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第八章 夢を貪る風⑨

 数秒の間を空けて。


「いやはや」


 剛人は顔に片手を当てた。ボフフと笑い、


「いつから拙者の侵入に気付いていたのでござるか?」


 奇妙な口調に変わる。声色もだ。

 しかも姿まで変貌していく。姿が糸のように解けていき、逞しかった少年の体格から不摂生が目立つ体へと。髪はボサボサに、服装まで変わり、サスペンダーで支えた特注サイズのシャツとズボンとなった。


「………な」


 アレックスは目を見張った。剛人だった人間は瞬く間に別人になっていた。


「一度、この街で術を使ったのだろう?」


 一方、真刃は驚くこともなく、淡々と答えた。


「侵入自体は見事だった。しかし、術まで使ったのは軽率だったな。千堂が築き上げた天雅楼の防衛機関はそこまで甘くはない」


「ああ~、なるほど」男は立ち上がり、ポンと手を打った。


「アレックスたんの夢に仕込みを入れた時でござるな。アレックスたんにNTR願望があると思い込ませるための仕込みでござったが、迂闊でござったか」


「……はあ?」アレックスが眉をしかめた。


「あの夢か? あれがてめえの仕業ってことか?」


「然りでござる」男は答える。「夢幻(ゆめまぼろし)、心を操ることこそ拙者の特技なのでござるよ」


「……やっぱそうかよ。おかしいとは思っていたんだ」


 アレックスはますます眉をしかめた。


「けど、なんであんなことをしやがった?」


「動機でござるか? う~ん、いささか捻くれた回答になるのでござるが……」


 男はたるんだあごに手をやった。


「アレックスたんの試練のハードルを上げるためでござるよ。NTR願望があるのなら別の男を受け入れるのも仕方がない。まあ、快楽堕ちしやすくしたというか。拙者としてはハードルを上げてなお、アレックスたんには乗り越えて欲しいという願望もあったのでござるが」


「……言ってる意味がまったく分かんねえよ」


 アレックスは眉をしかめたまま、虚空から重桜を取り出した。

 その切っ先を男に向けて、


「要は、てめえは敵ってことか?」


「まあ、そうでござるな」男は大仰に一礼した。


「ここで名乗りを。拙者の名は土蜘蛛と申す。以後、お見知りおきを」


「……ふん」


 それに対し、真刃が皮肉気に鼻を鳴らした。


「見たところ人ではないな。我霊か。ならば道化――餓者髑髏の郎党か?」


「いかにも。今はそうなりますな」


 男――土蜘蛛は眼鏡の縁を上げて笑う。


「かの御方の眷属ではござらんが、三千神楽の参加者と考えて頂いて構いませんぞ」


「そうか」


 真刃がそう呟くと同時だった。不意に、幾つもの影が夜空を駆けた。

 次々と真刃の元へと駆け付けてくるそれらの影は近衛隊だった。その数は二十名以上。灰色の隊服を着た者も多いが、すでに怪物姿――模擬象徴(デミ・シンボル)を顕現した者もいる。

