第十四話 気になる前婚約者
アストラ王国へ到着してから二週間ほどが経った。
まだまだお互いの国の文化や気候の違い等に驚くことは多いが、アストラ王国について学ぶことは楽しく、充実した日々を過ごせるようになった。
ただひとつだけ、私の心に引っかかっていることがある。
それは、シリウス様の前の婚約者のことだ。
政治的な理由で婚約が解消されたと聞いたけれど、長く婚約していたのだからまだ想いが残っているのではないか。
私にはそのことを尋ねる資格なんてない。それでも心のどこかに、不安が静かに燻っている。
そんな気持ちを持て余しながら庭園を散策していると、シリウス様が私の様子に気づき、そっと問いかけてくれた。
「エステル様、何か気になることでも?」
その優しい紫の瞳を見ていると、自然と胸の奥の迷いが言葉になって口をついた。
「あの……大変失礼を承知でお聞きしますが、シリウス様は、以前の婚約者の方のことを……まだ想っておいでですか?前の婚約者の方にまだお気持ちが残っているのではないかと、気になってしまいまして……」
頬が熱くなり、視線を下げてしまう。
だがシリウス様は穏やかに微笑んだ。
「そのように心配してくださっているのですか?
ご心配いただきありがとうございます。元婚約者との関係は政治的なものでした。お互い、特別な感情を抱いたことはありません。彼女も今は他の方と幸せになられているようですし……」
その穏やかで、誠実な言葉に胸がほっと緩んだ。
だが、シリウス様は少し照れたような表情を浮かべ、小さく咳払いをした。
「実は、私も同じようなことを心配していました。エステル様も前の婚約者がいらっしゃったと伺っています。そちらの方にまだ想いを残しているのではないかと……正直なところ、気になっていました」
意外な言葉に、私は驚いて顔を上げた。
シリウス様がまさか同じような心配をしてくださっていたなんて。
「あ、あの……それはありません。正直申し上げると、前の方には好意を持つことはできなかったので……
むしろ、今このようにシリウス様と再会できたことを、とても嬉しく感じています」
素直な気持ちを伝えると、シリウス様の表情が和らぎ、瞳の中に暖かな光が宿った。
「それは、私も同じです。エステル様がここにいらしてくださったこと、本当に嬉しく思っております」
その言葉が胸の奥に響き、私は頬がさらに熱くなるのを感じた。
気づけば二人の距離は縮まり、シリウス様がさりげなく私の手を握っている。
「もっと、あなたとの距離を縮めたいです」
静かに囁かれたその言葉に、私の胸の鼓動はますます高まる。
もう、前の婚約者のことなどどうでもよかった。
今はただ、この優しく温かな想いを大切にしたい。
そんな気持ちを込めて、私はそっと彼の手を握り返したのだった。
(シリウス様も、私のことを気にしてくださっていたんだ……)
心の奥がふわりと温かくなり、私は密かに微笑んだ。
シリウス様が少し恥ずかしそうに視線を逸らした後、再び真剣な眼差しを私に向けた。
「安心しました……。ずっと気になっていましたから」
彼の言葉が胸に優しく染み込むように広がっていく。
「私も……同じ気持ちでした」
静かな部屋に、二人の言葉が重なり、空気が甘く揺れる。
するとシリウス様が一歩近づいてきた。
心拍数が急激に跳ね上がる。
「エステル様、失礼します」
そっと伸ばされた彼の手が私の腰に触れ、私はゆっくりと彼の胸元へと引き寄せられた。
「……シリウス様?」
驚きで小さく声を漏らすと、彼の温かな腕が私を優しく包み込む。
「もう、お互い気にする必要はありませんね……エステル様、今こうしてあなたを抱きしめることができて、本当に嬉しいです」
彼の声が耳元で囁くように響き、その甘やかな響きに胸が高鳴った。
「ずっとこうしたいと思っていました……貴方に会ってからずっと」
シリウス様の鼓動が、抱きしめられた胸元から伝わってくる。力強くも温かな鼓動。彼の腕の中で、私は安心感と愛しさに包まれていくのを感じた。
(私も……こうしていたかった……)
静かに目を閉じて、私は彼の腕の中にそっと身を委ねた。




