第八章 夢を貪る風②
「正妃と準妃隊員の一日はだいたい朝練から始まるのよ」
と、先頭を切って長い廊下を歩く茜が告げる。
「特定の時間は決まっていないけど、組織の最高幹部だから多忙すぎる綾香さまと、実質的に非戦闘員であるホマレさん以外は、各自朝練はしているわ」
「へえ~」
大太刀を腕に抱えてアレックスが呟く。
茜の後に続くのはアレックスだけではない。
セイラにラシャ。非戦闘員ではあるが琴姫。そして三人に無理やり叩き起こされた剛人と、アレックス同様に自主的に早朝訓練をしていた刀真の姿もあった。
「今日は訓練場に案内するわ」
茜は言う。
「アレックスは自主トレをもうしてたみたいだし。明日からは道場を使えばいいわ」
「おう。分かったぜ。ところで茜」
「何よ?」
茜は振り向かずに声を返す。と、
「茜も準妃なんだよな? 歳はいくつなんだ?」
「十三よ。妹の葵も」
「そっかあ」
アレックスは「う~ん……」と眉根を寄せた。
「やっぱオレよりも年下かあ。けど、準妃としてはオレの方が後輩だしな。見栄は張らずに素直に聞くけど、その、初めての時ってどんな感じだったんだ?」
「……初めての時?」
茜が足を止めて振り返った。
アレックスは「い、いや、そのな」と、もじもじと視線を逸らした。
「《魂結び》の契約だよ。昨日の話だと準妃も全員第一段階の隷者なんだろ? だったら茜も経験済みなんだろ? その、オレって実はまだなんだ。マジで経験なくってさ。あの人ってどんなのが好みなんだ? できれば、その、オレが何かやらかさないように、少しアドバイスして欲しいんだけど……」
「……あなた、何を言って?」
アレックスの台詞に、茜が眉をひそめた時だった。
アレックスと共に歩くセイラたちが「うわあ」と顔を赤くした。
「まあ、本音を言えば、そういった経験は聞いときてェかもな」
「少なくとも、私たちなら情報共有しそうよね」
「うん。琴は最後でもいいから、その分、備えておきたいし」
そんなことを言っている。アレックスも「だろ? だろ?」と会話に混じっていた。
剛人と刀真の男性陣はキョトンとしていたが、茜は「あ」と呟き、
「――ま、まだよ! それはまだだから!」
顔を真っ赤にして叫んだ。
「王と契約はしたけど、第一段階なのよ! エッチまではまだだから!」
「え?」アレックスは目を丸くする。
「いや、だって準妃でも妃なんだろ? 将来的には嫁さんになるんだろ? なら、契約とか関係なく、セックスはするんじゃあ……」
「私はまだ十三よ! する訳ないじゃない!」
茜はますます顔を赤くした。
しかし、それに対して、アレックスを始め女性陣はキョトンとした。
「いやいや、十三だろ? 引導師なら充分にあり得る歳だろ?」
「……そうよね。モラル崩壊界隈だし」
「……うん。琴もそう聞いてるよ」
そんな女性陣の台詞に、ようやく話の内容を理解した剛人と刀真は「「うぐっ」」と呻き、この上なく気まずい表情になった。
「王は優しい人なの! 無茶させないようにまだ幼い私たちを気遣ってくれてるのよ! そもそも正妃の中でもまだの人は多いんだから!」
「え? そうなのか?」
アレックスは目を丸くした。茜は真っ赤な顔のまま、アレックスに詰め寄った。
「当然でしょう! 肆妃の燦さまには会ったでしょう! あの子、まだ十二歳よ! 同じ肆妃の月子さまだって同い年よ!」
「え? あの子が十二? それは別の意味で驚きなんだが……」
「お二人もそうだけど、エルナさま、かなたさま、刀歌さまだってまだよ! 三人ともまだ十五歳だから!」
「――それマジか! だったら刀歌はまだ無事なんだな!」
と、剛人が割り込んでくるが、それは無視して、
「とにかく正妃も準妃も未成年者はまだなのよ! 成人だとホマレさんだけまだだけど!」
「え? あいつ、成人してんのか?」
と、ホマレの容姿を思い出して、アレックスは少し驚いた。
茜の方は少しばかり落ち着いたのか、「はあ……」と息を吐き出して、
「あの容姿で二十六歳らしいわ。私や葵の二倍。あれでも三番目の年長者よ」
「それはそれで凄げえな。あの見た目でか」
アレックスは感心した。
まだホマレと出会ったことのないセイラたちは小首を傾げていた。
「……訓練場への案内前に正妃と準妃について説明しといた方がいいようね」
茜はそう切り出した。
そして再び歩き出しながら、説明を開始する。
正妃と準妃は、基本的に未成年の年少組と、成人の年長組に分かれること。
年少組の方が古参は多いが、第二段階まで至っているのは年長組だけであるということ。
また、その件に関しては、かなりナイーブな問題になっていることなど。
「年少組も年長組も関係なく、妃たちは仲が良いわ。けど、その件だけは、私も含めて年少組がピリピリするからあまり口にしない方がいいわよ」
「お、おう」アレックスは頷きつつ、
「け、けど、それならオレって年長組の方になるんだな。もうじき十八だし」
そこで忙しくなく視線を泳がせて、
「だったら、オレの場合は一気に第二段階ってあり得るのか……」
「だから、それを口にするなって」
茜が振り返り、アレックスにジト目を向けた。
「もし、ここであなたが第二段階になったりしたら、かなたさまが激怒するわよ。きっと、とても静かに激怒されるわ」
「……モーリーか。そいつは怖いな……」
アレックスが軽く喉を鳴らした。茜は嘆息しながら言う。
「かなたさまは普段は冷静な方だけど、王のことになると意外と感情的なのよ」
ともかくね、と続け、
「私も未経験者だからアドバイスなんて出来ないわ。ただ、あえて言うのなら」
そこで茜は頬を軽く朱に染めた。
「まずは近々あると思う第一段階の契約に集中した方がいいわよ。王の契約は普通とは違うから。個人的な感想で言うのなら……」
契約したあの日を思い出しながら、茜は瞳を柔らかく細める。
「あまりに存在が大きすぎて、最初は凄く怖いんだけど、とても暖かくて、ゆっくりと魂が満たされていく感じ。きっと、それを強く感じることになるわ」
「お、おう。そうなのか」
緊張した面持ちでアレックスは頷いた。セイラたちも少し驚いた顔をしている。
一瞬だが、茜が凄く大人びたように見えたのだ。
「……まあ、それよりも先に」
茜は嘆息した。
「あなたは、まず正妃の実力を知るべきね」
「……それなら知ってるよ」アレックスは渋面を浮かべた。
「なにせ、この前、モーリーにフルボッコにされたばかりだしな」
「そうなの? まあ、かなたさまもお強いけど、それでも正妃最強ではないわ」
歩きながら茜は言う。
「強さでランキングを付けるのなら、かなたさまは中位ぐらいよ」
「はあ!? マジでか!?」
アレックスは目を見張った。茜は「ええ」と頷く。
「上位は完全に怪物よ。この時間帯なら、きっと、どなたかは訓練場にいらっしゃるわ」
苦笑を浮かべて、茜は告げる。
「上位のお三方がね。アレックス。あなたも王の妃になりたいと思うのなら、まずその身で知るといいわ。最強クラスの正妃の実力をね」




