七月 陰洲鱒町と人権活動家 後編
何度も書いていますが、摩周ヒメは沢城みゆきさんの声で想像して読んでもらえると楽しめます。よろしくお願いします。
1
以下、現場の女四人たちの証言。
時間は今から一時間くらい遡る。
太刀金に話したあと、日並は温泉を目指していた。
行き先はもちろん、螺鈿温泉だった。
目的地まで、市街地を走らせていたとき。
見覚えのある家が一軒見えたと思ったら。
確認のためにランボルギーニを減速していく。
敷地玄関で白いロングワンピース姿の美女が。
「ひ、な、み、ちゅわあーーん」
点棒を片手に日並に見えるかたちで、笑顔で手招きだった。
愛車は徐行速度となり、ハザードランプを焚いて。
「こっちこっち」愛らしい笑顔であった。
そして遂に、日並は路肩に一時停止した。
摩周ヒメの自宅内。八畳間。
「別に、なんもすることがなくて超絶暇だったからってわけじゃなかったんだからね! 私を敵視している“あんた”らが糞暇そうにしていたから慈悲をかけてやっただけだからね!」
片倉日並、麻雀打ちに参加。
大の女が四人して、雀卓を囲った。
ニッコニコな摩周ヒメは、卓上の角にピースを置いていた。
窓側席の太刀鋼の角にはラッキーストライク。
障子戸側席の鰐恵の角にセブンスター。
そして、ヒメと向き合う漆喰塗り壁側席の日並は。
上着の内ポケットから取り出したゴールデンバット。
八畳間の和室の中央に、最新型の雀卓が設置されていた。
世帯主のヒメ曰く。
「いやーー。四人“そろう”の待っていたのよ。ーーー昨日から私たち徹マンしててさ。つっても三人じゃん? 張り合いがなくってね。あとひとり(煙草)呑める人(麻雀)打てる人が欲しかったのよ。いやあー、助かったわ。良かった」
徹マン。
徹夜して麻雀を打つこと。
「それからこの雀卓ね、自動で牌と点棒を並べて出してくれる最新型なのよ。決意して買ったのは先々月。先月やっと届いて設置してもらったんだ。足もとは、見ての通り電気式の掘炬燵にしてね、冬はホカホカで打てるわ」
とにかく上機嫌なヒメだった。
これに先客の女二人は困っていたのかと言うと。
「私も蒲鉾屋のシフトが今日が休みだから、久々の徹マン」
「あたしも今日から二連休だから、久しぶりの徹マン」
煙草を吹かせながらの鰐恵と、咥え煙草の太刀鋼。
この太刀鋼という女。
摩周ヒメの同級生で、百二二歳。
太刀金の長女。
妹に太刀鉄がいる。
長崎市支社のファストフード店社員の広報部勤務。
家猫のような美しい女性で、艶やかな長い黒髪。
銀の娘の亜沙里が鋼とよく似ている。
そのため、しばらくはヤング鋼と亜沙里は呼ばれていた。
そして、彼女は太刀家の女性では一番の細身でもあった。
部屋中ヤニ臭いかと思えば。
「まあ見てよ。換気扇も完備! これで好きなだけ煙草吹かせながら牌を打つことができるのよ。臭いもダクトのフィルターが除去してくれるから、ご近所迷惑の心配もナッシング!」
キラキラと稲穂色の瞳を輝かせて、ヒメがアピールしてきた。
「えらいハシャギ様ね。嬉しいのは分かったから、その、四人揃った以上はなにか賭けるんでしょ?」
そんなヒメを微笑ましく感じながら、日並は聞いた。
すると。
「なに言ってんの?」
「ん?」
「違法賭博しちゃ駄目でしょ」
「そうだったわ。そうだったわね……」
ヒメの指摘に、日並は納得していく。
次に、新たな疑問が生まれてきた。
「でもさ、集まって打つからには、なんも無しなわけないよね?」
