キャンパスにて その3
1
テニス部の部室から出てきた雷蔵たち三人。
それは、見るからに“なにごともなく”終わらせてきた感じだった。
おまけに、両脇の恵美とホタルはニコニコ。
部室の前で待機していた有馬教授と里美と聡子。
地獄から無傷で生還してきた雷蔵たち三人に、驚いていく。
壁側に立っている有馬教授ら三人に生還者ら三人が近寄って、うち、雷蔵が軽く会釈をしていった。
「案内ありがとうございました。おかげで情報を引き出すことができました。“話し合い”で無事に解決です」
と、微笑みを見せた。
雷蔵のこの言葉に疑問を持った待機組を代表して、眼鏡を指でただした有馬教授から聞いていく。
「“話し合い”か。ーーーその割りにはずいぶん賑やかな音をこちらまで響かせていたのだが。まあ、雷蔵君たちがなにごともなく戻ってこれたなら、良しとしよう」
こう言って微笑み、腰に両手を乗せた。
「はい。お互いに話しをして“疲れた”んでしょう。みんな仲良く部屋で“寝て”いますよ」
と、部室の扉を指さしていく。
少しだけ爪先を立てて伸びをした有馬教授。
すぐ元の姿勢になって雷蔵を見た。
「ちょっとだけ、見てこようかな」
興味がわいたのか、部室の前まで移動して扉を少し開けた。
そして、中の様子を隙間から伺っていく。
目を見開き、群青色の瞳を雷蔵に向けたあと部屋に戻した。
そこには、意識が飛んでしまった男たちの死屍累々の姿。
ざっと見て二〇名以上だった。
白目を剥いていたり。口から泡を吹いていたり。
扉を静かに閉めて、雷蔵たちのもとに戻ってきた。
腕を組んで、雷蔵を見ながら言っていく。
「あの数を、君ひとりでやったのか」
「はい。ーーー人によりますが、だいたい全治三週間くらいかな」
「三週間くらいか……。夏休みを病院ですごすはめになるのか」
今にも吹き出しそうな顔で返した。
雷蔵は、有馬教授から他の面々へと目配せしてから。
「比べるのもアレですが。アフロ野郎が強かったですね」
「タダマンに現を抜かしていたからよ」
恵美の割り込みに、一同が驚く。
「弱くなったのは、じぶんたちの責任だわ」
「そうだな。それ以上の原因はないな」
こう微笑んで、雷蔵は恵美の頭を撫でていく。
そして腕を下げて。
「潮干ミドリさんがあの連中から性被害を受けたことは本当だった。そして、海原摩魚さんが彼女を助け出したことも本当だったよ。それと、蛇轟秘密教団と院里学会が協力関係であったことも証言した。その協力関係から提供される鱗の娘たちの存在も分かったよ。正直、気分悪いな。ーーーあと、この大学は本当に危険だ。被害は多分、盗撮だけではないはずだ」
黙って報告を聞いていた有馬教授は、腕を組んで静かに呟いた。
「私は、大学というものに幻想を抱いていたのかもしれないな」
2
「俺はこれから写真部に行こうと思っている。みんなはどうする?」
雷蔵のひと言に、有馬教授は組んでいた腕を解いて下ろし。
目の前の好青年に笑みを向ける。
「君にもう少し付き合いたいが、そろそろ壊された扉を作ってもらいに申請に行ってこようかなと思う。近くに工業科の部室があるから、名残惜しいけどここでお別れするよ。また会おう」
軽く手を挙げて、離れていく。
これを見た雷蔵が軽く会釈する。
「いろいろと、ありがとうございました。また会いましょう」
遠くなる茶色い三つ揃いの背中を見送ったのちに、女たち四人に振り向き、雷蔵は腰に両手を当てて話していく。
「よし。あとは、目当てはひとつだけだから、ここでお別れしても構わないぞ。みんな、ありがとう。残りは俺ひとりでじゅうぶんだ」
