潮干ミドリ
このエピソードが、第一部の完結です。
書いておかなければならないと思って書きました。
1
今から三年から四年前。
場所は東京都。
時刻は夜の九時ごろ。
潮干ミドリはタクシーを降りて帰宅中だった。
本日のタレント業務を終えて『ホタテプロダクション』を定時で上がった彼女は、ロッカーで着替えたあとに事務所を出て、『マタタビプロダクション』の黒部菫社長とその所属の女性タレントたちと打ち上げの飲み会をしたあとの帰り道であった。長身で細身のミドリは、上着は薄い抹茶色のブラウスとオリーブグリーンの膝丈スカートで、このスカートには、前に二つ後ろにひとつの大きなギャザーが脚の付け根辺りまで切れ込むように入っていた。襟元には黄橙色のシルクスカーフと、黄金色の髪の頭にはダークグリーンのヘアバンド、そして唇には朱色のリップを引いていたという、お洒落着姿であった。しかも、このヘアバンドは、ミドリが高等部に上がったときに、母親の潮干リエからプレゼントされたという母と彼女の思いが詰まった物。
潮干ミドリ。
このとき二一歳。
長崎市陰洲鱒町出身。
百七〇センチ以上の長身で、線の細い色白で、突出した美しさを持っている女性であった。七三分けの黄金色の艶やかな髪の毛は、腰の辺りまでと長く、日中は太陽の光りを、夜は街灯や商店街の照明を反射して、歩く度にキラキラと揺れて輝いていた。そして、その名前の通りの緑色の瞳は宝石のように、まるで中に砂金が入っているかのように光りを受けて美しく偏光していた。その潮干ミドリであるが、地元の陰洲鱒町立陰洲鱒学校という小中高校の一貫の学校を卒業していて、その高等部に入った十六歳のときから地元長崎市の芸能事務所に入って、学業を中心に平行して芸能活動もしていた。やがて、十八歳の終わりに上京してからの、その当時ミドリが見た東京都の印象というのは、一般職業の男性が少ないと感じたことだった。そして逆に、ヤクザや半グレや反体制に含まれる活動家などや不良外国人などのいわゆるアウトローと言われる「堅気ではない男性」たちが割合的に多かったこと。これとともに、日本一に治安の悪さを察知もした。よって、ミドリは、自身が事件に遭遇というか被害当事者にならないように用心していた。
そんな芸能界では、院里学会というキリスト教ベースの宗教が勢力を振るっていて、とくに大きい事務所が、片倉暁彦現社長の『カタクラメディア』というマスコミとタレントを平行しており、日本芸能界をほぼ支配下に置いていると言っても過言ではなかった。しかも、この片倉暁彦は、先祖代々がキリスト教の家系な上に、片倉家の本丸が世界基督教会で、院里学会はあくまで所属タレントや役者などに仕事を得させるための手段に過ぎなかった。その暁彦の父親と祖父も世界基督教会の教会員である上に、さらに彼らともども新世界十字軍の隊員でもあった。そして、暁彦の妹の片倉菊代も同じくこの宗派にどっぷりと浸かった女であり、新世界十字軍最強の第九団体の団長を勤めていたのだ。
以上。
このように危険な深淵の世界に飛び込んだ潮干ミドリ。
彼女の目的はなんなのか?
