トキメキはとめどなく
意識が戻ると、見えたのは元居た支配人室の天井だ。
俺はソファーの上に寝かされいた。
ローテーブルをはさんだ対面のソファーには、支配人がけだるそうにキセルをくゆらせながら座っている。
「目が覚めたかえ」
髪は黒に戻り、大きな羊のようなねじれた角も頭上から消えていた。
「ええ」
視線を支配人に向けると、いそいそと着物のような服の裾を合わせる。
その姿が妙に萌えて…… 太ももが見えちゃうのと、それを隠そうとするのとどちらがエロいか悩んでしまう。
羞恥心とは不思議なものだ。
意識されないと分かっていて堂々とそれを見せる女性が多かったせいか、隠そうとされると来るものがある。
この世界では男の裸に価値があるみたいで、俺をチラチラと見る女性を初めは気にも留めなかったが、その理由が分かるにつれ視線を意識するようになった。
そもそも恥ずかしいという概念は、その社会の常識と状況によって作られる幻想なのかもしれない。
前の世界でもアメリカから仕事で来た女性が「日本人のスカートはすごいな、ストリートガールのようだ」とおどろいていたが、彼女はいつも大胆に胸の谷間が見える服を着ていたし、シャツも薄く胸の形がいろいろと分かってしまう物を好んで着ていた気がする。
それについて、
「何よあれ、露出狂? 恥ずかしくないのかな」
と、文句を言っていた同僚の女性は、いつもパンツが見えそうなくらいスカートが短かった。
まったく、文化とは難しい。
俺がそんな哲学的思考に没頭していたら、
「な、何を見ておるのだ」
支配人がそう聞いてきたので、
「恥ずかしそうな仕草がツボなので、その姿を堪能していました」
素直にそう話したら、またパチンと平手で頭をはたかれる。
素直過ぎるというのも良くないと言われたから、注意はしていたが、話してよい事と悪い事の境界線が難しい。
今は支配人の愛らしさを称えたつもりだったが……
コミュニケーションとはやはり奥が深いものだ。
なにせ、同じ文化でも人それぞれの価値観は違っているのだから。
俺はまた徐々に頬が赤くなる支配人を目に焼き付けながら、小さく首を傾げた。
+++ +++ +++
もっと話を聞きたいという俺を、
「あせらずとも続きはちゃんと時間を取ろう、今は、その…… 休んでおくんだねえ」
着物の裾をしっかりと合わせ、まだ顔を赤らめながらチラチラ俺を上目遣いに眺める支配人は、天井知らずの萌えポイントアゲアゲ状態だったが、
「こんなことで弟子を辞めさせられたら困るな」
そんな考えがよぎったので、今日はこの辺で止めておいた。
――色々な意味で、次回からが実に楽しみだ。
元の部屋が修繕中なので、寝かされていた客間に戻る。
俺の数少ない荷物は部屋の隅に綺麗にまとめられていた。
その中からノートを探し出して手に取る。
俺はこの世界に来てからもずっとメモを取っていた。
毎日何が起きたかを寝る前に主観的に書きとめ、朝起きたらそれを客観的に見直す。
これは俺が保険会社にいた頃に始めた記憶の整理術で、興信所勤務の頃にさらに方法を試行錯誤して最終的にこの形になった。
要領の悪い俺にとって、それは忘れがちな『パズルのピース』である主観的な考えを、どのような形なのか客観的な見直しで『組み合わせる』大切な作業だ。
地道にその作業をこなし積み上げていくことで、今まで何とか実績を上げてきた。
先ほど支配人…… 元魔王ケーオスの弟子になるために受けた試練、その中にあった『パズルのピース』を書き上げて行く。
いつもなら寝る前に書くが、あまりにも情報量が多かったから、忘れないうちにしておきたかった。
「おかしい」「違和感がある」「何かが抜けている」
そう感じるところには大きく余白をあけ、その時感じた謎を主観的に書き込む。
そして必要な情報を集めた後、その余白を埋めてパズルを完成させる。
主観的な書き込みが終わり、一息ついて、ポケットに入れていたニーナさんから渡されたメモを確認した。
大きなベッドの脇にある豪華な置時計の針は、まだまだ約束の時間には遠かったが、
「犬も歩けば棒に当たると言うし」
案ずるより産むがやすし、とも言う。
俺は部屋を出て、気になっていた『民権運動』の主観的な何かをつかむために、帝都のメーンストリートに向かった。
ニーナさんとの約束は午後五の刻。今教会の三の刻の鐘がなったばかりだから、ちょうど二時間の余裕がある。
念のために持ってきたノートと仮面とマントを詰め込んだ鞄を掛け直し、人通りの多い場所へ歩を進めた。
ミッシェルちゃんたちの話だと、民権運動は街頭演説や貧しい人たちへの教会の炊き出しでシスターたちが伝えるなど、街のあちこちで堂々と行われているらしい。
街の衛兵たちも騒ぎを大きくしたくないのか、見て見ぬふりをしているのだとか。
人だかりと行列を見つけ、俺が近づくと、
「きゃ!」
茶色の大きな耳と尻尾のついた少女が行列からはじき出されて、盛大に倒れた。
不思議な事にだれも少女を助けようとせず、しかも侮蔑するように舌打ちしたり、遠巻きにして近寄ろうとさえしなかった。
「お嬢さん、お怪我はありませんか」
俺が手を差し伸べると、
「いえ、その、大丈夫です」
少女は申し訳なさそうに自分の手を引っ込めて、立ち上がろうとした。
髪はボサボサで中途半端な長さだったが、愛らしいその顔には大きな栗色の瞳が輝いている。
中世の農婦が着ていたようなロングスカートと簡素なシャツは、このでたらめな世界では逆に目立っていた。
前の世界なら十代半ばに届かない容姿…… この世界の女性の年齢を考えても十代なのは間違いないだろう。
狐のような外見がそう思わせるのだろうか?
