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34/56

潮干タヱと新島悟


 1


 雷蔵は、重たく感じる瞼を開けた。

 身体に残る痛みに顔をしかめたときに、その視界へと入ってきたのは灰色の景色に黒褐色の線が水平と垂直に走って交差している物、天井だった。

「雷蔵!」

 そう名を呼んで、視界に飛び込んできたのは瀨川響子だった。ずいぶんと心配そうな顔をしている。そんな彼女に安堵を感じながらも「いてて……」と延髄の痛みに手で押さえて上体をベッドから起こしていく。響子は雷蔵の動きを邪魔しないように気遣いながら、姿勢を戻していった。

 微笑んで彼女の名を呼んだ。

「響子」

「良かった、雷蔵!」

 顔のかげりが消えた瞬間に、次は大きな黒い瞳を涙で潤ませて彼氏に抱きついた。その行為に対して雷蔵は素直に喜び、響子を抱きしめてあげた。

 そんなとき。

 ふと、前方に気配を感じて。

「ひゅー、ひゅー」

「いやん。熱い」

 医務室には瀬川響子だけではなく、尾澤菜・ヤーデ・ニーナと海原みなもの二人も居た。ニーナは眉間に皺を寄せて「やれやれ」といった顔を作り、手をヒラヒラとさせながら溜め息混じりに言葉を吐いていく。

「ったくー。人目を考えなさいよー、お二人さん」

「ニーナさん、見ました? 今度はお互い抱っこしていますよ。アタシたち来ちゃ不味かったですかね?」

 みなもは、熱くなった頬を両手で持って興奮気味に話しかけた。

「そだね。みなもちゃん、席、外そうか」

「ええ、そうしましょう」

「では、お二人さん。あとはなんなりとよろしくお願いしますよ」

「じゃあね、響子。榊さん」

 へらへらとした笑顔で、女二人は雷蔵と響子に背を向けてその場から立ち去ろうかとしていた、そのとき、扉が勢いよく開けられたと同時に細身の影が入ってきた。そして、様子を確認して声を投げた。

「雷蔵、無事か。動けるなら今から俺についてい。――――ああ、お取り込み中だったか。すまん」

 そう言って縁無し眼鏡を正した男は、稲葉輝一郎刑事。確か、雷蔵と一緒に担ぎ込まれたはずだが。回復は早かったようだ。

 響子が顔を赤くしたまま動かなくなっており、そして雷蔵は固まっていた。


 稲葉刑事の先導で、面々は会議室へとやって来た。

 すると。

「お前らすぎだ」

 白衣姿の男が、縁無し眼鏡の顔を見るなりに吐き捨てたひと言だった。

 百八五のスレンダーな優男やさおではあるが、白衣の下に隠れている筋肉には贅肉が無さそうだ。長崎県警では、遺体の死因解剖をしている。この男の名は、新島悟にいじま さとる。雷蔵と稲葉刑事よりも三歳上。髪型にはこだわりがないのか、「仕事し易いように短く切りました」な感じだった。

 悟はポケットからラッキーストライクを取り出して、一本を弾き出して逆さにして箱で軽く“トントントントン”と叩いたのちに、それを口にくわえてマッチで火を点けていく。静かに煙りを天井高くゆるゆると吹き上げながら、様々な顔をジロリと見渡していった。

 稲葉刑事を見て声を投げかける。

「輝一郎よ。席を外してもらえ」

「な……!」

 ニーナが喰ってかかろうとしたときに、後ろから「はい」と黄色い返事がした。発した音源を辿って首を向けてみたら、あらビックリ。

「み、みなもちゃん……?」

 ポーッとした顔で、さとるを見上げていたのだ。明らかに上の空。みなもは、ニーナの腕を取って声をかける。

「お仕事の邪魔になるといけませんから、アタシたちは外れましょーよー」

「…………」

 キラキラと放たれる空気に言葉を失う。

「じゃあ」

 と、響子が手を挙げて部屋からニーナたちを引き連れて去ろうとしたときだった。

「その黒い子は残ってて」

 悟が、なぜかタヱだけを呼び止めた。

「…………なにか?」ー黒い子? え? こんな呼ばれ方されたの初めてなんだけど!ーー

 表面は、あんまり快くなさそうな顔を向けた。だが実際は、驚愕と笑いが入り混ざって大変であった。そうとは知らずのさとるは、人の顔色でいちいち動じる男ではない。そして、今度は明確にタヱを指した。

