戦慄!磯野一家!
1
オレンジ色のエプロンを着けた長身のスレンダーな、切れ長な細い目をした美しい女が響子たち三人に気がついて隣りの母親に話しかける。うち二人は知っている顔だからである。前髪を七三に分けて、肩甲骨より下まである長い黒髪を巻いてアップにしていた。しかもその目は、白ではなく黒い眼で瞳は銀色であった。そして、美しい“うなじ”の首には五つの鰓を確認。
「おや、お母様。あちらに居るお方は、裏切り者の磯辺さんではなくて?」
「あら? 不思議な事もあるものですね。私たちが仕事のついでに寄り道をしていた所に、偶然あの毅さんとお会いになるなんて……」
着物姿の小柄な老婆は、ニヤリとしてそう言った。そして、エプロン姿の女の脇に立つ、細身で長身の赤いワンピースの女が、切れ長で細い目を弓なりにさせて鋭い歯を剥き出した笑みを浮かべて口を開く。このボブおかっぱ頭の女も、着物姿の小柄な老婆も、エプロン姿の巻き髪の女と同じ黒い眼と銀色の瞳に、首筋には五つの鰓があった。
「ちょっと、お姉様」
「なんです? カメ?」
「磯辺さんのお隣に居る方は、もしかして彼女さんではないかしら?」
「ひひひ……。だとしたら磯辺さん、あのような可愛い方を一体どのように舌をお使いになって物になさったのかしらね?」
「けけけ……。お姉様、それはいくらなんでもお下品じゃありませんこと?―――けけけ……」
実に怪しく笑う妖しい一家である。エプロン姿の女は、どうやら老婆の娘であり長女らしい。
「お母様。人通りが多いようですが、今から磯辺さんへと制裁をお与えになります?」
娘の言葉を受けた老婆は、細い目を更に細めて薄気味悪い笑顔を浮かべるなりに言葉を吐き出していった。
「マキ、それは構いません。私たちは蛇轟様にお仕えする身、“多少の犠牲者”は目を瞑ります。これも全ては蛇轟様の為ですよ。ひひひ……」
「それはありがたいですわね。―――カメ、お母様からのお許しが出ましたわよ」
姉の言葉に反応していく妹。
「嗚呼……、今から楽しみですわ、お姉様。これから裏切り者に蛇轟様の鉄槌が下せると思えると、わたくし、躰がウズウズとしてきましたわ……。けけけ……」
「あら? カメ。この、わたくしも疼いて疼いて我慢の限界ですのよ……。ひひひひひひ……」
「けけけけけけ……」
「アナタ、マス、カツ、タラ、殿方の準備はよろしくて? マキ、カメ、あなたがたはお隣のお嬢さんを御願いしますよ」
「あら? お母様は行きませんの?」
マキが銀色の瞳を流した。
「私は真ん中の殿方をいただきますよ。ひひひ……」
「あらやだ、お母様ったら」
そのそばで、磯野家の殿方衆が地を蹴って走り出していく姿を見たマキは、ニタリとする。
「あらあら、マスさんたっらやる気が満々なようですわね」
「お姉様、どちらが先にあのお嬢さんを仕留めるか競いませんこと?」
「ふふ。それは面白そうね」
“地”が出てしまった。
イイ女になってはいけない。
そして、マキとカメが同時に駆けていく。中央に立っていた母親のフナは、龍太郎へと鋭い視線を射して、鳥肌ものの笑顔を見せた。
毅は広い口を開けて、舌を撃ちだした。先ず、マキの弟であるカツの腹にヒット。身体を折って吹き飛ぶカツと入れ替わりに、姉の息子のタラが飛びかかってくる。毅は首を回して舌をタラの腰に巻き付けたのちに、足を踏ん張って舌を振り回し地面へ向けて垂直に叩き落とした。タラの頭が石畳を破壊して埋まり込む。タラから舌を離した途端に、マスの手に掴まれた。
入り婿は鋭い歯を剥いて、稲穂色の眼球で毅を睨み付ける。
「磯辺君、僕の息子と義弟になんて事を! この忌々しい舌をちょんぎってやる!」