 真刃の傍らに駆けつけた黒いライオンの獣人。獅童もその一人だ。


『……若』


 不意に増えた人数に驚くアレックスをよそに、獅童が真刃に声をかける。


『ここは我らにお任せを。準妃と共にお下がりください』


「いや、構わん」真刃は片手で獅童を制した。「むしろここからが本題であろう」


 だがしかし、そんな真刃の台詞に、


「ボフフ。本題でござるか。いやいや。残念ながら今宵はここまでござるよ」


 肩を竦めて、土蜘蛛はそう答えた。


「三千神楽は天の七座の宴ゆえに。これ以上、拙者が先走る訳にもいかんのでござるよ」


 土蜘蛛は再び大仰に一礼した。


「どうか久遠氏。今宵は顔見せ程度であるとお考えくだされ」


『……この化け物気取りが』


 獅童が牙を見せて唸った。


『この数を前にして容易く逃げられるとでも思っているのか』


 獅童の言葉に近衛隊は素早く移動した。土蜘蛛を中心に包囲陣を組む。


「ほほう。一糸乱れぬ中々の練度」


 それに対しても、土蜘蛛は余裕を見せていた。


「しかし、ここは拙者を見送ることが良策ですぞ。なにせ拙者は――」


 不意に双眸を細める。


「それなりに強いのでござるよ。これでも五百年の時を生きておるので」


『……なんだと?』


 獅童が眼光を鋭くした。近衛隊にも少し緊張が奔る。

 我霊は年月を経るほどに強くなる。

 ブラフだとしても、五百年はとんでもない大物だった。


「この程度の数ならば容易いですな。仮に久遠氏が情報通りの実力であっても」


 土蜘蛛は自分の片腕を強く打った。


「千年我霊に次ぐ者として。敗北したとしても片腕は奪わせて頂きますぞ」


「……………」


 真刃は無言だった。傍らに控えるアレックスは警戒して重桜を両手で構えた。


「さて。久遠氏」


 土蜘蛛は「ボフフ」と笑った。


「本番の舞台も迫っております。ここで互いに手駒を減らすのは不本意でござろう。ここは見逃してくれませぬか?」


 真刃はその問いかけに答えない。沈黙が続いた。

 が、ややあって、


「……ふん」


 嘆息混じりに真刃は鼻を鳴らした。


「そうだな。ならば(オレ)は手を出さん」


「おお! 久遠氏は話が通じる御仁でござるな!」


 土蜘蛛はニタァと口角を上げた。それから一拍おいてアレックスの方を見やり、


「ところでアレックスたん」


「……何だよ。つうかキモイな……」


 馴れ馴れしい上に気持ち悪い呼び方をする男にアレックスが背筋を震わせていると、


「拙者。実はアレックスたんが大のお気に入りなんでござるよ。どうか三千神楽を無事生き延びて下され。我らが勝利した暁には、拙者がアレックスたんを迎えますゆえに」


 一拍おいて、


「いやいや。ボフフ。ボフフフ。むしろ舞台の最中に攫ってしまうのも悪くないでござるな」


「……お前、マジでキモイ」


 流石にアレックスがドン引きして一歩下がった。


「……それは聞き捨てならんな」


 すると、真刃がアレックスの頭をくしゃりと撫でて、


「アレックスは(オレ)の『刀』だ。そして今宵にでも正式に隷者にするつもりだ」


「……え?」


 アレックスは振り向いて真刃の顔を見上げた。

 真刃は苦笑を浮かべて、


「堪え性がないと言っただろう? 少なくとも第一段階は今宵の内にな。エルナたちから聞いておるかもしれんが、(オレ)との第一段階の契約は保護的な意味合いが強い」


 案ずるな、と続けて、


「第一段階は言わば保険だ。お前の誇りを軽んじる気はない。挑むべき時に挑んでくるがよい。(オレ)はお前を好ましく思っておるが、第二段階はあくまでお前の意志だ」


「は、はい……」


 顔を赤くしてコクコク頷くアレックス。そして、


「オ、オレの意志……オレの覚悟次第で……」


 喉を鳴らす彼女をよそに、


「ふ~む。そうでござるか」


 土蜘蛛は「う~ん」と腕を組んでいた。


「これは今夜にもアレックスたんの処女喪失(ロストバージン)は濃厚そうでござるな。無念でござる。出来ればアレックスたんの処女は拙者が頂戴したかったのでござるが、まあ、寝取るのも悪くないでござるしな。何だかんだで気丈な娘を堕とすのは楽しいでござるからな」


「……お前って、マジで言ってることがキモいな」


 赤い顔から一転、アレックスが心底嫌そうな顔で告げる。

 そんな彼女の頭に、真刃はポンと片手を置き、


「そうだな。(オレ)もこやつに対しては不快に思っておる。特に(オレ)は部下や仲間を『駒』と呼ぶような輩が気に喰わんのだ」


 一拍おいて、


(オレ)の生い立ちゆえにな。さて。お前(・・)としてはどうなのだ?」


 おもむろに真刃は夜空を見上げた。

 獅童を始め、近衛隊はどこか緊張した面持ちを見せた。

 土蜘蛛とアレックスは訝しんだ顔をしている。

 真刃はさらに言葉を続ける。


「お前は今日まで何もしなかった。害意はないのだろう? ならばその証を態度で示せ。(オレ)は公言通りに手出しせぬ」


 すると夜空に、しゅるると風が舞い、




「――了解じゃん」




 その声は不意に答えた。

 そして、ズブリと。

 土蜘蛛の背から腹部へと一本の槍が貫かれた。


「な、に?」


 流石に土蜘蛛も唖然とした。アレックスも驚いて目を見開いていた。

 土蜘蛛は大きく吐血し、反射的に槍を両手で掴んだ。

 しかし、背中から突き立てられた槍は引き抜くことは出来ない。舌打ちし、ならばと槍の柄をへし折ろうとしたが、土蜘蛛の人間を超えた剛力でも柄は軋みもしなかった。


(――まずい。これは)


