海原摩魚
この書き物は、HPラヴクラフトの原作である「インスマウスを覆う影」と「ダゴン」を原案にもとづいて書いた二次創作です。これに出てくる登場人物および宗教団体などの集団は全て架空上のものです。実在している人物または学会(宗教団体)と似た名前が出てきますが、それらとは多少異なるのでご注意ください。
2024年の段階で大幅に加筆と修正をしました。現在投稿している第二部との統合性をとるために、後付けの伏線を張っていきます。よろしくお願いします。
1
七月末日。早朝。
海原摩魚。
二三歳。長崎大学四年生、歴史研究科学所属。女は、物心がついたころから日本の歴史に興味が湧いていたようで、小学生になった時点で既に己の行く道を決めていた。やがて、この世界に身を投じる。いわゆる『勉強の虫』だ。しかし、摩魚は“それ”だけではなかった。スラリとした細身に見合った、百七〇センチの長身。卵の輪郭の中に、大変に均整のとれたバランスで配置された顔のパーツは、ほぼ左右対称であった。若干の吊り目は切れ長で大きく、黒い瞳は光りの当たり具合で金緑色に見えて、よく見ると縦長の瞳孔をしていた。高い鼻梁。唇は、クリアーのリップを引いているかのような艶やかであり、愛用の口紅はマット系の赤色。肩より下まで伸びている艶やのある黒髪を、真ん中で分けてセットしていた。
キャンパス内には美女が幾人かいるが、中でもこの摩魚の容姿だけは、異質なものを感じさせるほどに突出していて、誰も惹きつけないわけがなかった。その証拠に、これまで三度四度、芸能事務所からマネージャーがわざわざ東京から長崎まで足を運んできて、皆が皆ぜひとも我が事務所に来てくださいと頭を下げてきたのである。揃いも揃って摩魚を目当てに、だ。当の本人はどうしたかというと、「お気持ちは大変に嬉しいのですが、私はこの身を日本の歴史の研究に捧げました。よってあなた方の世界で私がどうこうする等といった気など、いっさいありませんので、どうかお引き取りください」と、毎回このように言って撃沈してきた。決意には、揺るぎがない女である。そんな摩魚にも、ひとつ下の妹がいた。
海原みなも。
長身でスレンダー。顔は姉とは似ていないが、造形はほぼ左右対称で整っていた。研究に身を投じている姉に対して、みなもは高校卒業後にすぐ、家業を継いで『海原鮮魚店』で働いている。女は小さな頃から、この生臭い匂いが好きだった。可愛い物から、果てはグロテスクな物まで、そのような魚介類を見ていて飽きないからだ。家族の中で唯一車を持つみなもは、大学に行く姉を毎日送り迎えをしている。みなもは、姉が誰よりも大好きだった。
摩魚は最近、疲れ気味な顔で妹にこう話している。
毎晩見る夢の中で、“かなづち”な私が深海を泳いでいて、やがて歪なバランスの建造物に到着した途端に、その奥深くから怪物が目の前に現れて来るのだという。それはもう、十七歳の時から見ていたそうで、ここ最近はより頻繁になってきたのだと言う。
そして今日も朝早く、寝間着姿の摩魚が気だるい欠伸を交えて二階から下りてきた。
「おふぁやうーーー」
「姉ちゃん、おはよー」
笑顔で姉を迎えるも、心配でたまらない。
「また、見たと?」
「ん……」
妹の確認に、摩魚は瞼を擦りながら頷く。
まさか、夢でこうも疲労するとは。
―その気だるい顔も悩ましいぜ。お姉ちゃん!――
みなもは不謹慎と自覚しながらも、こう思わずにはいられなかった。そんな中で、つけていたテレビ画面には、朝の報道バラエティー番組が映し出されており、ワンコーナーがはじまっていた。液晶画面に映るひとりの女性は、まるで姉の摩魚に“そっくり”な容姿をしていて、この女性出演者を目にする度に海原姉妹は「綺麗な人だよね」と顔をゆるませていた。特徴的なのは、縁なし眼鏡をかけていたところだが、この女性出演者が言うには伊達眼鏡らしい。
そしてそのワンコーナーで女子アナウンサーから、女性出演者が紹介されていく。
『今日も始まりました。毎朝恒例の、女の子たちの恋愛相談室。今回も担当していただくのは、女の子どうしの恋愛研究をしている人、有馬鱗子さんです』
『おはようございます! 全ての女の子たち、恋してるかな。鱗子だよ。今日もよろしくね!』
と、有馬鱗子が笑顔で手を振って自己紹介していく。
そして、女子アナウンサーがお便りを読み上げ出した。