真意はミドリ自身が籠めているために、未だに不明。
しかし、地元から飛び立つ前に語ったことがあった。
それは、海原摩魚と二人きりのとき。
二人が十八歳を迎えたばかりのころ。
九月一日。
生贄として捧げられた黄肌有子を見送った翌日。
夕方、陰洲鱒町の海岸線の防波堤に腰をかけていた二人。
摩魚もミドリも泣き明かしていた。
制服姿の美しい少女二人が、潮風に髪の毛を靡かせて。
「摩魚さん」
「なあに?」
「私、東京に行く」
「なんで? 地元でも仕事が入っているでしょう?」
「陰洲鱒町をあの教団ができる以前にするためには、本丸を崩壊させなきゃ駄目だと思うんだ」
「本丸って? 院里学会?」
「いいえ。それよりも巨大な、世界基督教会。学会はあくまでも日本支部にしかすぎないわ」
「相手が大き過ぎない? 大丈夫?」
「無限の光を持っている“あなた”が傍にいるから、大丈夫だよ」
「私が? それなら、半分神様のミドリさんの方が光が凄いんじゃないの?」
「いいえ。私は生れつき“そこまでない”し、限りがあるし。でも、あなたといれば真っ暗闇の世界を変えることができるの」
「私はただ武道が好きな女なんだよ? 買い被りすぎよ」
「謙遜しないで。あなたは私にとっての永遠の光。そして、亜沙里やホタルちゃん、真海に玲子、有子さん、タヱちゃん。みんなにも必要な光」
「でももう、有子さんはいなくなっちゃったんだよ……。私が持っている物なんて、なんの足しにもならなかった」
「そんなことないわ」
「そんなことないって?」
「彼女も私たちもただでは消させないし、終わらせない」
「…………。なにか考えがありそう」
「あるわ。ーーー鱗の女の子を行方不明から救おうと私たち八人、あの三人に抵抗してみたけれど、勢いと無計画で行動してしまったから結果は敗けてあの子は“出荷”されてしまった。だから、今度は計画を立てて積み重ねて相手の計画をへし折って変えてやる。ーーー計画には計画をぶつけるのよ」
「なんか、大きくなった?」
「え? 私の“おっぱい”が?」
「違う違う。雰囲気が、空気が、なんと言うか、ミドリさん“あなた”そのものが」
「……? よく分かんない」
「私も、よく分かんない」
エヘヘ。と、お互い小さく笑い合った。
「ねえ、摩魚さん」
「なに?」
「私、東京から帰ってきて、全てを終わらせたらね」
「うん」
「あなたと一緒になりたい」
「私も、ミドリさんと一緒になりたい」
防波堤の縁で二人は手を重ね合わせ。
お互いの“おでこ”をくっ付け合った。
2
話しを戻して。
潮干ミドリがタクシーを降りて、賃貸マンションを目指して帰路を歩いていたときだった。
公園に差し掛かったとき、ミドリは後ろから突然口を手で塞がれて、腰に腕を巻かれ、脚を抱え上げられて、複数の男たちからそのまま夜の公園の中へと拉致されてしまった。声を上げることもできずに、生い茂る植込みに連れてこられて、乱暴に土の地面に置かれた。複数の男たちによって押さえ込まれているせいで、ミドリは身体の自由が利かず、たちまち恐怖を増していった。正直、ミドリは処女であり、男性との性経験などは一度もなかった。それが今から、力ずくで一方的に奪われようとしていたのだ。恐怖することなく冷静になれ、というのは無理である。身体中の血の気が引いていき、全身の皮膚の穴という穴から冷たく小さな汗が粒となって吹き出てくるのが分かった。両側の二人の男から腕と脇を押さえられて、背中の男からは首と胸に腕を巻かれて、両脚を膝から抱えている二人の男、それからさらに、奥からもうひとりの男が現れてきた。これで計六人。大の成人男性が六人がかりで、たったひとりの成人女性を襲おうというのだ。背中の男からブラウスのボタンを左右に引き裂かれて、緑色のレース柄のブラジャーが露になった。ミドリの小さな膨らみの胸を、骨太な男の両手で鷲掴みにされて、乱暴に揉みしだかれていく。両脚の男たちはローヒールの靴を剥ぎ取り投げ捨て、脚の間に立つ男がジーパンの後ろポケットからバタフライナイフを取り出すと、上体を滑り込ませて至近距離に顔と刃物を近づけてきた。
「顔を切り裂かれたくなかったら、おとなしくしてろ。この金髪淫売女」
こう罵った男の両目は血走り、瞳孔は開いていた。
本気かどうかは不明でも、なにをしでかすか?
その予測不能なことだけは確かだった。
このとき、バタフライナイフの男の首に、銀色の十字架が。
『INRI』と確認。
まさか、コイツは学会員か?