言い切った直後。
「私、最後まで付き合おうかな」
「私も一緒に行こうっと」
「あとは帰るだけだもん。付き合うよ」
「姉さんが迎えにくるまで時間あるし。私も行こうっと」
里美と聡子と恵美だけでなく、ホタルまで乗ってきた。
これに雷蔵は驚かないわけがなく。
「おいおい……。あとは君たちの時間のはずだぞ」
「いいのいいの。今、大学は夏休みで暇だし」
「少しコミケから離れたいし」
「刀振り回す以外でも面白いし。ね」
「退屈しないし。シナリオ吹き飛んじゃったし」
歯を見せて笑う里美。
へらへらしていた聡子。
手を後ろに組んでいた恵美。
キラキラしていたホタル。
正直、困ってきた雷蔵。
「お前らなあ……。」
四人の若い女たちから笑顔で見られていた。
どうしたものかと思いつつ、目線は外さなかった雷蔵。
すると、構内廊下が僅かながらに“ざわついて”きたのを感じて、雷蔵たち五人はその先へと目を向けていく。里美と聡子と恵美と、ホタルは車椅子ごと女たちは回れ右をして、身体ごと騒ぎ始めた廊下に向けた。その廊下の先から見えてきたのは、ずいぶんと背の高い人物であった。だんだんと近づき、それは、長い銀髪で細い身体、膨らみのある胸と適度に丸みのある腰回り、そして“くびれ”。おそらく、成人女性であろう。やがて、顔立ちも確認できるほどに歩いてきた。美しい銀髪の女だった。シャギーの髪の毛は腰まであり、ほぼ左右に整った顔に高い鼻柱、ローズピンクを引いた唇。上は、あばら骨までのグレーのタンクトップに、下はデニム生地のグレーのホットパンツという、いわゆる腹出しファッションであったが、四肢の長いこの銀髪の女にはとても似合っていた。その廊下の在校生たちがざわざわし出したのは、他ならないこの銀髪の美しい女性が現れてきたからである。
そのとき、摩周ホタルが思わず声をあげた。
「実さん!」
「知り合いか!」
雷蔵が強く反応する。
銀髪の女の目に視線を向けたら、瞳にハイライトがなかった。
ホタルは雷蔵に答えていく。
「知り合いもなにも、私の町の人よ」
「そうか、分かった。ーーーあの人、術にかかっているぞ」
鋭い目付きに変えて、雷蔵は四人にそう言った。
「おそらく、自我を奪われている状態だな」
「やだ……。まさか、“お勤め”の人だったの……?」
眉を寄せたホタルは、片手で口を覆った。
この言葉を聞いた雷蔵の行動は、実に早かった。
実と呼ばれた銀髪の女の前に立ち、話しかけていく。
「散歩のところ失礼する。君は大学までなにしに来たんだ?」
切れ長な眼の中にあるハイライトのない銀色の瞳で、目の前に立った青年をしばらく見つめていく。視線も、若干だが定まっていない。そして、なによりも無表情だったこと。多分考え込んだのであろう、結果が出たらしく、結んでいた唇を開きはじめた。
「あなた、私に“お勤め”を希望する人ですか?」
「え?」
この言葉に、雷蔵たち五人は衝撃を受けた。
ホタルが車椅子で近づき、悲しげな顔で声をかける。
「皮剥実さんです。彼女を解放してあげて」
「分かった。ただし、俺が今できるのは一時的なだけだ。術をかけた大元を倒さないと、この人はずっと解放してもらえないぞ」
「一時的だけでもいいの。お願い」
「よし」
強い視線をホタルに向けたあと、失礼と断って、実の肩に優しく片手を乗せた。次に、人差し指を立てて、銀色の瞳に注目させていく。その人差し指にだけ青白い炎のような煙のようなものが灯ってゆらゆらと揺れて、天井高く極細の糸を引いて立ち上っていった。