『では、さっそく一通目の相談です。これは先日届きました。「はじめまして、鱗子さん。私には好きな女の子がいました。その子は、とても綺麗で可愛い女の子で、昨年まで芸能活動をされていて、私の地元の長崎に活動をお休みして帰ってきたときに知り合いました。それから私たちは付き合い出して、ともに楽しい時間をすごせました。でも、昨年のある日突然、その女の子が消えてしまったのです。それっきりその子とは会っていませんし、会いたくてもできません。私の中には大きな穴が空いてしまっています。その女の子には帰ってきてほしいです。いつか帰ってきてくれるでしょうか。」とのことです。投稿者はマナさんという方です』
この投稿者の名を聞いたとき、鱗子は一瞬だけ顔を悲しく見せたが、そこは芸能人で切り替えが早く、もとの笑顔に戻ってお便りに答えてゆく。
『マナさんがその女の子の帰りを願っているなら、きっと帰ってくるわよ。一年間でも楽しいひとときをお互いすごしたのは間違いないんだもの。今でもその女の子を大切に思っていれば、あなたの思いもきっと叶うよ。私も応援しているから、頑張って!』
と最後に閉めて、親指を立てた。
そして、次のお便りを女子アナウンサーは紹介していく。
そんなワンコーナーを見ていた妹の“みなも”が、ちょっとばかり悲しそうな顔に変わり、台所で顔を洗っている摩魚に話しかけていった。
「ねえ。このお便り、お姉ちゃんのじゃないの。ミドリさん消えたままだよね。本当にどこ行ったのかな?」
「“それ”が私のだなんてどうでもいいの」
顔をタオルで拭きながらリビングに戻ってきて、洗濯かごにそのタオルを投げ入れてのひと言だった。タオルを投げ入れるのは、摩魚の癖である。決して乱暴にではなく、ポイッと軽くかつキレイなフォームで毎朝決めてくれる。妹の拍手に姉はニッコリと笑顔を向けた。このやり取りも姉妹の毎朝の恒例になっている。未だに寝間着姿のままで腰に両手の拳を乗せた摩魚は、みなもに微笑んで艶やかな唇を開いていった。
「ありがとう、みなも。私も、ミドリさんがどこに行っちゃったか分からないんだ。お姉ちゃん、こんなに人を好きになったのは初めてだったよ」
「そうだよね。ミドリさんとのデートに行くとき、いつも楽しそうだったものね」
「デ、デート……。ま、まあね」
妹の言葉に顔を赤らめた。
「彼女からお別れの挨拶を聞いたときは、恥ずかしいけど、私、泣いたなあ……。でも、いつか帰ってくれるはずだよ。絶対」
そう笑顔で閉めて、着替えに入った。
摩魚の言うミドリさんこと、潮干ミドリは長崎市生まれの芸能人で、一年前に所属事務所に休暇願いを提出してから地元に帰ってきて海原摩魚と知り合い、蜜月を重ねた美しい女性であった。それが突然、摩魚に別れの言葉を伝えたあとに姿を消した。これが摩魚とミドリとの最後のデートになったのである。
『それでは、新たに入ってきた速報です。昨日の朝、技術者被災地派遣法でパレスチナに派遣されていた㈱志田工建の経営者の志田杏子さんが左肩に銃撃を受けての重体といった報告が日本大使館を経由して政府に入ってきました。志田杏子さんは重体ではあるものの、意識ははっきりとしているそうです。彼女には今、長女の志田姫子さんと三女の志田銀子さんが付き添っています。ニュースをお伝えしました』
2
同日。八月初日。
長崎大学構内。
海原摩魚はこの日、午後からの全ての講義を受け終えたあとに、みなもの級友が勤務している探偵事務所の所長と会って三人で話す予定をしていた。一昨年の夏に行方不明になった陰洲鱒町の出身の女子生徒と関わりのあった摩魚からその生徒について人物像を知りたい、とのことで、会って全てを話すつもりであった。摩魚は、この探偵事務所の所長とその助手である妹の級友とは実は三年くらい前にも会っており、このときが初対面だった。初対面だったが、当時この所長に会ったときは嫌悪感を全然感じなかったほどの好青年であり、しかも妹の級友である助手の彼女を大切にしている雰囲気も伝わってきていたので、この“姫様”から見て嫌悪感を抱かない上に親しみを持った成人男性であった。こういうことを思い出しているうちに、摩魚は肩のあたりに例の痒みを覚えた。“これ”は摩魚の経験上、人のことを思ったときに出現する物である。それも度合いがあるために、摩魚自身もしょっちゅう見られる物ではなかった。
そして。
大学校舎の出入口で背を預けて待っていたとき。
「お久しぶりです」
「久しぶりです、摩魚さん」
