第八章 夢を貪る風⑤
「近いうちにお前とは話をせねばならんと思っていたのだが……」
真刃は苦笑を浮かべる。
「よもや、こんな時間帯に出会うとはな」
「は、はい」
アレックスはコクコクと頷いた。
彼女にとっても不意打ちだった。
まさか、こんな時間、こんな場所で再会することになるとは。
「その、すみませんでした」
アレックスはおずおずと頭を垂れた。
「あの時、オレ、勝手にVRルームを使って。結果、喧嘩を売るみたいになって……」
「いや。その件は己も悪かった」真刃はかぶりを振った。
「確認する機会はあったはずだ。思い込みとは恐ろしいものだ」
小さく嘆息する。
猿忌も思い込んでいた。主従揃って勘違いした訳だ。
まあ、あの場にいた刃鳥からすると、主従が揃っていたからこそ、相乗効果で勘違いが加速したようにも見えたが。
「すまなかった。以後、気を付けることにしよう」
ともあれ、真刃は反省していた。
特に、久しぶりにかなたを拗ねさせてしまったのは痛恨だった。
「あ、あのっ!」
アレックスは顔を上げた。真刃と視線がぶつかったため、「あ、あう」と緊張しつつ、
「く、久遠さん。その、あ、あれ自体は勘違いだったけど、オレにとっては《魂結びの儀》と同じだったんです。そのつもりの覚悟でした。だから、その……」
胸元を両手で掴んで、アレックスは喉を鳴らした。
「オ、オレ、覚悟してます! 契約の! あなたの隷者になります!」
少し強張った様子で、アレックスはそう告げた。
すると、真刃は双眸を細めた。
そして、
――すうっ、と。
アレックスへと指先を伸ばしてくる。
(う、うわっ)
反射的に、アレックスは瞳をぎゅっと閉じた。
(オ、オレ、先走ったか……?)
そんなことを思う。
異性の引導師にとって隷者になるとは女になると同義だった。
それを深夜。しかも、下着の上に薄手の浴衣だけの姿で叫んだのだ。
その相手は勝者。いつでもアレックスのすべてを奪える立場にある人間だった。
今ここで、彼の寝室にまでお持ち帰りされても文句も言えなかった。
(も、もしかして、オレも今夜なのか……)
ガチガチに緊張しながら、瞳をより強く瞑った。
しかし、彼の指先は、
――コツン。
アレックスの額を軽く打っただけだった。
「……え?」
アレックスは瞳を開けて、額に片手を当てた。
一方、真刃は深々と嘆息していた。
「その話はエルナとかなたから聞いておる」
キョトンとするアレックスに、真刃は語り始めた。
「己としては反対しておる」
「………え?」
アレックスは青ざめた顔で真刃の顔を見上げた。
「オ、オレはダメなんですか?」
「……いや、すまぬ。言い方に語弊があったか」
真刃はかぶりを振って訂正する。
「お前は魅力的だ。いささか好戦的ではあるが、誇りを持って生きている。口にはせぬが、かなたもお前のそんなところが気に入っているのだろうな」
真刃が語る言葉をアレックスは静かに聞き入っていた。
「一度立ち会えば分かる。お前は生粋の戦士だ。そんなお前の誇りを、あんな場当たり的な戦闘の結果などで踏み躙りたくはない」
「…………」
「従って己はお前に隷者になれと強要する気はない。己がお前に強要できるとしたら、それはお前が己の『刀』でいろということだけだ」
「……『刀』?」アレックスが口を開いた。「それは『重桜』のことか?」
「ああ。そうだ」真刃は頷く。
「なにせ、重桜とお前には己の長年の愛刀をへし折られておるからな。あれに関してだけは強要させてもらうぞ」
一拍おいて、真刃は告げる。
「お前は己の『刀』として己の傍らに立て。己の傍らでその生き様を見届けよ。そして己がお前の主として相応しいと思ったのなら、今度こそ《魂結びの儀》を挑むがよい」
アレックスは軽く目を見張った。
「その時は改めて受けて立とう。無論、負けるつもりもない。知っておくがよい。己が女を隷者にする時は、生涯その女を愛すると誓った時だ」
真刃は少し苦笑を浮かべて、再びアレックスの額を指先で打った。
「人生のすべてを賭けて挑むがよい。アレックス=オズよ。迎え撃ってやろう」
そう告げる真刃を、アレックスは目を瞬かせながら見つめた。
そして、
「……はは」
アレックスは笑みを零した。
「いいなあ。あんた。想像以上にいいよ」
そう告げて、アレックスは翡翠色の瞳を細めた。
「もの凄くオレ好みだ。いいぜ。『刀』としてあんたの傍に立ち、あんたを見極め、その時になったら改めてあんたに挑ませてもらう」
自分の胸元に片手を当てて、
「その日までオレは自分を鍛え上げるよ。けど、まあ……」
アレックスは少し皮肉気に微笑んだ。
「今の時点でもあんたが勝者であることに変わりはねえ。オレはあんたの『刀』だけど、準妃隊員でもあるんだ。だから、いつでもお手付きはありだぜ」
両腕を大きく広げて、そんなことを告げた。
真刃は「やれやれ」と苦笑を零した。
「己は自分自身が思うよりも強欲な男だ。それこそつい最近に前科も作ってしまったしな。迂闊なことは言わぬ方がいいぞ」
「はン。覚悟の上さ」
胸を張って、アレックスは言う。
「つうか、これはオレの直感だけど、これから先、あんたのどんな生き様を見たとしても、オレはあんたを嫌いにならないような気がするしな」
「それは光栄だと思っておこう。さて」
真刃は優しく微笑んだ。
「せっかくだ。少し雑談でもするか。お前はかなたの友人らしいな」
「おう。モーリーのことか?」
二人は月夜の下で雑談に興じるのであった。
そうして――……。
三十分後。
アレックスはすでに部屋に帰り、真刃は一人、縁側で庭園を見つめていた。
すると、一人の人物が廊下の奥から近づいて来た。
「中々ええ子やん」
和装の男。千堂である。
「わざわざ《魂結びの儀》をやり直さへんでも、正妃に迎えてあげてもええんちゃう?」
扇子を、パンと開いて千堂が言う。
「特にあの子はボクの自信作の使い手やし。ボクとしては推したいところやね」
「……それを決めるのはあの娘だ」
千堂を一瞥して、真刃は溜息をついた。
「それよりも千堂。調べはついたのか?」
「勿論や。分かったで」
真刃の問いかけに、千堂は細い瞳を開いて答える。
「やっぱり大きな鼠が忍び込んでるみたいや」
――と。