「ご心配なく。ちゃんと考えてますよー」
「なんなの?」
「脱衣麻雀」
「は?」
「脱衣麻雀」
「え? マジでソレやんの?」
「脱衣麻雀つったら脱衣麻雀すんのよ。家主と設備の持ち主は私よ。決定権は当然私にあるわ。なにしろ、負けたら脱ぐという約束事を同意で交わせば、なにも問題なしなのよ」
「お前ぇ、一方的な決定権振りかざしといて、こっちの同意求めるたあ、いい度胸してんな」
「なに? 私とこの二人の裸見たくないの? あんた、単純な好奇心すら無いの?」
「……え?」
そう言われた途端に、日並の視線は目の前に座るヒメの胸元から腰と腰回りへと注がれていった。骨太な骨格に、ほどよく鍛え上げられて締まった筋肉と適度な脂肪が纏わり付いて、細身かつグラマラスという色気もある身体つきをしていた。ぶっちゃけ、その足首まである丈の長い白いワンピースからでも、ヒメのそのベストな緩急がついたスタイルが丸分かりであったが。そうではあったが、これはあくまで衣服を纏っている印象であって、一子纏わぬ姿となればまた印象が変わるのであろうと思ってきた。それから、日並の目線は鰐恵の胸元から下へと移り、こちらはこちらで白いタンクトップにデニムのホットパンツという露出の高い姿。最後は太刀鋼の小さめな膨らみの胸元から下へと視線を這わせていき、日並の胸は高鳴っていった。
「見たい」曇り無き眼差しで断言。
「おし! 決まった!」
ヒメは、ピシャッと手を叩いたあと親指を立てた。
雀卓のスイッチをONに入れて、マットの下から牌を出す。
「ふふん。私、強いからね。そうそう簡単には脱がないわよ。最後まで服着たまま勝ち抜けするんだから。脱がせられるものなら脱がしてみろってね」
このように自信満々に語るヒメだった。
しかし。
麻雀開始から約十分以内経過。
「く……っ! こんなはずでは……!」
上下白色レース柄の下着姿になっていた摩周ヒメ。
鈍色の尖った歯を剥いて悔しそうだ。
「早かったなあ。フラグ立てすぎや」
「ヒメ、あんたシミーズ着てたんだ? 意外」
「お前ぇ、強いんじゃなかったのかよ? 弱すぎ」
鰐恵から鋼を経て最後は日並と、無情なまでに罵声を浴びせられていくヒメ。ピースの箱で逆さにした煙草を“トントントン”としたあとライターで火を点けて、口に運びその味をひと口堪能していったのちに人差し指と中指で挟んで放したとき、クリアーリップを引いた唇から“フーーーッ”と勢いよく煙を噴いて、ヒメは青筋を額に浮かばせたまま話し出した。
「そろいもそろって調子こきやがって。今のうち言いたいだけ言っとけよ。今からの私は徹っっーーーっ底的に粘り粘ってお前らを裸に剥いてやる」
「お? 宣戦布告か?」なんだか嬉しそうな鰐恵。
「またフラグかよ? 期待通りに、お前ぇのそのスケベな“おっぱい”見てやるよ」
嘲りが微かに入った笑みを見せた日並。
「あんた本当は下手の横好きなんじゃないの?」
雀卓の縁で肘を立てて、顔の横で煙草の煙を緩やかに上らせながら、級友の鋼が含み笑いで勝手な推測をしてきた。
「あとブラとパンティーだけじゃん。次は五分かからず素っ裸になるかもね」
「良かったやんか。自宅で。これが雀荘だったら私たちまで“お縄”になってたわよ」
「喜びなさい。この私が、『口だけ番長の広告会社の美人副社長、自宅で脱衣麻雀するも全敗全裸』って記事にして一面トップで誌面を飾ってやんよ」
ゴールデンバットの煙草を鼻から吹かせて、日並はヒメを露骨に挑発してきた。
麻雀開始から、さらに二十分経過。