そう吐き捨てたあとに、水掻きの手に生えた爪を剥き出して構えたときだった。響子の踵がマスの爪先を破壊。激痛に眼球を開いて、額には青筋を立たせた。思わず、毅の舌から手が離れてしまう。この機を逃さずに、響子は身を沈めてマスの腰に腕を巻いて結んだ。そして、自身の体重よりも数割ほど重いマスの身体を持ち上げるなりに、一歩踏み入れて背中から叩き伏せた。フナの夫である波太郎の拳が龍太郎に襲いかかる。頭を下げて素早く踵を返すと、波太郎の腕を捕まえた龍太郎は思い切り身体を曲げて投げ落とした。叩き伏せられたマスと入れ替わるかたちで、彼の妻、マキが響子の前に現れて爪先を伸ばしてくる。跳び退けてマキの爪先から逃れた響子の横には、その妹のカメ。ワンピースのミニにもかかわらず、膝を上げて響子の顎を突き刺さんと狙った。腕を交差させてカメの膝を防御した響子は、そのままおかっぱ頭の女に抱き付く。次に、身体を仰け反らせてカメを放り投げた。頭から石畳に叩きつけられるカメ。大切な妹がやられて、怒り露わな姉。ちなみに、この響子の顔は知らない分けではなかった。
「おのれ小娘! よくも、わたくしの妹を! 許しませんわ!」
「正当防衛だ!!」
この場合、響子の言い分が正しい。直後、マキが息を短く吐くと、拳で弧の軌道を描いてきた。響子は右からきた攻撃をかわして、左から拳に顎を引いた。次は、真っ直ぐと飛んできた拳から頭を下げる。その時に、下から突き上げて迫る拳が視界に入ってきた。ここでそのまま腹を打たせる決意をした響子は、呼吸を合わせてマキの拳を受ける。予想だにしなかった打撃の重さに、息が詰まりそうになる。響子から腕を捕らえられると感づいたマキは、素速く拳を引き抜くと、石畳を力強く蹴って一気に間合いを詰めてきた。響子も地を蹴って、マキから跳び退けようとしたのだが、その相手が同じ間隔で詰めてきたのて、舌打ちをしたのちに踏みとどまってマキに抱きついた。しかし、マキは腕を上げて完全な密着を防ぐ。できた隙間に膝を上げて、相手の胸に足の裏をつけて押しやると、薄笑いを浮かべた。
「ふふふ。肉を斬らせて骨を断つ。の、つもりでしたでしょうけれど、残念でした」
ここでも“地”が出て、イイ女になっている。
そして、足の指を動かし始めていきながらニヤニヤとして。
「あなた、お顔が可愛いのね。その上お胸も小さくて可愛らしいですわね」
服の上から胸を揉まれている響子は、いい気分がしないものだからなんだか腹が立ってきて、女の足を両手で掴んだ。このマキといい、カメ、フナ、そしてタヱといい亜沙里といい、陰洲鱒町の女たちは揃って全員裸足だった。だがまあ、そのような特徴などはどうでもよかったほどに響子は怒り心頭になっていた。
そして。
「人の乳ば、いつまでも揉むな!!」
響子の怒号と共に、マキの足首をブツリと怒り任せに捻切った。そこから一気に伝わってくる寒気に、マキは息を吸い込んで「ひいいいぃいぃっっ!」と悲鳴を上げる。それでもまだマキの足から手を離さない響子は、一歩踏み出して踵を斜め上から落とした。皿を破壊されてバランスを崩したマキは、倒れ込んで割れた膝を抱えたまま悶え喘ぐ。外見とは裏腹に、やるときはやる響子へとマキは恐怖感を覚えた。死ぬかと思う激痛を必死にこらえて、上体を起こして響子を見る。顔中には脂汗が噴き出して、纏め上げていた髪型が乱れていた。歩み寄ってくる響子に向けて、マキは手のひらを翳して震える声を吐き出す。
「ちちちょっと、待って、くださ、る……?」
「待ったなし」
そう断言して、マキの横っ面に足の甲を喰らわせた。
2
姉が意識を飛ばしたその傍で、一番手に毅の舌から殴り飛ばされていたカツが再び襲いかかってきた。
目標はもちろん、毅。
カツの振りかぶる爪から、地を蹴って垂直に跳躍をした毅は脚を縦に広げる。そして、カツの頭を踵と膝で挟み込んで破壊した。骨の砕ける音が鳴って、稲穂色の眼球が糸を引いて飛び出す。響子から裏投げを食らって倒れていたマスが目を覚まして両脚を天高く伸ばして、勢いをつけて跳ね起きた。片膝を突いた姿勢から駆け出して拳を引いて構えていく。カツの頭を破壊して着地していた磯辺毅の背骨を狙い、マスは間合いに踏み入れた。瞬間、目の前でトレンチコートの蛙男の身体が回転したと思ったら、横っ面を踵で殴られて石畳に頭から叩きつけられた。そして間を置くことなく、手加減無しの踵がその後ろ頭にへと蹴り落とされて、マスは頭を潰されて絶命したのだ。その場に居た全員が、口を開いて驚く。
