5.愛しい子の行方
上級精霊であるユーリシアスは、エルボルタの国では『精霊の生まれた日』と呼ばれる祝祭の日を迎える前夜、精霊の国へ多くの精霊たちが戻るよりも少し早くに帰国をしていた。
勿論、これは、彼の大切な存在であるアンジェリカにも伝えての行動で、アンジェリカ自身もそれを理解し、精霊の国へ旅立つユーリシアスを笑顔で見送ってくれたのだった。
久しぶりの祖国に足を踏み入れたユーリシアスは、人間界で過ごした疲れを癒す為、自宅の城にて、暫しの休息を取っていた。
明日は、人間界で普段暮らしている精霊たちが一斉に里帰りをする日だ。
人間界では、『精霊の生まれた日』や『精霊が降臨した日』だのと名をつけて、人間界で精霊が姿を現し共存した日としたとされて、各地で祝賀が行なわれる日だ。でも、本国の精霊の国では、この日を年の始まりとし、精霊王によるとある儀式が行なわれる年始の行事であった。
この精霊王の儀式とは、この一年の精霊自身が負った穢れを祓い、そして、新たな癒しの魔法を施されるもの。
その為、人間界の各地にいる精霊たちが、この日に帰国するのだった。
まあ、ユーリシアスのような上級の精霊にとっては、このような穢れを払うといった儀式への参列も特に必要ではないのだが、ユーリシアスの持つ精霊の階級上の立場からしたら、逆に、欠席することは問題を引き起こすことになるので、ユーリシアスも慣例に倣い、今年も儀式の参列をする為、今は、その時が来るまでのほんの少し時間を待っているのだった。
ユーリシアスは、自室にあるソファーに腰をかけて、優雅にティ―カップに注がれた茶をこくりと飲み、人間界に残してきた大切なアンジェリカを思い起こす。
自分の髪色とは少し違う蜂蜜色の長い髪に、サファイアの瞳をもつ麗しい娘、アンジェリカ。
ユーリシアスの教えをいつも素直に聞き入れて、ユーリシアスに向ける瞳は尊敬の眼差しに見える。
本当に、言葉に表せないくらいに愛らしいアンジェリカ。
暫しの里帰りとはいえ、人間界に一人残して来たことが不安で堪らない。
ユーリシアスは、相当な過保護になっていた。
出来る事なら、アンジェリカも連れて来たかった・・・だが、まだ、アンジェリカは、この地を踏み入れることは叶わない。
ふーっと、ユーリシアスはため息を吐き出して、自室からテラスに繋がる窓の方を向き、そして、外を眺めた。
窓の外では、綺麗に選定された木々、そして美しく咲き誇る花が見える。
そろそろ、精霊の大門が開放されて、多くの精霊が帰ってくる。
今日から明日にかけては、人間界と変わらず、この精霊の国も年の始まりとしたお祭りが行われる。
賑やかな精霊たちの声が、ユーリシアスの城にまで届きそうだ。
そんなことを思いながら、今から数刻後に行われる儀式をスッキリとした状態で迎える為に、ユーリシアスはソファーに横渡るようにし仮眠をとる事にしたのだった。
精霊王の儀式が終われば、すぐにでも、今年も人間界へ戻ろう。そんなことを誓いながら、ユーリシアスは眠りにつく。
そうして暫くした後、浅い眠りからユーリシアスは起き上がり、儀式に向けての準備の為の行動を起こす。まずは、傍仕えの精霊を呼びよせ、身支度を整える。身なりを式典に合わせた衣装へと変え、そして、彼は精霊王が住まう王城へと向かったのだ。
そんな彼、ユーリシアスは、昨日、精霊の国に帰還した際に、精霊王とは深夜にも関わらず、精霊王から命を受けて行っている人間界においての任務について、現状報告が既に済まされている。
なので、今日は、他の精霊たち同様に、儀式の参列のみが本日の仕事だ。
長い廊下をゆっくりと歩くユーリシアスは、王が控える広間に向かう。
ユーリシアスが向かう、その広間には、ユーリシアス同等にある上級の精霊が多く集い、王との語らいが行なわれていた。
この日、王は、広間に繋がるバルコニーへ下り立ち、精霊の国に滞在する多くの精霊たちに向けて、昨日までの一年の穢れを祓い、その後に、今年一年の活躍を支える為とした癒しの魔法を降り注ぐ。
その様子を、傍で見守ることが出来るのは、ユーリシアスのような上級の精霊と王に傍付きを認められた精霊などであった。
間もなく、儀式が行われる時刻であるが、ユーリシアスの動く速度は変わらない。
ここに来るまでにも多くの精霊と出会い、少しの談笑を繰り返しているので、今更、広間にて、語らう精霊もいない。
なので、ユーリシアスの歩みは変わることはない。
「儀式に滑り込めばいいか?」と思うくらい、のんびりと歩いていた時、ユーリシアスの体がこれまで感じた事がない気配を感じた。
(な、なんだ!)
