていた。
「エステル様、やきもち……!」
「新婚の正しいリアクションですわ……!」
「寝室が別だなんて、それはそれでロマンがありますわ……!」
サラなどは、
「マークさん!これは重大事件です!エステル様が、乙女の逆襲フェーズに入りましたよ!」
と、意味不明な戦術用語を使っていた。
やめてほしい。
———
夕方、ついに動いたのは――
シリウス様であった。
静かに、けれど真剣な眼差しで、私におっしゃった。
「マーク。庭園の巡回の際……少しだけ、エステル様と話す時間をもらえますか」
「はっ……かしこまりました」
(殿下……!ついに……!)
私はこの瞬間のために、これまでの全警備配置を見直した。
そして――
その夜。
私は庭園の木陰から、静かに見守る中で、
「……すみません。僕が配慮に欠けておりました」
「……でも、貴女の表情が曇るくらいなら、どんな礼も断ります」
と真摯に詫びるシリウス様の姿を見た。
(殿下……っ……!!)
エステル様はしばし黙し――やがて、頷かれた。
「……では、今夜からは……ご一緒に」
「……ありがとうございます」
私は、そっと拳を握った。
「よし、我が警護任務、完了であります……!」
———
翌朝、再びひとつ屋根の下に戻ったお二人のご様子は……
サラ曰く:
「今朝のエステル様、潤ってましたよ、潤ってました!!」
ミシェル嬢曰く:
「殿下、あれは昨夜、たぶん“頑張った”わね……」
どうかこの騒がしさと平穏が、永く続きますように。
——マークの平和と任務は、今日も尊く燃えている。




