片倉日並
1
片倉日並が、背筋を伸ばしたまま脚を左右に開いて膝を直角に折って爪先を外側にして、腰を落とした。その両膝に両手を乗せる。次は、膝と爪先を三人に向けて片足を軽く上に振り上げていく。そして、畳へと落として踏みつけた。このとき、ドン!と音を鳴らして、まるで家を揺らしたかのように感じた。そして日並は、これをもう片方の足で行い、準備が終わった。
この一連の行動を見ていたニーナが、言葉をふりしぼっていく。
「え? 四股踏んだ?ーーー四股ってだいたい、魔物を鎮めるヤツて聞いたけれど。この場合、なんか違くない?」
その間にも、四股を踏んだ態勢のままの日並が、顔は三人に向けながら上体を沈めていき、両拳を畳に軽く突いていった。
「はっけよーい」
そして、畳を蹴った。
「のこった!」
日並が三人を狙って、真っ直ぐ跳んでくる。
ニーナは腕を胸元で交差させて、六芒星の円形魔方陣を出現させた。固い物が当たる大きな音を立てて、日並が“ぶちかまし”を決めた。日並の肩と手のひらはニーナの魔方陣にぶち当たって衝撃波となり、空気全体に大きな波紋を生んだ。頑張って耐えたものの、ニーナはジェシカともども吹き飛ばされて、襖を破って漆喰塗りの壁にぶち当たり穴を空けて周囲に多数の亀裂を走らせて、衝撃の影響て上のガラス窓を木枠ごと破壊した。当たる寸前で背中から青白い六芒星の魔方陣を出して衝撃を緩和させてはみたが、内臓全体と脳味噌に走る激震を覚えた。そしてこれは、一緒に吹き飛ばされたジェシカにも同様のことが身体中で起きた。ニーナの魔法でガードしたのにもかかわらずだ。ニーナは頭上へと落下するガラス窓の破片から、とっさに腕を上げて魔方陣で二人分防いだ直後に、臓器を逆流する物を感じて嘔吐していった。それは、隣のジェシカも同じだった。女二人して、昼ごはんの分を吐瀉物に変えて畳の上を汚していく。これを黙ってみていた日並だったが、ぶちかましからの低い態勢は変えずに、顔を前に向けていた。
「あらあら。土俵の外に出るかと思っていたけれど、あのツインテちゃん、下手に気張ったみたいね……」
浮かべたのは、侮蔑の薄笑いか。
否。次の技を喰らわせられるという喜びの薄笑いである。
膝を震わせながらも、頑張って立ち上がっていくニーナとジェシカ。歯をガチガチ鳴らして、隣のドイツ魔女に碧眼を流した。
「へ、へーい……、ナチス……」
「な、なんだ、よ……、ブリカス……」
「ちょっと、これ、話が違い、過ぎませんかね?」
「…………。正直、魔法、使いが、あんただけ、かと思って、いたけれど、アイツは、段違いだ……」
「クソー。西洋魔術、なのに、スモウレスラーって、そりゃないんじゃない?」
「ねえ、ジェシカ……」
「どう、したの……?」
「一時的な同盟を結ばないか?」呼吸が戻ってきた。
「Mrs.日並を倒す?」こちらも呼吸が戻ってきた。
「ああ、そうだ」
「乗ってやるよ」
「オーケー」
と、ニーナがジェシカに歯を見せて笑ったとき。
「お二人さん。このまま逃げても良かったんだけどなあー。あなたたちがやる気なら、おばさん、次の一手を使わないといけなくなっちゃうんだよね」
左右に脚を開いて膝を折って腰を落としたままの日並からこの言葉を投げられたニーナは、両手に六芒星の魔方陣出現させて腰を落として構えた。
「悪いけど、行司さんいない土俵では判定が出ないから、あたしのやりたい放題させてもらうよ」
「同じく。ミーも“そうさせて”もらうわよ。ジャップ」
