嗚呼!胚瞳羅様!
のじゃ系和装美女を書いてみたくなったのじゃ。
1
翌朝。
ひとりの男が慌てた様子を見せて、部屋に入ってきた。
その男の顔は奇怪極まりなく、要点をあげるとすれば、平らな頭から左右に飛び出した目は黒い眼の中に銀色の瞳と首筋には鰓を五つ持ち、手には水掻きを生やしていた。鎚が頭になっていたのだ。外見的には撞木鮫。茶褐色の着流し姿をしている。その鎚頭の男が、椅子に腰を下ろして帳簿に記していた男へと声を投げていく。
「蝶之介、胚瞳羅様がいなくなった!」
「なんだと?」
蝶之介と呼ばれたこの男も随分と奇怪な顔立ちをしており、瞬きしない黒い眼球に銀色の瞳と平らな頭から突き出た鼻の下に薄い唇。そして、首筋に五つの鰓、手には水掻き。まるで鮫そのものではないか。黒に近い灰色の着流しを着ていた。筆を置いた蝶之介が目の前に立つ鎚頭の男を見るなりに、舌打ちして。
「あの小娘が……。―――交太郎、被害はどれほど出た?」
「警備の者は全滅していた。胚瞳羅様は、どうやら素手で仕留めたらしい」
「ぐぬぬぬ。とうとう陰洲鱒から出おったか」
苦い顔をした蝶之介を見て、交太郎と呼ばれた鎚頭が話しかける。
「どうだ。また新たに遣いの者たちを送るか?」
「いいや、龍海たちが上手くやってくれるだろう。ここは念のために、俺の娘たちを出すか。―――蛇轟様に知れたら一大事だが、それ以上に今はあの“姫”には知れたくはないものだ」
鮫そのものの顔をした者の名は、鰐蝶之介。
鎚頭の者は、撞木交太郎。
人の物と反転した眼と首筋に五つと肋に三つの鰓。
“二体”ともに人魚の雄。
そして、蛇轟秘密教団の幹部であった。
「あの小娘に、してやられたみたいじゃな」
ノックをして、幹部室に和装の美女が入ってきた。
微笑んでいる様子から、機嫌が良いらしい。
小袖姿の白髪の美しい雌の人魚である。
白地と極めて薄い灰色のグラデーションを基本に、ぼかし染めの薄い藤紫が襟元から裾まで身体に巻きつくように
色を付けてあり、細い銀色の線で雲にも波にも見える柄を各所に画いていた。帯は銀灰色に銀色の線で鱗の模様を全体に描いていて、まるで蛇が腹に巻きついている印象。そして、なんと言ってもその美しい顔は、瓜実の輪郭の中にほぼ左右に整っている造形の中央を走る高い鼻梁と、切れ長な黒い眼の中には銀色の瞳、上下に二列の尖った歯を持つ薄い唇にはライラック色の口紅を引いてあった。魅惑的な細い“うなじ”。その首筋に五つの鰓。それは当然、肋にも三つある。なによりも一番特徴的な白色に輝く頭髪は腰まであり、オールバックにしてハーフアップにまとめた上に、赤い網笠子を象った髪どめをしていた。端から見たら、どこぞかのお嬢様である。そして、百八〇センチもある意外と高い背丈。その小袖に見合う、骨太ながらも薄くて細い身体。細く白い薬指に結婚指輪があった。
この大変美しい人魚の来客に、鰐蝶之介と橦木交太郎はたちまち血相を変えていった。思わず叫びに近い声を洩らしたのは、蝶之介。
「“姫様”!」
「私を、その名で呼ぶでない」
ライラックを引いた唇を強めに結んだ。
頭を下げて、蝶之介が訂正していく。
「鮒様。申し訳ありません。胚瞳羅を逃がしてしまったのは、我々の失態です。どうか、お許しを」
「私からも。申し訳ありません。お許しを」
と、交太郎も続いた。
鮒と呼ばれた白髪の和装美女は、この二体の様子を見ていたが、とくに腹を立てているわけではなかった。部屋に入ってきたときから楽しそうに微笑んでいたではないか。