約束の時間通りにきた所長の青年と妹の級友から声をかけられて、摩魚は思わず笑みがこぼれた。
「久しぶりです。こんにちは」
それから二人を先導して、摩魚は歩いていた。
「今日はね、響子ちゃんと雷蔵くんが来るのを楽しみに待っていたんだ」
「それはどうも、ありがとうございます」
と、足を進めながら会釈した所長の青年。
今の摩魚は、気分が乗って嬉しかった。
心なしか、足どりも軽い。
そんなウッキウキな“姫様”の背中に、ミドルのポニーテールにしている妹の級友から話しかけられた。
「あたしたちが送った資料にあった、生贄になった女の子たちの中に、あなたと親しかった人たちがいると聞いたから」
「ええ。私の知っている限りのことは、全部話すよ。有子さんと真海ちゃんと、そして、ミドリちゃん」
最後の娘の名前を言ったとき、肩のあたりが再び疼いた。決して不快ではない痒み。だがこれは、出現が強く感じる。目の前の景色が、一瞬だけ虹色のフィルターがかかり、ややつり上がった切れ長な目をしばたいた。続いて、ちょっと痛みの走っていくのも覚えた。これはちょっと、“いつもと違う”ぞと思い、摩魚は足を止めて後ろの二人に振り向いた。
「ごめん。今から少しだけ御手洗いに行ってくるから、近くの壁で待っていてね」
「ええ、どうぞ。いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
好印象な男女二人から笑顔で見送られて、トイレを目指した。それから少し経って、その二人の目の前に車椅子でやってきたのは、美しい長い黒髪の女性であった。大きく手を振りながら、車椅子を走らせてきた。
「響子さーん、雷蔵さーん」
「あらー。ホタルちゃん」
「おー。お疲れさん」
車椅子の美女から名前を呼ばれて、二人は笑顔で出迎えた。
海原摩魚は御手洗いに入ろうとして、気配を二つ感じて足を止めた。毎日、何者かに尾行されていることは気づいていた。いや、私だけではない。私の親しい友人たちと潮干ミドリがつきまとわれて盗撮された被害を受けて、私に涙ながらに相談してきたことがあった。しかし、このまま突っ立っていたら怪しい人物そのものなので、鼻で溜め息をついて決心して御手洗いに踏み入れていく。摩魚は肩のあたりに再び痒みを感じたので、指でなぞってみた。すると、僅かではあるが凹凸があり、それはどちらかといったら滑らかな感触。
また、だ。
また“これ”が浮き出てきた。十七歳の時から現れては消えてきた“虹色に輝く鱗”に、疑問を感じていた。なぜ、私にこのような物が生えてきたのだろうか?と。その考えは決して己の不幸を思っているのではなく、この世の物とは思えないほど美しく輝くこの鱗を、私は持てる資格があるのだろうか。と、このように、摩魚は“コレ”を見るたびにじぶんで良いのかなという考えが出てきていた。用を足し終えた摩魚が洗面台の鏡に向けて、上着のボタンを外して襟をはだけるなりに肩を出してその鱗の状態を確かめてみる。最近になって、この虹色の鱗が現れる時間が長くなってきていた。そして、今日、鏡で見たときにそれは時間が経っても消える気配がないことに気付く。ついに定着した?
そう思っても、不思議と不快な気持ちにはならず。
たまたま出現時間が長いだけかもしれない。
―ミドリちゃんを思い出すごとに、この鱗が出てきたりしているなあ。本当に、どこ行ったのかなー。私、あなたがいないと淋しいよ。――
突如の暗転。
別の個室から出てきた片倉裕美が隣りの洗面台に立ったとき、思わず顔を赤らめながら摩魚のはだけていた肩を隠してあげた。この裕美の出てきた姿を見たとき、摩魚は一瞬だけ笑顔を消して警戒した顔に変えて、頬を痙攣させた。そして、虹色の鱗が半分ほど透けて消えかかっていた。確か、二つの気配はしていたが。あとひとつは、どの個室トイレなのか。ここで、潮干ミドリだけでなく、同学年だった海淵真海、二学年下の摩周ホタル、そして私が盗撮されていた。その証拠に、誇らしげにYouTubeに私たちの動画があげられていたからだ。しかも、動画タイトルが『長大の鱗娘』と。
「ちょっと、摩魚さんってば、なにやってんの」
「あら? ありがと。―――なにって、ちょっと確かめていただけなんだ」
「確かめていただけってなにを?」
「えーー。なーいしょ」
身長が百五〇センチの裕美に、摩魚は笑顔を交えながら返すと、裕美は溜め息まじりで返してきた。
