七月 陰洲鱒町と人権活動家 前編
浜辺銀の姉、太刀金の声は三石琴乃さんを想像して読んでもらえると楽しめます。よろしくお願いします。
1
月日は少し遡って。
今年の七月。
場所は、長崎市陰洲鱒町。
鯉川鮒は、気になることがあったので、昼から磯野商事を出て愛車のシルバーのシトロエンで町中を走らせていた。鱗山を通過する際に、蛇轟秘密教団の施設の様子を確認。今日も相変わらず、軽車両ワゴンやらファミリーカーなどが駐車場の半分を占めていた。鯉川鮒には見馴れた車両たちであったため、特別驚くことはなかった。これらは、芸能人や法曹界や著名人や政治家や有識者や報道機関などなどのいわゆる“浮き世の人間”たちが「隠蓑」として、マネージャーや秘書の車を使って宗教施設に訪れていたのだ。だがしかし、磯野商事の社長の波太郎と海太郎の兄弟と秘書の鯉川鮒と、従業員の鮭川育良と鮭川紅佳の姉妹も含めた萬屋の者たち全員には知られている、いわゆる“顧客”や“太客”であった。これらの隠蓑車両たちを確認していき、鯉川鮒は呆れを含んだ軽い溜め息を着いていった。だいいち、“顧客”となっている“浮き世の人間”たちの目的は陰洲鱒町の若い鱗の娘たちであり、鯉川鮒は彼女たちに妖術をかけて自我を奪った状態にさせて“お勤め”をさせていた。そんな中で、鱗の娘たちの中にはマインドコントロールしている者と“そうでない”者とに別れており、さらには、この二つに属さない者もいて、鯉川鮒でもこの第三者たちの好奇心に呆れていた。そして、平成の後半からは教団に入る女性たちも増えてきており、おまけに信者の中にも若い女もそれなりに多く、先に出した“浮き世の顧客たち”はこの若い女性信者たちの身体も目当てにして「お忍びで」来訪していたのだ。そうした以上のことを鯉川鮒は全てお見通しであったため、我ら人魚の特徴のひとつである貪欲な性欲と“あの人間たちも”大して変わらんな、と実感した上での溜め息であった。
鯉川鮒は教団正門のガードマンボックスにいる美しい女性警備員に軽く会釈をしたあと、ハンドルを切ってUターンして再びアクセルを吹かして愛車を走らせていった。
陰洲鱒町のある螺鈿島は意外と広く大きな島。
それに観光地でもあることで、景観に気をつけていた。
高層ビルや高層マンションなどが一軒も無い。
中央に居座る島一番大きな尾叩き山が町の象徴であった。
島の出入口には、灯台とフェリー埠頭の波止場。
これに続く浜と岩場の波打つ海岸線。
その海岸線の上に鱗山。
と、そこの山頂を叩っ切って建てた蛇轟秘密教団。
“そそり立つ”その石造りの宗教施設は景観の破壊者。
それは、島に到着して一番最初に目に入るからだ。
禍々しく建物から横に伸びる木製の橋の先に“やぐら”。
異形の生物が垂らした舌の如く岩場へと階段があった。
その鱗山の先の岩山の鰤兜山を挟んで、住宅街があり。
その住宅街には第一漁港と波止場と第一水産加工場があって、町民の漁師たちの活動拠点となっていた。ちなみに、第一水産加工場は以前は摩周安兵衛と刃之介の摩周兄弟が経営していたが、十年ほど前に兄弟は引退して会長となっており、現在は刃之介と七子の曾孫息子の摩周鱗太郎が第一水産加工場を、同じく曾孫娘の摩周鱗夏が第二水産加工場をと、それぞれが工場長と責任者を兼任していた。住宅街に入ったすぐの高台に、陰洲鱒町役場と陰洲鱒町町議会館。その隣くらいの空地には、『貿易商社 龍宮商会 跡地』があり、商館の女主人である龍宮龍子とその夫の入婿の龍宮島太郎と女中の鯛原祝と平目縁、そして執事の岩亀甲之助と他従業員たちが一緒に集まって撮った記念写真が黒い鉄板に焼付印刷してあった。住宅街の真ん中あたりから少し上がった高台に、長崎市陰洲鱒町立陰洲鱒学校という小中高校一貫の学校が建っていた。同じ高台の並びに、学校から少し離れた場所に『娼館 ななゐろ 跡地』もあり、こちらは建物の写真のみ立てられていた。