するとじゃあ、あとの五人も院里学会の者か。
そしてミドリは、身体から力を抜いていく。
これを諦めたと取ったのか、ナイフの男が口の端を上げた。
「そーだ。おとなしくしてりゃいいんだ。痛いのも一瞬で済むからな」
こう吐き捨てたのちに、ミドリから顔を引いていき、スカートを腰から上まで捲りあげて緑色のレース柄の腰骨ラインのパンツを見たあと、腰の両側の布を刃先で切り、下着を捲って地面に落とした。見知らぬ六人の男性たちの前に、ミドリの股間が晒されて、黄金色のアンダーヘアーを露にした。バタフライナイフを片手に突き出したまま、男はジッパーを下げてトランクスのボタンを外して、己の性器を取り出した。男のソレはすでに脈を打って反り返っており、十代後半から二十代の雄の若さを誇示していた。
「お前ら、しっかり押さえてろ」
両脚の男たちに指示を出したあと、ミドリに顔を向けた。
「お前、淫売の割には初物なんだってな? 感謝しろ。俺が一番にいただいてやる」
そう言って前に移動した瞬間。
バチッ!と音を立てて左脚の男が顎を突き上げられた。
直後、ナイフ男の胸元にミドリの踵がめり込んだ。
次は爪先で手首を折られてナイフを弾き飛ばされて。
右脚の男も、ミドリの膝で下顎を破壊された。
ミドリの振りかぶった蹴りは、重量級の斧の威力と等しく。
ナイフ男の頸椎をへし折ってしまった。
瞬く間に三人が瞬殺されて、残った三人は唖然としていた。
その隙を突かれて、両側の男たちの髪は鷲掴みにされて。
強引に左右に引かれて、メキッと首の骨を折られた。
力尽きた男二人を投げ捨て、背中の男の顔に両手を回した。
そして、ミドリは親指に力を入れていき、男の眼球を押し込んだ。これにたまらず悲鳴を上げようとしたとき、両側から振り上げられてきた掌打で両耳の鼓膜が破壊された。痛みのあまりに身体をふらつかせながら、男は後ろ歩きでミドリから離れていく。身を起こして体勢を整えたミドリは、数歩進んで間合いに入ると、半身の構えから拳を一直線に突き出した。陰洲鱒の町民の筋力は、一般人の数倍が“普通”。この潮干ミドリも含めて、町民たちは日頃はその筋力を制御して生活をしているが、危機的状況に遭遇または置かれたときに、“普通”以上の力を振るう。そしてこれは、今のミドリの状況にも言えた。複数の成人男性が、拉致して強姦してきた。これに対するミドリの行動はもはや当然だったわけで、手加減無しで己の力を使うことを決断させた。そうして、ミドリの正拳突きは、六人目の男の胸骨を破壊して突飛ばし、樹木の幹にぶち当てた。
残心を取って周りに目配せして、ミドリは力を抜いて歩き出した。生い茂る植込みから出てきて、石畳の歩道と樹木の立ち並ぶ広場にきたところで、新たに現れた複数の男たちから再び包囲された。その数、総勢二五名ほどか。しかし、今度はすぐに襲ってくる気配はしなかった。用心しているのか?