「逃げ出したのは仕方のないこと。あの女神を一年近く監視下に置いていたことに、逆に私は感心しておるのじゃ。おとなしくしておったと思えば、脱走とは。まったく、神は気まぐれじゃの」
「許していただけるのですか?」
「だから言っておるだろ。逆に感心しておるて」
「アヤツが気まぐれなのは、私たちも同意であります。しかし、年のために私の娘たちを出す予定をしております」
この蝶之介の言葉に、鮒は口角を上げて。
「放っておけ」
「はい?」
「放っておけば良いと言っておるのじゃ」
「しかし、あの」
「ぼっちになって淋しくなれば、帰ってくるじゃろうて」
「神の気まぐれでしょうか?」
「神の気まぐれじゃよ」
鮒様こと、鯉川鮒。通称、“人魚姫”。
磯野波太郎の妻でもあった。そう、磯野フナの本体。
小柄な白髪の老婆は、妖術の“着ぐるみ”である。
2
同日の朝。
長崎の港を泳ぐ少女の姿を発見した漁船があった。
女も船に気づいたらしく、こちらへと向かってくる。船長は舵を止めて助けようとしたが、その少女の方が早く船に辿り着いて船体に手を上げて掴む。そして、身軽に船内に入り込んだのちに、船乗り達は驚いた。
少女は全裸だったからだ。
しかも隠そうともせず。
線の細い身体つきではあるが、どこかしら色気を放っていた。腰まである銀髪は、海水に濡れて光っている。船乗りたちはもちろん、目のやり場に困った。これらの反応に
少女はお構い無しに足を進めていき、若い漁師と目を合わせて口を開く。
「助かったよ。服がなくって丁度困っていたところなの」
その直後、白い漁船内で鮮血が飛び散った。
「んんーー! 外って最高! ウチの旦那様が目覚めるまで退屈だったのよねぇーー」
銀髪の少女は伸びをして海を駆け抜ける風を味わうと、振り向いて船長に怒鳴りつける。
「あんたは慈悲で生かしてあげたんだからね、感謝しなさいよ」
「はい!」
こちらも同日の朝。
榊雷蔵の家。
タヱはビデオを再生したまま眠っていて、明け方に響子から起こされたのちに、改めて布団の中へと寝かせてもらった。
居間でお膳を囲い、皆が朝食をとっている。
客室を気にかけた響子は、隣りの雷蔵に話しかけた。
「ねえ、雷蔵。タヱちゃん、物凄く落ち込んでいた」
「俺からはなんとも言えないが。ーーーまあ、よっぽどお姉さんが好きなんだろうなー」
雷蔵が隣りで合わせ味噌汁を啜る響子と、目の前で沢庵をポリポリとする、みなもに目を配った後にボソッとひと言を洩らす。
「妹キャラ多いな……」
「あたしは長女だけど」
白飯を咀嚼していたニーナから割り込まれた。
同時刻。
銀髪の少女が、船着き場に着いて降りたとき船長に腕を伸ばして頸椎を折って殺した。そして、大波止に建ててある大手百貨店へと入り込んだ。その女の身なりは、店内にいた従業員たちや客たちの目を惹きつけていた。シャツにゴムのオーバーオールにゴム長靴といった漁師の格好というのも勿論であるが、長身に見合った線の細さとほぼ左右に整った顔の造形。艶やかに濡れて光る銀髪。場違いな美しさが原因か。その銀髪の少女がお手洗いに入り、デニムワンピース姿の女に目を付けるなりに、素早く一緒に個室へと入り込む。デニムの女は驚きを声に出そうかとしたが、手で口を塞がれた。次は、唇に人差し指を立てて「静かに」と合図をして笑顔で話しかけてきた。
「あなた、美人だねーー。その服、私に貸してくれないかな? ズボンって股が擦れて痛いんだよね」
数分後、銀髪の少女が扉を開けて個室から出てきて、洗面台の鏡に映る自身を見てニンマリとする。