両拳に赤い五芒星の魔方陣を出現させて、右手は顎を左手は顔の前にというボクシングの構えをしたジェシカ。若い魔法使いの二人を見ていた日並は、口紅を引いた口もとの端を上げて歯を見せてひとつ呟いていく。
それは、とても低い声であった。
「ガキが……」
間合いは部屋ひとつ分。
ニーナとジェシカが、畳を蹴って走ってきた。
二人同時に拳を突きだしたとき、ジェシカは赤い魔方陣の中に入って消えて、ニーナの青白い魔方陣が日並の目の前いっぱいに広がった。腕を顔の前で交差させて、六芒星から放たれた衝撃波を防いだ日並の背後に、赤い五芒星とともにジェシカが出現した。着地して姿勢を低くして、拳を引いて、狙うは脊髄。家屋と庭と周辺道路までを揺らすほどの衝撃波を、日並は腰を落としたまま耐えた。このとき、赤色の逆さまの五芒星の円形魔方陣が一瞬浮き出たのをニーナは確認した。そして、ほぼ同時に前後からの攻撃が狙ってきたその瞬間だった。畳を蹴って踏み出した日並が、手のひらを突き出して、ニーナの間合いに入ったとき、ジェシカの目の前に日並の物と思われる手のひらが背中の赤色の逆さ五芒星の魔方陣から現れてきた。ニーナとジェシカは“突っ張り”からとっさに腕をクロスさせて防御するも、打撃に押されて隙を作ってしまう。これを狙ったのかは分からないが、さらに一歩踏み入れた日並は、二発目の突っ張りをニーナの腹に打ち込んだ。と同時に、背後の魔方陣からもう一本出てきた手のひらも、ジェシカの腹を狙って殴りつけた。踏み込みが終了したのと同時に、ニーナは防御することもできずに吹き飛ばされて、先ほどの漆喰塗りの壁をぶち破って“土俵”の外へと放り出された。そしてジェシカも、畳に叩きつけられながらバウンドするバスケットボールの如く転がって障子や襖を破壊しながら、遂には先の庭まで吹き飛んで落下した。二度目の嘔吐をしていくニーナを確認したあと、膝と背筋を伸ばした日並は、踵を返して庭のほうでこちらも同じく二度目の嘔吐をしていくジェシカの姿を見ていった。
「あのツインテちゃんは土俵から“落ちた”けれども、あなたはまだ内側にいるのね」
そう言いながら、日並は足を進めていく。
「あなたたち、歯ごたえなさすぎ。失望させないでよね」
と、不意に拳が目の前に現れた。
間一髪で一歩引いて手のひらで叩きおとした。
その態勢のまま、日並は前後左右上下と目配せしていく。
腹を狙った足が空間から出てきた。
ひとつ後ろに飛んで、日並は構えていく。
今度は顔横から左右の拳が飛んできた。
二発弾いたと思ったら、腹をめがけて三発目の拳が。
その手首を取ろうと手を伸ばしたら、消えた。
次は反対から蹴りが二発飛んできた。
左右に上体を動かして避けたとき、後頭部に風を感じた。
前転して回避して、日並は再び構えた。
未知の技に、彼女は細い切れ長な目を開いていく。
それは驚愕と脅威。
あと、遊ばれていると理解した侮辱感。
額に青筋を立てて、歯を剥いていく。
「畜生……。手加減しやがったな……!」
「せいかーい」
美人声とともに、後ろか首に腕を巻かれた。
「馬鹿よねえ、あなた。じぶんから逮捕する理由作ってんだもの。ーーー証拠隠滅に、暴行傷害に、器物破損に、そして公務執行妨害。これだけやれば充分でしょ」
罪状を四つ上げて、日並を羽交い締めしながら蛭池愛美刑事が現れてきた。絞めていく腕を掴んだ日並は、後ろの赤茶色の髪の美人刑事に、声を投げていく。
「お前……! なにものだ!」
「私? 刑事だけど」
