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10,白日を望め  作者: 雪無
1/8

観察記録1

 ────十二月五日。日本



 ごうん ごうん ごうん ごおん


 頭の中で、教会の荘厳な鐘声が幾重にも散らばって鳴り響く。

 それらは絶え間なく反響を繰り返していたが、やがて、一つの規則的な音へと重なっていく。


 ごうん ごうん ごうん ごうん


『あー、こちらツヴァイ。思考共有は良好か?』


 脳の最奥から自分ではない声がクリアになって聞こえてくる。

 その違和感に、ヘルツは眉を潜めた。

 いつだってこの「思考接続」は慣れない。自分の頭の中、自分の思考に自分じゃない他の誰かが土足で踏み込んでくるような気持ち悪さ。

 アサルトライフルを肩に持ち直して、ヘルツは窓辺に寄りかかった。二階建てのアパート、今にも壊れそうな古い窓の向こうでセーラー服を着た少女たちが下校していく。

 濃い橙の夕陽は、自分たちの国のものより少しだけ優しいような気がした。


「Kein Problem, こちらアインス、感度良好だ」

『おい、思考共有に感度とか言うな』

『こちらドライ。思考良好です……あれ、少しノイズありません? 誰か寝てます?』

『ゼックスじゃないか? あいつ思考接続下手だからなあ』


 ヘルツは高い鼻筋を鳴らして嘲笑った。


「αとあろうものが思考接続もできないでどうする。全知全能も宝の持ち腐れだな」


 そう言うと脳の中で複数の笑い声が木霊した。姦しい騒音に、血管が重くなる。ヘルツは無意味に右手を挙げて、指揮者よろしく左右に振ってみせた。

 向こうからこちらは見えない。だが、見計らったように一笑は静まる。

 幽霊が通り過ぎていくほどの沈黙が、互いの思考を通じて緊張へと変わっていく。

 家具も何もない古い空き部屋の六畳。その間取りを見渡してから、ヘルツは赤茶の髪を撫でつけ、肩のアサルトライフルを手に構えた。窓の向こうでは男子学生も下校に混じり始めている。

 ごく、平和な日常、なんの憂いもない放課後、考えるのは明日の宿題だとか今日の晩御飯だとか、そんなものでいい。彼らの誰一人、真っ黒な銃口を向けられているなんて知らない。


(血を見るのは、一瞬だぜ)


 うねるような黒髪、身長175センチ、細身でやや猫背、右目と左の口端にホクロ。両目は、白濁した白──。

 記憶に叩き込んだ対象の姿、かたちを今一度反芻する。

 カーテンをギリギリまで閉めて、窓を数センチ開ける。その隙間から銃口に空気を吸わせてやる。

 スコープで学生の一人一人を観察した。

 みんな、まだ幼い顔立ちだ。

 この国から治安の良さを引いたら、果たして一体何が残るというのだろう。ヘルツの口元が自嘲気味に歪む。まったく、くそったれな世の中だ、そうだろう?


「これより、深淵討伐を始める。各自、配置につけ」

『Verstanden, Chef』


 脳の奥で、鐘が鳴る。


◻︎



 α、β、Ω、世界は男女の性別の他に第二性によって構築されている。そして、それは能力の格差でもあった。


 αに生まれたものは『全知全能』

 βに生まれたものは『部分日食』

 Ωに生まれたものは『無能』


 それぞれの特性の中には『治療』『身体』『科学』『言語』と大きく四つに分類された“権能”という能力が備わっている。

 科学であれば、物と物とを操れたり、言語であれば、言霊が扱えたり──細かい能力差はあれど、その者が生まれ持って活かせる特技みたいなものが特殊能力として使えるのだ。

 無論、扱える権能は多ければ多いほどいい。が、権能は第二性によって、その習得数を左右される。


 αは全知全能に区分され、そう生まれただけで、全ての権能を等しく扱える素質が備わっている。つまりは生まれ持ってのカリスマだ。

 βは部分日食。一つの権能に特化していて、職人気質であったりその道のエキスパートであったり、なにか一つのプロになれる者が多く存在する。


 そして、Ω。無能である。どの権能も宿らず、ただ、美しい外見だけが取り柄の“無害な”人間。モデルや俳優、アーティストになるものたちが多いけれど、政府には必要とされていない。昨今では、国によってΩ差別が顕著になってきている。


「だが、Ωには稀に特異体質を持って生まれてくる奴もいる。それを──」

「『天変地異』」

「ヘルツ、人が話しているときに口を挟むな。……まあ、そうだ、『天変地異』という。Ωでありながら、αと同じ全知全能の力を有した者のことだ。彼らはαの地位を脅かしかねない。どの国でも天変地異保持者のΩは極秘の処刑対象になった……そんな虐殺的思考も、少しずつ減ってきてはいるがな」