「皮剥実さん。これを見てくれ」
名を呼んで、さらに指に意識を向けさせる。
そして、ゆっくりと左右に繰り返して動かしていき、それから中央に戻した直後に、指を鳴らした。すると、どうしたことか、皮剥実の銀色の瞳はたちまち光りを取り戻して、輝きを宿した。続いて、表情も戻ってきたではないか。真剣な顔つきで自身を見つめてくれている好青年に気づいて、頬を赤くした。
「あ、あら? 私ったら。あなた、誰?」
唇を開くとき、陰洲鱒特有の鈍色の尖った歯ではなく、エナメル質の人の白い歯であった。ただし、銀色の瞳の奥の瞳孔は陰洲鱒生まれの縦長である。
肩から手を放した雷蔵が答えていく。
「俺は榊雷蔵です。ホタルさんの頼みで、一時的にだが“あなた”を“お勤め”から解放しました」
ごく当たり前な口調に、皮剥実は衝撃を受けた。
「あ? え? そういえば。私、まだなにもやっていないのに。ーーーというか雷蔵さん、あなた妖術を解いたの? なにそれ? 凄くない?」
「ええ。まあ、仕事柄。ーーーそういう“あなた”も、まるで初めからマインドコントロールを受けていない感じの口ぶりですよね。なにがあったんです?」
雷蔵の疑問を受けつつ、銀色の瞳は先の扉を見ていた。
「ごめんなさいね。ちょっと私、フナ婆さんから“お勤め”に行けと言われていた所が、ちょうどそこのサークルだったんだけど。中を見てきていい?」
「ん? ああ。それは別に構いません。どうぞ」
笑みを浮かべて促してくれた雷蔵に応えて、皮剥実はテニス部へと足を運んでいき、ノックしていく。繰り返しても返事がないので、いちおう「失礼しまーす」と声をかけながらノブを回して開けて中を見ていった。目を見開き、息を飲む。そこに“散らばっていた”のは、“お勤め”予定だったテニス部員とラグビー部員と空手部員と柔道部員らの死屍累々の気を失っていた姿。すでに“お客たち”が果てていたのを見て、皮剥実は思わず廊下に立つ雷蔵に顔を向けて凝視したあと、再び部室で“寝ている”様々な体育会系のサークルメンバーに目を向けていった。
「すげえ……。いったい、なにが……」
感嘆と驚愕の声が洩れていく。
気が済んだのか、扉を閉めて雷蔵たちのもとに駆けて戻ってきた。銀色の瞳をキラキラさせて、目の前の雷蔵を見ていく。そして、楽しそうに話し出した。
「なにあれなにあれ! 君がやったの? 君がやったの?」
このように聞かれたので、腰に両手を当てて答えていく。
「あなたの代わりに、俺が“お勤め”を果たしてきた」
「ぶっっっ!!」
皮剥実をきっかけにして、里美からホタルまでの四人もブーーー!と吹き出して笑っていった。腹を抱えてさすりながら、雷蔵の肩をポンポンと叩いて笑っていく実。成人女性たちが五人とも大学の廊下で恥も外聞も関係なく声をあげて笑っている、おかしな光景であった。で、当の榊雷蔵はというと、これを黙って見守っているだけ。やがておさまったのか、各々が目もとの笑い涙を指で拭っていく。
こういう女たち五人の態度を見ていても、雷蔵はなんだか嬉しそうな顔を浮かべていた。というか、悪い気など起こしていなくて、どちらかと言えば満足気であった。
「終わった?」
「終わった終わった。ありがとう。私、こんなに笑ってしまったの、ずいぶん久しぶりだったからさ。本当に面白かったよ」
「そりゃ良かった」
雷蔵から聞かれた皮剥実が、満面の笑顔で後ろに手を組んで礼を言ってきたので、この護衛人の青年もニコッとして返した。
3
「へえ、雷蔵さん二七歳なんだ。私も二七歳。同じ年だね。よろしく!」
