第十一話 君を迎える
(シリウス視点)
アストラ王国の駅に降り立ったエステル様を、私は静かに見つめた。
黒曜石のように艶やかな髪が、陽光を受けて柔らかく輝いている。慎ましやかでありながらも、凛とした佇まい。数年ぶりに対面したというのに、彼女の姿はまるで記憶の中のまま……いや、それ以上に美しかった。
「お久しぶりです、エステル様」
私は落ち着いた声でそう告げ、彼女に手を差し出した。
彼女は一瞬だけ迷うような仕草を見せたが、すぐにその手を取る。その指先はひんやりとしていて、しなやかで、触れるとほのかに温もりを感じた。
──ああ、懐かしい。いや、懐かしいなどと言うのはおこがましいか。
私は彼女と、学園時代ほとんど会話を交わさなかったのだから。
「ありがとうございます、シリウス殿下」
彼女の声は静かで、まるで風に溶けるように響く。
「長旅でお疲れではありませんか?」
「大丈夫です」
彼女を見下ろす形になり、その美しいエメラルドの瞳と目が合う。
懐かしいのに、初めてのような感覚。
学園時代、遠くから見つめることしかできなかった彼女が、今ここにいる。
私は彼女の手をそっと引き寄せ、王家専用の馬車へとエスコートした。
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王家専用の馬車は、風の魔法を組み込んだ特別仕様だ。振動がほとんどなく、静かな空間が保たれている。
「この馬車、とても静かですね」
エステル様が窓の外を眺めながら、柔らかく微笑んだ。
「風の魔法を使っていますからね。乗り心地には自信があります」
「確かに、揺れもほとんど感じません。まるで空を飛んでいるよう」
彼女が楽しそうに言うのを見て、私は微かに唇を綻ばせた。
「アストラの魔法技術にはいつも驚かされます。学園時代も、アストラの魔法工学の授業は興味深かったです」
「そう言ってもらえると嬉しいですね」
穏やかな会話が続く。
その間も、私はずっと彼女の手を離さなかった。
歩くたびに、さりげなく指先を絡め、そっと握る。そのたびに彼女の体温がじんわりと伝わってくる。
──この指先を、ずっと離したくない。
そんなことを思いながらも、意識しすぎると手に力が入ってしまいそうで、気を抜いたふりをして握り続けた。
……いや、これでは気を抜いたふりどころか、ただの未練がましい男ではないか。
ふと視線を向けると、マークが遠巻きにこちらを見ていた。
その表情には明らかに「いや、いい加減手を離したらどうですか?」と書いてある。
私は何事もなかったかのように視線を逸らした。
──知らない、私は何も知らない。
周囲の護衛騎士たちの視線が刺さるように感じるが、今はそれどころではない。
ただ、エステル様がここにいることだけで、私はどうしようもなく胸が高鳴っていた。
⸻
王宮に到着し、まずは国王陛下への謁見が行われた。
「エステル・フォン・リヴィエール、ようこそアストラ王国へ」
玉座の間で、エステル様は美しい所作で優雅に一礼する。
「初めまして、アストラ王陛下。このたびは私をお迎えいただき、光栄に存じます」
凛とした声音、落ち着いた振る舞い。
彼女は堂々としていた。
父王も満足そうに頷き、しばらくの会話を交わした後、優しく「ここでの生活を楽しんでいきなさい」と言葉を添えた。
こうして正式に、エステル様はアストラ王国の婚約者として迎え入れられた。
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「こちらが、エステル様のお部屋です」
私は自ら扉を開け、彼女を中へと案内する。
「……素敵な部屋ですね」
エステル様はゆっくりと部屋を見回した。
大きな窓からは、手入れの行き届いた庭園が一望できる。
「取り急ぎ、こちらでご用意しましたが……気に入らなければ、模様替えも可能です。エステル様の好きなように整えてください」
「……私の好きなように?」
「はい。ここは、これからエステル様が過ごす場所ですから」
エステル様は驚いたように目を瞬かせ、そしてふっと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「長旅でお疲れでしょう。しばらくお休みください」
「はい……お気遣い、感謝いたします」
⸻
エステル様が少し休息を取られた後、私は彼女を宮殿の一室へと案内した。
柔らかなカーテン越しに陽光が差し込み、香り高い紅茶と焼き菓子が並ぶ。
「どうぞ、お座りください」
エステル様は椅子に腰を下ろし、そっとカップを手に取った。
「……いい香りですね」
「アストラ王国特産の茶葉です。お口に合えばいいのですが」
彼女はゆっくりと一口含み、目を細めた。
「とても美味しいです。まろやかで、優しい味……」
彼女の指が、カップを優雅に包み込む。
私はカップを置き、彼女をまっすぐ見つめた。
「エステル様……改めて、お迎えできて嬉しく思います」
彼女は少し驚いたように私を見返した。
「……私もです」
その言葉に、私は胸が高鳴るのを抑えられなかった。
「これからは、もっとお話ししたい。エステル様のことを知りたいですし……私のことも、知っていただけたらと」
彼女は静かに頷いた。
もう遠くから見つめるだけではない。
これからは、隣にいる。
──そう思うだけで、心が満たされていくのを感じた。




