第十八話 月影に囁く告白
それは、予期せぬ夜の出来事だった。
アストラ王国に来て、早くも数ヶ月が経とうとしていた。
最初は戸惑うことばかりだったが、シリウス様の優しさや気遣いのおかげで、この国での生活にもすっかり馴染んでいた。
それどころか、今では彼と過ごす時間が何よりも心地よく、そして愛おしく感じるほどになっていた。
けれど——
まだ一度も、はっきりとした言葉で「好き」だとは伝えていない。
互いに距離は縮まり、日々の仕草や視線の交わり、軽い触れ合いの中に想いは滲んでいる。
それでも、この気持ちはちゃんと言葉にしなければ。
そう思いながらも、私は臆病だった。
もし、私のこの想いが一方的なものだったら?
シリウス様は、優しいからこそ、私を大切にしてくださるだけだったのでは——?
そんな不安を抱えたまま、私は王宮の庭園をひとり歩いていた。
月明かりに照らされた花々が、夜の静寂に優しく揺れている。
遠くから聞こえる噴水の音が心地よく響く。
「……シリウス様」
その名を、そっと呼んでみる。
すると——
まるで私の心を見透かしていたかのように、背後から足音が近づいてきた。
「エステル様……ここにいらしたのですね」
振り返ると、シリウス様がそこに立っていた。
白い王宮の外套を肩に羽織り、夜気に溶け込むように静かな微笑を浮かべている。
「夜風が冷たくなってきました。こんな時間におひとりで出歩かれるとは……心配になります」
「すみません。少し考えごとをしていて……」
「考えごと?」
彼は、私の顔をじっと見つめる。
このまま誤魔化してしまうべきか、思い切って打ち明けるべきか——
そんな迷いが生じた、まさにその瞬間だった。
突如、足元がふわりと浮いた。
「え……?」
地面が崩れる感覚。
——しまった。
この庭園は、古い石畳が敷かれている。
長い年月を経て脆くなった箇所があるとは聞いていたけれど、まさかこんなところに落とし穴のような崩れかけた地面があったなんて!
バランスを崩し、私はそのまま後ろへ倒れ——
「——エステル様!!」
次の瞬間、シリウス様が私の腕を強く引いた。
どさっ……!
——気がつけば、私はシリウス様の腕の中にいた。
いや、正確には。
彼が私を庇うように抱きしめ、背中をしたたかに地面に打ちつけている。
「……シリウス様っ!!」
私は慌てて身を起こした。
彼の顔を覗き込むと、ほんの少し眉をひそめているものの、深刻な怪我はなさそうだった。
「……大丈夫ですか?お怪我は?」
「ええ……少し強く地面にぶつかっただけです」
「私のせいで……申し訳ありません……」
「お気になさらず。それより……」
彼は、私の手を取った。
そして、ゆっくりと私の指を絡めるように握り締める。
「エステル様、私には……もう隠しようがありません」
「……?」
「あなたが大切で、愛おしくて……もう、あなたなしの世界は考えられないのです」
——それは、まっすぐで、誤魔化しのない言葉だった。
「私は……あなたを愛しています」
胸が、震えた。
こんなにも静かに、真剣に、まっすぐに告げられると
——もう、言い逃れもできない。
私は、震える唇をぎゅっと噛みしめながら、言葉を絞り出す。
「……私も、シリウス様を……愛しています」
初めて声に出して告げたその瞬間——
彼の瞳が、ゆっくりと揺らぎ、ほどけていくのが分かった。
「……ありがとうございます、エステル様」
シリウス様は、そっと私の手を引いた。
そして、震える私の肩を優しく抱き寄せ——
「……お許しください」
そう囁くと、ふわりと私の唇に口づけを落とした。
柔らかく、温かく、そして何より——
愛に満ちたキス。
静かな夜の庭園で、私たちはようやく、互いの気持ちを確かめ合うことができた。
私の鼓動が、彼の鼓動と重なり合う。
(ああ、私はこの人を愛している……)
言葉よりも、ずっと強く伝わる想いに、私はそっと目を閉じた——。
⸻
こうして、予期せぬアクシデントの中で、私たちは互いの愛を告白した。
そして、この夜のキスが、すべてを確かなものにしたのだった。