毅は響子の視線に気づいて顔を向けた。
「どどどうした、んだな?」
「いえ、なんでもないっす」
「おや。あなた方、マスさんとカツとタラを殺してしまいましたね」
フナが入婿と長男と孫の遺体を見てそう言うと、龍太郎を睨んだ。
「これは私の失敗ですね。判断を誤って、大切な家族を三人も失いました」
「それはお気の毒ですが、この場合は過剰防衛」
龍太郎がフナに意見を述べたのちに、半身に構えて適度な脱力を行い軽いステップを踏み始めた。遠くで身を起こしたカメの視界には、気絶した姉に、事切れた兄と叔父と甥の姿。怒りと悲しみと憎しみが湧いてくる。
「お姉様! お兄様! マスさん! タラ!―――うぐぐぐぐ……! よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも! あ……痛!」
割れた額から流れ落ちる血を押さえて、カメは呻いた。
フナが、悲しむ次女に銀色の瞳を流して歯を見せる。
「カメ! 油断したならば、結果はこのようになるのですよ。あなたも次からは気をつけなさい」
そうして、ステップを踏む龍太郎のもとに真っ直ぐと歩み寄って、フナが男との間に作った間合いは三〇センチと迫っていた。龍太郎はフナの腹を狙って、爪先を蹴り上げる。相手の腹に爪先が刺さり込んだかに見えた、が、結果スカしていて、足に手を下から添えられていた。その刹那に龍太郎の視界が縦に回転して、暗闇へと移り変わったのだ。龍太郎は頭を打ちつけて気絶。そんな光景を目にした響子と毅の背中に、冷たい感覚が流れ落ちた。
磯野一家の中で、この着物姿の老婆は一番危険だぞと。
そう思ったのも束の間。毅の襟が掴まれて投げ飛ばされる。蛙男の落下と同時に、次は響子の胸倉を掴かんでいた。「あ!」と言う間に石畳へと叩きつけられてしまう。哀れ毅は、受け身を取る隙をも与えられることなく、気絶。
対して響子は、奇跡的に反射神経が働いたおかげで、受け身を取って意識不明から逃れられる。しかし、受けた投げのダメージは相当なもので、響子の身体の半分が痺れて息も切れ切れだった。と、そのようなさいちゅうに、響子は自身の身体の一部に違和感を覚えた。
―あ、あれ? なんだか胸元がスースーする? なんで?――
上着をペタペタと触って確かめる。すると、フナが腕を横に伸ばして手元の物を響子に見せつけて、薄笑いになって口を開く。
「お嬢さん、探し物はこれですね」
それは、白くてレース柄。
太陽光を反射して眩く輝く。
紛れもなく、その物とは。
「ああ! あたあた、あたしのブラ! なんで? なんで? なんで?」
己のインナーに指を差して絶叫した響子の顔は真っ赤になっていた。下着に表記しているサイズをマジマジと見ていくフナ。
「お嬢さん、少しばかりサイズに嘘をついているのではなくて?」
「うう……。そうです。“そっち”がワンサイズ大きいですのよ」
「正直でよろしいですね。けれども、このような物は私たちは身に着けていませんよ」
衝撃的発言。
フナは更に言葉を続ける。
「第一、コレを私に盗られた時点であなたの負けです。だって、これは凶器ですもの」
そう小柄な老婆が語り終えた瞬間に、響子は力の限り石畳を蹴飛ばして一挙に間合いを詰めていく。だが、フナが腕を振るったその時、響子は顔を自分の下着で覆われて躰を旋回させられ石畳へと叩きつけられてしまった。
3
「カメ。今日のところは引き上げなさい」
「な、なぜですの? お母様!」
「家族を三人も失ったからです。―――さあ、波太郎と駐車場で待たせている信者たちと一緒に家族の遺体とマキを運ぶのです。分かりましたか?」
母親の言葉に下唇を噛み切って、出ない涙を拭きながらカメは従って姉を背負うと、気絶して倒れ込んでいる響子を睨み付けて鋭い歯をギリギリといわせていく。
「お名前は知りませんが、次は必ずやあなたのお命をいただきに参りますわよ」
こうして、磯野一家は少林遊園地から出て行った。