「君は、潮干ミドリの妹さんだろ。陰洲鱒についての詳しい事も知りたい。俺たちと来てもらおう」

 選択は与えない男らしい。

 タヱは、これに不可解な顔になる。

「別に私でなくたって磯辺さんでも良いのでは?」

 蛙男こと毅に目線を指して、低い声で答えた。

 指していた腕を下ろして白衣のポケットに突っ込むと、今度は真っ直ぐとタヱを見てひと言。

「いいや。君がい」

「分かりました。少しの間だけならば構いません」

「よろしい」

 そして、タヱのみ引き抜かれて行った。



 2


 ほぼ同時刻。

 瀬峨流蔵せが りゅうぞう刑事は、部下の倉田理沙くらた りさ刑事と署内へと戻ってきていた。横溝警部補に現場の報告が終わり、次の現場へと向かっていたさいちゅうだ。二人はゆっくりと廊下を歩いていた。

 理沙りさ刑事が感嘆する。

「いやー! 十七の女ん子ってあげな力持っとったとですね」

「十七の全部が全部持っとるわけやあらへん。今回はあの容疑者が特殊なだけやで」

 歩く壁。または、ポニーテール刑事デカこと瀬峨せが刑事が人差し指を立てて、部下の言葉を訂正した。理沙刑事は話しを続ける。

「しっかし、被害者ガイシャの女ん人はえらい別嬪さんでしたの」

 不謹慎は承知の上だった。

「なんにもされとらんで一撃で殺されとりましたね」

「お前やったらなんかしとったんかい?」

 目を隣りの女に流して声を投げた。理沙刑事はそれに答える。しかも、自信を持ったひと言で。

「はい。自分なら犯しとりました」

「犯すんかい」

「だって、高身長で美人さんじゃ。迷いなく襲いますけ。―――この儂に身長を少し分けてー! ……って」

 そう云って、両腕を挙げて威嚇のポーズをとっていた。身長を欲しがるそんな彼女は、百六〇ぴったり。広島から長崎へと飛ばさ……赴任してきたこの女刑事に、瀬峨刑事は当初は一々突っ込んでいたが、日が経つにつれてそれは“スルーするときはスルーをする”という方法に変えて疲労をだいぶ減らした。


「おや? ニーナさんじゃの」

 そんなこんなやり取りのうちに、理沙刑事が喫煙所で控えているニーナを含めた女三人を発見。手をひさしにして三人を見る。そして今度は手を大きく振って声をかけていく。

「おおーい! ニーナさーん! お疲れ様ですー!」

「ん?」

 携帯用吸い殻入れに灰を落としていたジャーマン娘が、その呼び声に気づいて首を向ける。

「ややっ? そういやあれはクラリスじゃない。セガールさんも同伴ねーーーいや、彼は保護者か」

 そう呟いたのちに、吸い殻を片付けて微笑んで声を返した。

「いよう、クラリス。今日はどこで遊んで来たのよ?」

「相変わらずキツいのおー、ニーナさんは」

 言葉のキャッチボールをされた事自体が嬉しいらしくて、後ろ頭を掻きつつも顔は緩んでいた。あだ名はクラリス。

「あ、瀬峨さん」

「どないした?」

「儂、ニーナさんに犯されたい」

「…………」

 これには瀬峨刑事も返しようがなかった。


「で。どうして“あたし”に犯してもらいたいわけよ?」

 しかめっ面で灰皿に煙草をこねくり回しながら、ニーナは理沙刑事に聞く。そして、その答えは。

「いや、話題を瀬峨さんに切り出したんは自分じゃったんです」

「うん」

「百貨店の御手洗いで殺害された女ん人があまりにも別嬪さんじゃったもんやから、もし自分が犯人ホシの場合には直に殺すんやのおて犯しとりますよと」

「うん」

「で、今回この事件に関わっとる人たちにニーナさんと響子さんが居ったのと思い出しましての。先の話題と繋げて話しを広げとったんですよ」

「うん」

「じゃから、もし自分があなたがたを襲うホシやったら、響子さんは犯したい。みなもさんも犯したい。そしてニーナさんから犯されたい。……と、いうことですけ」

「ふーん……」―しまったー! 聞いて損した……。つまんねえー。――

 ちょっとテンションを落としたようだ。

 まだ白昼の警察署内。

 淡々と静かに空気が流れていく。



 3


 場所は変わって、同署内。

 視聴覚室。

 六つのブラウン管が光る部屋の床に、黒く艶やかな電気コードがステンレス机の下から這い出て、灰色の地面をうねり絡まり白い数々のコンセントに頭を突っ込んでいた。冷たさを感じさせる、数台の金属製棚にはオーディオ機器が並び、それらの後ろからは色とりどりな細いコードを生やしていたのだ。部屋に通されたとき既視感を覚えたので頭の中で巻き戻していくと、長崎大学の放送部の室内を思い出してしまった。不快なあの眼鏡の顔が浮かび上がってしまう。体育会系サークルたちに陵辱されている私の姉を助けもせずに、撮り続けていたという、あの細身の眼鏡の男の顔。私はあのとき、VHSテープを受け取ったときにあの深沢文雄を蹴り飛ばしてやりたかった。しかし、ここは長崎大学などではなく長崎県警だ。あのような不快な場所を思い出すところではない。