「ほーーら、言わんこっちゃない。私は強いって言ってたよね?」
ヒメは、嘲笑気味で煙草を吹かせながら歓喜の声を上げた。
なぜなら、鰐恵はタンクトップとホットパンツを脱いでクールグレーのスポーティーなブラと腰骨ラインのパンツ姿になり、太刀鋼もセーラー襟のブラックグレーの膝丈ワンピースを脱いでダークグレーのレース柄のブラと腰骨ラインのパンツ姿となっていた。そしてそれは、片倉日並にも起こっていて。
ピースの煙草を鼻から吹かせて、ヒメが露骨に挑発してきた。
「喜びなさい。この私が社長に相談して、大手下着メーカーで“あなた”の下着姿を広告に使って一面を飾ってやるから。だから早く、そのスラックスさっさと脱いでちょうだい」
「く……っ! こんなはずでは……!」
日並は悔しさを洩らして、ベルトを外していき、スラックスに手をかけて下へ下へとずらしていった。足首に到達して、片倉日並は遂にとうとう下着姿になってしまった。日並のその身体は、とても五〇歳手前とは思えない素晴らしいものだった。百七七センチという長身と相まって、骨太ながらも肥満の印象はなかった。腰と太腿に少し“ムチッ”とした肉と脂肪があるものの、腰骨ラインのパンツからは腹の肉が乗っかってのはみ出しというのも無く、身体の曲線を美しく描いていた。最後は白い靴下を脱いで、日並はレッドブラックのレース柄のブラとパンツ姿を晒した。それは、三匹の竜を左右の胸と股間の三角部分に編み込みのレース模様とした、珍しい下着。しかし、当の日並はそれどころではなく、恥ずかしさに頬をほんのりと赤く染めていた。
「こんなオバサンの下着姿なんかで良いの…………」
「やっっば。エっロい」と、ヒメの第一声。
「あかん。あかんわ」赤面する恵。
「日並さんエッチ」キラキラしだした鋼。
そして日並の腹部に視線が集まっていく。
「ええー! わずかに浮き出たそのシックスパック綺麗!」
「本当。なんて綺麗な腹筋かしら」
「けっこうストイックなのね。本当に素敵」
ヒメ、鋼、恵と各々が感心を呟いていった。
こう褒められていって、人間悪い気が起きないというもの。
なので、日並の機嫌は快く上昇した。
脚を広げ膝を直角に折り腰を落として、上体を垂直にした。
「お前ぇら……! 嬉しいこと言ってくれるじゃねえか!ーーーおうよ。こちとら、中学生んとき相撲の全国大会優勝したんだからな! 日頃の鍛練は当りめえよ」
膝と爪先を前に向けたまま、脚を高く上げていき。
ドン!と鳴らして畳を叩くように振り下ろした。
これを左右繰り返して、四股を踏んだ。
パンッ!と伸ばした両腕を顔の前で手を打ち合わせ。
正面から横に振った左手の裏を上にして肩より少し上げ。
折った右肘を肩より少し上にして、右手を胸元に付けた。
「ガキん頃の四股名は日昇山。なにせ私は、当時無敗の横綱だった金華山も“まっつあお”て言われていた身よ」
「は? あなた相撲してたの?」
驚愕していく一同を代表して、ヒメが聞いてきた。
これに嫌な顔をすることなく、日並は答えていく。
「うん。そうだけど」
「中学生のときまではどうだった?」
「百七ニセンチの百キロ」
「化物じゃん」
「江戸の怪童て呼ばれてた」ニカッと白い歯を輝かせた。
「いつから減量したの?」
「十五のとき今の義理の姉と知り合ったのがきっかけで、十六から今まで通り相撲稽古を続けながら食事制限の組み合わせでね、二十歳を迎えるころには細くなってたよ」
「そりゃすげーわ。あなた真面目だね」