「まさか、“日本”から、ですよ。上級将官」

「そうだな……よりにもよって日本からだ」




 ────十二月一日。ドイツ、首都ベルリン。バース軍事情報局内部。


 会議室に収集された六人の士官は、楕円に広い円卓を囲んで書類とスクリーンを交互に見ていた。


 その右から二番目の椅子に座る、ヘルツと呼ばれた一人の男。

 スポーツ選手にも勝る長身に、彫りの深い顔立ちは色男を名乗るに相応しく、不遜に上がる口角がいかにも軍人らしい厳しさを引き連れている。が、そこに粛然さはない。赤茶色の柔らかい髪が唯一、少年のような印象を与えるだろう。

 齢二十八にして、少将の座を手にし、国家暗殺部隊に所属するαの中でも優秀を語るのが、彼、ヘルツ・バルツァーであった。


 ヘルツは頭を掻きながら配られた書類に深緑の目を落とした。


 映し出された映像と手元の書類には一人の個人情報が並んでいる。



 月見山 鷹。19xx年1月1日 満18歳 血液型A 男 東京都新宿区xxにて生まれ、その後バース専門児童施設に保護……



 生年月日、出生、経歴、ドイツ語のルビが振られた文字を追いかける複数の目に、何かを採用しようという楽観は見当たらない。

 困惑、躊躇、思慮、様々な逡巡が層雲のように揺蕩っていた。


「これ……なん……やま……なし?」書類を目睫に寄せた准将が、漢字とその上に書かれた小さいルビを追う。

 上級将官のノアが口を重く開いた。

「ヨウ ヤマナシ」


 個人情報の書類には重要機密事項と書いてあるが、それがこちらに対するものなのか日本政府が管理していた名残なのかはわからない。

 ヘルツは顔をあげて、青白い映像の顔写真を見た。

 Ωらしい美貌に、風流さを感じられる癖っ毛の黒髪、印象的な二つのホクロ、病気を疑うような白濁した目。だが顔立ちはまだ青春を謳歌していて良い幼さだ。

 孤児の施設育ちらしいが、高校は私立の名門校に進学している。将来有望な三年生。それまでに何をして生きてきたか、どんな人格であるのか、委細が書かれていて然るべきであるのに、なぜかそこだけ記載されていない。


(意図的か、“本当に”そう生きていたのか)


 ヘルツは億劫そうに脚を組み、第二性の欄を指先で叩いた。


「Ωの……『天変地異』保持者か」

「そうだ。“だから”我々に依頼が来た。極秘でな」

「我々、ね。ならば我らが女王陛下にもこの依頼を報せるべきでは?」

「口を慎め、ヘルツ。お前はどうして頭の出来はいいのに、品がない」


 ノアに睨まれたヘルツは緑の目をぐるりと回して悪ガキみたいに両手を柔らかくあげてみせた。品だのモラルだのを磨いたところで、自分たちの行う仕事は結局変わらないのだ。

 国家直属暗殺部隊、ヘルツの所属するこの部隊は主にΩ『天変地異』保持者の暗殺に使われる。いわば虐殺部隊であった。

 しかし、三年前に大統領が変わってからこの国のバース差別は終わりを迎えようとしている。

 軍の部隊もいよいよ終焉を迎えるかと思われたが、こちらの国が少し変わったというだけで世界の人間が優しくなるわけではない。確実な暗殺を成し遂げるという軍の成績は周知であり、こうして他国から秘密裏に暗殺の依頼が入るようになったのだった。

 大統領の秘書には話を通しているが、あの性悪な女が正しく伝達しているはずもない──きちんと伝えられていたなら、今頃自分たちは血生臭い日常とはおさらばして、長い休日を謳歌していたろうし──。


 だが、まさか、温暖国家日本から依頼がくるとは思わなかった。

 バース差別が顕著な国とは聞いているが、それでも他国にΩ天変地異の処理を頼んだというのは聞いたことがない。

 こんな、ティーンの青年を殺せなど尚更だ。

 今更痛む良心なぞないが、不信感は拭えない。他の士官もそう思っているのか引き結んだ唇は綻びを見せないでいる。

 周囲の反応を概観して、ヘルツは代弁するように円卓に肘をつき、眉を上げた。


「こんなかわい子を殺すのは、流石の日本政府も二の足を踏むってもんですかねえ」

「当たらずも遠からずだ」


 皮肉を言ってすっかり怒られる気でいたヘルツにとって、ノアの肯定的な言葉はまったく予想し得ないものだった。

 円卓から肘を離し、硬い革の椅子に背を深く沈める。怪訝に上官を見つめながら、ヘルツは首を傾げた。


「そりゃ、どういうことで?」


 ノアは渋い顔の陰影をさらに濃く歪めて、スクリーンに映されている青年を見る。


「“殺せない”らしい」


 途端、会議室の室内温度が急速に冷えた。

 軍人や殺し屋にとって“殺せない”という事実がどれだけ屈辱的で、侮辱的で、荒唐無稽であるかは想像に難くないだろう。

 人は等しく死ぬ。どれだけ優秀なαの全知全能であっても、不死身なんてことは生物である以上ありえない。Ωの一人も殺せないなんて、日本は温暖だから殺し方を知らないだけではあるまいか。