 タヱの顔に影が強く差していき、稲穂色の瞳を鋭くする。

 そして、口は強く結ばれていった。

 そんなときだった。

「どうした? 気分がすぐれないのか?」

「え……っ?」

 新島悟からの声で我に返って横に立つ彼に顔を向けた。

 表情は変わらないが、口調は明らかにタヱを心配している。

 なんだか知らないが、この検死官の男に興味がわいてきた。

 そして、この人も私に興味を持ってくれている。

 こう思ったとき、タヱの奥深くが光り輝き出した。

 次に稲穂色の瞳にハイライトが入っていく。

 私は、新島悟に心を開こうとしているのか?

「いいえ。好調です」

 と、微かに口元の端が上がる。

 目もとも、緩やかに弓なりになった。

 これを見たさとるは、軽い溜め息を鼻でついたのちに。

「なら、ちゃんとモニターを見ていてくれるか?」

「ええ」

 頼みを聞いて観ていたその画面には、銀髪の少女とミドリの姿が並べて映し出されてあった。

「この二人を見比べてみてどう思う?」

 さとるが確認してきたので、もう一度よく見る。

「あ!」

 すると。

「この子、姉にそっくり」

 あまりにも似ていた。

 しかも。

「これ、高校生のときの顔です」

「なんだって?」

「本当ですよ」

 稲葉刑事の問いに答える。

「いつも三つ編みのおさげしていたんです。ーーーで、この子が例の容疑者なんですか?」

 今度は、タヱが聞いた。

 稲葉刑事は答えていく。

「そうです。我々はこの映像と聴取した証言により身元を探してまわりました。しかし、なにも出なかったのです」

「なにもって。身内や家族が、ですか?」

「はい。そういった背景や環境がなにも無いのです。結論を言うと、“突然世の中に現れてきた存在”という風にしか考えられなかった」

「それは、また……」

 珍しく驚きを示した。

 しかし、この映像の銀髪の少女ーーーつまりは、盃戸蘭はいと らんは姉のミドリそのものにしか思えなかったのである。だが、別人には間違いなく、タヱは意外にも冷静に頭と眼と記憶で判断ができていた。稲葉刑事の話しによると、これらのミドリの画像の出所は、地元長崎の各テレビ局から預かってきた物と、無料動画サイトからダウンロードしてきた物であるそうだ。画面上に展開されている映像のそれらは、どれもが鮮明な物ばかり。深沢文雄と片倉裕美から引き取ったVHSテープは、タヱのいまだに手元にある。

 新島悟から聞かれた。

「君は、蛇轟ダゴン秘密教団の信者だったんだろ?」

「いいえ。違います」

 穏やかな顔と声で否定する。

 これにさとるは困惑した。

「違う?」

「ええ、違います」

 モニターから離れて、白衣の男に向き合う。

 悟もタヱと向き合う。

 稲穂色の瞳が泳いでいないところを見ると、本当らしい。

 眉間に皺を寄せて口を結んだのち、表情を和らげて口を開く。

「君は、いったい教団でなにをしていたんだ」

「知りたいですか?」

「ぜひ」目付きが鋭くなった。

「いいですよ。お話ししましょう」

 このときのタヱは、まるで親しい人へと向ける笑顔だった。

「私が今までに見てきたこと聞いたことをお話しします」

 他の男たちも皆、画面から目を離していた。

「まず、彼の名誉のためにも、そして私たちの住む島と町の名誉のためにも言っておきます。螺鈿島らでんしま陰洲鱒町いんすますちょうの町長である摩周安兵衛ましゅう やすべえは教団の教祖などではありません。昔も今も町長です。教団から勝手に教祖として登録されているんです。そして彼の妻の摩周ホオズキも、教団から勝手に教祖第一夫人と登録されています。ーーー次に、その蛇轟ダゴン秘密教団ですが。七〇年代のオカルトブームに便乗して、人魚の磯野フナが仲間と一緒に勝手に鱗山を削って立ち上げた物にしか過ぎません」