「それよく言われるけど、私は真面目じゃないよ」
「まあ、それは確かだわ……」
いろいろと思い浮かび、ヒメは顔を暗くした。
「でも今だけはヤニ仲間、麻雀仲間だから」
そう顔を明るく変えて、ヒメは日並に呼びかけた。
「…………。そうね、今だけはね…………」
受け入れられて嬉しいと思ったのか、日並は復唱して微笑んだ。
女四人がいまだに全員下着姿。
その姿のまま皆が打つことを止め、煙草休憩に入った。
ヒメは、吸いカスをガラス灰皿にコネ繰り回して消しながら話を切り出した。
「そういや日並さ」
「うん?」ポニーテールにして一服中。
「今日はなんで東京から長崎市まで来てんの?」
グラスに注いだ烏龍茶を口に運びながら日並へたずねた。
グロスクリアーの唇から煙を斜め上に真っ直ぐ噴かした。
「一軍の巨人広島戦が明日あるからよ」
「ああー。あなた、ジャイアンツだったね」
「そう。今日から近くのビジネスホテルに泊まり込んで、明日ビッグNスタジアムで観戦するんだ」
「あんたもよくやるわねー。東京から“ここ”までの交通費馬鹿にならないでしょ」
「あたぼうよ。それもこれもジャイアンツのためだから」
「そういや陰洲鱒でカープファンていたっけ?」
「いるじゃない。陰洲鱒町のデカパイ女」
「デカパイ女……?」
こう言われて、ヒメは笑いを堪えた表情を浮かべつつ、その視線を鋼と一緒に恵の豊かな胸へと刺していった。二人の露骨な目線に気づいた鰐恵が、胸元を両腕で隠して、頬を赤くした。
「わ……私は阪神やぞ」
「そういやそうでした」
鈍色の尖った歯をニッと見せて、ヒメは笑った。
そして、日並が答えを出してきた。
「デカパイ紅子。アイツ広島ファンだよ」
「え! うそ、マジ? あの子の赤い服ってそういう意味だったの!」
デカパイ紅子こと、龍宮紅子。
ヒメは、紅子のその上着をチームカラーだと思った。
「んなわけあるか」鰐恵の冷静な突っ込み。
「紅子ちゃん、赤はパーソナルカラーって言ってたよ」
太刀鋼が情報を提供していく。
ガラス灰皿に人差し指で叩いて煙草の灰を落としたあと、再び口に咥えて話を続けた。
「そういえば思い出したんだけどさ。紅子ちゃん、チェーンスモーカーだったよね? でも最近呑んでるとこ見たことないんだけど。ーーーどうしちゃったの?」
「愛しの彼氏ができたつってたよ。で、煙草はその彼氏のために止めたんだって」
座布団に胡座かいて、煙を口から吹かせながらヒメが答えた。
これに鋼と恵が目を丸くして、声をそろえて上げていく。
「え!? ええーーーっ!」
両手で頬を持って、上体を引いた。
「おやおや? あらあら?」
ニタニタした日並が、ガラス灰皿に人差し指で叩いて煙草の灰を落としていった。
友達の“お惚気”話しで、ヤニ臭いながらも花を咲かせて和やかな空気になっていたところであった。
「上級国民の摩周ヒメ! いい加減、我々庶民に分配しろ!」
「そーだ! そーだ! 分配しろ!」
「富の独占は、憲法違反で犯罪である!」
「陰洲鱒は女性差別を、やめろーー!」
「性的搾取も男尊女卑も、やめろーー!」
と、このように男女の声が入り乱れて屋外から聞こえてきた。
「あんた、上級国民だった?」日並の純粋な疑問。
「んなわけないでしょ」
と冷静に突っ込み。
「上級国民が、やっとの思いで一年以上貯金して全自動雀卓とヤニ対策換気扇買うと思う?」
「まあ、それはないわな」
「でしょう?」
煙を吹かせて日並の同意に微笑んだ、そのとき。
ボンッ!
ボンッ!