「ああ。よろしく」
廊下を歩きながら、実は隣の雷蔵に同年代だと紹介していった。この護衛人の青年に付いて行っている美しい女性たちが、増えて五人になっていた。雑談をしながら廊下を渡っていると、『写真部』と白文字で書かれた扉を目撃。一時的に立ち止まり。
「ここが問題のサークル」
ホタルが指さして、ちょっと低い声で紹介した。
外観を素早くチェックした雷蔵は、再び足を進めていく。
「分かった。ーーー当の問題人物がいないなら、後回しでも構わないな。先に皮剥さんを車まで送っていくのが先だな」
「そうよね。それが一番ね」
笑顔で納得したその少しあとに、見えてきた先の扉に『放送部』と白文字で書かれた部室を発見。確認のために歩く速度を一時的に落としたのち、再び通常の速さに戻して足を出口にへと進めていった。他が雑談する中、先頭を体内電気信号感知機能車椅子で沈黙していたホタルだったが、口を強めに結んだのちに決意をしたのか唇を開いていく。
「今の扉のサークル、さっきの写真部のジャーナリスト気取りの彼氏よ」
「なるほど。じゃあ、今の部室もあとでたずねてみるか」
「そして、後ろから抱きついてきて私の胸を触ってきた人でもあるの。あなたが殴り倒してくれたテニスサークルメンバーに以前襲われたとき、助けもしないでデジカメでその様子を撮影していた人なんだ」
この勇気ある告白を最後まで聞いていた雷蔵が、先頭を行っていたホタルの横に並んで“歩調”を合わせていきながら静かに口を開いていく。
「言ってくれて、ありがとう。ーーーこれで、ひとつ“用事”が増えたよ。あとで、君のために行こう」
「ありがとう」
笑みを浮かべて雷蔵を見上げた。
隣を歩く好青年も、ホタルを見て微笑んだ。
その二人の後ろから聞こえてきた恵美たちの声。
「あのヒョロ眼鏡、最低野郎だね」
「マジ最低」
「キッショ」
「うわ。キっっっモ」
最後のひと言は、皮剥実。
「そのヒョロ眼鏡。私が以前テニサーに“お勤め”ヤらされたときにもいたよ。ーーーときたま、連中にヤられている中で私の拒絶が強かったらさ、ほんの一瞬だけ妖術が解けているみたいなんだ。そんなときに、周りの状況が鮮明に見えるんだ」
「なるほど、そうなんだ」
渋い顔で相づちを打った雷蔵の隣に、並んで歩いていた実。
「それもこれも、マインドコントロールされていない私だから見えたんだよ。洗脳された上で妖術をかけられたら、拒絶のしようがないから全く見えないんじゃないかな? 未だに洗脳から解放された鱗の女の子がいないからさ。なんとも言えないんだけどね」
手を後ろに組んで歩きながら、雷蔵に微笑んで語る。
そして、ホタルの後ろに回り込んで、車椅子の頭に手を乗せて一緒に“歩調”を合わせていく。ローズピンクを引いた唇を開いて、話しがけていった。
「ねえねえ、ホタルちゃん」
「どうしたんです?」
「襲ったテニサーたちさ。どうなったの? 私ね、ホタルちゃんが無抵抗のままだとはとても思えないからさ」
「ふふふ」
「だってあなた、ヒメさんの妹でしょ。そして、ホオズキさんの娘」
「……もう、実さんったら……」
口角を上げて、小さな鈍色に尖った歯を見せた。
摩周ホタルが大学一年生のころに遡る。
それは、春の終わりごろ。
講義を終えて漫画研究部の部室に向かっていたとき。
