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昭和~平成 ― ヤクザ映画による誤解と偏見

敗戦と新憲法


 太平洋戦争敗戦後、大日本帝国憲法は廃され、GHQ監修の日本国憲法が日本国を規定するようになった。それに伴い、法律も大きく変わった。


 そうした中、「刺青の禁止」がひっそりと廃された。刺青は野蛮な風習(だから禁止)、というのが明治政府の勘違いで、西洋基準ではそうでなかったわけだから、西洋基準の価値観で作り直した新憲法下で廃されるのは当然といえる。


 ここに、1948年の一冊のカストリ雑誌がある。


 当時、お酒を造った残りカス、から無理やり取った低品質なカストリ焼酎という酒があり、それになぞらえて、紙質が悪く、内容も低俗な雑誌を、低品質を揶揄してカストリ雑誌と呼んだ。だがそれは、大戦以来困窮を極めた庶民が、食うや食わずの生活から、再び「文化」を手にする余裕ができた証でもあった。そもそも庶民文化は低俗な側面があり、江戸期の「低俗な」歌舞伎は何度も禁止されたし、春画は禁止されてもひそかに流布していたのである。


 この雑誌では、刺青特集として刺青が肯定的に書かれ、件の名彫師の生涯記、女性が背中にファッションで刺青を入れる姿、などなど。当時の庶民が刺青に抱いていたイメージを垣間見ることができる。


 なおこの生涯記によると、大正末期に突如として逮捕抑留され、しかし数日で釈放されたそうである。彫師を規制してたのかそうでないのかよくわからないエピソードである。

 大正末期に彫師を規制した時期があって捕らえたが、人物照会で、明治期に英国の無茶ぶりからある意味日本を救った名彫師であることが明らかになり、慌てて釈放したのでは、とも思える。単に別件の容疑者とされて、容疑が晴れただけかもしれないが。



ヤクザ映画の流行


 新憲法下では、別に刺青を見せびらかしてもよかったはずだが、刺青者は普段は隠す習慣を続けたのだろうか。


 この時点の刺青者は、年取った「ほぼ全てのブルーカラー」、禁止期は「普段は隠せばOK」の緩い運用だったようなので、その間に入れた者たち、新憲法下で刺青解禁後に入れた者たち、などがいるだろう。

 このブルーカラーのうち、博徒、口入屋(人材派遣業)は後のヤクザの母体となったが、それ以外の一般労働者の方が多いのは言うまでもない。


 時は高度成長期。日本の地価が上がり、中でも都心の地価が上がった。昔から住んでいる庶民は、固定資産税(土地への税金)の高さに根をあげ、土地を売って郊外へ引っ越すものもいた。一方で、中卒・高卒は「金の卵」と呼ばれ、全国から仕事のある都会へ上京してきた。都会の住民が入れ替わりつつあった。



 1960年代に、ヤクザ映画が流行った。ものすごく流行った。シリーズものが延々と作られた。

 聞くところによると、ヤクザではない刺青者が、ヤクザ役として出演したりしたらしい。本物のヤクザはいろいろ面倒そうだし、刺青のSFXなんてのも時代的に面倒そうだし、さもありなんという感じである。


 一方そのころ海外では、日本の刺青が「驚くべき日本の刺青芸術」として、著名な雑誌で紹介されていた。

 ヤクザではない刺青者は、こちらでも紹介されていた。

 件の名彫師の刺青を背負って、外人記者に見せびらかしている。



誤解から偏見へ


 かつては、向こう三軒両隣は近しいものであり、その中に刺青者がいることも、それが一般労働者であることを知っていることも、当たり前であった。

 この、ブルーカラーは刺青してて当たり前で、普段は隠してるだけ、というかつての常識は、住民の入れ替わりの少ない下町や、船員や荷下ろし人などを間近に見る機会の多い港町など一部を除き、知る人ぞ知るものになっていった。


 それまで刺青を見る機会がなく、ヤクザ映画で初めて刺青を見た人たち、つまり、都会に越してきて、隣近所で刺青を見る機会があるほど近しい付き合いがない者、地方なので元々江戸火消しからのファッション刺青を知らない者にとって、ヤクザは刺青をしている、ということを知ったものの、普通の人も刺青をしている、ということを知る機会はなかった。


 そして「ヤクザは刺青をしている」ことから、いつの間にか「刺青をしているのはヤクザ」「刺青をしているのは悪い人」「刺青は悪い」というイメージにすり替わってしまったのである。

 「ヤクザがベンツに乗ってる」から「ベンツに乗ってるのはヤクザ」みたいな話だ。だがベンツは悪く言われない。「ベンツ乗ってる」といえば羨ましがられ、「刺青してる」と言えば怖がられるか呆れられるか。