と、ニ連続の爆発音に、女四人の背筋が伸びた。
そして、たちまちその背中に冷たい汗が一筋落ちていく。
窓に黒い影の接近に気づいて、女四人は顔をそこに向けた。
危険を察知して、ヒメは日並へと叫んだ。
「日並! 鋼をお願い!」
そう頼んだときには、日並から肋を抱かれて掘炬燵から引きずり出されいた太刀鋼を目にしていた。と同時に、ヒメも鰐恵の肋に腕を回して雀卓から引きずり出して退避した、その瞬間であった。彫刻ガラスの窓と木枠と漆喰塗りの壁をぶち破って、大きな石が飛び込んできた。そして女四人が瞬時に退避したとき、その大きな石は、放物線を描いて真上から落下して全自動雀卓と掘炬燵を破壊した。恐怖に怯えていたヒメたち四人へと、追い討ちをかけるかたちでニ投目の石が飛んできて、漆喰塗りの壁にさらに大きな穴を空けて破壊して、雀卓ごと掘炬燵を潰してめり込んでいた一投目の石に当たって跳ねて、ガラス障子を突き破り、奥の台所のキッチンを醜く窪ませるほどにぶち当たってようやく止まった。外壁も内壁も理不尽に破壊されて、摩周ヒメの自宅は大きな風穴を空けられた。ひとつ言っておくと、この一軒家は、全てヒメの稼いだ金で土地から建築費から内装外装家具生活必需品に至るまで、なにからなにまで彼女の稼ぎで建てた生活拠点であった。そしてそれは、ここにいる鰐恵と太刀鋼と片倉日並、さらにはこの町で家を持っている家主や地主や当主などの町民たちの全てが自力で自立して建ててきた住処である。年齢的に体力的に年金を需給している町民たちもいるが、そのほとんど大半は自身の稼ぎで家を持ち生活していた。それらを踏まえた上で、この一方的で理不尽な破壊行為は赦しがたいものであった。よって、表で寄って集って叫び騒いでいる活動家たちのこの行為に対し、摩周ヒメは額に青筋を立てていった。これは当然といえば当然である。ヒメは、怯えて座り込んでいた漆喰塗りの壁から背を放して、拳で力強く畳を叩いた。
「ざけんな!」
鈍色の尖った歯を剥いて、叫んだ。
畳から腰を上げて、風穴から表を見た。
すると、白く小さな点を光らせシャッター音が鳴った。
これに、ハッとした鰐恵。
「あかん! 盗撮された」
そう。
この部屋にいる、女四人の露な下着姿が勝手に撮られた。
これはもちろん、間違いなく盗撮である。
彼女たち四人が部屋で下着姿だったのは、双方納得の同意のもとであり、人様に見せるためのものではなかった。しかし、その姿がなんの断りも承諾も得られずに身勝手極まりなく盗撮された。そして、ヒメたち四人は恥ずかしさに顔を赤くして、怒りが生まれていった。そのような四人にお構いなしに、無情にもスマホのシャッターは数回切られていった。この活動家たちの今のこの行いは、ヒメたち四人が自分たちに反撃してこないと高を括った上でされているもので、まあ、要するに彼女たち四人を陰洲鱒町の町民たちを“舐めている”のだ。
「服着て服!」
鋼のひと声で、ヒメと恵と日並が衣服を再び纏っていく。
その間にも。
投石が彫刻ガラスの玄関を破壊して、フローリングの廊下に傷をつけながらバウンドを繰り返していき、突き当たりの内壁にぶつかって“ひび”と凹みを作ってから止まった。
一分ちょっとで服を着た女四人は、大きく空けられた風穴の瓦礫を跨いでそれぞれ外に出てきた。そして、周りを見渡していく。
「なにこれ!」
2
ヒメの叫びの前にあったものは。
「私の、私のキャデラック!」
「私のランボルギーニ!」
日並も同じ気持ちで声をあげた。
それは、ボンネットが大きく醜く歪んで凹んで変形した、ヒメの黄緑色のキャデラックと日並の青紫色のランボルギーニミウラだった。歪んだ隙間からは、煙と火花を立ち上げており、エンジンは絶望的であろうと推測された。
ヒメと日並が、力なくふらふらと歩いて、各々の愛車に近寄っていく。
「車なんか持ちやがって! 生意気だ!」
「富の独占は憲法違反よ! 私たち市民に分けなさい!」
「富を独占しているから、こうなるんだ!」
「上級国民め! 思い知ったか!」
「この! 名誉男性が!」