突然後ろから抱きつかれたホタルは、数人のユニフォーム姿の男たちに取り囲まれて、車椅子ごとテニスサークルの部室へと連れ込まれた。ホタルが恐怖で声をあげることができないことをいいことに、ラグビー部員とテニス部員の男二人からノンスリーブの白いワンピースの上を剥がされて、白いレース柄のブラジャーも引き剥がされかけたが、とっさに両手で押さえた。空手部員から背中を蹴られて床に転げたところを、テニス部員からスカートをまくられていき、白のレース柄の腰骨ラインのパンツが晒されたとき、ーーーこのころはまだテニス部の部員だったーーー御藏隆史から侮辱の言葉が浴びせられた。
「なんだ、その脚? イカの怪物かよ? やっぱり陰洲鱒の女は化物じゃねえか。だがもし、バージンなら儲けものだな」
この発言とともに、ラグビー部員がホタルのパンツに手をかけたときだった。身長は百九〇センチ、体重は百キロ近くにもなる筋肉質のラグビー部員が勢いよく腹を突き上げられて、天井にぶち当たって床に身体の前面を強打してしまった。同時に顔面も打ったために、一瞬にして気絶。なにが起こったんだと床へ目を向けてみたら、両手と片膝を突いて、天井高く片脚を後方に突き上げているホタルの姿があったのだ。ゆっくりと脚を下ろしていき身を起こしたあと背中を丸め、片膝を突いた姿勢をとる。濃い稲穂色の瞳を鋭くして、残り十数名の男たちを視界に入れていく。
仲間の仇を討たんとばかりに、色黒なラグビー部員が正面を狙って蹴りを繰り出してきた。すると、色黒な男の目の前でグーーンとイカの両脚を持った女が伸びて、男の膝を砕いた。ホタルは蹴られる寸前で立ち上がり、脚を斧のように振り下ろして色黒なラグビー部員の膝を砕いて、そのまま踏み込んで拳で鳩尾を膝で股間を叩いた。ホタルよりも一回り以上大きい色黒なラグビー部員の男が、予想以上に大きい打撃と激痛に失神したまま吹き飛ばされて壁に激突した。次は、イカの脚でテニス部員二人と空手部員二人の股間を蹴り上げたり、蹴飛ばしたりなどして泡を吹かせていく。空手部員の頭を蹴りつけ。ラグビー部員のあばら骨を蹴りで砕いたり。前蹴りを二発、テニス部員とラグビー部員の二人に叩き込んで恥骨にヒビを入れたり。拳を振り下ろして、空手部員の頭蓋骨にヒビを入れたりも。そして最後は、御藏隆史の股間を蹴り上げて宙を舞わせて回転させた上に床に叩きつけた。おまけで、撮影していた放送部のヒョロガリ眼鏡の顔面をめがけて正拳を喰らわせた。放送部の眼鏡男は、鼻と前歯を折られて気を失って倒れこんだ。
「お前ら、よってたかってでしか女抱けねえのか!」
顔中に青筋を立てて、小さな鈍色に尖った歯を剥き出したホタルの叫びだった。陰洲鱒町で生まれて育った町民は、常人の数倍以上の筋力と瞬発力と耐久力を生まれながらにして有している。そして、遅い老化速度。
久々に暴れてちょっとだけ疲れたみたいなので、尻を上にして股間を押さえて床にうずくまっていた色黒なラグビー部員の背中に腰を下ろして、寝かせた脚の足首を膝に乗せて、身体を丸めて膝に頬杖ならぬ顎杖を突いてひと休みに入っていたところ。部員の扉が勢いよく開けられて、新たな人物が飛び込んできた。
「ホタルちゃん!」
キャンパスの姫様こと、海原摩魚のご登場。
摩周ホタルが構内で拐われたと聞いて、目撃者に当たって探してたどり着いたところであった。それはもちろん、ホタルを助け出すためである。
しかし。
「ぶっっっ!!」
勝ち誇って敵を椅子として座るホタルの姿を目にしたとたんに、摩魚は吹き出してしまった。そんな健気な“姫様”に気づいたホタルが、たちまち濃い稲穂色の瞳をキラキラと輝かせていき、背筋を伸ばして黄色い声をあげる。
「摩魚さん!」
「ほ、ホタル、ちゃん。これは……?」
「私を、私を助けに来てくれたのですね!」