全身を得体の知れないモノがゾゾゾ・・・と駆け巡る。
(何かあったのか?まさか!、王に何か起きたか!)
ユーリシアスは、咄嗟に、王がいるとされる広間の方に目を向け、素早く動き出すが、しかし、開かれた扉の向こうでは、王が上級精霊たちと談笑を繰り広げている光景が映る。
(なんだ、気のせいだったのだろうか?)
首を掲げ、広間の中を再び確認してから、ユーリシアスは広間の外にもう一度出てみる。
王の安否が確認されたのに、ユーリシアスには、拭いきれない不安が残る・・・
(一体、あれは何だったのだろうか?)
ユーリシアスが思案しながら、ふと廊下にある窓へと近づく。
すると、彼方遠くで闇を思い起こすような黒い雲が見える。
(バカな!こんな祝い事のある日に、あのような雲が現れるなどあるものか・・)
精霊の国では祝祭の時には、晴れやかな青空が広がるのが定説である。
なのに、遠いとはいえ、今日という日に、あのような雲が顔を出すとは、何か不吉なことを暗示しているのだろうか。
ユーリシアスは眉間に皺を刻み、雲の流れを目で追う。
「あの方角は、大門がある辺りでは?」
ここで、さっき身に起きた不穏な感じもユーリシアスに蘇る・・そして、この時、彼女に対しての良くない知らせなのだと直感する。
「まさか!アンジェリカに!」
そう口にしたユーリシアスは、近くにいた精霊を捕まえ、儀式の参列の辞退を言付けたと思ったら、人間界と繋ぐ大門を目指して立ち去って行ったのだった。
「アンジェリカ!」
この身を代えてでも守らねければならない存在であるアンジェリカ。
そんなアンジェリカの身に不吉なことが、今起こっているようだ。
ユーリシアスは、魔法を駆使して、急ぎ、人間界にあるエルボルタの国へ向かう。
そして、本来なら精霊が姿を消している時間帯であるのに、アンジェリカの危機を察知したユーリシアスは、エルボルタの王城に舞い戻って来たのだった。
王城へ戻って来たユーリシアスは、まずは、アンジェリカに与えられた部屋に赴く、だが、アンジェリカも、傍付きのミーナさえもいない。
「今日は、この国も祝祭の日だったな?だとすれば、アンジェリカは謁見の間か?」
そう思うとすぐに、ユーリシアスはこの国の王たちが集っているだろう謁見の間へ向かうが、そこには、見知った貴族や王が高らかに笑い合う姿が目に飛び込んできただけだった。
(い、いない・・・)
ぐるりと見渡すが、アンジェリカの姿は見つからない。
そん代わりに、その場にいた貴族の連中が、アンジェリカを憐れむ声が聞こえてくる。
「アンジェリカさまもお可哀そうにねぇ。一番、信用していた者にあのようなことをされて、ねぇ?」
ヒソヒソと、声が鳴り響く。
(やはり、アンジェリカの身に何かあったのだな!)
ユーリシアスは、貴族の会話を拾い、その言葉から、ある人物を突き止める。
(フランツの小僧め!)