「我々難民にも分配しろ!」
血走った眼に涙を浮かばせて、日並は活動家たちの顔ぶれを確認していった。不届き者の中に、金継善人と菱金幸世の姿を見た。金継善人については、先に紹介した。一団の後方でパネルを掲げて立っている、この菱金幸世という美しい女性、日並が取材した上で知る限りは、幸世は弱者女性たちを救済するといった表向きの人権活動組織の『cocola bonbon』の組織長、国営テレビの番組に出演している金藤夢子という美女の側近で、NPO法人を通して東京都庁から多額の援助金を夢子ともども受け取って、じぶんたちの活動資金に使っていた。そして、この幸世と夢子もまた、善人と同じく世界基督教会に属していており、新世界十字軍の小隊長でもあった。さらに、その中に、身長百七八センチくらいの中肉中背の眼鏡姿の中近東系男性を発見し、怒りが沸いた。この中近東系の眼鏡男、モハメド・カリスというインテリ系二枚目で、鯉川鮒がしている町の鱗の娘たちを使った“お勤め”の“客”でもあった。モハメドの率いる数名の背の高い筋骨逞しい中東系の男たちも、鯉川鮒と片倉日並と鯛原銭樺との“同じ客”であった。そして当然、このモハメドを含めたこの場の活動家一味の中東系男性たちも世界基督教会と新世界十字軍に属している隊員であった。これらの活動家一味は、義理の姉である片倉菊代の紹介であったが、日並は彼らの協力を拒否して今に至る。こうした過去に取材した引き出しが、日並の頭の中で記憶の箪笥から引き出されて確認されていくこと、実際コンマ数秒。すると、たちまち日並の頬をいくつもの涙が筋を描いて流れ落ちていき、握り拳に力が入っていった。
「よくも、よくも私のランちゃんを…………」
「あんたら……。よくも私のキャデちゃんを…………」
そして、同じように涙を流しているヒメも、拳を力強く握りしめていった。そして、女二人は同時に地を蹴って飛び出した。ヒメと日並の向かった先には。
「きききき貴様ら! 私が誰だか分かっているのか!? 世界最強の一神教部隊、新世界十字ぐ」
モハメド・カリス、皆まで言うことができずにヒメから振りかぶりのビンタを横顔に食らい、身体を斜めにスピンさせて地面に倒れた。中近東系の眼鏡男を通りすがりざまにビンタしたヒメは、そのままの勢いで後ろにいた筋骨逞しい中東系の男二人にへと、ひとりには正拳突きで胸骨を破壊して、あとひとりから振られてきた拳を払いのけざまに踏み入れてのローキックで太腿の大腿骨を破壊した。摩周ヒメのローキックは、薪割りで振り下ろす重量級の斧にも等しい力があった。その横では、無様に倒れていくモハメドに見向きすらせずに、日並は勢いのまま彼の手下の筋骨逞しい中東系男性たちへと飛び込んでいき、ひとりめに“ぶちかまし”をお見舞いして突飛ばし、垣根の外へ吐き出させて道路に落下させた。続いて二人目は、とっさに腕を上げて顔をガードしたが、日並からのお構いなしの“突っ張り”を顔面左右に食らって地面に転倒。最後の三人目は、日並から前蹴りを下腹部に受けたさらに、重量級の鉈のような急角度のローキックを食らって大腿骨から膝にかけて破壊された。中近東系を全て始末した女二人は、後方と両脇に控えていた一味の残りを睨んでいった。
これに怯えた菱金幸世が、さらに後ろで待機していた者に呼びかけた。
「なんてことしてくれんの! 暴力振るいやがって! この、名誉男性が!ーーートーマス! やっておしまい!」
「アイアイサー」
と、投石機を手押ししながら出てきたのは、トーマス・ロック・リー。彼はチャイナ服と帽子に身を包んだイギリス人であり、自社『機関紙トーマス』を経営して、人権を愛している歴史研究者であった。最近は、徹底した歴史考証が評判高い歴史物オンラインゲーム『アサッシン・カラミティ・クリード・トリガー』というシリーズで最新作を監修しており、弥助を主人公にした歴史アクション大作であった。
「ニガーはサムライ。サムライはニガー。ヤスケはショーグン。ショーグンはヤスケ。ニンジャ、ゲイシャ、フジヤマ、オールニガー」