 意見の承諾を得るわけでもないのに、ヘルツは右手を大きく挙げてよく通る声を響かせた。


「その殺せないっていうのはどういう意味なんですかね。向こうさんのやり方が下手なのか、それともこの青年には常にバリアが張ってあるとか? もしくは彼の美貌に当てられて?」


 はは、と隣にいた准将が薄く笑うが、ノアに睨まれると小鳥のように肩を縮こまらせた。

 咳払いを一つ落とした上官の動きに誰もが注目する。束になっている書類の一番最後を捲ると、他の士官も続いて書類を開いた。


 〈深淵に関する注意事項〉という項目が全員の目に留まる。


「深淵?」

「ヨウ ヤマナシの通称だ。我々もこの先、青年の存在を深淵(しんえん)と定義付ける」


 嫌なあだ名だな。ヘルツは息を鳴らす。汝が久しく深淵を見入るとき──……。

 スクリーンに映る白い目が、映像の乱れに緩くブレる。ノアは気にせず話を続けた。


「日本政府が雇う殺し屋がどれほどの実力かは存じない。……だが、これまで何十回と送り込んだ殺し屋はみんなことごとく死体となって送り返されているらしい」

 前に座る中将が挙手と共に割って入る。

「待ってください。確かに彼……深淵は天変地異保持者かもしれませんが、Ωの天変地異、それもまだ子供ですよ。殺し返すなんて……αの全知全能と等しくあれ、優秀さでいえばどうあってもαには敵わない」


 Ωだから。そうでしょう? 同意を求めるような笑みを浮かべて、中将は辺りを見渡す。しかし、誰も、明るい顔を浮かべる者はいなかった。当たり前だ。それに同意してしまったら不敬になる。

 ──今現在、この国を統治しているのは、Ω『天変地異』保持者の大統領であるのだから。

 元首が変わり、ここ三年でバース差別は緩和してきたが、長年染みついた国民の差別心はそう簡単には拭えない。この場にいる全員が同意や共感という態度を明確にしていないだけで、心ではまあそうだよなと思っている。Ωだから、αには敵わない。そういうものだ。

 裏を返せば、たかがΩがαと同じ力を持つなんて畏れ多いことだということ。そんな下等が同じ能力に恵まれるなど、何かの間違いである。そうやって、駆除されていく。今まで、ずっと、それが当たり前だった。


(仏が支える日本の治安も所詮この程度か)


 ヘルツは嘲笑って書類の注意事項を目で追った。


〈深淵に関する注意事項〉


 1, 決して目を合わせてはならない

 2, 見られてはいけない

 3, 対象の視界に入ってはいけない

 4, 近接に持ち込んではならない

 5, 毒の使用を禁ずる

 6, 密室を作ってはならない

 7, 見失うな

 8, 声を聞くな

 9, 覗いてはならない覗いてはならない覗いてはならない覗いてはならない覗いてはならない覗いてはならない覗いてはならない覗いてはならない


「……この資料を作ったやつは今生きてんのか?」

「唯一、生き残った殺し屋に書かせたものだそうだ。今は……まあ……狭い牢屋の中にいるみたいだが」


 それぞれが気味悪がって腕を組むと、上等なスーツと厳格な顔に苦いシワが寄った。

 この資料に誇張表現がないのだとしたら、深淵という青年は人の精神に多大な影響を及ぼすほどの権能を持ち合わせていることになる。そんな非現実的な現実、あり得るのだろうか。

 たった一人の、ティーンの青年が?

 ヘルツは深く考えようとして……やめた。

 席を立ち、書類を小脇に抱える。


「まあ、俺たちに殺せないものはいませんよ、上級将官。お任せください、日本にたっぷり恩を売っておきましょう」

「……では、ヘルツ少将の部隊にひとまずはこの案件を任せる。期待しているぞ」


 上官の言葉を皮切りに全員が起立する。ヘルツも緩く敬礼して、扉へとつま先を向けた。

 退室する間際に、少しだけ口をこぼす。


「山のないところで悠々飛び回る鷹に見つからずっていうのは、中々骨が折れそうだ」

「……? なんの話だ、それは」

「深淵の名前ですよ。月見山 鷹(やまなし よう)

「お前、漢字に造詣が?」


 煮詰めたように深い緑の目が緩く持ち上がる。「漢字、好きなんです。かっこよくて」

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