わなわなと身体を震わせながら、ユーリシアスはフランツがいるであろう、彼の自室へ急ぎ向かった。
ユーリシアスが、フランツの自室に入って、最初に目にしたのが、アバズレ娘のミーナと抱擁し、唇を重ねる王太子フランツの痴態であった。
アンジェリカ自身は知らないことだったのかも知れないが、王太子フランツとアバズレ娘ミーナの関係は、多くの者の知ることであった。
人の目にも留まるくらいなのだから、精霊であるユーリシアスには、直ぐにバレていたのである。
だからこそなのか、アンジェリカの目や耳に入らぬようになっていたのかもしれないが、そんな二人の関係を正面から見る事になるとは、この時のユーリシアスでも想像にはなかった。
思わず、ユーリシアスには、珍しく「チッ」と舌打ちが出てしまった。
そんなユーリシアスの感情も気に留めることなく、フランツは、はじめての精霊との遭遇に歓喜を表わしている。
そして、あろうことか、ユーリシアスに向けて、愚かな言葉を投げかけたのだった。
「精霊よ。今日の日より、我がそなたの契約者となる。王子であるこのフランツが、そなたと契約し、そなたの加護を得て、この国、いや、この地にある大陸を治める良き王としていこう。さあ!今の時を持って、我と契約を!」
虹色に輝く見慣れた指輪が、ユーリシアスの方へフランツが向ける。
(あの指輪は・・・)
事の成り行きが見えて来た。
ユーリシアスは、フランツに冷めた目を向けたかと思うと、アンジェリカの捜索を再び再開しようと思考を巡らせ、動き出そうとする。
そんなユーリシアスを見たフランツが慌てて、また、声を掛ける。
「な、何をしている!契約の証はここに!」
だが、ユーリシアスには何の引き留めにもならない為、返事すら返さないでいた。
ただ、ここにいない少女の無事を心配して、小さく少女の名を声に出してしまったのだった。
その小さな声は、フランツにも何故か届き、再びフランツの焦りが加速していく。
フランツは、焦る気持ちから、心の奥底に潜む邪な気持ちを大きく引き上げてしまい、アンジェリカの置かれている現状を告げたのだった。
「精霊よ!アンジェリカは国をも乗っ取ろうと企てた罪人だ!精霊との契約が出来る立場ではない!お前との契約者はこの私、フランツだ!」
それを聞いたユーリシアスは、これまで以上の怒りが心の奥底から湧き上がる。
全身が怒りの魔力で纏われた姿になったユーリシアスは、恐ろしい顔をしている。
「なんだと!アンジェリカが罪人だと!」
鋭い目つきをフランツに向けて、ユーリシアスは、愚かな人間どもに、アンジェリカの存在の意味を説いてやることにしたのだった。
「おまえ!、何か勘違いしているようだが、私のような上級精霊は人間に加護を与えることはほとんどない!特に信仰心のかけらもないおまえらの前に、本来なら姿を現すことすらないのだ!それから、おまえの指にある見覚えのある指輪だが、そんな指輪、契約の証でもなんでもないわ!アンジェリカは、我らにとっては、特別な御人だから、上級精霊である私が傍仕えしていただけだ!」
ユーリシアスから齎された言葉に戸惑いを見せるフランツ。
だが、そんなものは、ユーリシアスにはどうでも良いことだ。
早々に、この場を離れて、大事なあの娘を探さねばと思ったその時、大きな揺れが目の前で起き出した。
(なっ!今度は何が起きたんだ!)
ユーリシアスの視界には、大きな声を上げまくるミーナと、膝を床につけたフランツが見える。
「まずい!早くアンジェリカを探さなければ!」
揺れる城内にいるアンジェリカの姿を探す為に、今度こそ、ユーリシアスは魔法を使ってフランツたちの前からスーッと消えた。
(アンジェリカ、どこにいる?泣いているのか?)
ユーリシアスは、大きなサファイアの瞳が涙で溢れて、ユーリシアスの助けをただじーっと待つアンジェリカの姿が浮かぶ。
(あのバカ王子め!)
本来なら、アンジェリカの居場所が直ぐわかる為に与えた虹色の石が填め込まれたあの指輪が、こんな時に効果を発揮するのだが、こともあろうか、指輪はフランツの指にあった。
あれは、決して、『契約の証』なんかではない。
今は、精霊の力が見えないアンジェリカの居場所を示す為に与えたユーリシアスにとっての目印だ。
その目印を、あのフランツが、何を勘違いしたのか、ユーリシアスとの契約を行う為のアイテムと思い込んだようだ。
とんだ、バカ王子だ!
エルボルタの王族ほど、精霊は嫌っている。
だからこそ、今日のこの時まで、王子をはじめとした王族は、精霊と遭遇していない。
例え、あの指輪が『契約の証』だとしても、精霊と契約する以前に、精霊と遭遇しなければならない。
自ら、精霊と会うことも出来ないものが、精霊の加護が得られる訳はないというのに。
精霊に見放された国の王族は、色々と欠如しているようだ。
精霊を敬うこともせずに、力だけ利用しようとする国に、誰が加護を授けると思うものか!、バカバカしい。
あんな者に、一時でもアンジェリカの身を置くことを許したことも腹たたしいくらいだ。
広い城内をアンジェリカを求めて探す、ユーリシアス。
城内を襲った大きな揺れは、暫く続いたが、ユーリシアスが思っていたよりも早くに収まった。
それと同時に、ユーリシアスは微かな精霊の気を感じる。
ユーリシアスのような上級の精霊でも、集中しないとわからない小さな気である。
(こんな日に、精霊が人間界にいるのか?)
よくわからないが、小さな精霊も城内を彷徨っているようだ。
(アンジェリカを探しているのか?)
ユーリシアスは、小さな精霊の気が一番長く感じる場へ急ぎ向かう。
もしかすると、何かわかるかも知れない・・・
ユーリシアスが向かったのは、地下に備わる牢であった。
(アンジェリカ、どうかご無事で・・)
祈る気持ちで、先を急ぐユーリシアスであった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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