第三十五話 婚約者の兄との対面
ジークハルト・アストラ第一王子。
シリウス様より四つ年上の兄君。
けれど、実際にお会いしたことは一度もない。
彼は長年、外交官として各国を飛び回っており、滅多に国内にはいないらしい。
そのため、彼の人となりを直接知る者は少なく、私の知る限りでは、 「軽妙で人懐っこく、自由奔放な王子」 という評判だけが先行していた。
そんな方が、シリウス様の兄——王位継承権第一位の人物なのだから、私は少なからず驚いた。
そして今日。
ついにそのジークハルト王子が、王宮へ帰還した。
私が彼と対面する場は、華やかな王宮の謁見の間ではなく、ごく親しい家族や側近だけが集う 私的な晩餐 だった。
「緊張なさっていますか?」
隣に立つシリウス様が、静かに問いかける。
「……少しだけ」
私は正直に答えた。
王族の方とお会いすること自体は、幼い頃から慣れている。
けれど 「掴みどころのない人」と言われる第一王子 との対面は、少しばかり不安を感じずにはいられなかった。
シリウス様は小さく微笑み、私の手を軽く取る。
「大丈夫です。兄上は人好きのする性格ですから」
「……」
そう言われても、何となく釈然としない。
この場にいる王族や貴族の方々が次々と挨拶を交わす中、扉が開かれた。
「お待たせ!」
朗らかで、驚くほど気軽な声が響く。
視線を向けると、そこに立っていたのは——
淡い金色の長髪を後ろで一つにまとめた、鋭い青い瞳を持つ男性だった。
見た目だけなら、確かにシリウス様とよく似ている。
だが、その雰囲気は まるで正反対 だった。
王族らしい威厳を漂わせるシリウス様とは違い、彼は 余裕と遊び心を滲ませた笑み を浮かべている。
その姿は まるで気楽な貴族の青年のようで、とても第一王子とは思えなかった。
「久しぶりだな、シリウス」
軽く手を挙げて、ジークハルト王子は弟へと歩み寄る。
「お帰りなさいませ、兄上」
シリウス様は微かに微笑みながら応じるが、その態度には 少しだけ困惑が滲んでいるように見えた。
ジークハルト王子はひとしきり周囲に軽妙な挨拶を交わした後、すぐに 私に目を向けた。
「さて、そっちの美しいお嬢さんが、噂の婚約者殿だな?」
その言葉に、私は思わず姿勢を正す。
「初めまして。エステル・リヴィエールです」
恭しく礼をすると、ジークハルト王子は 面白そうに目を細めた。
「へえ、噂通りの美貌だな。シリウスもなかなか良い選択をしたじゃないか」
「……兄上」
シリウス様がわずかに眉を寄せる。
「冗談だよ、冗談」
ジークハルト王子は笑いながら、何の躊躇もなく 私の手を取った。
「まあ、初対面のレディには、これくらいの挨拶は許されるだろう?」
そう言いながら、 彼は私の手の甲に軽く唇を寄せた。
「っ……!」
驚きに、思わず息を呑む。
「……兄上」
シリウス様の声が、ほんの少し低くなった気がする。
だが、ジークハルト王子は気にした様子もなく、 余裕たっぷりの笑み を浮かべた。
「いやいや、堅苦しいことは抜きにしようじゃないか。エステル、お前もそう思うだろ?」
「……」
この方は 本当に第一王子なのだろうか?
そう疑ってしまうほどの気さくさだった。
「ところで、エステル。お前はどんなものが好きなんだ?」
「え?」
「食べ物でも、趣味でも。気になるなと思ってさ」
にこりと笑いながら、 とても自然に距離を詰めてくる。
思わず戸惑い、視線をシリウス様へ向ける。
「……兄上、少し馴れ馴れしすぎでは?」
「いいじゃないか、家族になるんだ。もう少し気楽にいこうぜ」
そう言って、ジークハルト王子は 親しげに肩をすくめた。
(……なるほど。確かに、気さくな方なのは間違いない)
ただ、それが どこまで本心なのか。
「兄上、エステル様を困らせるのはやめてください」
「困らせてるつもりはないぞ?」
「いいえ、困っています」
シリウス様が静かに断言し、ジークハルト王子は苦笑する。
「相変わらず堅いな、シリウスは」
「あなたが軽すぎるのです」
まるで昔から繰り返されてきたやり取りのようで、 どこか微笑ましい光景だった。
ジークハルト王子は私に視線を戻し、にこりと笑う。
「まあ、いずれもっと仲良くなれるさ。エステル、お前が俺の弟と結婚するのなら、俺とも上手くやってくれよ?」
「……ええ」
微妙に からかわれている気がする けれど、私は穏やかに微笑み、そう返した。
こうして、私と 第一王子ジークハルト・アストラ との初対面は、 予想以上に賑やかなもの となった。