などと歌いながら投石機とともに少し前に出てきて、その後ろにはヒョロガリな黒人青年が大きな石をいくつも乗せた山車を引いてついてきた。
「アイム、ニガー。アイム、ニガー。スゥーパー、ニガー」
と、こちらはこちらでヤバい歌を口ずさんでいた。
幸世は二人の男に向けて、ヒメと日並を力強く指さしながら指令を出した。
「トーマス! ジョン! あの名誉男性たちを懲らしめてやりなさい!」
「アイアイサー!」
「マカセテ、チョーダイ!」
トーマスとジョンは仲良く敬礼してボスの指令を受け入れた。
ヒョロガリのジョンは山車から大きな石を転がしていき、投石機の頭に移し変えた。次に、トーマスが引いて手際よく準備していく。
「発射準備ヨーイ!」
「前方ヨーシ!」
「フィッシュアーンド」
「チイィィッップス!」
トーマスが号令とともに、ジョンが縄を引いて発射した。
大きく半円を描き、標的を目指して投石していく。
その投擲された石は、よりによって片倉日並を狙って飛んできたのだ。発射速度は低めに見積もっても、余裕で時速百キロを超えていて、いくら日並が鍛えているからと言っても“常人”では回避不可能であった。迫り来る大きな石が超スローモーションで見えていた日並は、死を悟ったのか、目蓋を閉じた。
「ふんっっ!!」
「ナイスキャッチ!」
「ヒメちゃん! ナイス!」
投擲を断絶したのは、摩周ヒメだった。
恵と鋼の声援を受けていく。
まさに“人並外れた”瞬発力でヒメは飛ぶように走って、頭部を西瓜のように破壊してしまう勢いと速度と重量の投石を横から飛んできて、当たる手前でキャッチして、日並を命の危険から救ったのだ。この声援に気づいて目を開けたときには、日並の視界から物凄い速さで横に飛んでいくヒメの背中が見えた。衝突寸前で受け取ったヒメは、左右の肘を横に張って大きな石の両側を両手で鷲掴みのまま垣根の玄関を飛び越えていき、宙で身を捻って、落下直前に足を広げて、衝撃緩和するために膝を深く曲げて、腰を深く沈めて、アスファルト舗装道路に裸足で着地した。そうして、ヒメは“ゆっくり”と膝を伸ばして、腰と頭を上げていき、稲穂色の瞳で敷地内にいる残りの活動家一味を睨み付けた。行き交う観光客や地元民の車両たちが、ただ事ではない空気を漂わせているヒメから、良心的に避けて徐行運転をしていく。そんな中で、近所の町民たちから「でかした!」「ヒメちゃん、頑張って!」などの声援が飛んできた。
「アメイジング!」
「アンビリーバボー!」
「トーマス、ジョン! なに呑気に驚いてんの! 次行きなさい、次!」
そう幸世から注意を受けて、トーマスとジョンのコンビは「アイアイサー!」「マカセテ、チョーダイ!」と再び投石の準備に取りかかっていった。こうして一味が次の攻撃へと移っていたとき、ヒメは稲穂色の瞳を金色に光らせて大きく一歩を踏み出して道路を蹴った、そのとき、高く飛び上がって宙を舞ったヒメは垣根の玄関入口を越えながら側転宙返りをして体勢を整え、足から着地すると同時に大きな石を両手で力強く振り下ろした。すると、投石機は機体半ばから折られて破壊され、投擲部に乗せていた大きな石が衝撃で跳ね上がって、近くにいたトーマスは哀れこれを顔の下から突き上げる打撃を受けてしまい、「チェン!」の断末魔を上げて下顎が破壊された。打撃で突き上げられたトーマスの身体は宙に浮いて海老反り、そのまま後ろに回転しながら顔と腹を地面に叩きつけて落下した。その破壊の反動で跳ねた大きな石はというと、同じ物を積んでいた山車に垂直に落下して、別の石をビリヤードのように打ち飛ばしてしまい、その石がジョンの土手っ腹に当たって、「ジャッキー!」の断末魔とともに彼を後ろに吹き飛ばした。哀れジョン、垣根を突き破って敷地から飛び出して、アスファルト舗装道路に落下して気を失った。
自宅を破壊した“原因”を片付けたヒメは、両手に持っていた大きな石を庭に投げ捨てて踵を返したあと、三人の麻雀仲間たちのもとへと戻っていく。このとき、菱金幸世と金継善人ら他一味も“じぶんたちも”なにかされるのではないかと一瞬恐怖したのだが、このヒメの見向きもされない態度に、安堵を覚えていった。
