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第一話 学生時代(エステル編)

この大陸において、長きにわたる戦乱の時代があった。


かつて、この地には数多の国が割拠し、領土と資源を巡る争いが絶えなかった。

国境は幾度となく塗り替えられ、貴族も庶民も戦乱の波に翻弄されてきた。

魔法が戦の要となることも多く、強大な魔法を持つ国が覇権を握り、力の均衡が崩れるたびに新たな争いが生まれる。


しかし、百年以上前、ついにこの戦乱の歴史に終止符が打たれた。


最も勢力を伸ばした大国「オウレオール」が主導し、周辺諸国との和平交渉を重ねた末に、現在の五つの大国と四つの小国から成る同盟体制が築かれたのだ。


オウレオールは大陸の中心に位置し、広大な領土と豊かな資源を誇る。

魔法と学問に優れ、強力な軍事力を背景に外交を進める、まさに大陸の盟主である。


その隣に位置する「メガロポリス国」は、政治と経済の中心を担う国だ。

国際的な交渉に長け、宰相のもとで強固な政権が築かれている。


一方、辺境に位置する小国「アストラ」は、大陸でも特異な存在だった。

この国は、古来より魔法と星々の加護を信仰する神秘の国として知られている。

広大な森林と山脈に囲まれ、独自の魔法体系を発展させたこの国は、戦乱の時代を通しても決して外敵に侵略されることはなかった。


今では平和が定着し、各国は交易を発展させながら互いに協力し合っている。

だが、それでも国同士の駆け引きは絶えず、婚姻は国家間の結びつきを強める重要な手段であった。







メガロポリス国宰相の一人娘として生まれたエステルは、幼い頃から国を支える者の責務を背負ってきた。


父は国政の要であり、その娘であるエステルもまた、未来の国政に関わる者としての役割を期待されていた。

そのため、彼女の人生に「自由」というものはなかった。


宮廷礼法、政治、経済、軍事、そして魔法――

幼い頃から彼女の学びは終わることなく、社交の場に出れば立派な貴族令嬢として振る舞うことを求められた。


そして、彼女にはすでに婚約者がいた。


メガロポリス国の有力な貴族の子息であり、幼い頃から決められていた相手。

エステルにとってこの婚約は当然のことだった。

彼女は自らの役割を理解し、それを全うする覚悟を持っていたからだ。







大国「オウレオール」にある魔法学園の大講堂。

高い天井には精巧な魔法灯が浮かび、静かに煌めいている。


エステルは、講義が終わった後の重厚な机にそっと手を置いた。開かれた本の上に、光が淡く落ちる。


「……」


ふと、意識せずに顔を上げた瞬間、視界の端に映った。


──金色の髪。

──深い紫の瞳。


彼はすぐそこにいた。


シリウス・アストラ。

アストラ王国の第二王子であり、誰に対しても穏やかで誠実な青年。

その姿を認識した途端、心の奥底が微かに揺れるのを感じる。


(また、見てしまった……)


彼を目で追うことに、何の意味があるのだろう。


エステルは自分にそう言い聞かせ、ゆっくりと視線を戻した。


この想いは、何の意味も持たない。

彼には婚約者がいるし、私にもいる。


それは揺るぎない事実。


だから、彼を見つめる理由など、どこにもないはずだった。


けれど──。


彼の姿を認めるたび、ほんの一瞬、胸が締めつけられる。


それは、認めてはいけない感情。


エステルは、そっと指を組み、感情を静かに押し込めた。







昼下がりの中庭。


エステルは静かに本をめくる。

時折、春の風が髪を揺らし、淡い陽射しがページの上に影を落とした。


(少しだけ、気持ちが落ち着く)


そう思いながら、視線を本に戻そうとした瞬間──。


遠くの方に、彼がいた。


彼は何人かの学生と談笑していた。

柔らかく微笑みながら、誰にでも平等に接している。


静かな人だけれど、決して冷たいわけではない。

いつも穏やかで、誰かを拒むことなく、必要以上に踏み込むこともない。


「……」


気づけば、また目で追っていた。


どうして、こんなにも目が離せないのだろう。


(……そんなことを考えても仕方がない)


エステルは本へと意識を戻した。


これは、ただの一時の迷い。


私たちは関わることのない二人なのだから。







夜の図書館は、昼間とは違う静けさに包まれていた。


ページをめくる音、インクの擦れる音だけが微かに響く。


エステルは魔法史の書物を開き、思考を整理していた。


静寂が心を落ち着かせる──はずだったのに。


(……なぜ、こんなに気が散るのかしら)


原因は分かっていた。


シリウスが、ほんの数席離れた場所で、同じように本を読んでいるから。


もちろん、話しかけることはない。

あちらも、こちらに気づいても、何も言わない。


私たちは、ただの同級生。


それ以上の関係には、決してならない。


だから、視線を向けることすら、意味はないのに。


指が、そっとページの端をなぞる。


何もなかったように、ただ、本を読み続ける。


(今夜も、何もなかった)


──それでいい。


彼の存在を意識しながら、エステルはそっと息をついた。







学園では、定期的に魔法の実技試験が行われる。

学生たちはそれぞれの専門分野に応じて、魔法の制御力や威力、応用技術を試されるのだ。


エステルは決して劣っているわけではなかった。

学年でも優秀な成績を収めていたし、実技にも自信があった。


──けれど、それでも。


シリウスは別格だった。


彼が試験で魔法を発動するたび、周囲の空気が変わるのを感じる。

圧倒的な魔力量、緻密な制御、魔法陣の発動速度。

どれを取っても、他の学生とは一線を画していた。


(……すごい)


心の中で、そう呟いた。


彼はただの王族ではない。

努力を怠らず、才能を磨き続ける者。


だが、それを誇示することもなければ、自慢げな態度を取ることもない。

ただ、淡々と、静かに、当たり前のように実力を示す。


試験が終わり、結果発表の場で、彼の名が一位として呼ばれる。

彼は落ち着いた様子で壇上へと歩き、短く一礼をした。


歓声が上がる。

学生たちは、彼の実力を素直に称えていた。


そして、エステルもまた。


彼に対する尊敬の念を、心の中でそっと抱いた。


──けれど、それと同時に。


どうしようもなく、胸の奥が締めつけられるのを感じた。


こんなにも完璧な人を、私はどうして目で追ってしまうのだろう。


彼とは何の関係もないのに。

何も始まらないのに。


(もう、やめなくては……)


そう思いながらも、次に彼の姿を目にしたとき、きっとまた視線を向けてしまう。


それが分かっている自分が、少しだけ、嫌になった。





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