 「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」というのがあるが、正体が車なら怖くない、刺青とかオタクとか、自分がわからないものは怖い、みたいな話だろうか。


 1990年代を生きていたオタクは覚えているだろうか? 当時、とある殺人事件があり、

「犯人にオタク趣味があった」ことから、いつの間にか「オタク趣味があるのは悪い人」「オタク趣味は悪い」というイメージにすり替わって、オタクバッシングされたことを。

 この時は、業界の大御所や、表現の自由論者の協力を得て、オタクたちは危機を脱したのであった。(が、いまだにそう思っていてblogやtwitterでオタクバッシングする人もいる)


 同じ状況で、刺青者は沈黙を選んだのであった。(主張したけど今の我々が知らないだけかもしれないが)


 ヤクザでない刺青者の、その後の心中はいかなるものか。

 オタク者もまた、一つ違えれば、1990年代のような、あるいはもっと酷い偏見の目で見られ続ける可能性もあったのだ。


 前述の大正期の若大工は、後に鳶となり、さらに後、江戸の町火消し文化を保存する団体のお偉いさんとなった。正月の出初式のニュースで梯子乗りとかやってるアレである。

 江戸期の出初式の浮世絵を見ると、半袖で刺青がチラ見してたりするが、近年の出初式では、古い新聞でも長袖を着ている。もちろん高所危険というのもあるだろうが、刺青を見せないという理由もあるのだろう。

 ヤクザでない一般人が刺青をしている一つの例である。



 私も刺青に偏見を持っていた。


 昔、東京で風呂なしアパートに住んでいた時、銭湯に通っていた。その後風呂付に越した後も、たまに大きい風呂に入りたくなって銭湯に行くこともあった。銭湯巡りとかしたこともあった。

 東京の銭湯の多さにびっくりし、割と頻繁に高齢の刺青者に会うのにもびっくりした。「刺青・泥酔入浴禁止」と看板があるにも関わらず、シレっと入っていた。


 当時は、引退したヤクザかと思い、心持ち遠巻きにしたりして、銭湯の人も怖くて注意できないのかな、などと思っていた。東京にはこんなにたくさん爺ヤクザがいるのか、と驚いた。

 今にして思えば、ヤクザでない一般人が刺青をしていたと考えたほうが妥当なように思う。引退した近所の大工とかだったのかもしれない。銭湯の人にとっては、若いころかわいがってもらった近所の大工の兄ちゃんであり、銭湯の修理とかしてくれたかもしれない。ずっと銭湯にきてくれていた優良顧客だったのに、突然来るなとは言えなかったのだろう、とか妄想してみる。



 近年のヤクザインタビューで、「刺青を入れるとき、コレでカタギに戻れない、戻らない覚悟を決めた」的なことを言うヤクザがいるが、この概念はいつできたのだろう。上司の古参ヤクザは、刺青がそういうモノではないことを知っていたはずである。それとも、容易に足抜け(ヤクザを辞める)しないように、ヤクザ自身も偏見をうまく利用したのだろうか。



再びファッションへ


 多くの日本人が「ファッション刺青」というものを知ったのは、英国サッカー選手のベッカム等、スポーツ選手を通じてであろう。

 一部の音楽ジャンルはファッション刺青を入れる風潮があり、それらのファンは以前から知っていて、自分でも入れたりしていたが、そうでない人にはあまり知られていない、あるいは耳にする程度だったのではなかろうか。


 ベッカムは、それまでのファッション刺青のイメージのように、腕などの一部にワンポイントとして刺青を入れるのではなく、日本の刺青者のごとく、ほぼ全身に刺青を入れ、それが当然であるかのように、あっけらかんと、楽しそうに、刺青についてインタビューで語った。


 英国人ベッカムの刺青は、かつて幕末から明治初期にかけて、英国の上流階級と船員を席巻した、日本刺青のブームと無関係ではなかろう。

「全身のファッション刺青」という本来の姿を英国で保っていた江戸日本の刺青は、幕末以来百数十年の時を経て、再び我々の前にその姿を現したのである。


 かつては日本でも、普段は長袖で隠していても、例えば祭りの折に、例えば親類や近所の集まりで、ベッカムのように楽し気に刺青について語り、前述の若大工のように、それにあこがれた者もまた刺青を入れる、といったことが連綿と続けられてきたのだろう。



「外国の刺青は良い刺青で、日本の刺青は悪い刺青」

「ファッション刺青は良い刺青で、ヤクザの刺青は悪い刺青」

 という言説がある。


 しかし二つは同じものだった。悪い刺青はなかったのである。

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