六月 ツーリングのイチャラブカップル
ここで、龍宮紅子に初登場してもらいました。声のイメージ的には、早見沙織さんです。
1
こちらも今年の六月下旬くらい。
お天道様が真上から、下界を白く照している時間。
場所は、長崎市陰洲鱒町。
潮干家。
敷地内の駐車場に白い軽トラが入ってきて停まった。
運転席のドアを開けて出てきた、その男は大きかった。
髪の毛も髭も立派に蓄えて、それはまるで山の男。
先ほど商品の搬入と営業を終えてきたところであろう、黄土色のカッターシャツに下はヤッケにゴム長靴といった姿。家の隣の広場の真ん中には、物干し竿からぶら下がったいくつもの網カゴの中に魚の切り身が入っており、別の物干し竿には大きめな烏賊たちが開きにされて干されてあった。そして広場の手前あたりに、各種の烏賊と魚の開きが天日干しにされていた。帰宅してきた大きな男が、干し物の出来具合を見ていく。おおざっぱな印象を与えるも、実際には光の反射のごとく速い目の動きでそれらの状態をチェックしていた。見た結果問題なかったらしく、大きな男は“うんうん”と首を上下にした動作を見せて、ガハハと喜びの一笑い。聞こえるか聞こえないかの微妙な音で鼻歌をしながら、大きな男は玄関を開けて家の中へと入っていった。それから奥の浴室に向かい、洗濯機に着ていた上着とヤッケの下に穿いていたジーパンや靴下に下着などを脱いで全て入れて、ひとっ風呂を浴びていく。約二〇分くらい過ぎたとき、大きな男は白いランニングシャツに半ズボン姿で八畳間へと足を運んできたところ、八人囲いのお膳には座布団を敷いてくつろいでいた娘の潮干タヱの姿があった。
潮干タヱ。
潮干家の次女。
眉毛は無いが、猫っ毛ブロンドヘアの美しい娘である。
稲穂色の瞳に縦長な瞳孔と、鈍色の尖った歯。
これらは陰洲鱒町の町民たちの特徴でもあった。
ハッキリとした七三分けではないが、その兆候が見てとれるくらいには七三の境界線を頭の右側に刻んでいた。最近は背も伸びたらしくて、百六五センチの長身になり、丸味を帯びていた身体中の贅肉が落ちて若干細身に変化していたようだ。ついこの間までは、ふっくらとした頬の可愛らしい顔をしていたはずであったが、いつの間にかその肉も削げ落ちて卵形の輪郭をした大人びた“女性”にも変わっていた。そのようなタヱは、膝丈の黒いノンスリーブのワンピース姿で座布団に胡座をかいて、両肩から生えた烏賊の触手ような両腕の先を器用に丸めて、テレビのリモコンを操作していた。右側の七三分けといい、座布団に胡座といい、これは母親のリエの遺伝である。長女のミドリも隙あらば座布団に胡座をかいていた。
「あ。父さん、お疲れ」
「ああ。ただいま」
ノールックで労いをかけて、大きな男はそれに笑顔で返した。実に柔らかな笑みである。声も温厚で太い。
父さん。
父さんこと、この大きな男は、潮干家の家長。
潮干舷吾郎。
職業、漁師。とてもそうには見えないが、漁師である。
大きな男と言っても決して肥満体ではなく、体脂肪率が少なそうと思えるくらいに鍛え上げている体格をしていた。しかし、人様からの第一印象は山の男。ゴムのオーバーオールよりもチェーンソーと毛皮の羽織物が似合う男であった。猟師にしか見えない男が漁師をしている。ちなみに、名前に吾郎と入っているくらいなので、あと四人の兄弟がいると推測される。
このままお膳でひと息着きたかった舷吾郎だったが、茶葉の色の漆喰塗りの壁の中央に位置するガラス窓から外の様子を伺う。そこにあったものは、いくつもの三脚とカメラを構えた報道機関の姿。そういえば、帰宅途中の虹鱒山行き道路のカーブには、総勢二〇台以上と思えるワゴン車が並んでいたのを目撃した。違法路上駐車をしていた皆が皆、ご丁寧にルーフの真ん中からアンテナをおっ立てていたではないか。誰がどう見てもマスコミ関係である。言い訳は効かない。これを見るなりに、舷吾郎は鼻から軽い溜め息を着いていった。
