番外編14 兄の勝利
──エステル視点
結婚式まで、一ヶ月を切った。
準備に追われる毎日とはいえ、心のどこかで「もうすぐ」という実感が少しずつ湧いてきていた。
選び終えたドレス、仕立て上がってきたブーケ、式場の装飾や招待状の返事……。
日々の忙しさの中に、幸せな緊張が混じっている。
そんな朝のことだった。
「……兄上から、手紙が届きました」
そう言って、シリウス様が少し呆れたような顔をした。
「え?」
思わず聞き返す私の前で、彼は一通の封筒を開き、さらさらと目を通す。
「何て……書いてあるんですか?」
シリウス様は、ほんの少しの沈黙のあと、静かに言った。
「──『落とした』そうです」
「……はい?」
「フェルディナント王国も、摂政王妃イザベル殿下も、全部ひっくるめて『落とした』と」
私は言葉を失った。
フェルディナント王国の摂政王妃、イザベル・フォン・フェルディナント。
気高く、美しく、誰にも心を許さないと噂される“氷の女王”。
その彼女を、ジークハルト殿下が──“落とした”?
「本当に……ですか?」
「……兄上の書き方を信じるなら、ですが」
呆れを含んだ口調ではあったが、どこか嬉しそうでもあった。
手紙の最後には、こんな一文があったという。
『弟の門出には、俺も花を添えねばなるまい。イザベルを連れて行く。驚かないように。』
「驚かないように、って……!」
私は思わず笑ってしまった。
「結婚式に、イザベル摂政王妃がいらっしゃるんですね」
「ええ。……あの国を動かしてまで、婚姻の承諾を得たようです。兄上らしいと言えば、らしい」
シリウス様はそう言って、肩をすくめた。
けれど、その表情には、どこか安堵の色が浮かんでいる。
(……兄弟なんだな)
無茶をする兄と、それを見守る弟。
その背中を見つめながら育ったからこそ、シリウス様はこうして、静かに思いやることができるのだろう。
「ジークハルト殿下が、心から愛する方と結ばれるなら、素敵なことです」
「……そうですね。私も、兄上が本気で誰かを想ったのは、初めて見ましたから」
窓の外に、春の気配を感じる陽が差し込んでいた。
新しい季節。
新しい絆。
そして──
新しい夫婦が、ふたり。
「では、ジークハルト殿下には先を越されましたね」
私が茶目っ気を込めてそう言うと、シリウス様は目を細めた。
「いいえ。……私にとって、エステル様と結ばれるこの日が、誰よりも早く、誰よりも深い『はじまり』になります」
そんな真っ直ぐな言葉を、さらりと告げる彼に、私は頬を染めながら小さく頷いた。
結婚式まで、あと一ヶ月。
……幸せの予感は、もう始まっている。