どれもこれも男たちの着こなしは、大小はあれども、だらしない感じがあった。皆、目付きがそろいもそろって体制側に反抗的で、鋭かったり隈を付くって据わっていたり。俗に言う、半グレか。さらに、首に下げている銀色の十字架を誇らしげにしていた。それも、普通の十字架ではなく、INRIと彫刻されて、コイツらも先ほどの六人と同じ院里学会の学会員だ。それに、この男たち全員から、なんだか不快な臭いをミドリは感じ取った。半グレメンバーの中に、二メートルに達する身の丈の、筋骨逞しい全身が浅黒い肌で、ドレッドヘアにしているアフリカ系の男性を見た。そのような中で、半グレリーダーの峰原仁が、ミドリへと言葉を投げつけてきた。
「よう、金髪淫売女。弱小事務所のクセしてやるじゃねえか」
整えた顎髭の口もとを歪めて、侮蔑していく。
「あの六人、弱いってわけじゃねえんだわ」
「あらそう? ずいぶんなフニャチンだったけど?」
「おいおい……。こいつぁ、活きが良すぎじゃないのか?」
ミドリの返しに、仁を含めた全員が警戒した。
「ひとつ言っておくけどよ。俺、お前の“友達”の彼氏なんだぜ」
「知ってる。彼氏というか監視役なんじゃないの?」
「それもあるが、ヤってもいるから彼氏さ」
「…………。幹江さんは、あんたの処理係じゃないんだけど」
「おー、おー、怖いねえー。そう威嚇するなよ。ーーーもうひとつ言っておくとよ、俺は片倉昇子とも“関係している”。これは、昇子の親父さんである暁彦さんの紹介だ」
「なんだって?」
「驚いてんな」
「昇子さんは、じぶんの娘なのよ。なんのつもりで……」
「そりゃ、お前の“友達”だからだよ」
「私の友達だからって、なにがいけないんだ。彼女たちはなにも悪くない」
「なに言ってんだ。芸能活動しながら、お前なにコソコソと動き回ってんだよ? バレてないとでも思っていたのか? 暁彦さんは全てお見通しなんだよ」
「監視されていることくらい、私だって知っている」
「なら、話しは早いな。ーーー臼田幹江と片倉昇子とお前を潰せとな、暁彦さんから指示が出たんでな、そうさせてもらうぜ」
「日並さんの名前が出てこないのね?」
「あのオバサンは、堅気だ。薬にすら手を出さねえ」
「なるほど。どおりで……」
「なに納得して余裕ぶっこいてんだ? お前は今から俺たちから輪姦されて潰されて、東京湾に沈むんだよ。幹江と昇子と三人仲良くな」
「…………え?」
最後の言葉に、ミドリの顔は怒りを交えて強張った。
これを怯えと取ったのか、仁は嘲笑した。
「イイ顔だなあ。お前の友達が今どうなってんのか、知りてえか? 頼まれなくたって見せてやるよ」
こう言って、上着の内ポケットからスマホを取り出した。
画面をクリックしたあと、ミドリへと見せてきた。
「俺たち院里学会と世界基督教会に逆らうとどうなるか、お前も知るんだな」
この画像を目にしたとたんに、ミドリは見開いていく。
そこに写し出されていたのは。
自宅と思われる、賃貸マンションの床に裸で横たわる、女優の臼田幹江の姿であった。白く細い身体のところどころ痣を作って、フローリングの床に艶やかな長い黒髪をバラけて広がらせて倒れていた。その女性の美しい顔を白濁の粘性の高い体液が汚しており、それらは彼女の胸元や肩や腰から太腿、そして脚の間からもその汚れた体液が零れ落ちていた。幹江の表情は、放心状態になっていて、三角白眼の中の黒色の瞳から光が消えて濁っていた。ミドリと知り合いになった当時から、幹江はすでに人気女優であったのにもかかわらず、芸歴や事務所の格差など関係無く友達になってくれた存在であった。そして、幹江はミドリの尊敬の対象でもある。そのような友達が、この男たちの身勝手極まりない理由で、大きな事務所から潰されようとしていた。
ミドリの声が怒りに奮えていく。
「あんた、なんてことしてくれたんだ…………」
「おっとぉ! 待った待った。あとひとりいるっつったろ。見せてやるよ」
次に出した画面は、全裸で仰向けに倒れていた片倉昇子。
モデルとタレントをしている昇子が、無惨な姿になっていた。
昇子も先の幹江と同じように、乱暴に裸に剥かれて身体の各所に痣を作り、顔をはじめにしてほぼ全身に白濁の体液で汚されて、脚の間からも男たちの体液を漏らしていた。彼女も芸歴や事務所の格差などを抜きにして、ミドリと友達関係を結んでくれたひとりだった。しかも、片倉暁彦の長女でもあり、片倉日並の娘でもあるその昇子が、成人男性の集団から襲われて、美しさと輝きを汚されていた。だが、峰原仁の証言からして、暁彦は男を複数けしかけて、我が娘に“分からせた”とでも言うのだろうか?