町の蒲鉾工場と販売店の経営者が早朝の漁から帰宅したあと、自社工場の営業をしている。魚肉の販売店や八百屋やコンビニエンスストアや各種料理店などなどの、他の地域とさほど変わらない「普通の町」であった。次に、この陰洲鱒町にも数少ないが精肉店とその工場が二軒あって、うち一軒は住宅街内に工場と販売店が一緒になっている『肉屋の梶木』、あと一軒は養鶏場と工場が山手にある『鶏肉専門店 手羽の飛魚』の二つ。そして、龍宮紅子と摩周ヒメも住宅街に家があった。あと、現在は野母崎に移住している、町中にある魚醤の店を生家に持つ浜辺銀と夫の清児の家もあった。それら町の住宅地を抜けていくと、島の奥に向かう道路が三つ走っており、ひとつ目は温泉と温泉宿のある虹鱒山、二つ目は神社と温泉がある螺鈿岩、三つ目は砂金が採れる金鉱脈の尾殴り山、そして最後の四つ目は玉蟲山の以上四つの山が奥から海岸線へと連なっていた。虹鱒山から螺鈿岩を走る通りに潮干家、その通りの上に畑を持つ鯛原家、その他の町民。この鯛原家は、今は町議会議長の鯛原銭樺が家主である。そして、ここからこの町のというか島の特徴的なところのひとつでもあった、今この鯉川鮒が走っている道路は虹鱒山行きでもあり尾叩き山と尾殴り山行きも兼ねていたが、次の螺鈿岩には行けなかった。というのも、そもそも島のフェリー埠頭から二手に上下別れている道路は車でも螺鈿島を一周回れるように建設されており、シンプルな景色巡りでも楽しめる設計もされていた。しかし、この島の各種山を登って頂上を目指したい場合は、二合目または三合目から始めなければならなかった。それも、各種山行きの道路の駐車場と終点が、全てその二合目または三合目までにとどめてあったからである。そしてそれは、螺鈿岩も例外ではなく、目的の螺鈿神社へ参拝の他に御守りや御札や御朱印を手に入れたかったら、出入口の朱色に眩く輝く鳥居をくぐって数千段の傾斜が急な石階段を上らねばならず、よって螺鈿岩行きの道路の終点はこの一合目だけであった。だが、駐車場の付近に螺鈿岩の温泉施設があって、観光客たちは参拝の疲れを取って帰るか次の山に向かうかという形で観光していた。この螺鈿神社のある螺鈿岩は、磁場の強いこの島の中でもさらに一番強い磁場を持っているパワースポットであり、神聖な場所でもあったから、ここの出入口は一番下の鳥居からしかなかったのである。
そして、愛車を走らせていた鯉川鮒の目的地も、この螺鈿神社であった。上の尾叩き山行きを走らせながら、螺鈿岩を通過していくとき、鯉川鮒はチラッとバックミラー越しに虹色に輝く岩山を確認して再び視線を前方に向けた。悔しいが、今はスルーするしかなかった。そもそも“彼女”は人魚という妖怪であり、強烈な力を持っているこの神社には単独で入るには危険であった、というか、得体の知れない結界のおかげで出入口の鳥居からでさえも踏み入れることができなかったのだ。その理由は、弾かれたりぶつかったりしてしまうからだった。邪悪や善良など関係なく、この結界は強力すぎて物怪の全てを退けてしまっていた。よって、半人半妖の磯野マキと磯野カメの姉妹ですら独りで参拝したくてもできず、以前町の住人だった虎縞福子と志田杏子も同じく単身では入れなかった。そういう訳もあって、自身の身柄の保護と聖域に入れるための“人”という同伴者が必要であったので、鯉川鮒はその人物を頼りに向かっていたのだ。その途中、潮干家の前を通りすぎるときに、潮干リエとその夫の舷吾郎と次女のタヱが庭で一家そろって文句を言いながら、破壊されて地面に散乱した縁側のガラス戸の破片と天日干しをしていた魚の開きと烏賊の一夜干しとを回収している姿を見た。このとき、鯉川鮒と目が合った潮干リエは、作業を止めて笑顔で大きく手を振った。そして、“人魚姫”もこの黄金色の髪の長身美女に軽く手を振って返した。リエについては、心理的な療養中とのみ聞いていたが、先月に見たときよりも快復していたみたいであった。