「今日も来ているのか。ーーーここは一般道路なんだけどなあ。せめて、尾叩き山の駐車場に停めてほしいよ。あそこなら三〇台は余裕で入るからな。町の人と観光の人たちには迷惑だよ」
「よくまあ飽きないよね、毎日毎日。どーせウチの姉さんに関係したネタかスキャンダルが欲しいんでしょうけど、もう出てこないよ」
ウチの姉さん。
長女の潮干ミドリのことである。
黄金色の髪と緑色の瞳を持つ、美しい娘だった。
長崎出身の芸能人で、三年以上くらい東京で芸能活動をしていた。もっとも、ミドリの芸歴は東京での三年の他に、地元長崎で高校生になったときから芸能活動をしていたらしい。チアリーディングの大会を観戦するのが好きな娘でもあった。
先のような愚痴をこぼして、タヱはリモコンをお膳に置いて座布団ごと身体を後ろに引き、茶葉の色の漆喰塗りの壁に背中をつけた。そして、窓から見えるマスコミの群れへと顔を向けていく。
「うっとうしいなあ。邪魔だなあ。追っ払えないなかあ」
「気持ちは分かるぞ。でもまあ、そのうち飽きるだろう」
ガハハと笑ってお膳の角に座布団を敷いて胡座をかき、緑茶のペットボトルを出した。この位置に舷吾郎が腰を下ろしたのは、群れている報道陣の様子を見るため。とくに怪しいことや疚しい行動や計画などはないしするつもりもないので、窓のカーテンは左右開きっぱなしであった。ボトルの緑茶でごくごくと渇いた喉を潤したときに、黄緑色のキャデラックが報道陣の群れへと入っていく姿を目撃したので、舷吾郎は手を止めて再びお膳にペットボトルを置いた。少し驚いた顔をしている。
「ん? 今のアメ車は」
「あらー。ヒメさんだったね」
父親とは対称的に、タヱは微笑みを浮かべていた。
「相変わらず格好いい美人だなあ。マジ憧れる」
「今の黒い自転車も格好いいぞ」
「ありがとう。でもやっぱ、彼女は別格だわあ。私もタップリ稼いで、あんなオープンカーに乗りたいなあ」
「黒塗りの?」
「そう。マットなブラック」
「インターセプターはどうだ。格好いいぞ」
「V8が要るじゃん」
「そうだったそうだった」
次女の返しに、舷吾郎は再びガハハと笑った。
2
虹鱒山行き道路を下ってきた摩周ヒメは、サングラスを高い鼻筋まで下げて、眉毛のない切れ長な目の中に輝く稲穂色の瞳で通りの状況を確認していった。黄緑色のオープンタイプのキャデラックを徐行させながら、運転席のフロントガラス越しからカーブの先に路駐している不届き者たちの群れが視界に入ってきた瞬間、頬を痙攣させて、ローズレッドの口紅を引いた唇の端を上げて鈍色の尖った奥歯を剥き、舌打ちした。
摩周ヒメは、町長の摩周安兵衛とホオズキの長女。
百八〇センチという長身スレンダーな美女で、その身体つきも骨太でありながらも肥満体型ではなく、長い四肢に見合っている細くメリハリのきいた魅力的なボディーを持っていた。眉毛が無いのは生まれつき。これは、母親のホオズキから受け継いだもの。あとの二人の妹も眉毛無しであった。足首まである、シャギーの入っているウェーブのかかった癖毛は艶やかな黒色で、これを左側の七三分けからのポニーテールにしてからさらに計六つの節にして括っていた。V字カットの襟の白いノンスリーブのワンピースは脹脛まで丈があって、襟元と服の中央から左右に二列ずつ細いレースが走ってヒメの美しさを引き立たせていた。足首までの黒いウェスタンブーツで、クラッチとブレーキとを操作しつつ、上り方面の路肩と防波堤のある下り方面の路肩にといった、左右に停めているワゴン車たちの真ん中あたりでキャデラックを停めた。本当は下り方面車線に完全に入りたかったのだが、今のような状態ではとてもそれが出来ずに、結果的に中央分離帯の破線の上に停車するしかなかった。本来この通りは片側一車線の交互通行道路で、この山の他にもこの螺鈿島の陰洲鱒町は地形を尊重した設計で建設した車道や歩道であるために、場所によっては歩行者通路は路肩のみのところが多い。そのような形態の通りに、マスコミ関係の車両が複数その路肩を塞ぐかたちで路上駐車していた。