 土蜘蛛は焦りを抱いた。槍から魂力を吸い上げられている。しかも傷口から枝が伸び、花が咲き始めていた。異様な光景だ。間違いなくこの槍は霊具だった。


「……小賢しいッ!」


 土蜘蛛は体を巨大化させた。人の形を保つことを止めたのだ。

 背中から巨大な六本脚が飛び出し、それが庭園を強く穿つ。全身が黒ずみ、人の部位は骸骨のように痩せ細っていく。代わりに下腹部が膨れ上がり、その名の通り、蜘蛛の形へと変えていく。鬼の面を持つ外骨格に覆われた巨大すぎる蜘蛛だ。

 獅童を筆頭に近衛隊は巨大蜘蛛から大きく距離を取る。真刃も唖然としたままのアレックスを抱き上げて、遠くへと跳躍した。

 月下の庭園に現れた、餓鬼のような巨人を生やした巨大蜘蛛の怪物。全長にして四十メートルは超えるかも知れない。


 それは言わば、自分の肉体を核とした象徴(シンボル)だった。

 五百年以上にも渡って生き足掻いた怪物だからこそ出来る芸当である。


 これほどの威容だ。いずれは千年我霊の一角として名を連ねたのかも知れない。

 しかし、今、怪物は絶叫を上げていた。

 この姿になってなお、槍の浸食が止まらないのである。

 槍自体は巨大化した時点で体内に取り込んでいる。だが、この質量であっても圧壊させることが出来ないのだ。信じ難い強度だった。

 槍の力は土蜘蛛を内部から侵食し、その醜い姿を無数にて多様な花で彩り続けている。


『莫迦、な……』


 土蜘蛛は自分の胸を掻きむしった。


『何故、壊せん! この姿になっても――』


「ああ~、無駄じゃん」


 その声は餓鬼姿となった土蜘蛛の肩の上から聞こえた。

 土蜘蛛は、ギョロリとその人物を睨みつけた。

 ――年の頃は二十代前半か。

 明るい緑色の長髪をオールバックにしている青年だった。

 左耳には十字架の装飾具。陽気そうな顔立ちに、丸いサングラスをかけていた。

 衣服は、光沢を持つライトグリーンの神父服もどき。何故か二の腕辺りが異様に膨らんでいる。左腕は義手であり、細い銀色の鎖によって腕を形作られていた。


「あんたが取り込んだのはただの霊具なんかじゃないじゃんよ」


 青年はニカッと笑って言う。


樹命葬(じゅめいそう)(そう)ユグドラシル。国産じゃねえから慣例の神さまの名前は付いてねえけど、由緒正しい神威霊具じゃんよ。一度深く喰い込めば決して抜けない。突き刺した対象の魂力を無尽蔵に吸い上げて、樹木へと変貌させる凶悪な初見殺しじゃんよ」


『なん、だと?』


「きっと、普段のあんたならあんな不意打ちは受けなかったじゃんよ。けど、今は大兄者の前だった。あんたも強いからこそ、どうしても大兄者に意識を持ってかれたんだろ?」


 愕然とする土蜘蛛に青年は、チッチッチと指を振った。


「オレさまもずっと潜んでいた価値があったじゃんよ。あんたの命は無駄にしねえじゃん。おかげで兄弟初の共同作業ってのが出来たじゃんよ」


『貴様ああああああッ!』


 土蜘蛛が腕を伸ばして青年を捕らえようとするが、しゅるると風に乗って、青年は夜空へと高く飛んでいった。


『おのれ! 小僧が! この儂が! 儂がこのような霊具で!』


「おいおい。キャラ変わってんじゃん」


 空中で胡坐をかき、くるくると回転しながら青年は言う。


「『拙者』はどこに行ったのでござるかな? キャラは貫かねえと。オレさまみたいに」


『貴様ああああああああああッ!』


 土蜘蛛は、届かなくとも青年に腕を伸ばした。

 神威霊具の肉体への浸食は今もなお続いている。下半身の蜘蛛などすでに動けない。樹木に覆われて、千年樹の根に取り込まれたかのような様相だった。


(まずい! まずい! これはッ!)