「勝手にか……。酷いな」

 悟の呟きに男たちが頷く。

「続いて、協力を強いられている人たち。ーーー儀式で司祭をつとめ“させられている”摩周ヒメと摩周ホタル。生贄と決定した虹色の鱗の娘たちの身体を“馴らす”行為をさせられている、龍宮紅子。そしてその娘たちの身の回りを世話することを“させられている”海淵海馬うみふち みま。あと、人魚の虎縞福子とらしま ふくこがいますが、彼女は生贄の日に鱗の娘たちの力を無力化するためにテトロドトキシン、一般に言うフグ毒を注射する役割を負わされています。ーーー次に、虹色ではないけど様々な色の鱗を持っている娘たちはマインドコントロールされているのが多く、身内を人質にされて、教団信者と学会員と人魚たちへ“お勤め”と称して性的処理係にさせられています。それから、その者たちに鱗の娘たちを運んで行っている人たち。これも多くいますが、代表してあげると、磯野マキと磯野カメ。野木切のこぎり姉妹。とくに長女の磯野マキは、母親の磯野フナから過去に性的虐待を受けていました」

「なんだそれ。教団から町を支配されているじゃないか。あと、虎縞さんは気の毒だな。“そういうために”毒を研究しているわけではないだろうに。ーーーその、生贄にされてきた虹色の鱗の娘たちは、どうなっているんだ。そしてその、磯野フナというのはどういった“人物”なんだ?」

 さとるはその情報量に圧倒されつつも、肝心だと思えたので聞いていく。その問いを受けた潮干タヱが、少しだけ沈黙したあとに語りを再開していった。

「そうですね。支配されていないと言ったら嘘になります。しかし、私たちの町を“いいようにしている”のは、なにも教団だけではありません。教団は信者と人質たちから資金を集めたり巻き上げていたりしていますが、それだけではなく、五〇年以上前くらいから協力をしている院里学会からの資金もあります。その学会員たちからも、陰洲鱒町の鱗の娘たちは辱しめを今も受け続けているんです。榊さんが長崎大学で見て聞いてきた通り、連中は“おもちゃ”にしているんだよ。ーーー次に、蛇轟ダゴンの生贄と称して犠牲になってきた虹色の鱗の娘たちですが。誰も未だにその神の姿を見たことがないんです。呪文も儀式も施設も“やぐら”も、全てが偽り。ただのカワです。私は今まで施設に出入りしてきて信者や人魚や学会員たちに話しを聞いてきましたけれど、虹色の鱗の娘たちの行方については共通して話しをしてくれませんでした。ーーーでも、“部外者”でもある摩周ヒメさんと妹のホタルちゃん、龍宮紅子さんから聞いた限りで分かったことですが。目撃した三人とも共通しているのは、海中で磯野一家の男衆から拉致されていく姿を見ていることです。その後の虹色の鱗の娘たちの行方は知らないと言っていました。ーーーそして最後に、磯野フナですが。“彼女”は人ではありません。人魚という種族の一体いったいです。どれくらい昔かは分かりませんが、磯野フナはいつの間にか螺鈿島に住み着いていたそうですよ。“アレ”はずっと小柄な老婆の姿をしています。なので私は“アレ”の年齢は知りませんが。でも、少し前に片倉日並から話しを聞いたら、磯野フナは三百年は平気で超えているらしいですよ。まあどうせ、それもサバ読みしていると思っています。その磯野フナと同じ人魚が、数を増やしてきていて、今や数えるのが面倒臭いほどになっています」

 タヱは語りを一区切りをつけて少し休息する。

 その間を見たさとるは、聞いてきた。

「その三人は、“部外者”でありながらも“町民”だから手出しすることができずに、ただ見ているだけなのか。助けたくても助けられない境遇は辛いものがあるな。ーーーそれから、君の話しを聞く限りでは、磯野フナという人魚が首謀者のようだな。組織の形態はどうなっているんだ?」