栄養が足りないのか痩せて肌も荒れていたが、どこか神秘的な美しさが感じられた。
「あっ」
またふらついた少女を抱きとめると、ビクリと身を震わせる。
「失礼、おどろかすつもりは」
慌てて手を離すと少女は俺の顔を不思議そうに眺め、
「あの、あたし獣族の『狐』です。知らないのでしたら……」
この世界では珍しい長袖のシャツをめくり、腕にある焼き印の後…… 魔法陣のようなものを見せた。
俺が首をひねると、
「あの、その、あたしに触れると思考を読まれます。それに純粋な人族の男性が最下級層の獣族に声をかけるのは……」
少女は申し訳なさそうに大きな耳と頭をペコリと下げた。
どうやら嫌われた訳じゃないと安心して、俺は少女の手を取り、
「炊き出しの順番待ちだったんですね。今から並ぶのも困難そうですから、どこかで何か食べませんか? 俺もちょうど腹が空いてましたし」
微笑みながらそう伝えると……
少女はその大きな瞳をパチクリとさせながら、可愛らしい口をポカンと開けた。
+++ +++ +++
獣族の女性は店に訪れない。
魅惑のバロン停は高級店なので金額的な問題もあるようだし、彼女たち獣族は最下級層として扱われ、基本的に飲食店に入ることさえ困難なようだ。
そのため俺は少女の手を引きながら露天に寄り、例の漫画みたいなデカい串肉を頼んだ。
近くのベンチに座り、俺が少女にそれを手渡すと。
「そんな、えっと、これを受け取る訳には……」
少女は遠慮して手を振ったが、目が串肉に釘付けだ。
「大丈夫ですよ、変な下心はありませんから」
俺がそう言って、串を少女に握らすと。
「あっ、はい。それは分かるんですが」
またおどろいたように俺の顔を見る。
ピョコピョコ揺れる耳もキュートだな。
――そんなことを考えたら、少女はモジモジしながら下を向いてしまった。
今までの会話と彼女の態度から、どうやら『思考が読める』と言うのは本当のようだ。
「どうか召し上がってください」
「どうして……」
その質問につい首をひねってしまう。
倒れた女性を助けるのに理由がいるのだろうか。
それとも突然食事に誘ったのがまずかったのか。
この辺りの説明が難しい…… 食事と言っても露天の串肉だけど。
もう面倒だったので少女の手を握りしめて、
「深く考えてませんし、うまく説明できなくてごめんなさい」
そう言って顔を覗き込んだら、ブワッと音を立てて顔が赤くなった。
「あっ、あああ、ありがとうございます」
そしてまた視線をそらして縮こまってしまう。
この辺りの萌えポイントは、支配人のソレを超えてしまいそうだ。
ひょっとして俺は、こういった女性の慎ましさに飢えていたのだろうか?
まあ俺もこのぐらいの年だった頃は、それなりに情緒不安定だった気がする。
トキメキがとめどなく心から溢れちゃうお年頃ってやつだ。
青春って呼ばれてるやつだ。 ――多分。
何とか串肉は受け取ってもらえたので、ホッとため息をつくと、
「そのっ、気持ち悪くないですか?」
小さな声が聞こえてきた。
「何のことでしょう」
「あたし『狐』ですし」
「耳も可愛いし、尻尾もキュートですよ」
「その、身体に触れると、表層だけとはいえ心を見られるとか……」
「年頃の女性と話すのが苦手なので、とても便利です」
少女が不思議そうにこちらを向いたので俺が手を広げると、恐々と自分の手のひらを重ねてきた。
「勇気があるんですね」
その言葉についつい苦笑いしてしまう。
俺の心の中で六歳の自分が微笑んだ気がしたが、
「怖くないと言ったら嘘になります。でも、こうしたい、こうなりたいという欲求が勝ってるんでしょう。それに今も可愛い女の子の手に触れてラッキー! とか思ってます。だから全く下心がないわけでもないですよ」
そのことも含めて、素直に少女に話すと……
やはり困ったようにうつむいてしまった。
便利な能力があっても、コミュニケーションは難しいなと、ため息をつくと。
「ええっとでも、お礼もできませんし」
そんな言葉が返ってきた。
「じゃあ、今流行ってる『民権運動』の話をしてくれないかな? 興味があるんだけど、なかなか話を聞く機会がなっくて」
きっと少女には串肉をもらうのにも理由が必要なのだろう。
その気持ちは分からなくもない。『貧すれば鈍す』と言うが、高潔な心は貧富とは無縁な場所にある。
俺は経験でそれを知っているし、その矛盾が起こす痛みも知っている。
だから対価を提示すると、少女はニコリと笑って…… まだつないでいた手に気付くと慌ててそれを引っ込めた。
そしてまた背を丸め、
「あのっ、いつまでも触ってて、ごめんなさい」
手をスカートの上から太ももに挟み込んで、モジモジする。
――なんかもう、そのしぐさだけでご飯三杯はいけそうなんですが。