虹鱒山を通過して、広大に切り開かれた敷地に到着。
陰洲鱒町で一番古い醸造所。
その同伴者とは。
所内駐車区画に愛車を停めて、砂地に足を下ろした。
「こんにちは。お忙しいところをすみません」
「あぁ?」
「ひ…………っ!」
と、店頭に顔を向けて挨拶したとたんに、八つの赤い瞳から凄まれて、鯉川鮒は思わず息を飲んだ。久しぶりに遭遇した恐怖である。じぶんたちに声をかけてきたのが、そのように怯える“人魚姫”ということに気づいたのか、睨み付けた赤い瞳の四人の女性たちは作業を中断して腰と膝を伸ばしていった。この女四人ともに美しく、艶やかな黒髪が天然のウェーブがかかった癖毛をしていた。すると、店外で作業をしていた赤い瞳の女四人よりも歳を重ねた同じ赤い瞳の女が店の奥から出てきて、鯉川鮒に軽く会釈したのちに、割れたガラスを片付けていた女四人へと話しかけていった。天然ウェーブの癖毛の遺伝の元なのであろうか、奥から出てきたこの女も同じ髪質であり白髪が交ざっていて、顔に皺を刻んでいたが美しかった。
海淵鳴海。
海淵酒造の会長である。現社長は、海馬。
「ほらほらー、なにやってんの。鮒さんが怯えているじゃない」
鳴海が赤い瞳の女たちへと軽く叱咤していく。
すると、女四人は「あら?」という顔に変わり。
「あらー。鮒さん、こんにちは」
海淵海馬の挨拶を皮切りに。
「鮒さーん。いらっしゃーい」
海馬の妹の海淵流海が手を振る。
「ほら、鮒ちゃんだよ。ーーー鮒ちゃーん」
「ホントだ。ーーー鮒ちゃーん」
そして、流海の双子の娘の、海雲と海月。
娘姉妹ともに仲良く手を振っていく。
しかし、千年以上生き抜いてきた人魚といえども妖怪である鯉川鮒を、堂々と本人を前にして“ちゃん”付けして呼ぶとは。その上、まるで呼び方が友達感覚である。
「ここは私たちに任せて、彼女の相手をしてきなさい」
そう、鳴海は店の中に退避していた従業員たちへと手招きしながら、我娘の海馬と流海の姉妹と双子の孫娘へと指示を出していった。
破壊された店頭のガラス壁は、破片の大小様々散らかって二つの壁は枠のみとなり、販売店の風通しをよくしていた。その割れたときの影響は大きく、内側に飛んだガラス片は商品棚に当たってその棚のガラスも破壊して、陳列していた酒饅頭やら煎餅などなどの食べ物の商品に被さったり刺さったりさていて、全てが売り物にならない状態になって全滅していた。おまけに、その破壊行動をした主犯と思われる大きめな石がいくつか床に転がっているのを、鯉川鮒が確認した。それに伴って、投石被害を受けたと思われる若い女性の従業員が二人ほど額と肩を押えて、入婿で海馬の夫の海淵海蔵と、入婿で流海の夫の海淵龍市と、その他の職人や従業員たちから介抱されていた。こうしてくれている酒造の面々に頭を下げて頼んだ海淵家の女四人は、鯉川鮒のもとに歩いてきた。
さすがに眉をひそめていた鯉川鮒。
「本当に忙しいところだったのね。ごめんなさい」
「いいのいいの。あとは信頼している人たちに任せたから」
微笑んで話す海馬の返しに、“人魚姫”も少し笑みを見せた。そんな中で、至近距離に顔を近づけてきた美しき女主人。低くかつ小さな声で圧をかけてきた。
「ねえ……。今日は、どんな悪いことを企んできたの?」
「え……? わ、悪いこと?」
心当たりがあるのか、その言葉にドキッとした。
頬が引きつっていく。
嗚呼。それにしても、良い香りのする綺麗な女主人だ。
思わず、鯉川鮒が顔を引き寄せられていく。
「ほらー。姉さん。鮒さんが困っているじゃない」
「そうだったわね」
妹の流海の指摘に、海馬は“人魚姫”から離れて向き合った。
そして、改めて話しを聞いていく。
「今日はどうしたの?」
「え? ああ……」