「はい、仰る通りに磯野フナが実質的なかしらです。ーーー教団の形態ですが“アレ”を筆頭に、幹部が鰐蝶之介わに ちょうのすけ橦木交太郎しゅもく こうたろう野木切鱶太郎のこぎり ふかたろうの三体。それらの妻が、鰐恵わに めぐみ橦木朱美しゅもく あけみ野木切鱏子のこぎり えいこの“三人”。この三人は三姉妹で、教団の部外者です。信者ですらありません。あと、彼らの子供たちの鰐三姉妹と橦木姉弟と野木切兄弟、こちらは教団の用心棒も兼ねています。と、ここまでは全部人魚。最後の四人目の幹部の入江美沙は、人間です。ここから先は、協力関係でもある院里学会の中でも上位の片倉日並かたくら ひなみと、陰洲鱒町町議会議長の鯛原銭樺たいはら せんかと、町の萬屋よろずやの秘書で人魚の鯉川鮒こいかわ ふな。ーーーそして最後なんですが。その萬屋、磯野商事の経営者の磯野波太郎と海太郎の兄弟、私が聞いた限りではこの双子は教団の立ち上げから裏方まで関わっています」

「相手が悪すぎる」

 新島悟の感想だった。

 これを聞いて、タヱは悪い気はしなかった。

 むしろ、微笑みを向けていたのだ。

「私だって“そう”思っています」

「潮干君も知っていると思うが。院里学会は世界規模で“展開している”カルト教団だぞ。信者も世界中に“散らばっている”んだ。噂では武器を所持いるらしい。蛇轟秘密教団の比じゃない。そんな連中を相手に、君はなにをするつもりだ?」

「抵抗してみせますよ」

「できるのか?」

「できますよ」

「…………」今度こそ心配そうな顔を浮かべた。

「私は私なりの抵抗をします。だって、陰洲鱒町の女ですよ。身体能力は一般人の数倍の他にも、それぞれの“技”を持っているんです。じゅうぶん戦えます。ーーーそして私は、潮干リエの娘」

 新島悟と目線を合わせるように見上げて、真っ直ぐと見た。

「“特異体質”の持ち主ですから、心配はいりませんよ」

 ニッコリと笑みを浮かべた。


 新島悟、榊雷蔵、稲葉輝一郎刑事、松本秀二郎刑事。

 これら男衆がそれぞれトイレ休憩を済ませたのちに、聴取を再開した。潮干タヱは一番手に済ませてきた。四人の男たちの小便の終わる間、タヱはモニター画面に映し出されている姉のミドリと銀髪の少女こと胚瞳羅ハイドラとの相違点や違和感などを観察して、頭に焼き付けていった。そして、ひと息着いたところで切り出してきたのが新島悟。

「潮干君はさっき、陰洲鱒町の生まれは一般人の数倍の身体能力を持っていると言っていたね? もし本当ならなにが原因なんだ」

 この質問に、タヱは内心嬉しくてたまらなかった。

 明らかに興味を示している言葉。

 そしてそれには、相手からの嫌悪を感じなかった。

 よって、当然のように気分は高揚してくる。

 頬に熱を持つのを感じてきた。

 それは、白い物が頬を両方から持ち上げていた。

 みるみると驚愕していく男たち四人。

 雷蔵が引きつった顔で、聞いていく。

「タヱさん、その、白いの、なに? 腕?」

「…………は!」

 我に返って、白い物を頬から放して黒いマントに素早くし舞い込んだ。今度は、気まずい方で心臓をバクバクと鳴らしていき、顔中に脂汗を噴いて動揺していった。声が裏返って、文章を組み立てることを忘れてしまう。

