番外編13 遠くて近い恋の形
——マーク視点
「お前は、弟のことをどう見ている?」
ジークハルト殿下にそう問われたのは、シリウス殿下が卒業し、ジークハルト殿下が帰国されて間もない頃だった。
場所は、王宮の小さな中庭。
風は穏やかで、空は晴れていた。
だが、私の背筋はひそかに緊張していた。
なにせ、アストラ王国の第一王子にして、王家随一の切れ者が、私に真顔で問いかけてきたのだ。
私は慎重に、言葉を選んだ。
「……常に冷静沈着なお方です。感情を露わにされることは滅多にありません」
「ほう」
「ちなみに……模擬戦の後、あいつに変わった様子はなかったか?」
私は少し迷い、答えた。
「……いいえ、殿下は普段通りに振る舞っておられました。ただ──」
「ただ?」
「帰還後、控室で……万年筆が納められた小箱を、指先で何度も撫でておられました。無意識のように、ゆっくりと」
あのとき——
殿下は手元の小箱を、まるで壊れ物のようにそっと撫でておられた。
箱の中身は、学園長から授かった“ご褒美”——
エステル・リヴィエール嬢が作った、万年筆。
私は口を閉ざす殿下の横顔を、横目でそっと見ていた。
彼の目はいつもと変わらず、冷静で静かだった。
だが、それは見慣れた“仮面”だ。
……私は知っている。
その奥底で、彼が何かを感じていることを。
———
殿下は、誰に対しても平等だった。
私のような護衛に対しても、常に礼を尽くし、感情を荒らげることはなかった。
だが、学園では時折、私は見てしまうのだ。
殿下が、視線の端に「彼女」を捉える瞬間を。
昼下がりの中庭。
静かな図書館。
講義が終わった教室の出口。
そのすべてに、殿下はまるで意図せず、彼女の気配を探していた。
言葉を交わすことはほとんどなかった。
けれど、その“距離のとり方”がむしろ特別だったのだ。
あの目の奥に宿った光。
ひとを想う者のそれを、私は幾度も見てきた。
———
その後、王都へ戻った私は、殿下の変化に気づくこととなる。
以前よりも、よく考えこむようになられた。
時折、何かに思いを馳せるように遠くを見つめる姿。
夜遅くまで、窓辺で書き物を続ける背中。
「恋とは、姿形よりも、沈黙が語るものだ」
かつて仕えた老将が、そう言っていたのを思い出す。
それは、今の殿下そのものだと私は思った。
——ただ、伝え方が分からないのだ。
立場も、名も、すべてが彼の背に重くのしかかる。
けれど、それでもシリウス殿下は選んだ。
模擬戦の勝利と引き換えに、彼女の万年筆を手に入れたとき——
殿下は、ようやく自分の気持ちを「形」にしたのだ。
言葉ではなく、行動で。
そして、その行動は、きっと届いていた。
———
私は知っている。
学園を卒業し、彼女が自国へ戻るとき。
殿下はただ、窓辺から静かにその背中を見送っていた。
名前を呼ぶこともなく、手を伸ばすこともなく。
ただ、手にした万年筆を胸に握りしめて。
「……殿下、随分とお強くなりましたね」
私は、殿下の静かな恋に心からの敬意を抱いている。
その恋が、やがて結ばれようとしている今。
私がそばに仕えていた意味も、きっとあったのだと——
そう信じている。