我に返って、少し残念そうに声のトーンが下がった。
そうだった。私は目的を忘れるところだった。
「螺鈿神社に行きたいから、同伴を頼みたくて」
「あら、珍しい。参拝するの?」
「それもそうだけど、神社の古書が読みたくなって」
「へえ。面白そう」
途端に、子供のように好奇心に赤い瞳を輝かせた海馬。
「姉さん、一緒に行ってきたら?」
我が妹から、背中を押され。
「そうねえ。そうしようかしら」
「帰ってきたら私たちに結果を教えてよ」
「分かったわ。楽しみにしててね」
快く話しが纏まった様子に、鯉川鮒は微笑んだ。
そんな“人魚姫”に、いそいそと近寄ってきた美人双子。
姉妹は少し見上げるかたちだが、百八〇センチ近い長身である。この双子姉妹の愛らしい空気に、鯉川鮒の目じりが下がりかけた。
「ねえねえ」海雲から。
「鮒ちゃん」海月へ。
「なになに? なにかしら?」頬がゆるむ鯉川鮒。
「今度の“お勤め”は、いつ?」
「…………え?」
海雲の質問に、表情が固まる。
間を空けずに、海月からの問いが飛ぶ。
「今度も有名人や芸能人が“お客”として来るんでしょう?」
「そ、そう、だけどぉ…………」ーもう! 毎回毎回、本当になんなの。この子たち!ーー
異様なほどに積極的な海雲と海月に、戸惑っていく。
そのとき、美人双子の頭が強制的に下げられていった。
娘たちの後ろ頭を片手で鷲掴みにした海馬と流海が、申し訳なさそうに頭を下げていく。
「うちの姪たちが、本当にすみません」
「うちの娘たちが、本当にすみません」
ほぼ同時に謝罪の言葉を出した。
この様子に吹き出しそうになっていた鯉川鮒は、なんとかして押さえ込んだ。あの破壊と被害の様子は大変気になるが、あとから海馬に聞けば良いかと思った鯉川鮒であった。
2
というわけで。
「いってらっしゃーい!」
「伯母さん、いってらっしゃーい!」
流海と可愛い姪っ子たちに見送られて、海馬はダークブルーのフェアレディZに乗り込んで、シルバーのシトロエンに乗る鯉川鮒を螺鈿神社を目指して先導していった。
海淵酒造を出て、尾殴り山方面へと走らせていたとき、陰洲鱒にあるもうひとつの醸造所『キハダビール』でも投石によって破壊されて散らかるガラスの破片と、被害を受けた店員たちの介抱と全滅した関連商品の後片付けにおわれていた黄肌潮とその夫で二代目当主の黄肌有左衛門の姿も目撃した。全く同じというか似た状況だったので、海馬は路肩に停車して愛車のZから降りて行った。これに鯉川鮒も続いた。敷地の手前は自社開発のビールと、これに関連した“おつまみ”やお菓子の店頭販売店で、この先にあるのがビールの生産工場こと醸造所と保管する酒蔵があった。手前に来客用と、営業所ビルに従業員専用の駐車場があるが、その従業員専用に停めていた車両のうち二台も投石されたのか、一台はルーフ、あと一台はボンネットと、それぞれが大きな窪みを作って車としてほぼ使い物にならない状態が窺えた。その被害を受けた一台は、シャンパンゴールドのファミリーカーでボンネットが醜く凹んで、フロントライトも破損して電気コードの糸を引いていた。このような“惨状”に呆気にとられていた“来客”の女二人に気づいたのか、黄肌潮は旦那の有左衛門にひと言かけて頬に軽いキスをしてから、向かっていった。
この様子を“しっかりと”見ていた、海馬と鯉川鮒。
「あらぁ……」
「どうしましょ……」
息ピッタリな反応をしてみせた。
今日は会社を休みなのか、潮はこの時間にいた。
駆け寄りながら手を振ってくる。
稲穂色の長い髪を、海風に靡かせて黄緑色の瞳の美女がきた。
「いやいや、お疲れさん。どうしたの? 珍しい組み合わせしちゃってさ? デート? 鮒さん食べちゃうの?」
「出会い頭になんてこと言うんだ、お前は」