キャデラックのエンジンはかけたまま見渡していく。
「見ろ、違法駐車がまるでゴミのようだ」
と、助手席にいる末妹の摩周マルに聞こえる小ささで毒を吐いた。この瞬間、マルはプーーっと吹き出して笑い出す。両肩から生えた烏賊の触手のような白い腕の先を、パンパンと叩き合わせて笑っていく。
摩周マル。摩周家三姉妹の末っ子。
こちらも、母親から長女のヒメと次女のホタルと続いて眉毛無し。三角白眼に稲穂色の瞳で、目の下には濃いめの隈を刻んでいた。猫っ毛は女系の遺伝であったが、艶やかな黒色ではなくやや色素異常のある茶系の髪色を、短髪気味にして襟足を伸ばしているといったオオカミショートヘアにしていた。地元町立の高校を卒業してからも、ひきこもり生活を続けている。しかし、たまにこうして家族の運転で外出することがあった。そしてキャデラックの後部座席をよく見ると、車椅子が折り畳まれて寝かされていたではないか。さらによく見ると、マルの両脚も腕と同じように膝から下は烏賊のような白い触手をしていた。だからといって、マルのひきこもりの原因がこの烏賊のような四肢ではなかった。彼女は重度のインターネット廃人である。
そんな末っ子が、先の姉の言葉に“手”を叩きながら。
「バルスってか」
「うふふ。まあ、そんなとこ」
ヒメは末妹に目じりを下げていく。
今日のマルの外出着は、ウィング襟の膝丈のノンスリーブの白いワンピース。これはヒメが彼女のために選んで買ってあげたものだった。
そんな中、防波堤側に多数路駐していたマスコミ関係のワゴン車の中から若い女性と青年が出てきたのを目撃。ヒメはすかさずキャデラックの運転席のドアに肘を乗せて、若い男女に声をかけた。
「お疲れさま」
「お疲れさまです」と、青年。
ヒメを見たとたんに忽ち目に輝きを宿した。
だが、当のヒメはお構い無し。興味も無し。
「ねえ、私たちこの町の者なんだけどさ。あなたたち、ここに使用許可もらって停めてんの? じゃなかったら、迷惑なんだけれど。なんならこの先に駐車場があるのよ。そこなら三〇台は余裕なんだけど、なるべくならそこまで行って停めてほしいのよね」
「いいえ、とくに許可はもらっていないです。先までいくのも、撮影機材を取りに行ったりなおしたりていう往復も大変ですしね。それに俺たちは仕事で来ているだけですし」
違法駐車と白状しやがった。
なんとも端切れの悪い答えかたと、嫌々感が丸出しである。隣の茶髪ロングの若い女性が、カメラを片手にヒメとマルを撮影しながら口を挟んできた。もちろん、姉妹二人に断りなく勝手に撮っている。
「あなた、町長の娘のヒメさんですよね。平日の昼間っからアメ車を転がしてフラフラしてんですか。働かなくてもなにかしらお金は入ってきますでしょ。年中暇をもて余して羨ましいですよねー」
明らかな挑発。
明らかな思い込み。
ヒメの空気がたちどころに冷めていく。
これはさすがに鶏冠にきて怒鳴り散らす、かと思いきや。
「あら、そこのあなた。私のことを知っているんだ」
口もとは上がっていたが、目もとは笑っていなかった。
すると、銀色の薄く小さなケースをダッシュボードから取り出して、それを開いて一枚の白い紙を取り、無断撮影している茶髪ロングの若い女性へと差し出した。
「言いたいことがもっとあったら、私のところまで来なさい。時間を作ってあげるわよ」
予想していなかった返しに、茶髪ロングの若い女性は驚きつつもそれを受け取った。
「招き猫広告株式会社、副代表取締役兼広報部長……」
「あなたの言う通り、年中暇をもて余して困っているのよねー。今度、機会があったら女子会しましょう。ーーーじゃあ、そういうことで。切符切られないうちに帰ってね。お疲れさまーー」