「こここここ、これ、は、その、こここここ」

「ごめん。聞いた俺が悪かった。新島さんの質問に答えてほしい」

 本当に申し訳ないと思って、謝罪した。

 だが。正直、吹き出しそうになっていた雷蔵。

 危機一髪で助かったと思ったタヱ。

 深呼吸して、気持ちを整えていった。

 気を取り直して、新島悟の質問に答えていく。

「陰洲鱒町の住民は、今やSNSや動画サイトにテレビそして雑誌などでは二百年前くらいに町長の摩周安兵衛さんが浜で拾い上げた黄金の蛇轟像をきっかけにして、金の鉱脈の出現と漁獲量の増加、そして海の奥底から這い上がってきた『深き民』というダゴンの奉仕種族たちとの交配、というのが一般化していますが。誤った情報も多くて、困ります。よって訂正させてもらいますと、ぶっちゃけ漁獲量は黄金の蛇轟像を拾い上げる以前も後も、変わらず比較的豊かです。大した差はないに等しいんですが、ありがたく思った安兵衛さんが土着の荒神の螺鈿様と一緒に祀っていました。その像ものちのち人魚から盗まれたんだけど、それは後に回します。ーーー次に、きんの鉱脈が現れたのは本当で、一時的に“お隣”の“軍艦島”と同じように人々で栄えたんですけど、同時に町民の女の子たちに危険が高まったので、年に一回私たちの母親たちは町長と一緒に護衛の陣を作って出稼ぎに来たアーパーどもから守っていました。今でも鉱脈からきんが採掘できていますが、早い時期から人から機械に切り替えて、現在は数社の企業が数人のオペレーターとスタッフをそれぞれ率いて採掘しています。採掘にしても、昔も今も噂ほどではありません。ーーーそして、かなめとなる深き民との交配の結果が今の私たちということですが。よく考えてみてください。たかだか二百年ですよ。子孫がいても、そこまでたくさんいるわけではありません。逆に“そっち”が少ない方かもしれないんです。だって、私たちの親たちはゆうに百歳を超えているのが多いので、そう考えるならせめて三百年以上前じゃないとおかしい。なので私は前に、島というか町に古くからある螺鈿様を祀っている神社に行って文献を読ませてもらったことがありました。すると、大昔にこの漁村のおさの男と荒神の螺鈿様とが夫婦めおとになって生まれたのが、私たちのご先祖の基本です。町民の大半が荒神の子孫。そしてその神様の“血”を色濃く受け継いでいるのが、主に摩周家の女たちです」

 予想以上の情報の多さに圧倒されていたが、気になるところも出てくるので、ここでも当然のように新島悟がタヱに疑問をぶつけてきた。

「日本にも男神と女神がいる。その螺鈿様というのは、女神なのか?」

「いいえ。どちらにもなれる神です。なので、当時の漁村の村の娘と夫婦になって子孫をもうけた話しも文献に載ってありました」

「それはまた……。ずいぶんと自由だな」

「神様ですからね、柔軟性があります」

「そういうのは、あれか? 仮に本当にその荒神がいるとして、子孫を残そうと決めた相手を“どこからか”見ているのか? あと、荒神以外の深き民との子孫もいることはいるんだな」

「いることはいます。ただ、私が聞いた見た限りだと半数以下くらいだと思います。残りの半数は螺鈿様の子孫です」

「なるほどな……。では噂に聞く、顔かたちが魚に近づくというのはどうなんだ?」

「それは、あります」

「あるんだ」

「はい。ーーーダゴンに奉仕している深き民とご先祖が交配してからのその直系の血を引いている家系ではもちろんですけれど、“そうではない”家系の子が影響を受けて魚化している場合もあります。これは私の勝手な推測ですが、ダゴンの力が風土病みたいな形もとりはじめたと思っています」

「風土病、ね……」

「ええ。そのおかげで、町で農業を営んでいる人たちのうち半数以下に魚化の影響が出ています。中には、螺鈿様の子孫ではない深き民の子孫ではない常人レベルの人たちもいますので、筋力瞬発力老化ともに一般と変わらないです」

「いろいろといるんだな」

「はい。そうですけど、結局のところはそういう人たちは私たちの島では少数で、あとは筋力も瞬発力も老化も先に言った通りに常人以上です」

「では、君もその、島の荒神の子孫または深き民の子孫なのか?」

 新島悟の質問に、タヱは「?」と言った顔をした。

 次は、微笑みを浮かべていく。

「私の“家系”は違いますよ。“身なり”はこんな感じに深き民の子孫に寄せていますが、そうではないです。かといって、荒神の子孫でもありません」

「“身なり”、ねえ……。ーーーまあ、だいたいのところは分かったよ。君たちの身体的事情と環境が、ひじょうに特殊なものに置かれているということが知れてよかったよ」

 多少の不可解さは残しつつ、語りに納得した新島悟を含めた男たち。これに笑顔を向けたタヱは「ありがとうございます」と礼を述べた。



 4


 これで私の役割も終わり。解散解散。

 と、思っていただろう。

「失礼なのはじゅうぶん承知している。君のマントの下の身体を見せてくれるか? もっと知りたいんだ。見える形でも」

「……は……?」

 タヱが静かに驚く。

 そして、なぜか恥ずかしくなってきた。しかも、この新島悟という白衣の男は真っ直ぐと見詰めてくる。その状況がさらに輪をかけけて、タヱの気持ちを煽り、この黒衣の女の頬をほんのりと赤く染めさせてしまった。

「失礼を言ってすまない。嫌ならやめても構わないんだ」

「いえ……、そんなこと、無い……!」

 悟の謝罪に、タヱは戸惑う。焦った顔を見せたときに、鋭い歯がブラウン管の放つ光をを反射して煌めいた。

「ただ……」ーなんで急にあなたに見せるのが恥ずかしくなってきたのよー。さっきまでは、なんともなかったのに……。なんでよ? 今までこんなことなかったのに……。なんで?ーー

