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Amoreの夜

作者: 泉田清

 パソコンの前に座る。晩飯を食う。汗が出る。特に、熱いものを口にすれば滝のように汗が出る。サッシを開ける。網戸があるので虫が入ってこれないはずだった。

 ピョコン、何者かがパソコンのモニター前に闖入した。アマガエルが。飯を口元まで運んでいた箸が思わず止まった。モニターの煌々とした明かりに引き寄せられたのだろう。いやいや、それどころではない。顔を上げ、明かりを見つめるアマガエル君を驚かさぬよう、ゆっくりとした動きでティッシュをとり、サッと生け捕りにした。外に放り出す。なるほど、網戸の端が剝がれている。羽虫が入り込むと思っていたら、こういうことだったか。剥がれた個所に養生テープを貼った。


 車を停め道路向かいの病院へ向かう。アスファルトの上に、緑色のイガグリが落ちていた。どこからこんなものが?もう収穫時期に入っているというのに。よほど発育が悪かったとみえる。チクチクするイガグリを拾い上げ、隣の家の花壇に置いた。枯草とイガグリの花壇。季節感が全くない。季節の変わり目はいつも風邪をひく。病院へ来たのはそのためであった。

 パソコンの前で晩飯を食う。汗が出る。サッシを開ける。エアコンよりも冷たい風が入ってくる。朝晩は冷えるようになった。五分も開けていると、体が冷えすぎて身震いした。風邪をひくのも無理はない。プーン、耳元で蚊の鳴く音がした。この季節に蚊がいる!網戸に養生テープを貼るようになると、どんどん剥がれていく。今や網戸の端はテープにすっかり覆われている。蚊が入ってくるのも無理はないのだった。


 電気蚊取りを点けた。何分かすると、何かの臭いがする、気がする。これは電気蚊取りの臭いか、それとも気のせいか。蚊が死ぬようなものを点けて人体に影響がないのか。いつも葛藤に駆られる。それでも点けてしまう。プーン、その音は、それほど耳障りなものなのだ。やがて音はしなくなった、電気蚊取りが点きっぱなしなのも忘れてしまった、そのまま夜は明けてしまう。

 寝る前。蛍光灯を消す。夏の強い日差しがカーテン越しに感じられるように、月の盛んな光量が感じられた。今宵は中秋の名月。自分には何の関係もないと思っていた満月が、確かにカーテンの向こうにはある。好奇心を覚え、カーテンを開けてみた。アパートの二階から見た夜の世界。そこには、隣のアパートの屋根を照らす月光があった。艶めかしい月の光。庇に隠れた月の姿を拝もうと、サッシを開けて身を乗り出す。唇に何かが触れた。思わず身をのけぞる。眼前にあるのは無数の格子、網戸だった。


 キスマーク。というのは、口紅をつけた人がどこかにキスをすると、それがハンコを押したようになる現象だと思っていた。結婚式。愛を誓い合った夫婦が公然と唇を重ね合わせる。自分は絶対にそんなことはできない、子供心にそう思ったものだ。いずれにせよ、キスマークの検証も結婚式も、我が半生には縁がなかったわけだが。

 いま、目のまえにあるのは養生テープに覆われ、それでも隙間のふさがらない網戸である。満月を頭上に頂いたまま、サッシもカーテンも閉め切った。再びカーテン越しに月の光が感じられた。このほうがいい。独りの部屋に横になる。目を瞑る。こうして秋の夜長は始まった。


 中秋の名月、網戸にキスをした。かび臭いキスを。

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