「お前と関わったから、この二人が“こうなっちまった”んだよ! どうしてくれんだ? これは間違いなく、お前のせいだよな? しかも、一番最初にお前を“こうしなかった”のは、暁彦さんの慈悲だ。だから今から証拠の映像と写真を撮ってやるから、今すぐ裸になって地面に額を擦り付けて土下座して詫びろ。そして、俺にお前の“初物”を捧げるんだ。そこまでしてくれたら、暁彦さんは許してくれると言っていたんだ。嘘じゃねえぞ」
一連の言葉を聞いていたミドリは、拳に力を入れていった。
その間にも、仁から声が吐きつけられていく。
「おい! なんか言えよ! 黙ってちゃ分かんねえだろ? この金髪淫売女! お前が詫びなきゃ、長崎の友達も同じ目に遭わすぞ! あ? いいのかよ! 金髪淫売女!」
そして、ミドリにへと急速に静寂が訪れた。
“無”に包まれて、“無”を発していくミドリ。
それはやがて、緑色の瞳が金緑色に光りを発した。
次に、朱色のリップを引いた唇が動いていく。
「断わる」
「は?」浮かぶ青筋。
「断わる」
「なんだとぉ?」
「断わるっつってんのよ。あんた聴力いくつだよ?」
「うるせ! 聞こえてんよ! お前馬鹿か? 断わってんじゃねえよ! 意地張ってっと、本当に長崎の友達も同じ目に遭わすって言ってんだろ! 俺たちと暁彦さんは本気だぞ! さっさと詫びろったら詫びねえか! 長崎の友達の次は、お前の御袋を輪姦してやるぞ!ーーーどうだ! びびったか? 今すぐ裸で詫びて、俺たちにヤられろよ!」
峰原仁は、これまでになく逆上した。
だが、潮干ミドリにはこれが逆効果であった。
「断わるっつってんだよ。坊や」
「てめえ……。俺たちを舐めるのもいい加減にしろよな。ーーーおい! ホセ! この馬鹿女に分からせてやれ!」
こう呼ばれて前に出てきたのは、待機していた身の丈二メートルに達する、アフリカ系の男。ホセ・マングースであった。筋骨逞しい身体は、太く鍛え上げて、濃いメラニンの肌は黒く、肩までの黒髪をドレッドヘアにしていた。ミドリの前に立ち、黒く大きな影が半グレリーダーに確認を取っていく。
「仁さん。いいんですか? 場合によっちゃ、俺がコイツの“初物”をいただいちまうかもしんないっすよ?」
「その場合は仕方ねえ。ありがたくいただちまいな」
「へへ。あざーす」リーダーへ会釈した。
再び、ミドリを見る。
潮干ミドリ、身長百七〇センチ。
ホセ・マングース、身長二メートル。
その差、約三〇センチ。体重差はミドリの二倍ほど。
どう見てもホセが有利になる。
しかし、当のミドリは大男を前にしても動じていない。
裂かれたブラウスのまま、緑色のブラを晒していた。
ホセはミドリを見下しているが、ミドリはホセを見ていない。
ミドリの間合いに詰めよってきたとき。
「やっちまえ!」
仁の号令とともに、ホセが両腕を伸ばしてきた。
ブラウスの両襟を捕まれ、肘のあたりまで下ろされた。
一気に剥いただけでなく、捲るように下ろしたのだ。
これによって、ミドリは両腕を捕られてしまったも同然。
「ジャケット術だ。そのままやっちまえ!」
仁の歓喜を受けて、ホセが次の動作に移ろうとしたとき。
ミドリの両肘から下腕が内側に回転して、ホセの肘を押して下げていく。このとき、すでに一般人女性の筋力とは思えないほどに、ミドリの異常さをホセは感じてきた。肘を下へと押さえられたホセは、膝も曲げてしまい、身体がグンと下がった。思わず襟から両手を離した、そのあと、いつの間にかさらに間合いを詰めていたミドリから両手首を脇に挟まれた瞬間、下から力強く腕を突き上げられてしまい、結果両肘は逆方向に曲がって折れた。そして、ミドリの技はこれで終わらず。ミドリは両脇に挟んだままホセの体幹バランスを崩して、反対方向に大きく振り上げた。二メートル百キロ以上の大男が、線の細い女から軽々しく持ち上げられた上に、宙に高く振り上げられたのだ。このとき、ホセの中に走ったものは、悪寒と恐怖。このあり得ない一連の動きに、半グレメンバーは仁も含めて呆気にとられていた。そうして、大男を振り上げたその最終地点は、この公園で二番目に太い樹木の幹。ミドリが包囲されたときにいた場所に生えていた樹木である。
バチッ!
