第十六話 慎重な殿下の甘やかな計画
(シリウス視点)
エステル様との婚約が決まって以来、穏やかに過ごす日々の中で、少しずつ距離を縮めていることを感じる。
特に、彼女の前婚約者について尋ねた時の反応
── 何の未練もなく、むしろ特別な感情すら抱いていなかった という事実は、私にとって何よりの安心材料となった。
(つまり……現状、私は彼女にとって、他の誰よりも近しい存在である可能性が高い)
そう思うと、胸の奥が温かく満たされていくのを感じた。
今まで私は自分の感情を抑え、慎重に接してきた。
だが、エステル様が自分のことを比較的好ましく思ってくれていると確信した今、少しは…… いや、かなり 正直に行動しても良いのではないか?
マークからすれば「少しどころではない」と言われるだろうが、私にとっては”慎重な進展”のつもりだった。
── 指を絡める行為。
彼女の華奢な指にそっと触れ、優しく絡めるたび、エステル様は小さく肩を震わせる。
戸惑いながらも拒絶はしない。むしろ、ほんの少しだけ、握り返してくれることもある。
── 抱擁。
彼女を腕の中に包み込んだとき、その体の柔らかさに、宝石を扱うように丁寧に抱きしめたくなる衝動を覚えた。
彼女は最初、驚いたように戸惑っていたが、次第に力を抜き、そっと私の腕に身を委ねてくれた。
── 額へのキス。
王宮への帰り道、自然な流れで彼女の額に唇を落とした。
エステル様は一瞬、息を詰まらせたように瞳を瞬かせたが、最終的には微かに頬を染め、伏し目がちに微笑んだ。
(……可愛らしい)
その姿があまりにも愛おしくて、次はどこにキスをしようかと考えてしまうほどだった。
だが、エステル様は慎ましやかで奥ゆかしい。
彼女の気持ちに寄り添い、ゆっくり、一つひとつのスキンシップを積み重ねていくのが大切なのだ。
(焦らず、ひとパーツずつ……慎重に)
この距離が、少しずつ縮まっていく過程こそが尊い。
そんなことを考えながら、私は朝食の席についていた。
エステル様は、向かい側で静かに紅茶を口に運んでいる。
いつものように上品で、優雅で、どこか儚げな佇まい。
だが、目が合うと小さく微笑み、以前よりもリラックスした雰囲気を見せてくれるようになった。
(ああ、可愛い……)
思わず、視線を落とした自分の手に、どこまでなら触れられるのかと考えてしまう。
手は繋いだ。
抱擁もした。
額へのキスも済んだ。
(次は……どこにしようか)
この慎重な計画の次のステップを思案しながら、私はフォークを持ち上げた。
すると、向かい側のエステル様がふと首を傾げる。
「……シリウス様? 何か考え事を?」
「……いえ」
思わず口元に笑みが浮かぶ。
まさか “次のキスの場所” などとは言えない。
エステル様が、気づかぬまま紅茶を口に運ぶ姿を見つめながら、私は決意を新たにした。
(次は……頬、あたりだろうか)
焦らず、確実に。
エステル様が慣れてくれるように、丁寧に距離を縮めていく。
だが──
(……それにしても)
ちらりと視線を横にやると、マークが
「今朝のシリウス殿下は何を考えているんだ……?」 という表情で、じっとこちらを見つめていた。
── どうやら、“少しずつ” という表現は、マークには通じていないようだった。
(……まあ、いい)
こればかりは 「慎重な進展」 なのだから。