微笑んで喋りながらも、絞め上げる力は緩めない。
解くのを無理だと判断した日並は、片足を振り上げて、振子のように後方へ足をやって、その反動を利用して背中を丸めていった。畳から愛美刑事の両足が離れていき、目に写る景色は上下逆になって脳天を叩きつけられそうになった、そのとき、日並の首から腕を解いて離脱して背中を丸めて受け身を取って片膝を突いた。そのままの姿勢で膝を入れ替えながら回れ右をして、背負い投げをした相手と向き合った。その片倉日並も、片膝を突いて美人刑事を睨みつけていた。
「なにが刑事だ。あんたが一般の刑事なわけがあるか!」
この日並の言葉に、赤茶色の瞳の目を弓なりに細めて艶やかな唇に笑みを浮かべていった。
「やーねー。私は一般の刑事だよ。強行課の刑事」
膝を伸ばして立ち上がり、脇を閉めて左手の立てた人差し指を右手で軽く掴んでさらに人差し指を立てた。そして、笑顔を見せる。
「ニンニン」
「この……!」ー悔しいけど、可愛い!ーー
歯を食いしばった日並。
笑顔から一変して真顔になった愛美刑事。
印を結んだ手を解いて、適度に脱力して下げた。
「まだ、やる気? なら無理ね。銃撃を聞いた住民たちの通報で、もうすぐパトちゃんたちが到着するわよ。あなたが多勢に無勢を望むなら、私は受けるけれどね。ーーーどうする?」
この言葉の通りに、複数のパトカーのサイレンがけたたましく鳴り響いて到着して、早々と周囲を固めた。屋外に放り出されていたニーナが、鬼束あかり刑事に身柄を保護されていく。前後左右に首を向けて確認した日並は、片膝を突いた姿勢のまま畳に赤色の逆さ五芒星の円形魔方陣を出現させて、愛美刑事を指さしたあと畳から吸い込まれるように現場から撤退していった。数名の機動隊と数名の刑事たちが銃器を構えたまま家屋に入ってきて、背を向けて愛美刑事を囲んだ。見なれない深い赤色の制服姿の武装兵士たちの遺体に気づいて、刑事たちは驚きを隠せないでいた。
「なんだ……、コイツらは……!ーーーお怪我は?」
真ん中で保護していた先輩刑事に後ろ頭を向けたまま、稲葉輝一郎刑事がたずねていく。すると、愛美刑事は小さく笑って。
「うふふ。ありがとう。私はおかげさまで無傷よ。相手は化物だったけれどね。ーーーそれよりも、ニーナとジェシカちゃんが心配だわ」
「彼女たちは私たちが保護しました」
「そう、それは良かった。ーーー約束通りに、明日中にジェシカちゃんたち姉弟を無事に帰してあげてね」
「はい、分かりました」
「分かったなら、囲いを取ってくれない?」
「了解。ーーーよし! 警戒を解け!」
稲葉刑事の号令とともに、愛美刑事の保護は解かれた。
2
場所を移って、長崎警察署内。医務室。
上半身をブラジャー姿で、胸下から肋にかけて包帯を巻かれていたニーナとジェシカ。愛美刑事は付き添い。二人を治療をしたのは、署内の専属の女性医師。
「フィッシュ・アンド・チップスって言ってたけれど、あたしのスペアリブも付けとくよ」
「へい。それなら、ミーのスペアリブもでしょ」
二人の魔女は、お互いに顔を合せて歯を見せた。
この様子を見ていた愛美刑事と女性医師。
「あらあら」
「おやおや」
と、目じりを下げていく。
こんな反応をされているのを知ってか知らずか、ニーナとジェシカは各々が上着を着直して準備を整えていく。そろって頭を下げた魔女二人に、女性医師は笑顔で声をかけていった。
「どういたしまして。ーーー三日間くらいおとなしくしていたら、あばら骨はくっつくから大丈夫よ」