バキッ!
同時に二つの乾いた音を大きく鳴らしたとき。
ホセの背骨は幹に叩きつけられて、脊椎が破壊された。
飛び散る樹皮、落ちる木葉、揺れる樹木。
アフリカ系の大男は即死だった。
海老反ったまま、地面にポイッと落とされた。
白目を剥いて、腹を突き上げて夜空を仰いでいたホセ。
それは、まるで黒く大きな椅子のようであった。
榊家格闘術。羽織奪還。
一般で言われる、ジャケット術。それの返し技。
梃子の原理を利用して、襟元から敵の手を外して。
その両肘を破壊して両手を捕り、ぶん投げてぶつける技。
上着も取り返せて敵も始末できて、一石二鳥。
しかも、ミドリはこの技を腕力と筋力のみで使った。
たちどころに静寂が流れていく。
そんなものは気にしないミドリ。
ブラウスを脱いで、端を両手で持ってその間をクルクルと回していくと、あら不思議なことに、衣服から縄にへと変えた。そして即席の縄を、ミドリは一歩踏み入れていく度に身体を捻って回転していき、これをロデオの縄のように振り回していった。するとどうか。その先端は鞭のごとく勢いと力を増して、周囲にいた半グレの男たちの顔を次々と叩いていき、ある男は首を折り、ある男は頬から鼻ごと肉を抉られ、ある男は両目を抉られ、ある男は喉を抉られ、というふうにこれを二回繰り返していって、地面を抉って鞭打の音を鳴らして止まったときには、十名ほどの半グレメンバーが再起不能やら絶命やらして一気に減っていた。これを終えたミドリが、即席の縄からブラウスを元に戻して、樹皮の剥がれた樹木の枝に丁寧に掛けたあと、残った十五名ほどの半グレたちに振り向いて口の端を上げて白い歯を見せた。
人差し指を立てて。
「来な、坊やたち。私とヤりたかったんだろ? お姉さんが相手してやるよ」
そして再び、瞳を金緑色に光らせた。
次は、金緑色の鱗が首筋から両腕と身体の両側から太腿へとかけて生えてきて、ミドリの手加減無しは完了した。
これを見た半グレ集団は怯えるかと思いきや。
「この化物が! 叩きにして殺っちまえ!」
仁の叫びで、一気に四人が飛びかかってきた。
ミドリは首から外したスカーフを手に取ると、一歩踏み出して腕を伸ばした。突き出された速度とともに、スカーフの先端部は重量を持って弾丸のように飛んでいった。手前の三方にスカーフを振って、男三人の目を潰した。身を捻って回れ右と同時に、後ろの男の袈裟へと思い切りスカーフを叩きつけた。背後から殴りかかってきたニット帽の男の恥骨を、踵を後ろに振り上げて破壊して吹っ飛ばした。横からナイフを振ってきた口髭の男に、振り返りざまに拳を振り下ろして顔面を陥没させて投げ捨てるように地面に叩きつけた。スカーフで叩かれた顔を押さえて身体を折って悶えている男三人のうち、ミドリはひとり目の腰を踵で思い切り蹴り上げた、そのとき、ベキッ!と太い木が幹から折れるような乾いた音を立てて男が吹き飛び、尻に後ろ頭が付いた、反対方向に身体を折り畳まれて地面に落下した。悶えている二人目の首に腕を巻いてメチッとへし折り、同じく悶えていた三人目にその二人目を背負い投げをして叩きつけて、石畳歩道に男二人を押し潰した。その隙を突かれたミドリは、面長ロン毛の男から背後から首に腕を巻かれたときにヘアバンドを剥ぎ取られて投げ捨てられた。首に腕を巻かれたまま、ミドリは背負い投げをして、殴りかかってきた半ズボンの男に面長ロン毛の男をぶつけた。