「まったく。誰かに見られていたらどうするの」
「あははは」
摩魚はそう笑いつつも、頭の中では次に、この虹色の鱗について調べてみようかしらと巡らせていた。
3
時を遡り。七月の二週目。
長崎大学構内。
昼休み中。
摩魚はいつになく真剣な顔で、図書室で液晶画面を睨んでいた。まあ、講義を受けているときもいつも真剣なのだが、ここ毎晩頻繁に見る深海を泳ぐ夢には正直に言って“まいって”いたから、今日からを境にコイツーーー虹色の光る鱗を持つ巨大な龍。ーーーを解決してやろうと決めていたらいつも以上に気が張っていた。目線は画面に固定したままに、指はキーボードを打ち、マウスをクリックして、などを繰り返していた。まず最初に、あまりにミーハー過ぎて嫌いな感があった『夢占い』に当たってみたが、あまりに此方が特異過ぎたようで引っかからず。次は精神分析のサイトで、幾つか探ってみたのだが、空振りもいいところ。
「なにかひとつくらい当たったっていいじゃない」
思わず漏れた独り言。
ちょっと不機嫌。
「それともなに? 私が見た夢ってのは、やっぱり怪獣? 怪獣って確か心理的な分析によると、猥雑な塊だとか。まさか、陰で勉強中毒者と揶揄されている私は、男に飢えているとでも言いますか。ああ、そうですか」
そして、ちょっと怖い。
軽い溜め息をついて、ちょっとだけ手を止めたついでに、今朝、忘れないうちに摩魚自身でメモ帳に描いた夢で見た“虹色の異形”に目を向ける。龍のような蛇のような長い胴体から繋がる尻尾を基本に、正面に付いた眼に鼻の無い顔、首筋に鰓と鰭、頭頂部から尻尾にかけて背鰭があった。その絵をじっと見ているうちに、考え方が切り替わっていく。
「確かに怪獣だ」
と、いうことで。
方向転換して、日本各地の民間伝承やそれぞれの地方に昔から噂になっていた未知の怪物などの情報を調べに取りかかっていった。
龍神。
大蛇。
邪神。
河童。
人魚。
半魚人。
旧支配者。
浦島太郎。
特撮怪獣。
どれも当たらず触らず。
私が知る範囲に限界があるのかなと、ちょっと気持ちを沈めてしまうも、確か構内に民間伝承を専門にしている教授がいたよねと思い出した。摩魚の研究している歴史にも関連しているから、顔は知っている。
といったわけで。
海原摩魚は、歴史科学の民間伝承や地域風俗を研究している有馬哲司教授のもとを訪れていた。
この教授は、背は高くて痩身ぎみな男。いつも、濃いブラウン系のスリーピースを愛用している。顔立ちは整ってはいるわりに、顎に短めな無精髭を蓄えていた。パッと見、冗談が通じるかどうか分からない男でもある。
本棚と立体資料とに囲まれている部屋で、教授の机を挟んで摩魚は向かい合っていた。ひと通り摩魚の話しを聞いた有馬教授が、ひと言。
「なるほど。君のは相当特異過ぎるようだな」
「そうなんです。―――で、なにかと参考にしていただきたいと思いまして、念の為に描いておきました」
摩魚はハンドバッグから例の物を取り出して、「どうぞ」と、有馬教授に差し出して見せた。それを手に取るなりに、男が眺める。
「下手くそだなぁ」
「下手くそですが、なにか?」
「……」
速い摩魚の返しに、有馬教授は一瞬だけ言葉を失うも、すぐさま立て直す。
「まあ、別にいいんだけれどね。これがその、夢に見る怪獣か」
「やっぱり、そっちに行くんですか?」
「そうとしか言いようのないからな。―――で、海原君は夢の中でコイツに最終的になにをされたんだ?」
「なにもされません」
「なにもないのか」
「残念そうに言わないでください。―――それより教授。この顔について、なにか知っていることはありませんか? なんでも構わないんです。教えてください」
真剣な面持ちの摩魚を見ていた男は、紙を机に置いて椅子に背を預け直すと、語り出していく。
「海原君、この長崎に陰洲鱒町という町があることは知っているだろう」
「はい。私が高校のときの女の子と男の子と、昨年までのバイト先の女の子と。そして今は、在校生で一昨年までいた女の子と二つ下の女の子がいます」
「よろしい。―――しかし、その町のある島の場所というのは分かるか?」
「いえ、それが」
なんだか恥ずかしそうに、後ろ頭を掻く。摩魚の仕草なんぞ見ていない有馬教授は、すでに己の記憶の中へと入り込んでいた。
「その陰洲鱒にはな、ちょうどこのような顔をした住人たちがいるんだよ。―――その前に、この町のことから話そう」
「お願いします」