ヒメはそう言いながら手を振って、黄緑色のキャデラックを再び発進させていった。そして、姉に便乗したマルが「バイバーイ。撮影頑張ってね」と声を投げた。長身美女からアメ車越しに受け取った名刺を持っていた手に、震えを出してきた茶髪ロングの若い女性が声を絞り出していく。
「やべエ。あたしらのスポンサーじゃん」
「マジか! あの美人が!」
隣の青年も驚きに声をあげた。
3
こちらは尾叩き山行きバス道路。
上り線にあたる。
白いガードレールに添って、大型バイクが二台停めてあった。この道路からは、尾殴り山行きと虹鱒山行きと螺鈿岩行きの道路と輝く砂浜を波打つ青く眩い海が広大に見渡せる場所であった。その隣というか離れた横には鱗山があり、山の先端部をバッツりと切り開いた上には仰々しいまでの大きな石造りの施設が建てられていて、海側の出入口からは木造の橋というか通路が伸びており、その先に木造建築の通称“やぐら”があってさらにそこから海岸の岩場へと木造の階段を下に長く伸ばしてあった。これが、蛇轟秘密教団の施設である。ハッキリ言って、この建物は町の島の景観を乱していて邪魔であった。
赤とシルバーのツートンカラーのカワサキの1300ccから降りて、中央に走る赤色のラインのシルバーのフルフェイスヘルメットを外したら、大変美しい顔を持った女性が出てきた。着ているライダースーツも、右肩の赤色以外はシルバーのワンピースタイプが似合う骨太な百八〇センチの長身スレンダーで、スーツの上からでも主張の強いほどの豊かなバストは、先ほどの摩周ヒメよりも大きかった。ほぼ左右に整った顔立ちに、切れ長な目には稲穂色の瞳と縦長の瞳孔を持っていて、これは間違いなくこの美しい女は陰洲鱒町の住人だと示していた。外したヘルメットから、ポニーテールにしていた艶やかな黒髪が下りて、大きく波打っているウェーブの癖毛は昼間の太陽光をキラキラと反射していった。そして、あとを着いてきて停まったメタリックブラウンカーボンのNinjaから降りきたブルーメタリックのライダースーツの男を確認したとたんに、柔らかい笑みをこぼしていった。
この大変美しい女は、龍宮紅子。
バイク狂のバイクを作って整備をして働いている女。
「輝一郎君、こっちこっち」
柔らかいハスキーな鼻声が特徴的で、彼氏を手招きしていく。輝一郎君と呼ばれた青年は、ロイヤルブルーのフルフェイスヘルメットを外して縁無し眼鏡を掛けると、嬉しそうに手招きしている彼女のもとに歩み寄ってきた。
「ああ。本当に綺麗だ」
「でしょ」
笑顔がキラキラと輝いていた。
これに見とれる輝一郎。
紅子は、稲穂色の瞳を緩やかな弓なりにさせていき。
「さっき通り過ぎてきたお魚の兜のバス停があった通りからも綺麗な眺めだったけど、こっちからも素敵でしょ」
「そうだな。思っていた以上に綺麗な海だよ」
「この先に行くと螺鈿岩の温泉があるから、そこから見る景色も綺麗なんだ。それもこれも、町の人たちが浜を綺麗にしてくれているおかげなんだよ。私、そんな町の人たちが本当に好き」
「それは良いことだ」
「ねー。ありがとー。ーーーでも、あの建物は嫌い」
そう声のトーンを落として、教団の施設を指さした。
彼女の示した方へと顔を向けた輝一郎。
「確かに、アレは“ここに”不釣り合いだ」
「でしょ。ねえ、違和感ありまくりだよね。ーーーアレがこの町にできてから、悲しいことが多くなったんだ」
「毎年町の若い女が行方不明になっていたんだよな。俺たちのところにも捜索願いがきていたよ。しかし、証言はたくさんあがるのに証拠が残っていないから、ろくに逮捕はできない」
「そうなのよ」
と、まるで刑事のような口ぶりで話す彼氏に同意して、不満げな表情を浮かべた。気を取り直す意味で再び海から見える地平線に目をやろうとした、そのとき。
「あ」