「あは。やっぱりこれ、私のためにあるデザインだねー。似合うじゃん」
次は、奪い取ったショルダーバッグを漁る。中に入っていたリップを発見。鏡を見ながら唇に塗って、具合の確認をして微笑んだ。
「うん。若い内は、口紅だけで充分だね。旦那様に会うんだから綺麗にしとかなきゃ」
お手洗いから出て地下食品売場へ足を運んでいく。
数分後、買った数尾の生魚を食していた。
当然だが、凄く目立っている。
それも、そのはず。
ここは百貨店の四階、大手出版社が販売を構える階にあるベンチに腰を下ろして、大胆にも生魚にガブリついていたからだ。生臭さが四階全体に漂って、来場者たちは鼻を押さえながら往来していた。そうしていた中で三人の青年が、お食事中の銀髪の少女に寄ってきて声をかけてきた。
一番手は無造作ヘアーの男。
「ねえ君」
「なあに?」
「そんな所で食べるなんて、お行儀悪いよ」
「行儀の悪い女は、キライ?」
こう上目遣いで聞かれて、無造作ヘアーの青年はドキッときた。それになんだかイケそうだとも思えたから、会話を続ける。
「いいや、君ならキライじゃない」
「嬉しい」
と言って立ち上がると満面の笑顔を見せて、無造作ヘアーの青年に甘えた声をかけてくる。
「じゃ、私はどこで食べたらいいか教えてくれる?」
「俺たちの車で食べるといいよ。生臭さなんて気にしないし」
「なら早くアナタの車に私を案内してくれない?」
「喜んで。―――なあ、お前らもオーケーだろ?」
無造作ヘアーに呼びかけられて、右側の爬虫類顔と左側の長髪とが嬉々として頷いた。
青いハイエースの内部。
銀髪の女を後部座席中央に座らせて、爬虫類顔とロン毛が挟んでいた。袋を開けて残り三尾に手をつけようかなとしたところで、運転席の無造作ヘアーから優しく袋を取り上げられてしまい、銀髪の少女は少しむすくれる。
「ちょっと、なに?」
「ごめんごめん。食べる前に俺たちにお礼をしてくれない?」
「ありがとね」
「いやいや、言うんじゃなくってさ。“お礼してくれない”……かな?」
その言葉の意味を察した銀髪の女は、口元に付着していた魚の血をハンカチで撫でるように丁寧に拭き取ると、唇を歪ませて手を爬虫類顔に回して額と額をくっつけた。そして、運転席側へと切れ長な銀色の瞳を流して無造作ヘアーの青年に口を開いていく。
「んふふ。お口が少し生臭いけれど、大丈夫?」
銀髪の少女へ大丈夫大丈夫と返したあとに、いそいそと運転席に座り直して順番待ちに入った。すると、一分と経たないうちに後ろから手が伸びてきて、無造作ヘアーの青年の前髪が掴まれてしまった。ヌルとした物を皮膚に感じて、その指を見たら、血で赤く塗られていた。もう片方の手も後部座席から伸びてきて襟元を捕まえられて、グイと後ろに引かれて目をやると、奥からにゅううっと銀髪の少女が顔を出してきて、それは不思議と返り血を一滴も浴びておらず綺麗なものであった。銀色の瞳を鋭くさせて、無造作ヘアーの青年に凄みを利かせて囁きかける。
「おいニイチャンよ」
「は、はい」
「私を抱こうなんぞ生意気なことするな。この身体は旦那様のものだ」
「はい……」
「お前は慈悲で生かしてやる。だから私の通りに車転がしてくれればいいんだよ。オーケー?」
「はい……」
「よし、お利口さん」
3
場所は変わって、海淵龍海の家。
時間的には昼に近い。
裸の亜沙里が敷き布団から身を起こして彼氏から上着を着せてもらったと思ったら、すぐに首に腕を絡めてきた。
彼氏こと龍海からひと言。
「スカートがまだだ」
「穿いてなくたって“できる”じゃんよ」