 あの放送部部長の史雄に起こった嫌悪感とは全くの別物で、「この人に見られるのが恥ずかしい」というものであった。黙れば黙るほどに、放っておけば、余計鼓動が高鳴りを増して室内の男たちに聞かれてしまうかもしれない。そして、そんな考えを起こせば起こすだけ、段々と顔が赤味を帯びていった。

「どうした? 具合が悪いのか?」

 タヱの赤い顔を見た悟が、心配そうに声をかけてきたのちに内線を取って連絡をし始める。

「検死課の新島悟です。あのー、蛭池ひるいけさん。そちらに瀬川響子は居ますか? はい、ありがとうございます。至急、視聴覚室まで来るよう伝えてください。お願いします」

 内線を切って雷蔵の顔を見るなりに、微笑みを出した。

「ここは響子君が適しているだろう? なんたってお前のパートナーだ」

「ありがとうございます」

 照れを見せる雷蔵。

 タヱの方は、悟の微笑みにドキッとした。


 やがて。

「はい、私になにか?」

 五分と経たずに到着した響子。

 さとるが黒衣の女を指差してこう言った。

「瀬川君すまないが、タヱ君の具合を見てくれるか? もし大丈夫なら、あの服を脱がせてほしい」

「えっ?」

「言い過ぎたよ。マントを取ってあげてほしいんだ」

「それなら了解しました。新島さん、脱がせろだなんて言い過ぎですよ」

「なんだよ? もう突っ込むことないだろ」

 ちょっとばかりムッとしたようだ。

 そして、響子がマントの結び目に手をかけて、心配そうに念を押してきた。

「本当に、いいのね?」

「はい。お願いします」

 タヱは微笑みを見せて頷く。

 そして、紐が解かれたとき。

 黒いマントを外されて現れたのは、白い触手だった。タヱの白肌と同じくらいの白さを持つ腕に、吸盤が沢山並んでいたそれは、烏賊の腕であった。だからといって気持ち悪さなどは感じられず、むしろ初めから、タヱの為に設計されてあったように思えた程に必要性と機能美を感じ取ったのである。

 タヱは少し沈黙していたのちに、静かに語り出す。

 声も掠れてきた。

「私ね、腕の無いかっこうで出てきたんです。けれど高校を卒業して、姉が東京に行ったあとくらいだったかなー? 突然腕が生え始めていたんだよ。そして一年とかからずに“これ”が生えてきたんだ」

 間が空いたのを見た新島悟が、静かにたずねていく。

「その腕のことは、島のみんなは知っているのか?」

「いいえ。この腕は姉とお父さんお母さん、私と親しい人たち以外は知らない。というか、教団と学会員には知られていなかったかな」

「“隠し玉”というヤツか」

「あはは、どうだろ? 私もよく分からないです」

 タヱと悟の会話に、雷蔵が腑に落ちないことを感じたので響子へと聞いてきた。

「なあ、響子」

「なに?」

「この腕のことを知っていたのかよ? ニーナさんも、みなもさんも」

「うん」

 笑顔で返事。

 己だけが知らなかった事を恥じて、雷蔵は焦りを見せた。

「そ、そうか。黙っていたのにも理由があったんだろ?」

「まあ、タヱちゃんとお風呂に入ったのがきっかけだったかな。教団を欺きたいから黙っていてください、って頭下げられちゃって」

 肩を竦ませる。

 そして、彼の表情に気づいた響子が畳んだマントを腕にかけながら優しい笑みを浮かべて言った。

「雷蔵は恥じる必要なんてないからね」

「ああ、ありがとう」


 タヱを招いての映像の検証と聴取とを終えた面々は、部屋から出てきて暫く歩みを進めていきながら、それぞれが口を開いていく。

 響子の横に並んで歩くタヱが、ポツリと話しかける。

「私、腕がないころは姉を抱きしめたこと一度もないんです。その逆ならたくさんあったのに。―――でも、今は“この腕”のおかげで、姉と母と父を抱きしめることができるようになったんです。だから姉を、お姉ちゃんをもっと抱きしめたかった」