いろいろと言葉を浴びせられて、とりあえず海馬はひとつ突っ込んだ。『キハダビール』と書かれたビールイエローのティーシャツにジーパン姿の黄肌潮に、鯉川鮒のやや吊り上がった切れ長な黒眼は細くなった。赤色のカッターシャツをインナーに、ダークブルーの三つ揃いの膝丈スカートという営業兼仕事着だった海淵海馬は、腰に両手の拳を当てて話していく。
「あんたんとこも同じ目に遭ったんだ」
「その口ぶりじゃ、海馬さんとこも商品全滅したんだ」
「ええ。活動家の糞餓鬼と中東系の野郎たちに店も商品も破壊されて、うちの可愛い子たちが怪我してしまってね。私と流海が奥から出てきたら、奴らさっさと逃げやがった」
「それそれ。白髪交じりのクソガキでしょう? あと、クルドやらパキスタンやらイラクやら。私んとこの香苗ちゃんが頭から血を流してさ。私が走ってきたら奴ら逃げたんだよ。おまけに車もヤられちまって」
「とにかく、被害が大きすぎるわ……」
「前までは連中、人様の店の前でパネルを持ったり掲げたりして、営業妨害していたよね」
「そして、SNSに誇らしげに活動報告をアップしてね」
被害者二人の話しの盛り上がりに、新しい人物が間に入ってきた。腰まである艶やかな黒色の癖毛をポニーテールにして、深い黄色をした両肩出しの上着と同色の膝丈スカートの長身細身の美女が現れた。猫のような切れ長な目に、稲穂色の瞳と縦長な瞳孔、そして話すごとにチラチラと見える鈍色の尖った歯。間違いなく彼女は陰洲鱒の住人であった。
その名も。
太刀金。百四五歳。
浜辺銀の実姉である。
「あーあ。こりゃ酷いねえー。私のとこも全滅さ。売り物にならんよ。おまけに、スタッフたちに怪我させやがって」
陰洲鱒町の老舗の『魚醤の太刀』の経営者で当主でもあった。そして、海淵海馬と同級生。お互いの無事を確認して、海馬と潮の顔が緩んでいく。そんな同級生の顔を見るなりに、太刀金は「おや?」という表情を浮かべて、鯉川鮒の姿にも気づく。
「海馬。見たところ、どうやら“あんた”もヤられたみたいね。復旧するまで商売できないだろ?」
「ええ。白髪交じりの活動家率いる中東系の野郎たちと、その他数名から大きな石を投げられてね。怪我人は出るわ、売り物にならないわで腹立つよ」
「やっぱり同じ連中かい?」
そう含み笑いを見せて、黄緑色の瞳の美女に顔を向けて。
「潮んとこをヤった奴らも、同じ連中だった?」
「海馬さんの言った奴らの特徴と一緒よ。間違いないわ」
「なら、確定だね」
「誰なの?」
海馬の問いに。
「金継善人。善人と書いて『よしひと』と読ませるの」
「なに……。その名前とミスマッチなクソガキは?」
青筋を浮かべた海馬に。
「まあ落ち着いて聞いて。そこの“人魚姫”もこの状況に不快そうだし、一緒に聞いてもらうわ。ーーー教団の様子を見てきた帰り道の日並を取っ捕まえて、いろいろ質問してみたんだ」
以下、片倉日並から知り得た情報。
金継善人。
二大文学賞を二つ受賞した“稀代の大作家”。
若いころは学生闘争に明け暮れて、左に傾倒し。
のちに彼は、正義に“目覚めて”執筆を始めて、次はマスコミ関係と野党議員を通じて日本赤軍の残党と知り合い、その結果、人権活動家としても人生に生き甲斐を感じるようになる。その途中で、善人は愛車で人を轢いて逮捕されて新聞に載った。その後は活動家の仲間が保釈金を払ってくれて釈放されて、被害者と被害者家族に上辺だけの謝罪をして、人権のために正義の活動へと没頭していく。やがて、世界基督教会に紹介されて大手NPO法人に入り、大手芸能事務所のカタクラメディアの事務所長の片倉暁彦を通じて院里学会に足を踏み入れて洗礼を受けて、今に至る。ここで知り合ったのが、片倉日並と片倉菊代。菊代は暁彦の妹であり、日並の義理の姉でもあった。その菊代が、金継善人を新世界十字軍に勧誘して、現在は鉄砲玉として使っていた。