そう呟いた亜沙里は、彼氏の顔を近づけて口付けをしていく。次はさらに口内で舌を絡めて深く堪能しようかとしていた矢先、家の駐車場に車が停まる音を聞いたので仕方なくお互いの口を離したあとに、亜沙里は舌打ちしながらスカートを片手で穿いたのちに、龍海へと話しかける。
「フナのお婆さんかな?」
「今日は予定の日ではないはずだが」
龍海が衣服を着ながらそう言っていたさいちゅうに、玄関を勝手に開けられる音を聞いた。ノックすらしないで戸を開けた割には、三和土を勝手に上がることはしないらしい。この身勝手な侵入者は、礼儀があるのかないのか。服を着なおした二人は、来客を迎えに玄関へと歩いていく。そしてその来客の顔を見た瞬間、龍海は驚きの声を洩らした。
「ミドリ……!」
「いいや、違うよ。この子ミドリにソックリだけれども全くの別人さ」
亜沙里がこれを静かに否定したあと、玄関に立つ銀髪の少女へ微笑んで挨拶をした。
「はじめまして。いらっしゃい。私は浜辺亜沙里」
「はじめまして、亜沙里さん。私は蛇轟の妻です。旦那様ともどもよろしくね」
と、屈託の無い笑みを見せて自己紹介した。
それを聞いた龍海は、珍しく驚きを示す。
「ま、まさか……、あなたは胚瞳羅……!?」
「あはは、鰐さんと橦木さんからそんな名前で呼ばれてまーす。ーーーねえ、しばらくの間だけでいいからさー、ここでかくまってちょうだいな」
胚瞳羅と呼ばれた銀髪の少女が「お願い!」と手を合わせた仕草を二人に向けて頼み込んでいった。それを見た亜沙里はニッコリと笑顔を見せて、龍海に首を向けた。
「ねえ、この女神様を置いてあげようよ」
「お前それ、本気で言ってんのか!?」
それから、居間に通された女神胚瞳羅は、お膳で亜沙里から出された煎茶を啜っていた。喉の中を磯の香りと味が通過していき、うっとりとさせていく。
「旨い……。初めてこんなのを飲んだよ」
「ありがとう、嬉しいわ。それより、あなたって今まで陰洲鱒町の煎茶を飲んだことなかったんだ?」
亜沙里が「意外ね」といった顔で、女神に話しかけた。
この問いに、胚瞳羅は後ろ頭を掻いていく。
「いやははは。煎茶と言っても、町の外から誰かが買ってくるお茶をいただいていたから。“地元”のお茶は一度も飲ませてもらったことがないんだ」
「そう。―――でも良かったじゃない。ここで“地元”の煎茶が飲めて。ね」
このように、亜沙里は笑顔で返した。
それから、煎茶を飲み干した銀髪の女神は座布団に正座をして、畏まって姿勢を正して切り出してきた。
「あの……」
亜沙里はこれを受けて、聞いていく。
「どうしたの?」
「なんだか、外に出てまで胚瞳羅って言われるのもちょっとどうかと思うから、その、新しい名前が欲しいなあー、なーんて」
「ああー。なるほどね」
納得した亜沙里が箪笥の引き出しから紙と鉛筆を持ってくると、再び龍海の横に腰を下ろした。そして、数秒間ほど思考を巡らせたのちに、手早く文字を書いて胚瞳羅に見せていく。
「これ、どうかな?」
「盃、戸、蘭」
「そう。はいと、らんって読むだよ」
「あーー! いい! 蘭て可愛い!」
「でしょ? でしょ?」
「ありがとー! 亜沙里さん!」
大いに喜びを表して、亜沙里の手を取って小首を傾げて愛らしい笑みを見せた。この女神の表情と態度に、亜沙里が照れていく。
「いやあ、その、どういたしまして」―蛇轟様の妻が、こんなに可愛い女の子だったなんて。意外。――
胚瞳羅改め、盃戸蘭。
蛇轟を夫に持つ。
見かけは少女にして人妻。
海淵龍海、三人の女たちと一緒に生活することとなった。