第三十二話 未知の扉を開く時
「さあ、エステル!あなたの世界を広げる旅に出るわよ!」
ジョセフィーヌ夫人の眩しい笑顔と共に、私は王都で最も高級なランジェリー専門店の扉をくぐることになった。
店内はまるで別世界だった。
華やかでありながら、どこか秘密めいた雰囲気を持つ空間。
上品な香りが漂い、フロアにはしっとりとしたベルベットのカーペットが敷かれ、歩くたびにふわりと吸い込まれるような感覚を覚える。
壁には、レースやシルクのランジェリーが芸術品のようにディスプレイされていた。
「おおおおおおお!!!」
横を見ると、既にサラが大興奮している。
キラキラと輝く目で、ショーウィンドウに並ぶ繊細なランジェリーを凝視していた。
「エステル様!!見てください!この刺繍の繊細さ!!!」
ショーケースの中には、白く透けるほど細やかなチュールレースに、美しい花の刺繍が施されたランジェリーが並べられていた。
淡い桜色のセットは、花びらのようにふんわりとした質感で、まるで肌の上で咲き誇るような儚さがある。
一方、深紅のランジェリーは官能的で、柔らかなシルクが指先を滑るたびに、静かに肌を溶かしていくような感触があった。
(……こんなに、種類があるなんて……)
驚きと戸惑いを覚えながら、思わず手を伸ばし、滑らかなシルクの生地を指先で撫でる。
冷たいのに、どこか温かい。しっとりとしていて、すべるような感触。
「まあまあ、せっかく来たのだから、ゆっくり見ていきましょう?」
ジョセフィーヌ夫人が優雅に微笑みながら、私たちを店の奥へと誘導した。
店の中に進むにつれ、ランジェリーのデザインはさらに多彩になっていった。
純白のレースで仕立てられたクラシカルなもの。
胸元にリボンが結ばれた可愛らしいもの。
透け感のある黒いシフォンがふわりと揺れる妖艶なもの。
ショーケースの中に並ぶものすべてが、まるで物語を持っているようだった。
「……こんなに種類があるなんて……」
「でしょう?ランジェリーはただの下着ではなく、女性が自分の美しさを知るためのものなのよ」
ジョセフィーヌ夫人の言葉に、私は改めてランジェリーを見つめ直す。
どれも軽やかで、柔らかく、優美で繊細なデザイン。
けれど、そのどれもが——ただ美しいだけでなく、纏う者の心まで変えてしまいそうな力を持っている気がした。
そして、そのとき——
「これなんてどうかしら?」
ジョセフィーヌ夫人が手に取ったものを見て、私は思わず息を飲んだ。
「っ!!?」
それは——
ガーターベルト付きのランジェリーセットだった。
ブラジャーはシルクと繊細なレースで作られており、胸元にはまるで花弁のような刺繍があしらわれている。
ボトムは滑らかなサテン生地で、しっとりとした光沢があり、裾にはチュールレースがほんのり透けるように施されている。
そして、そのセットには——
黒いシルクのガーターベルトがついていた。
「じょ、ジョセフィーヌ夫人……!!」
「あなたには、これがとてもよく似合うと思うわ」
「そ、そんな大胆なものを……」
「……ほう……」
突然、横から低い声が聞こえた。
「ミシェル!?」
いつの間にか、ミシェルが静かに立っていた。
「サラの大騒ぎに巻き込まれないようにしてたら、こんな面白いものを見つけてしまった」
「面白いものって何!?」
「エステルがガーターベルトを試着する未来」
「な、なぜそうなるの!!??」
「だって、買うんでしょ?」
「か、買うって決まったわけじゃ——」
「いやいや、エステル様、もうその目は『ちょっと着てみたいかも……』ってなってますよ」
サラがにやりと笑って、私を指差した。
「な、なってません!!!!」
「なってるな」
「なってるわね」
「……もう……」
顔を真っ赤にしていると、ジョセフィーヌ夫人がクスクスと笑った。
「無理にとは言わないわ。ただ——自分を綺麗に見せるための努力をすることは、決して恥ずかしいことではないのよ」
「……」
その言葉が、すっと胸に落ちる。
確かに、シリウス様の隣に立つのなら、私はもっと自分に自信を持たなければいけない。
そのために、こういうものを選ぶことも、一つの手段なのかもしれない。
「……分かりました。試着してみます」
「おおおおおお!!!!」
サラとミシェルの歓声が響き渡る。
「推しが、ついにガーターベルトに手を……!!!」
「これは歴史的瞬間だ」
「もう!!!」
私は二人を軽く睨みながら、店員の後をついて試着室へと向かった。
心臓が高鳴る。
けれど、それは緊張ではなく——
ほんの少しだけ、楽しみな気持ちだった。
こうして私は、また一歩、新たな世界の扉を開いたのだった——。