その後の現在は、近年では『反米基地どぅ宝』『反自どぅ宝』というハッシュタグを付けて、SNSも利用して沖縄県で県知事とともに在日米軍基地反対運動と自衛隊反対運動も続けており、活動家仲間が誘発して招いてしまった工事中の人身事故により警備員を結果的に金継善人たちが“殺してしまった”が、とくに悪びれることもなく、沖縄県の二大機関紙の取材のさいには現場作業責任者と警備会社責任者を目の前に並べて力強く指差し「人がひとり死んでいるんだよ!」と、まるで工場関係と政府の責任のような口ぶりで正義感キメキメな目付きで紙面とSNSのニュース速報を飾った。そして彼は仲間たちと一緒に仲良く、この長崎県長崎市陰洲鱒町でも反陰洲鱒運動に励んでいた。
以上、太刀金が片倉日並から知り得たこと。
「でも日並、金継のクソガキにはノータッチって言ってた」
「なにそれ? どういうわけ?」
黄肌潮の疑問を、太刀金は拾っていく。
「日並ちゃんね、あれは私のやり方じゃないって怒ってたわ。珍しく私たちのためにね」
「うーん。複雑……」
「義理の姉さんから仲良くするようにて言われたけれども、一緒に行動するのを断ったてさ」
「え? あの子に義理の姉さんがいたの?」
潮の驚きに、海馬が答えていく。
「片倉菊代さんて言うの。長崎にくる度に、この町の物を買って帰ってくれる“良い人”よ」
“良い人”。
この場合は、良客のことである。
「ああー! あの眼鏡の黒い和装美女か!」
思い出した黄肌潮。
太刀金も同じだった。
「うちに立ち寄ったときは必ず商品買ってくれる菊代さんね。ーーーへへえー。日並ちゃんの義姉さんだったんだ」
そして、含み笑いで独り言のように言葉を出していく。
「話しを戻すけどね。あの子、活動家一味に陰洲鱒専用の酔い止め薬のこと教えなかったそうよ」
「やるじゃん」ニヤリとした潮。
「だから最初は埠頭に着いたときは、一味仲良くゲロして退散していったって。髭鋳鑼君たちが私に話してくれたわ」
「この町のフェリーってひとつだけだからねー。行って戻ってくるまでだいたい一時間近くかかるから。待ってる間は吐きまくってたのか…………。最悪」
「掃除にしきた安兵衛さんと刃之介さんが、ゲロまみれで大変だったと」
「あの兄弟、本当によくやるよね」
「町長だし町内会長だから仕方ないでしょ?」
そう突っ込んだあとも、語りを続けていく。
「でもほら、奴ら六月の終わりくらいには町に“普通に”入ってきて身勝手な抗議活動してきたじゃん。『女性差別の町』とか『性的搾取の町』とか『陰洲鱒は男尊女卑をやめろ』とか、いろんなこと書いたパネルを掲げて町の店前に立って写真と動画をSNSに上げていたよね? なんで入れるようになったの?」
「螺鈿島専用“酔い止め”薬が違法転売されて、活動家関係者にいる、医者または“ソレ”と繋がりのある人物がコピーしたのよ。それ以外考えられないでしょ」
稲穂色の瞳を黄肌潮に流してそのような推測を述べたあと、海淵海馬に目線を合わせた。腰に両方の拳を乗せて言っていく。
「まあ、とりあえずは八月くらいまで“まともに”商売ができないわね。復旧まで時間かかるわ、こりゃ」
呆れた口調で愚痴を吐いて、金は少し黙っていたが。
「ねえーえ。海馬」
「ん? どうした?」
「あんたの隣の日本人形、ずぅーっと黙ったままなんだけど。本当にお人形さんなら、あたしが持って帰っていいかな? 久々着せ替え遊びがしたくってさ」
「ダメダメ。今、この子の用事に付き合って、お出かけの途中なの」
「え? 鮒ちゃんとデート?ーーー羨ましいんだけど」
日本人形こと、鯉川鮒が口を挟んできた。
「それとは違うわ。螺鈿神社でちょっと見たい物があってね。私だけじゃ入れないから、彼女に同伴を頼んだの」
「そういうこと」
実に手短で簡潔な説明に、海馬は便乗した。
これに金と潮がニヤニヤしだした。
「あらら。気をつけてね」
「そのまま誘拐されないようにね」
明らかに鯉川鮒へ向けた二人の言葉であった。
これに絡みたい一心を堪えて、海馬は気になることを聞いた。