「そうだけど。……もう、大丈夫そうだね」
「はい!」
この後、車椅子を押してきてもらい、それに乗って摩魚と一緒に漫画研究部へと向かった。
「さっき雷蔵さんが“お相手した”人たちの何人かは、片タマですよ」
ホタルのこの発言を聞いた全員が、ブフォッ!と吹き出した。
咳き込みつつも、なんとか言葉を振り絞っていった実。
「ホホホホタルちゃん?」
「私が彼らの“御子息様”を潰してやりました」
「ごご御子息、様? ゲホッ! ゲホッ!」
顔を真っ赤にさせて笑いのツボに入った。
4
そうして、ようやく大学の屋外へ雷蔵たち六人が出てきた。
空はまだ青くて明るいが、日差しは落ち着き眩しさもマシになっていたので、時間的には夕方前くらいか。腕時計で確認していた皮剥実。
「“お勤め”の終了時間にはまだまだ早いけど、そろそろ車に戻るわね」
そう言って、皆に笑顔を向ける。
この言葉が気になったのか、雷蔵は質問をしていった。
「普段は、終了したらどうなるんだ?」
「普段? 時間がきたら妖術が自動的に解けてしまうみたいよ」
「なんだそれ。じゃあ、効力はどれくらいか分かるかな」
「だいたい三時間経ってから解けるかな」
「長いなあ……」
「あら? 私と鱗の娘たちを心配してくれているのね」
嬉しそうな表情を浮かべる。
これに、ちょっと照れを見せた雷蔵。
「まあ、な」
あと、ひとつ気になったことがあった。
「そういえば、誰が皮剥さんを送ってくれているんだ?」
「送迎の人のこと?」
「うん」
「磯野カメさんだよ」
「磯野……?」
雷蔵の知らない姓名ではなかった。
むしろ知っている“人”の姓名である。
「俺と響子の知り合いに、磯野マキていう人がいるんだけど。身内だったりしないか」
「え? 嘘? やだ。ーーーマキさん、カメさんのお姉さんなんだよ。てか、雷蔵くんの知り合いだったことが驚きなんだけど」
「まあ、過去にマキさんから依頼を受けて解決して以降は友達になっているし」
こう微笑んで語る青年の顔を見た。
「人魚と人間のハーフなんだけど、とっても綺麗で可愛い姉妹なんだよね」
「へえー。半人半妖なんだ」
興味を持った里美のひと言。
「そうそう。姉妹仲良しでね、とくに妹のカメさんが姉のマキさんが大好きで話す顔が可愛いんだ」
「あらーん。ほほえましい」
実から返されて、里美は目じりを下げた。
「じゃあねえーー。楽しかったよ! 今度はちゃんとしたかたちで会いたいね」
「また会いましょう。ありがとうございました」
ニッコニコの笑顔で手を振って去っていく皮剥実へと、雷蔵も微笑んで手を振って返していった。その後ろからも、里美とホタルと聡子と恵美たちもそれぞれ「お疲れさま」「お気をつけて」などの労いを背中に浴びて駐車場へ向かっていく。遠くなっていく銀髪美女の背中を見送っていく五人。その途中で、駐車場側から現れてきた長身の白いワンピース姿の女性とすれ違いざまに、互いに声を掛け合い手を振る様子を確認した。その白いワンピースの女性はいったん立ち止まって、雷蔵たちを確認したあとに、再び足を進めていく。そして、だんだんと近づいてくるその姿は、長身で細身ながらも膨らみのある胸と締まった腰と腰骨から繋がる太腿の筋肉による膨らみで、メリハリのある身体の持ち主だと判断できた。レースで縁取られた白い日傘をさして、こちらへと笑顔で向かってくる。約五センチある黒い足首ブーツのヒールを鳴らして近づいてきて、ホタルと雷蔵の前に立ち止まった。
「ホタル。帰ろっか」
摩周ヒメ、登場。
摩周ホタルの姉。