第三十九話 王宮の騒動と兄の想い
ジークハルト様の衝撃的な発言から一夜明けた王宮は、昨日にも増して 騒がしかった。
「摂政王妃との婚姻が現実となれば、王位継承はどうなるのか……!」
「第一王子殿下が他国へ婿入りなど、前例がない!」
「いや、そもそもイザベル様がそれを受け入れるのか……?」
廊下を歩けば、宮廷官僚たちの ひそひそとした話し声 がそこかしこから聞こえてくる。
どの声にも 不安と焦りがにじんでいた。
けれど——
そんな喧騒の中、私が思うのは ただ一つのこと だった。
(シリウス様……お疲れではないかしら……)
王位継承問題が現実味を帯び、シリウス様は 少なからず重圧を感じているはず。
昨日の晩餐の後も、何やら遅くまで執務室にこもっていたと聞く。
冷静に見えるけれど、きっと心の内では悩まれているのではないだろうか。
(何か、私にできることは……)
そう考えながら庭園を歩いていると——
「お、探してたんだよ」
ふいに、どこか朗らかな声がかかった。
顔を上げると、そこには ジークハルト様の姿があった。
薄い金色の髪を靡かせ、どこか気ままな様子でこちらを見ている。
「お探し……でしたか?」
「そうそう。ちょうどいいところで会えたな」
ジークハルト様は 気軽に微笑みながら、手に持っていた小さな袋を差し出した。
「ほら、これ。お土産」
「……お土産?」
受け取った袋の中を見ると、そこには 上品に包まれた石鹸 が入っていた。
優雅でほのかに甘い香りが、風に乗ってふわりと鼻をくすぐる。
「これは……?」
「シリウスが気に入ってる石鹸だよ。珍しい植物油を使っててな、滅多に手に入らない代物なんだが……一度渡したらすっかり気に入ったみたいでな」
「え……」
「それ以来、海外に行くとつい探しちまうんだよな。まぁ、シリウスにやる分はちゃんと別にあるから、こっちはお前用」
「……!」
(シリウス様が愛用している……?)
(この石鹸……つまり、シリウス様の香りがする ということ……?)
途端に、顔が 熱を帯びる のがわかった。
「そ、そんな貴重なものを……私なんかが頂いてしまってよろしいのですか?」
「いいじゃないか。ちょっとした贈り物だよ」
ジークハルト様は にこりと微笑む。
「それに……」
「それに?」
「お前が照れながら受け取るのを見たら、シリウスもきっと面白がるだろうしな」
「っ……!」
その言葉に、さらに頰が赤くなるのを感じた。
どうやら ジークハルト様はわざとからかっているらしい。
「まぁ、こういうのは気にせず受け取るもんだ。俺からの歓迎の印ってことでな」
「……ありがとうございます」
改めて礼を言うと、ジークハルト様は どこか満足げに頷いた。
「お前みたいな素敵な婚約者ができて、シリウスは幸せ者だな」
「……」
ジークハルト様の言葉には、 真剣な響き があった。
いつもの 飄々とした態度 とは違う、どこか静かな優しさが込められている。
そして、彼は 少し遠くを見るような表情 で続けた。
「……シリウスには、ずっと負担をかけてきたんだ」
「……負担、ですか?」
「俺が自由すぎるせいでな」
ジークハルト様は 微笑を浮かべながらも、どこか寂しげな目をしていた。
「俺は昔から好き勝手に生きてきた。外交も楽しいし、国のためになるなら、どこにでも行くつもりでいた。でも、その分……王宮に残されたシリウスには、余計な負担がのしかかってたはずだ」
「……」
「シリウスは俺のことを悪く言わないけどな。本当は、俺の代わりに背負わなくていいものまで背負ってる。あいつは、そういうやつだ」
ジークハルト様の言葉に、私は静かに耳を傾ける。
「だからこそ、お前がそばにいてくれることが……俺は嬉しい」
「……!」
「シリウスは自慢の弟だよ。俺にはないものを持ってるし、真っ直ぐで誠実だ。そんなあいつに、お前みたいな素敵な人が寄り添ってくれるなら……これほど嬉しいことはない」
優しい声だった。
それが、ジークハルト様の 本音 なのだと、自然と伝わってくる。
「……シリウス様は、いつも私を支えてくださっています。けれど、私もまた、シリウス様を支えられる人間でありたいと、そう思っています」
そう伝えると、ジークハルト様は 満足そうに微笑んだ。
「うん、いいな。やっぱりお前、気に入ったよ」
「えっ?」
「シリウスが選んだ理由が、よく分かるってこと」
私は思わず 頰を赤らめる。
「……ところで、ジークハルト様は今まで頑なに婚約を断ってこられたと聞いておりますが……それは何か理由が?」
私の問いに、ジークハルト様は 少しだけ表情を曇らせた。
「……まぁ、それも話しておくべきかもな」
「……?」
「俺は……自分の婚姻が、誰かを縛ることになるのが嫌だったんだ」
「……縛る、とは?」
「王族の結婚は、ほとんどが政治的なものだ。俺が誰かと結婚すれば、それは 国と国の関係に直結する。もし俺が王になれば、王妃は国の象徴になる。でも……」
「でも?」
「俺は、そんな風に誰かを縛るのが嫌だった。結婚するなら、相手には自由でいてほしいと思ってた」
そう言って、ジークハルト様は 静かに目を閉じる。
「でも……イザベルを見て、それが変わったんだ」