それから。
事情聴取と報告を終えて。
身柄を拘留している部屋、いわゆる牢屋までの道のりを女三人は言葉を交わしていた。後ろを歩く、愛美刑事は付き添い。口を開いてきたのは、ジェシカ。
「ニーナ」
「なあに?」
「地元に送還されたら、魔法警察と魔法学校に行ってみるよ」
「まさか、片倉日並のこと?」
「Yes。ーーー魔術や魔法となると、“こっちの警察”での逮捕は難しくなるわ。だから、専門分野は専門分野で任せたほうが妥当だと思ったの」
「それも悪くないわね。けど、あの女は日本の管轄でしょ」
「そうでしょうけれど、あの女は証拠を消せるのよ」
「学会員の上位だから、長崎県警にも力を及ぼせるってヤツね。だけどね、片倉日並には容疑がかかっているんだよ」
「組織の力を使ってのもみ消しでしょ? とれても証言どまりじゃない」
「それなの。物証も押さえないと駄目なんだよなあ」
ここまで黙って前を歩く二人の会話を聞いていた愛美刑事が、声をかけてきた。
「正直、物証がいまだにないのは、いかんともしがたいけれど。片倉日並から被害にあった“相談件数”ならいくらでもあるのよ。そして、いまだに生きている被害者たちがいる。ーーーなるべく多くの被害にあった陰洲鱒の女の子たちにきてもらって、顔認証してもらえたら話しは違ってくるわ」
この最後の言葉に、ニーナとジェシカが立ち止まって回れ右をして、一緒に愛美刑事を指さした。
「それだ!」
「うふふ。ありがとう。ーーーでも、どうやって多くの陰洲鱒の女の子たちを連れてこられるかしら?」
「またまたー。愛美さん知ってんでしょうー」
ニーナはヘラヘラしながら手のひらを上下にヒラヒラとさせた。これに愛美刑事が手で払うように足を進めろと無言で合図を出したあと、話を続けていく。
「教団が信者たちや学会員に斡旋して回っている、“鱗の娘”の存在を知っているかしら?」
「なんですか、それ?」
ニーナからの疑問を拾う。
「教団がマインドコントロールした陰洲鱒の女の子や人質にされた女の子たちをね、一時的に自我を失わせた状態にして、主に教団幹部や信者、協力者の院里学会の学会員、そして“顧客”、この三つに鱗の娘たちをあてがっているのよ」
「それって、売春なのでは……!」驚愕するニーナ。
「そうねえ、違法売春斡旋だわ」
やがて、拘置所が近づいてきた。
「どういう斡旋方法かは、前にタヱちゃんが話してくれたでしょう。多数の班に別れて、各場所にガサ入れするのよ。そして鱗の娘たちを救出保護して片倉日並を確認してもらうわ」
「完璧ですね」
「ええ。こっちの人員が少ないのをのぞけば、完璧よ」
見張りの警官に言って鍵を開けてもらい、ジェシカを“帰宅”させた。愛する弟二人から笑顔で出迎えてもらったあと、鉄格子を掴んで愛美刑事とニーナに顔を向けた。
「それ、ミーも協力できる?」
「あんた明日中に送還されるじゃん」
ニーナのひと言に。
「八月もまだ三週間以上あるよね。時間かかるけれど、お偉いさんに言ってみるよ」
「あはは。気持ちは嬉しい。けれど、アメリカと日本じゃ事情が変わってくるでしょ。だからあたしは、ジェシカのその気持ちだけでもありがたくいただいておくよ」
「へーい、ニーナ……」
碧眼が涙で溜まっていく。
「今日は、あたしに付き合ってもらってありがとう。それと、怪我させてごめん。機会があったら、また会いましょう」
そう別れを告げて、ニーナは愛美刑事と一緒に拘置所をあとにした。