第四十話話 王族の婚姻と俺の選択
(ジークハルト視点)
「……イザベルを見て、それが変わったんだ」
そう口にした瞬間、俺はふっと小さく笑った。
今まで、誰にも言ったことのない本音を口にしてしまった気がする。
目の前のエステルは 静かに耳を傾けている。
まっすぐな瞳で、言葉の一つひとつを受け止めようとしているのが伝わる。
「俺はな、王族の結婚が嫌いだった」
「……」
「さっきも言ったが、王族の婚姻はほとんどが政治的なものだ。
生まれながらに決められた相手と結婚して、王国の安定のために夫婦として振る舞う」
どんなにお互いを知らなくても。
どんなに その相手を好きになれなくても。
「そういう結婚が、俺は耐えられなかったんだ」
「……」
エステルは何も言わない。
でも、その瞳には 理解しようとする気持ちが宿っていた。
「それに……」
少し息を吐いて、続ける。
「俺は、シリウスがそういう婚約をするのを見てきたからな」
「……!」
エステルの表情が、わずかに動いた。
「昔、シリウスには婚約者がいた」
「あ……」
「お前も聞いているかもしれないが、あの婚約は政治的なものだった。王宮の都合で決められたもので、シリウスの意思は関係なかった」
そう—— シリウスは、選べなかったのだ。
「結果として、その婚約は破談になった。彼女は別の相手を選び、家庭を築いた。それは……あの婚約にとっては、幸せな結末だったのかもしれない」
「……」
シリウスは何も言わなかった。
決して、心情を口に出して語ることはなかった。
ただ、静かに受け入れただけだった。
「でもな、俺は思ったんだ。
——王族の結婚ってのは、こういうものなんだな、って」
そこには 自由がない。
そこには 個人の意思は存在しない。
だからこそ—— 俺は結婚を避けた。
「俺が結婚しなければ、シリウスも無理に婚姻を進められることはないだろう、ってな」
「……」
「俺は自由でいたかった。でも、それと同じくらい……シリウスにも、自由でいてほしかった」
それが 俺なりの、弟への気持ちだったのかもしれない。
「だからこそ、シリウスが今こうしてお前と婚約していることを、俺は嬉しく思ってる」
「……」
エステルは、何か言葉を探すように目を伏せた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……では、ジークハルト様は、なぜイザベル王妃のことを……?」
核心をつく問いだった。
俺は笑みを深める。
「それを聞くか?」
「はい」
エステルの声は、まっすぐだった。
……いいな、やっぱりこの子は。
シリウスが選んだ理由が、ますますよく分かった気がする。
「イザベルはな、誰よりも王族らしい王族だった」
俺は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「先代の王が急逝して、フェルディナント王国が揺れた時、彼女は摂政となり、国を守るために戦った」
「……」
「その間、彼女が個人としての自由を持つことはなかった。感情を押し殺し、ただ 『摂政としての役割』 を果たしていた」
「……」
「俺は、そんな彼女を見て、気づいたんだ。
——ああ、俺が嫌った『王族の結婚』を、彼女はもう何年も続けてきたんだってな」
イザベルには 選択肢がなかった。
王として嫁ぎ、そして王を失い、未亡人として王国を背負った。
個人の幸せなんて考える暇もなく—— ただ、国のために生きてきたのだ。
「だから、最初は単純な興味だった。
あんな氷のような王妃を、どうすれば笑わせられるんだろうってな」
「……」
「でもな、何度も会ううちに分かった。
彼女の冷たさは、ただの壁じゃない。誰かが踏み込んでくることを、拒んでいるだけだったんだ」
「……!」
「それが分かってしまったら……もう放っておけないだろう?」
俺は、軽く肩をすくめた。
エステルは じっと俺を見つめている。
その瞳には、驚きと、何か別の感情が浮かんでいるように見えた。
「……ジークハルト様は、本当に彼女を……」
「惚れたよ」
俺は はっきりと言った。
「俺が自由を求めたのと同じくらい、彼女は自由を知らなかった。なら、その自由を教えてやるのも、悪くないだろ?」
「……」
「それに……俺は、彼女が国のためだけじゃなく、『個人としての幸せ』を考えてもいい頃だと思ってるんだ」
「……」
エステルは、小さく息を吐いた。
「……ジークハルト様は、やはり優しい方なのですね」
「そう見えるか?」
「はい」
彼女の微笑みには、どこか確信めいたものがあった。
俺は、思わず 苦笑する。
「……まぁ、どうなるかは分からないけどな」
「それでも、ジークハルト様がそう思われているのなら……」
エステルは、そっと微笑む。
「きっと、素敵な道が開けるのではないでしょうか」
「……」
俺は、ふっと笑った。
やっぱり、この子は シリウスの隣にふさわしいな。
「シリウスも、お前も……本当にいい相手を見つけたもんだな」
「え?」
「いや、こっちの話だ」
俺はエステルの肩を軽く叩き、笑みを浮かべた。
——俺の選択が正しかったのかは、まだ分からない。
でも、一つだけ分かることがある。
俺が イザベルを笑わせる未来を望んでいる ことだけは、間違いないということだ。
ジークハルトの恋は別でスピンオフを書きたい