「どうしたんだい」
「うっわあーー。路駐の群れじゃん」
ガードレールに手をかけたときに、下を走る虹鱒山行き道路のカーブが紅子の目に入って、違法駐車をして車道を無断に占領している多数の報道機関のワゴン車を確認してしまった。たちまち苦い顔になる紅子。
「奴ら、景観の邪魔よね」
「これはひどい」
「もう……。まーたリエんとこに集ってる」
そう眉を寄せたのちに、紅子は赤色のスマホをインナーの胸ポケットから取り出して、電話をかけはじめていく。数回の呼び出し音ののち、受信相手が応じた。
「もしもし、こんにちは。私、長崎市陰洲鱒町の町の者ですけれど。ひとつ、お願いしたいことがありまして」
『はい、なんでしょう』
「虹鱒山行き道路のカーブにですね、大きな車がたくさん路駐していて迷惑しているんですよ。片側一車線の交互通行道路の路肩を両側も占領していてですね、住民の車がお互いの見える範囲で片方ずつ通るといった具合で、離合ができないんです」
『それは、対向車線道路が片側交互通行状態になっているということですね』
「はい、そうです。両側を半分塞がれて、一車線分の幅しかありません。とにかく、今も通りづらい状態が続いています」
『分かりました。今からそちらに向かいます。ーーーあなた“も”陰洲鱒町の人ですよね』
「はい」
『この町で珍しく、今日は同じような通報が三件入ってきたんです』
「え? そうなんですか?」
『はい。そちらの町で一日一件(通報が)あれば珍しいくらいくらいなんですけれど。今日は同じ内容が一日で三件なので』
「はあ。本当に珍しいですね」
『では、今から現場に向かいます』
「はい。よろしくお願いします」
そう返して通話を切った。
終了まで待っていた輝一郎。
「どこにかけたの?」
「交通課」
「動いてくれたのかな」
「同じ苦情が私も入れて三件も入ってきたから、さすがに動いてくれるみたいだよ」
「まあ、きてくれるなら良かった」
「ホントそう」
微笑みを見せた輝一郎に、紅子も笑みを向けた。
そして紅子と輝一郎の二人は、バイクのドリンクホルダーからコンビニで買ったカフェを取り出してそれにストローを刺してから、口に運んでいった。浜から地平線まで渡る波打つ海面に反射していく昼の日の光が、白く眩く輝いていて、それらを二人は飲み物で喉を潤しながら見ていた。それから、カフェを飲み干した空の紙コップを再びドリンクホルダーにさして、紅子と輝一郎は見つめ合い出して、彼氏の首に長い腕を絡めて近づいていく。輝一郎は百八五センチ、紅子は百八〇センチといった、ちょうど良い身長差のカップルであった。とくに、長身の紅子は多少背伸びしての口づけというシチュエーションが大好きな女である。よって、彼女の鼓動はまたとない興奮により高鳴っていた。輝一郎も紅子の背中に腕を巻いて抱き寄せて、受け入れていく。そして、顔を傾けた二人の唇があと少しで触れ合おうかとした、その直前。
「おーーい、そこのお二人様。イチャラブするにはまだ時間が早いですぞ」
と、黄緑色のキャデラック越しに摩周ヒメから声をかけられて、紅子と輝一郎は慌てて離脱した。恥ずかしさに真っ赤になる相思相愛の二人。ヒメからキスの邪魔をされたはずなのに、とくだん悪い気は起きず。アメ車の美人を見ながら、二人仲良く照れ隠しに後ろ頭を掻いていく。
「今日は休みなの?」
そう紅子は、ハザードランプを点滅させながらガードレールへと寄せて輝一郎のバイクの後ろにキャデラックを停めたヒメに聞いていく。後方確認したあとにドアを開けて運転席から降りたヒメが、二人に近づいてきた。足首までの黒いウェスタンブーツのヒールを鳴らして、輝一郎に軽い会釈をしながら通り抜けて紅子の隣に立った。摩周ヒメも、この龍宮紅子と同じ長身でメリハリのきいたボディラインを描いた身体をしていたので、見映えは抜群に良かった。
「そう、今日は休み」