3
これが以上の出来事であり、手短に話した。
日並が見えたので麻雀に誘った。
麻雀と煙草が好きだったから誘いに乗った。
四人で歓談していたら活動家たちに不法侵入されていた。
罵声を浴びせられた上に、家と愛車を破壊された。
活動家が殺傷能力が高い兵器を使ってきた。
活動家一味から侮辱されたから仕返しをした。
という簡潔な内容であった。
「あーん! 海馬さーん!」
「わーん! 鮒さーん!」
ヒメと日並が、それぞれ泣きついていく。
家も愛車も個人の財産である。
それを無惨に破壊され傷つけられた。
立場は違えど、今のヒメと日並は被害者であった。
そんな腕の中の二人の頭を優しく撫でていく、海馬と鮒。
「警察に連絡したわ。あと、修理業者は恵さんが手配してくれたよ」
太刀鋼の言葉に、鰐恵が無言で親指を立てた。
この女二人の気遣いに。
「ありがとう。助かるわ」
「最善の判断ね」
と、海馬と鮒は微笑んで返した。
あるていど気持ちを吐き出して落ち着いたヒメと日並は、海馬と鮒の腕の中から離れたあと、二人に軽く頭を下げて礼をした。下瞼に残っていた涙を人差し指で拭いとり、ヒメと日並は気をかけてくれた面々に微笑み向けたその顔は、まるで少女のようであった。そうしているうちに、パトカーのサイレンの音が複数聞こえてきた。警察機関の登場により、私たち二人の出番はここまでねと同じ思いをした海淵海馬と鯉川鮒はお互いに笑みを見せて、ヒメたち四人に話しかけた。
「事情はよく分かったわ。ありがとう。ーーーじゃあ、私と鮒さんは今から一緒に用事を済ませに行ってくるからね。あとは警察の人たちに任せて」
「意外と早い到着ね。金さんかリエさんが通報してくれたのかも」
鮒の感想を聞いた恵と鋼が、笑顔になった。
それじゃ、と、小さく手を振って別れを告げたとき。
「おい! そこのお前。救急車呼んでくれ! 今すぐだ!」
鮒に向けて指差してきたのは、モハメド・カリス。
インテリ系二枚目からの横暴な指示に気づいた海馬と鮒が、玄関入口から出ていた足を止めて、女二人お互いに“ほんの”一秒か二秒の短いアイコンタクトをしたあとに、再び足を進めて路肩に停車中の各々の愛車へと行こうとしたところ。
「おい、そこのお前。白い着物のお前。救急車を今すぐ呼んでくれ! 聞こえないのか! お前だよお前! ゲイシャのお前、さっさと救急車を呼べ!」
と、一方的で執拗な呼び声に再び足を止めた女二人。
海馬が隣を見たら、鮒は顔中に青筋を浮かべていた。
銀色の尖った歯を剥いて食いしばり。
やや吊り上がった切れ長な黒眼を血走らせ。
首筋の鰓は五つ全てが開いて、空気に揺らぎを生み。
銀色の瞳が光り出していた。
「鮒さん……」と、思わず静かに呼び止めた海馬。
これに応えるかのごとく、“人魚姫”は深呼吸した。
「ありがとう」そう愛らしい微笑みを隣に向けたあと。
ゆっくりと踵を返していき、モハメドに向き合った。
「やっと分かったのか? お前、早く救急車を呼べ」
「私は“お前”ではありません。あなたにお名前があるように、私にも名前があります」
「なんだとー? 生意気だな?」
「“そこに転がったいる”人たち、みんな“あなた”のお知り合いですよね?」
「そうだが。だからお前が呼ぶんだよ」
「あなたの仲間なら、あなたがお呼びになったらいかが? モハメド・カリスさん」
「……え?」
「私があなたを知らないとでも?」
そう言って、一気に間合いを詰めて至近距離になった。
ーデ……、デカイ!ーー
己よりも数センチ高い鯉川鮒に、驚愕していく。
「あなたのその要求はお断りします。ご自身で呼びなさいな」
人外特有の威圧感に、モハメドは恐怖して足がすくんだ。
「お馬鹿さん」
眼鏡の中近東系男性に吐き捨てて、鯉川鮒は踵を返して海馬と一緒に再び足を進めていった。このあとの事後処理は、ヒメと日並と恵と鋼に任せて、海馬と鮒は行き先目標の螺鈿神社を目指した。