 土蜘蛛は焦燥感を抱いた。

 これは間違いなく命の危機だ。どうすべきか。どうすれば打開できるのか。


(体の一部を切り離す? 無理だ、槍は心臓部にある。別の肉体に憑依し直すか? いや、この槍は魂力にまで深く喰い込んでおる――)


 考えるほどに手詰まりだった。絶望しかなかった。


(莫迦な! 儂は大妖ぞ! 五百年も生き足掻いたのだぞ!)


 手はどこにも届かない。

 それでも土蜘蛛は手を空へと伸ばした。

 そこにはすでに青年の姿はない。代わりに輝く月の姿があった。


(―――――あ)


 土蜘蛛は目を見張った。

 月に、『彼女』の姿を見たのだ。

 その強さに自分が憧れて、その凛々しさに仕えて、その尊さを穢した彼女の姿が。

 月に映る彼女は、一切の感情もなく土蜘蛛を見下ろしていた。


(違う。違うのです。お嬢さま……)


 土蜘蛛はさらに月を凝視した。


(儂は貴女さまに憧れた。その凛々しき御姿に夢想はすれども、真意では決して穢しとうはなかったのです。本当です。儂は、儂は……)


 月は何も答えない。

 土蜘蛛の瞳から一筋の涙が零れた。それは数百年ぶりの涙だった。


(嗚呼、お嬢さま、お嬢さま、お嬢さま。すみませぬ。すみませぬ……)


 どうか。どうか。

 卑しき儂を貴女さまの元に――。

 それが土蜘蛛の最後に残った意識であり、願いだった。

 土蜘蛛は片腕を天に伸ばしたまま、大樹と化して死んだ。

 月下の庭園に静寂が訪れる。

 そして、


「……本当に死んだのか?」


 近衛隊の一人がそんな困惑した呟きを零した。

 思わずそう呟くほどに、あまりにも呆気ない死だった。

 すると、


「人の庭園に随分と不気味な大木を植えてくれたものだな」


 真刃は少しうんざりした様子で口を開いた。


「これは後で千堂に小言を言われそうだ」


「ええ~、仕方がないじゃんよ」


 真刃の独白に空から声が返ってくる。

 しゅるる、と庭園に舞い降りた青年の声だった。

 青年は大樹となった土蜘蛛の脚に触れると、そこから霊具を引き抜いた。

 全容を明らかにしたそれは、緑色に輝く枝を思わす歪な槍だった。

 土蜘蛛を殺した恐るべき神威霊具。樹命葬槍ユグドラシルである。

 青年はくるりと槍を回し、真刃に対して一礼した。


「初めましてじゃんよ」


 青年は言う。


「オレさまは久遠家三男。久遠破刃瓢濫(はじんひょうらん)じゃんよ」


 そこでニカッと笑った。


「久遠真刃(しんは)(おう)()の大兄者。こうして会えて嬉しいじゃんよ」


「……兄弟?」


 アレックスが困惑した様子で真刃の顔を見た。


「真刃さんの?」


「そうなるらしいな」真刃は苦笑を浮かべた。


「鼠と共に紛れ込んでおった。目的が分からずあえて泳がしていたが、こやつは近衛隊に嫌われておるからな。手を出さぬように近衛隊を宥めるのには苦労したものだ」


 真刃はそう告げる。

 その言葉通りに獅童を始め、近衛隊は破刃を警戒しているようだ。


「オレさまとしてはそこまで嫌われることはしてねえと思うじゃんけどよ」


 破刃は肩を竦めた。


「ふん。それもまだ分かるまい」


 真刃は双眸を細めた。

 そして、おもむろに背を向けて歩き出す。


「付いてくるがよい。折角の弟の来訪だ」


 そこで真刃は一度振り返り、皮肉気な笑みと共に異母弟にこう告げた。


「兄として菓子と茶ぐらいは出してやろう」











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