「ねえ、あのクソガキ共、どこに向かったのさ?」
「そういやそうね。この方向だと…………」
少し考えたのち、太刀金は答えていった。
「ヒメちゃんとこじゃない? あの子、あたしたちと同じように『上級国民』つってSNSでも罵られてるじゃん? 万年プータローどもの次の標的だよ。多分」
「じ、上級国民って…………。ーーーま、まあいいや。しかしアイツら馬鹿だね。私は立場上殴らない殴れないけれど、ヒメはじぶんの役職立場考えずに殴る“女”だからね。ムカつく連中だけど、御愁傷さ…………いや、お気の毒様だわ。…………ふふ」
「あーあ。それが本当なら、ザマァ……いや、お気の毒だわ」
楽しさを堪えきれない海馬と金に、潮も乗ってきた。
「ヒメならあり得るね。奴ら腕の一本、脚の一本折られても当然だわ。文句言えねえな」
3
魚醤の美人当主とビール屋の美人妻に別れを告げた海馬と鯉川鮒は、それぞれの愛車に乗ってキーを回してエンジンに点火して目的地へと移動しようとしたとき、太刀金から呼び止められて、ダークブルーのフェアレディZの運転席を覗き込む姿勢で話しかけてきた。
「そういや今日ね、鋼が休みで昨日の夜から陰洲鱒町にに帰ってきてんのよ。あの子、ヒメちゃんと趣味が合うから、もしかしたら一緒に雀卓囲っているかもしんない」
「あら、そうなの? ありがとう」
「じゃあ、そういうことで。気をつけていってらっしゃい」
「んじゃ、いってくるわね」
お互い同級生なりの喋りで別れを告げた。
ダークブルーのフェアレディZとシルバーのシトロエンを見送った。
尾殴り山と玉蟲山を通過して、埠頭と灯台、そして鱗山の蛇轟秘密教団施設と鰤兜岩を通り抜けたとき、陰洲鱒町の住宅街に入った。町役場と町議会会館を通って突き当たりの丁字路から下りを選んで入り、道なりに走らせていくと、運転席窓からでも高台の陰洲鱒学校と町公民館が見えた。さらに道をそのまま行くと、コンビニエンスストアや生活雑貨や食料品売店などなどの並ぶ小さな商店街、陰洲鱒商店街入口と看板をチラ見して通過。そこから少し走らせたところのY字路に『←螺鈿神社・螺鈿温泉行き』という看板を確認して下りの方向を選び、五軒ほど通り過ぎたところで摩周ヒメの自宅を発見。
驚き桃の木山椒の木であった。
まさに、そこは惨劇。
玄関から少し入った垣根で身悶えしている数人の活動家。
一味の中には呆然としている者、怯えている者がいた。
破壊されて内側に散らかる壁と窓の破片。
醜く窪んで歪んだボンネットから煙を上らせている外車。
黄緑色のキャデラックと青紫色のランボルギーニミウラだ。
この二台は間違いなく摩周ヒメのと片倉日並のである。
これらは、おそらく投石によって受けた被害であろう。
愛車のボンネットの横に抱きついて泣いているヒメ。
愛車のフロストバンパーの前で顔を覆って座り込む日並。
彼女たちの財産が無惨にも傷つけられてしまったわけだ。
ヒメの自宅の横の駐車区画は最大二台まで停められるわけだが、今日に限って四台ギチギチに玄関ギリギリまで車体の後部バンパーがきているという、鮨詰め状態の駐車だった。かと言って無理をしているわけでもなく、人ひとり通れる幅を確保していた。それで、駐車区画にはヒメのキャデラックと鰐恵のファミリーカー。玄関ギリギリには、太刀鋼のGT2000と日並のランボルギーニミウラ。四人の車両を確かめた海馬と鯉川鮒は、三メートル先の拡幅に停めて、倒れて身悶えている活動家たちと空気と化していた他一味を避けてヒメたちのもとにきた。その途中、鯉川鮒は、身長百七八センチばかりの中東系の中年男性を睨み付けていた。泣いている女二人のそれぞれの背中を優しく撫でていた、鰐恵と太刀鋼に状況を聞いていく。
「恵さん。いったい、なにがあったの?」
「海馬ちゃんか。良かった」
顔を見て安堵した鰐恵が、海馬に話していく。