「そんなにもミドリさんが大好きなのね……。―――あたしもタヱちゃんと同じくらいに、歌子姉ちゃんと奏子姉ちゃんが好きなんだよ」

 笑みを浮かべて言葉を返す。

 微笑ましく思えてきたので、響子は隣りに腕を伸ばして肩を抱き、頭を“よしよし”と撫でた。

「まあ、一度目の奇跡が起こったんだ。次もあるはずだ」

 唐突に二人の後ろを歩く新島悟からの声がきたものだから、歩みを止めて首を回した。女二人の顔を見た白衣の男が言葉を投げる。

「なんだ? 俺がなにか気になることでも言ったか?」

 しかし、表情に変化なし。

「い、いいえ」

「なら、歩いてくれ」

「ええ、はい」

 素で言ったのか、気を遣ってくれて言ったのか、照れを隠しているのか、その変化無い精悍なかおからは男の感情がうかがい辛い事を改めて感じ取った響子は、ある種の感心と半ば呆れを含めて、タヱと仲良く歩みを再開した。


 手前を歩く雷蔵と稲葉刑事は、男どうしは男どうしなりに会話を進めていた。心配そうに稲葉刑事に声を掛ける。

「なあ、輝一郎」

「どうした?」

「例の容疑者がはっきりしないんだろ? 捜査は大丈夫なのか?」

「心配はするな。俺は俺なりにあの銀髪と教団との接点を探り当ててみせるさ。雷蔵は誘拐された摩魚さんを救出する事に力を注いでいてくれ」

「ああ、分かった。……何度もお前に世話になっちまっているな」

「なあに、お互い様だ」

「あははは……」

「ふふん……。だろ?」

「そうだったよな」

 お互いに笑い合った。

 それは、照れを隠してある事が見え見えである。



 5


 場所は変わって。

 署内休憩所。喫煙席。

「あっはっはっはっはっはっはっはっは! それはいいーわーー!」

「でしょ! でしょ!」

「わはははははは! まっこと効果ありそうじゃのーー!」

 みなもの出した提案に、ニーナと里沙刑事とが腹を抱えて絶賛していた。女三人が三人、タバコを吹かしている。

 携帯吸い殻入れで火をこねくり回しながら、みなもは語りを続けた。

「こっちも刺激が欲しいって要求した時の男の顔は見ものなんだから。それで反応止まった時なんかが面白いもんね。アタシから積極的にでてこられると戸惑ったりなんかしてさー」

「そこがまた可愛いとこじゃんねー。男のその顔見て、アタシちょっと興奮したりするのよーー」

 吸いかけの煙草を指に挟んで、ニーナが「キシシ」と歯を出して笑う。その傍らで里沙が灰皿で火を消して捨てたのちに、席を離れながら二人に手を挙げて別れの挨拶をする。

「では、お二人さん。ワシはそろそろ仕事に戻りますけ」

「あー、行ってらっしゃい」

 声をハモらせた。

 里沙刑事の背中を見送りつつ、ニーナが呟く。

「みなもちゃん」

「なんですか?」

「今度、ビリーと会ったときに“それ”試してみようかな」

「裸エプロンとソープランドごっこですか?」

「うん」

 力強く頷いて断言。

 因みに、ビリーとは、ニーナの彼氏である。同じドイツ人であり(ニーナの場合は混血であるが)、同期の護衛人。しかし彼氏は地元のウィーンに身を置いて働いており、ただいま二人は離れ離れ。


「あら、おかえりー」

 ニーナは煙草を吸い終えたところで、廊下の奥から来る面々に声をかけた。そして、タヱの隣りに並ぶ女に目をやり笑顔でひと言。

「響子ちゃーん、行きも帰りも早かったじゃなーい」

「あはは。ただいまー」

 響子は釣られて笑顔になる。

 更にタヱまで微笑む。

「ただいま、ニーナさん」

「おかえり、タヱちゃん」

 そう言葉を返した直後に、ハタと思い出してたずねた。

「そういや連行されて行った部屋でなにかされた?」

「脱がされました」速答。

「ぬゎん、だってぇ……!」

 歯を剥いたニーナのこめかみには青筋が隆々と浮いており、トドメに後ろの男連中を睨み付けた。正確には、マントを取っただけなのだが。

「ちょっとタンマ!」

 その目つきに恐怖を覚えた雷蔵が、手のひらを前にかざして慌てた。

 すると、たちまち。

「やぁーねぇー、雷蔵ー。あたしがすぐキレるワケないじゃなーーい」

「そ、そーだよな……」ー嘘ォーつけ! あの顔は本気で怒ってたじゃねーかよ!ーー

 けたけたと笑うニーナを、笑顔で見ながら雷蔵は心で突っ込んだ。

 そんなこともありながら、一行いっこうはその場で解散して各々の仕事へと戻っていく。

 まだまだ市内は昼下がり。

 夏の暑い日差しが、コンクリートから民家に至る建物群のエッヂを白く浮き立たせていた。



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