第四十二話 未来への決断
「国王陛下が、兄上の意向を尊重することに決められました」
シリウス様の静かな言葉に、私は思わず 目を見開いた。
「……それは、本当ですか?」
「ええ」
シリウス様は 穏やかに微笑みながら、そっと紅茶のカップを置いた。
窓の外には、柔らかな陽射しが降り注ぎ、庭園の花々を美しく照らしている。
「陛下はおっしゃいました。ジークハルト兄上がフェルディナント王国へ赴き、イザベル王妃と向こうの王宮の了承を得られるのであれば、彼の意向を尊重すると」
私は、ゆっくりとシリウス様の言葉を噛みしめた。
「つまり……」
「兄上が、外交官としての手腕を発揮できるかどうかにかかっている、ということですね」
シリウス様は 僅かに苦笑した。
「兄上の自由奔放な性格には、私も時折振り回されることがありますが……外交官としての兄上は、実に優秀です。
もし兄上が本気でこの婚姻を成立させるつもりならば、きっとフェルディナント王国側を説得するでしょう」
「……確かに」
ジークハルト様の外交手腕は 各国でも高く評価されている。
彼がその気になれば、どのような困難も乗り越えてしまうかもしれない。
「アストラ王国とフェルディナント王国が、友好な関係を築き、両国にとって利益をもたらす婚姻となること」
「それが、陛下の条件なのですね?」
「ええ。その条件を満たせば、兄上の意向は正式に認められます」
シリウス様は ゆっくりと私の方へと視線を向けた。
「……とはいえ、もし兄上が本当にイザベル王妃と結婚し、フェルディナント王国へ婿入りすることになった場合——」
その先の言葉を、私は 自然と理解してしまった。
(その時は、シリウス様が次期王となる可能性が高い)
私は、静かにシリウス様を見つめた。
シリウス様は 真剣な眼差し で、私に向き直る。
「エステル様……その時は、あなたに協力をお願いしたい」
「……」
私は 一瞬だけ胸が高鳴るのを感じた。
王国の未来に関わること。
それは、並大抵の覚悟では成し遂げられない。
それでも——
「……もちろんです」
私は 迷うことなく答えた。
「私は、どのような未来になろうとも、シリウス様とともに歩みます」
その言葉に、シリウス様は 穏やかな微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「お礼なんて必要ありません」
私は微笑んで、そっとシリウス様の手に触れた。
「これは……私の意思です」
シリウス様の手は、いつもより少し熱を帯びているように感じた。
「……エステル様」
シリウス様の指が、そっと私の頬に触れた。
「……シリウス様?」
「あなたがいてくれることが、私にとって何よりも心強い」
シリウス様の 深い藍色の瞳 が、私を優しく見つめている。
その瞳の奥には、確かな信頼と、私への想いが宿っていた。
「……私も、シリウス様の隣にいることが何より幸せです」
小さく囁くと、シリウス様の 微笑みが深まった。
「それなら……もう少し、あなたを甘えさせてもらってもいいでしょうか?」
「……!」
私の頬が 熱くなる。
「……え?」
「あなたに触れていると、心が落ち着くのです」
「……」
そう言われると、胸の奥が くすぐったくなる。
「それは……困ります」
「困る?」
「……だって、私は……逆に落ち着かなくなってしまいますから」
「それは……」
シリウス様は ほんの少しだけ微笑みを崩した。
「言い換えると、私と同じ気持ちということですね」
「……!」
私が 何か言い返す前に——
シリウス様の 柔らかな唇が、そっと私の額に触れた。
「……!」
それは、優しくて、けれど どこか熱を帯びた口づけ。
「シリウス様……」
私が小さく名前を呼ぶと、シリウス様は そのまま私の頬を包み込むように触れ、そっと唇を重ねてきた。
「……ん……」
静かに、けれど 深く。
その口づけは、どこまでも 甘く、そして愛おしさに満ちていた。
「……エステル様」
シリウス様が そっと唇を離し、私の髪を優しく撫でる。
「どんな未来が訪れようとも……私は、あなたを守ります」
「……」
その言葉に、私は 胸の奥が温かくなるのを感じた。
「私も、ずっと……シリウス様のおそばにいます」
甘く、熱を帯びた余韻を残しながら——
私は、この上なく幸せな気持ちで、シリウス様の腕の中に身を預けた。




