第三十四話 第一王子の帰国
「シリウス様のお兄様が、帰国されるのですね」
そう告げたのは、朝食の席でのことだった。
昨日、王宮に届いた正式な書簡によると、第一王子ジークハルト・アストラが長らくの外交任務を終え、数日後に帰国するらしい。
「ええ、兄はここ数年、各国を飛び回っていましたから。久々の帰国になりますね」
シリウス様は紅茶を口にしながら、穏やかに頷く。
「実は……私はまだ、第一王子殿下とはお会いしたことがありません」
「そうですね。エステル様と婚約が決まった頃には、すでに国外にいましたから」
「どのような方なのでしょう?」
素直な興味から問うと、シリウス様は少し考えるように目を伏せた。
「兄上は……一見すると軟派に見えますが、優れた外交官です。人心を掴むのが巧みで、戦略的思考も持ち合わせている……私とは正反対の人物ですね」
「正反対……?」
「私はどちらかというと、理論や学問を重んじるタイプです。ですが、兄は直感的で柔軟。どんな相手ともすぐに打ち解け、状況に応じた最善の対応を瞬時に見極めることができます」
「それは……とても素晴らしいことでは?」
「ええ。だからこそ、兄は王として申し分ない資質を持っています」
シリウス様は静かに微笑んだ。
その横顔には、どこか尊敬の色が滲んでいるように見えた。
「兄上は、私が持たないものを多く持っています。器の大きさも、自由な発想も……私には到底真似できません」
「そんなことは……」
「いいえ。事実です」
シリウス様はそう言い切る。
彼は努力家だ。並外れた魔法の才を持ちながらも、それに甘んじることなく、常に鍛錬を積んでいる。
そんな彼が、自分にないものを持つ兄に対して、密かに憧れを抱いているのは……何となく理解できた。
「ただ、一つだけ兄に疑問があるとすれば……」
シリウス様はふっと微笑を消し、淡々と続ける。
「兄上は、婚約を頑なに拒んでいます」
「……!」
「第一王子が結婚をしない以上、王族の婚姻は思うように進められません。兄上が結婚しない間、私は前の婚約者との婚姻を進めることもできず……その間に彼女は別の人を愛し、子を授かり、結果として破談になりました」
シリウス様は淡々と語るが、私は少し胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「つまり、第一王子が当分ご結婚されるご予定がないため……」
「そうですね。なぜか分かりませんが、私の婚約が突然進められ、エステル様とのご縁が決まったということになります」
「……」
なぜ私との婚約話が進んだのか、シリウス様自身も知らない。
その事実に、私は密かに驚いた。
王宮の意向であったことは間違いないが、その裏には何か理由があるのだろうか——?
「——エステル様」
シリウス様の声が、私を現実へと引き戻す。
「いずれにせよ、兄上は気さくな人物です。すぐに打ち解けられるでしょう」
「……そうでしょうか」
「ええ。もしかすると、私よりもエステル様と話が合うかもしれません」
「それは……どういう意味ですか?」
「兄上はとにかく人好きのする性格ですから。きっとエステル様のことも気に入るでしょう」
(……何だか、少し含みのある言い方……)
「ただし」
シリウス様がわずかに目を細め、言葉を続ける。
「兄上は……自由な人ですが、少々、気まぐれなところもあります」
「気まぐれ、ですか?」
「ええ。何か考えがあるのか、あるいは本当に何も考えていないのか……時折、見極めがつかなくなるほどに」
「……」
それは……少し掴みどころのない人なのだろうか?
(もしかすると、会ったら振り回されてしまうかもしれない……)
シリウス様は「まあ、気にしすぎる必要はありませんが」と付け加えたが、私は少しだけ緊張した。
数日後、第一王子ジークハルト殿下に会うことになる。
その時、私はどんな印象を抱くのだろうか——?