細いとは言えども、成人男性の体重は当たり前に“それなりに”重く、それが常人以上の力で投げつけられてきたら、その速度と一緒に重量も増してしまうわけであるから、その上に、同じ体格の成人男性が走ってきたとなるとこれに伴う衝突の打撃と破壊は計り知れない。よって、衝突した面長ロン毛男と半ズボン男は、哀れお互いの骨と肉を自らの体重で破壊して砕き、眼球から神経系や血管などの糸を引いて倒れこんだ。そして母親からプレゼントされた肝心なヘアバンドは、「こんなもん、こうしてやらあ!」と黒いスカジャン男から踏まれて半分に折られた。愚かなことに、この行為がミドリに“さらに”火に油を注ぐ事態となって、彼女の金緑色の瞳の光は虹色に変化して、大きく踏み込みざまにその拳を黒いスカジャン男の顔に叩きつけた。殴り飛ばされた男の顔は、首を折って回転して、これに少し遅れるかのように身体も回転して地面に土煙を上げてめり込んで倒れた。割られたエアバンドを両手に取ったミドリが、二枚目男の横からきた拳を振り払いざま拳で顔を強引に押さえつけて、ヘアバンドの先端部を男の耳に突き刺し、鼓膜を破り脳味噌まで到達して絶命させた。二枚目男の死骸を投げ捨てたミドリは踵を返して、反対方向から向かってきた顎髭口髭男の顔を手のひらで押さえつけて動きを止めて、男の片目にもう片方のヘアバンドを突き立てた。貫通したヘアバンドの先端部は鋭利な切先と化して、顎髭口髭男の眼底と脳味噌を破壊して命を奪った。先にスカーフで袈裟から叩かれて地面で身悶えしていた男の存在をミドリは忘れることなく、その男のもとに歩いてきて、足で喉を踏み潰した。さらにキュッと捻って念を入れていきながら、周囲に目配せをしていく。これで残り、リーダーの峰原仁を入れてだいたい五名ほど。半グレながらも果敢に陰洲鱒の鱗の女に立ち向かっていたのにもかかわらず、十分するかしないかの内に十名のメンバーが全滅させられてしまった。その強姦して闇に消そうとした対象の潮干ミドリはというと、セットしていた黄金色の頭髪は乱れてボサボサ、垂れ落ちた前髪が彼女の美しい顔のやや半分を隠していた感じであったくらいで、それ以前に顔はおろか身体に痣のひとつすら作っておらず、たいして息も切らしていなかったのだ。ただ、ほどよく汗ばんでいて、彼女の全身は“しっとり”と濡れて光を反射していた。それから、その白く細い身体には、金緑色の鱗が生えたままであった。
「サービス期間は終わったわ。今から有料」
「ざけた真似しやがって! 糞女!」
青筋を立てて叫んだ峰原仁と一緒に、残り四人の半グレメンバーがミドリを狙ってかかっていく。一番手に浅黒男は蹴りを出したが、食らわせたのは残像で、背後に回られていた。顔面狙いの蹴りを、避けたミドリは残像ができるほどの速さで浅黒男の背後を取って、その脊椎を蹴り上げた。ベキッと若い樹木を折ったかのような乾いた音を大きく立てて、浅黒男は身体を反対側に折り畳まれて、植込みの樹木にぶち当たった。ハゲ頭男が振り下ろした拳を横に退避したミドリは、天高く踵を垂直に振り上げて、男の脊椎を目掛けてそのまま落としていった。垂直に振り落とされたミドリの踵は、高い所から落下してきた太い鉄筋に等しい重量を生み、その威力と速度は、いとも容易くハゲ頭男の脊椎を破壊して文字通り背中合わせに折り畳んだ。奇怪な人体芸術と変わり果てたハゲ頭男は、腹を地面に突き刺して埋まった。そこからミドリは、流れるような動きを見せて、アッシュグリーン頭男の間合いと背後に滑り込み、踵を後ろに振り上げて男の背中を蹴り飛ばして、脊椎を粉砕してその身体を反対側に折った。背中合わせになったアッシュグリーン頭男の亡骸は、先に生えていた樹木の幹にぶち当たって落下した。それからさらに、ミドリは大きく踏み出して、ツーブロック頭男の間合いの入り、左踵を蹴り落として大腿骨を破壊、からの、利き足のハイキックを食らわせて頸椎を折った。蹴りの勢いそのままに、ミドリはツーブロック頭男をその顔面ごと地面に叩きつけた。