と答えて、ガードレール越しに下の通りの様子を伺う。
「そこの彼氏も休みなんだ」
今度は紅子に質問。
すると、嬉しそうに彼氏を語っていく。
「休みなのよ。職業的には非番って言うんだっけ」
「良かったじゃない」紅子に笑顔を向ける。
「うん」ヒメに笑みを向けた。
二人の長身美女の和やかな姿に、輝一郎は思わず頬を緩めていく。
4
「あれ? マルちゃん」
助手席のインターネット廃人に気づいた紅子。
「はーい、お二人さん。楽しんでいますかー」
キャデラックから、摩周マルが触手の“手のひら”を振る。
紅子と輝一郎の手を振って返す姿に微笑んだヒメは、近づいてくる緊急車両のサイレンを耳に入れて、再び下を通る虹鱒山行き道路に目を向けた。
「おや、珍しい?」
「パトカーきたの?」
「三台だ。珍しいこともあるもんだな」
ヒメにつられた紅子に、輝一郎が便乗して下の通りを確認した。
ここから先を、黙って様子を見ていく三人。
そして、キャデラックから下を覗き見するひとり。
以下、全て上から見た動きになる。
下り車線の路肩に三台停めたパトカーから「そに停めてある車両、迷惑駐車なので移動をお願いします」と三回警告しても反応なし。数秒後、夏服の警察官が数名降りて、対向車線の路肩にいまだに路駐している二十台以上の報道機関の車両を確認していく。とくに、アンテナをご立派におっ立てたワゴン車に声をかけていったときに、車内に待機していたスタッフたちがそれぞれ車外に出てきて、警察官たちがなにやら対応していく。すると、各放送局や報道機関誌の助手またはマネージャーであろう者たちが慌ててスマホを取り出して、先のほうにある潮干家を包囲している記者やカメラマンに連絡を入れていった。数分と経たずに“現場”から全てを撤収してきた報道関係者らが、警察官たちになにかを話していたが、その言いたいことを最後まで聞いてもらった直後、無慈悲なことに青切符がそれらに配られていき、各局各誌の“現場の”代表者たちが書類にサインをしていったあと金額を書いた明細書と思われる物を各々に渡されていった。これらを受け取ったマスコミ関係の面々は、蜘蛛の子を散らすように各自の車両に乗っていき、速やかに現場から撤退していった。それから、職務を終えた警察官のひとりが本署に連絡を入れたあと、数名は再び三台のパトカーに乗って署に戻っていった。
一部始終をひと言もなく上から見ていた四人。
鼻で溜め息を着いたヒメが、腰に両手を乗せた。
切り出したのはヒメ。
「あらら。お気の毒に。誰が通報したんだろ」
「私」
紅子の即答に、ヒメとマルはブフォッと吹き出した。
腹を抱えて笑いだした摩周家の姉妹。
しばらくして軽く咳き込んで笑い終えたヒメとマル。
目もとの涙を指で拭い、ヒメが紅子を見た。
切れ長な目は緩やかに弓なりになり、微笑んでいる。
「あんたもよくやるわね」
「なーに、イイってことよ」
紅子も含み笑いでヒメを向いていた。
「まあこれで、私も輝一郎君も綺麗な景色が見られるようになったし、リエのとこに迷惑かけていた人たちも追っ払えたし。ーーーまさに一石二鳥」
「本当ね。それはいいことだわ」
「でしょ」ニッコリ笑う。
「うふふ」
友達の可愛さに目じりが下がる。
それから、愛車のキャデラックへと戻っていく。
運転席に座り、再びハンドルを握ったとき。
紅子が声を投げてきた。
「ねえ、今からどこ行くの?」
「この子と一緒に螺鈿温泉まで」
「あらーん」
助手席のマルに目じりを下げる。
「私も輝一郎君も四人一緒に入っていいかな」
「やめんか」
と、ヒメは突っ込み入れたあと。
「陰洲鱒町は混浴していないって知ってんでしょ」
「その通り」
「なら、あなたたちはあなたたちで続きを楽しんでらっしゃい」
「りょうかーい」
そう笑顔で答えながら、キャデラックを転がしはじめたヒメへと手を振っていく。そのヒメも、紅子へと手を振って返していった。