あっという間に四人のメンバーを失った峰原仁。
不届き者の亡骸から足を外して、最後の標的を睨んでいくミドリ。すると、身体中に生えていた金緑色の鱗が消えたと思った次は、虹色に輝いていた瞳の光も消して元の緑色に戻した。鱗の娘の力を使うことをやめたのであろうか?否、陰洲鱒町の町民の力を全力で使うことにしたのである。
「代償は払ってもらうよ」
「ええ偉そうな口ききやがって」
峰原仁は、もうほとんど戦闘意欲は残っていなかった。
握り拳も恐怖から震えて、足が動かせなかった。
ミドリはそんな男の状況など知っていても同情の余地無し。
峰原仁へと、地を蹴って一気に間合いを詰めた。
殴られてきた仁の拳から頭を避けて、腕を捕った。
身体を丸めて一本背負い投げ。
仁の背中を地面に叩きつけてからが本番であった。
腕を掴んだまま、足で仁をうつ伏せにひっくり返して。
膝で脊椎を押さえつけて、立てた足で頭を固定した。
仁の腕を捻り上げて片膝を突いている姿勢のミドリ。
動かせない頭の目線の上には、見下ろしているミドリの顔。
そしてミドリは、躊躇うことなく拳を真下に振り下ろした。
直後、仁の横顔は頭蓋骨を砕かれて陥没して、眼球が抜け落ちた。
三度訪れた静寂の中、乗っていた峰原仁の亡骸からミドリが身を離して立ち上がり、ゆっくりと歩いていって、二人の男の耳と目に突き刺していたヘアバンドを引っこ抜いて回収し、樹木の枝に掛けていたブラウスを肩に羽織って、ホセ・マングースの遺体に腰を下ろした。次にミドリは、スカートの横ポケットからラークの箱とライターを取り出し、弾き出した一本を咥えて、先に箱をポケットに入れたあと煙草に火を点けてからライターを同じポケットに入れたあと、その味を堪能していった。背中を曲げて開いた両足の膝に両肘を乗せて“くつろぐ”姿勢になり、長く美しい人差し指と中指で煙草を挟んで口から離して煙をフーーッと勢いよく吹かしていった。三回ほど煙草の煙を吹かしたのちに、スカートの後ろポケットから緑色のスマホを取り出したミドリは、煙草を片手に電話をかけていく。
「もしもし、警察ですか? 私は芸能事務所ホタテプロダクション職員の潮干ミドリです。時間は、ええと、二十一時三五分。場所は、東京都練馬区の城北中央公園です。今先ほど、計三十人以上の暴漢に襲われて、レイプされそうになったところを抵抗しました」
このあと、煙草を吹かしながら、ミドリは警察機関に事の顛末と要約を簡潔に伝えたこのあと、さらに煙草を二本吹かしてパトカーの到着まで現場待機した。
3
それから。
警視庁の取調室で事情聴取を終えた潮干ミドリは、翌日に所属事務所ホタテプロダクションの日虎帆立社長とマタタビプロダクションの黒部菫社長にそれぞれ長期休暇願を提出して要望を受け入れてもらい、その一週間後に長崎市陰洲鱒町へと帰還した。
第二部:暗緑。
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