第八章 夢を貪る風①
久遠真刃の居城である天雅楼本殿。
その外装はいわゆる武家屋敷。巨大な日本家屋だ。しかし、その内装は少し特殊であり、和式内装と洋式内装のどちらも兼ね揃えていた。洋式区には会議室などが多く、主に公的なことに使用されている。芽衣と準妃隊員以外の近衛隊員はそちらに常駐していた。
それに対して、和式区は私的なスペースだ。
そこには真刃とエルナたちが暮らしている。準妃である神楽坂姉妹やホマレもだ。先日そこに綾香も正式に加わった。真刃以外の男性としては執事の山岡が常勤していた。
そして、今日からは新たな準妃隊員としてアレックスが加わり、客人として剛人やセイラたちが滞在していた。
「ふわあ……」
朝。布団にて熟睡していた琴姫が、背筋を伸ばして欠伸をした。
寝ぼけ眼で周囲を見やる。
客間には同じく布団で眠るラシャとセイラの姿があった。
ラシャは布団から大きくはみ出す豪快な寝相。寝間着である浴衣も開けていた。一方、セイラは就寝した時と全く変わらない様子で寝息を立てていた。
どうにも対照的な二人に、琴姫は笑みを零す。
しかし、この客間には琴姫たち以外にもう一式、布団が敷かれているのだが、それはすでに綺麗に折り畳まれていた。
アレックスの布団だ。彼女は琴姫よりも早く起床していたようだ。
琴姫は枕の上の方に置いておいた黒縁メガネを取ってかけると、立ち上がった。
ひょこひょこと歩いて襖を開ける。
その先は渡り廊下だ。そして広い庭園が見える。
そこにはアレックスの姿があった。
服は黒いタンクトップに、紺色のジーンズ。ラシャから借りた服のままだ。
しかし、昨日購入したジャケットは羽織っていない。
朝日で汗を光らせて、大太刀を振っている。
朝の鍛錬なのだろう。
けれど、それは剣術と呼ぶには程遠いものだった。
踏み込み、重心を沈めて、螺旋を描くように全身の筋肉を捩じらせて大太刀を薙ぐ。
それをあらゆる角度で繰り返す。
大量の汗も納得だ。まさしく一振りごとに全身運動だった。
大太刀を振り抜く度に、全身から汗が飛び散っていた。
(……綺麗……)
琴姫は純粋にそう思った。
研ぎ澄まされた剣術の美しさではない。
それは刀に合わせた動きだった。
大太刀の威力を十全に引き出すための動きだ。
人のために刀があり、刀のために人がいる。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
(うわわ! なんかインスピレーションが湧きそう!)
琴姫は、ギランとメガネの奥の瞳を輝かせた。
刀歌のために協力を申し出たが、アレックスのために霊具も創ってみたい。
強くそう思った。
(千堂さんの工房を借りれないかな! というより、刀歌姉の旦那さまが強欲都市の王なら予算度外視で色んなモノが創れんじゃないかな! 刀歌姉に聞いてみよ!)
霊具職人の血が騒いでいた。
彼女に相応しい霊具。どんなモノがいいだろうか。
(防具? 補助具? 攻撃特化? 何がいいかな?)
ワクワクする。
想像の中で様々な図面を引いていた。
そんな琴姫をよそに、アレックスは鍛錬に集中していた。
アレックスは前だけを見据えていた。
大きく息を吸い、静かに吐く。それを繰り返して神経を研ぎ澄まさせる。
大太刀――重桜を背に担ぎ直して、重心を深く沈めた。
そして、
(もっと、速くだ)
全身を使って重桜を薙ぐ。
再び汗が飛び散った。重桜の重みを使ってその場で反転する。
(こんなもんじゃダメだ)
さらに強く踏み込んで跳躍。空中で回転して重桜を振り下ろす。
風が断ち切られた。
アレックスは両足で着地した。
(……オレは)
汗が地面へと零れ落ちる。
と、その時だった。
――また女か。
不意に、父の言葉が脳裏によぎった。
それは父に最も多く聞かされた言葉だった。
――何故、男が産まれない。女などただの貯蔵庫ではないか。
父はいつも苛立ちを抱いていた。
――どいつもこいつも低級我霊ごときに容易く殺されおって。出来損ないどもが。もはや私の代では無理なのか。ならば最後に残ったお前が子を孕め。無論、男児をな。
姉たちの死を悲しむ幼いアレックスに、父はそんな言葉を放った。
――オズの血を絶やすな。男児を孕め。いいな。
それが父の最期の言葉だった。
思えば、父に名前を一度も呼ばれた記憶がなかった。
そもそも男にも女にも使われる名前を与えたのは、父の皮肉だったのかもしれない。
時代遅れの男尊女卑。正直に言って、最悪の父親だった。
ただ、それでもオズ家の復興を願ったのは、家族に幻想を抱いていたからだ。
理想のオズ家を自分の手で作り上げたかったからだった。
(そうだ。オレは――)
アレックスは前に手を伸ばして、強く固める。
(本当の家族が欲しかったんだ)
――ならば、良かったではないか。
(――――え)
アレックスは目を見張った。
朝日が注ぐ庭園。そこに父の幻影が浮かび上がったのだ。
筋骨隆々な熊のような大男。巨大な拳を持つその影がアレックスに近づいてくる。
――ようやくか。
幻影の父は、語り掛けてくる。
アレックスは思わずビクッと肩を震わせた。体が委縮する。
父はクツクツと笑い、
――胤を見つけたな。我が娘よ。いよいよ男児を孕め。
そう告げる。
幻影の父は歩みを止めない。
――お前は母になれ。子を育てよ。それがお前の役目だ。それこそがお前の望む家族とやらではないか。そう。お前に剣など不要なのだ。
言って、幻影の父は重桜の刀身に触れようとした、その時。
父の姿に怯えを見せていたアレックスの瞳に強い輝きが戻る。
(うるせえよ、くそ親父)
重桜を振り抜いて、幻影の父を斬り裂いた!
幻影の父は一瞬少し驚いたような顔をしつつも、クツクツと笑いながら消えていった。
アレックスは幻影が完全に消え去るのを見届けて、大きく息を吐いた。
それから眉をひそめる。
(何だったんだ? 今のは?)
父に対してはトラウマがある。
父の暴言、暴力を今でも夢に見ることがあるのは事実だ。
しかし、あんな白昼夢のような幻影を見たのは初めてのことだった。
(疲れてんのか? つうか、あれか? マリッジブルーって奴なのか?)
すでに覚悟を決めていても、まだあの人とは《魂結び》にまで至っていない。
これからの不安と、前日までの疲労が重なって、妙な幻を見たのかも知れない。
(まあ、もしかしたら昨夜には……ってこっそり思ってたしな)
とりあえず、そう自己判断した時、アレックスはふと視線に気付いた。
屋敷の方を見やると、何故か瞳をキラキラとさせた琴姫がいた。
だが、感じた視線は彼女のモノだけではない。
アレックスは、少し離れた場所で立つその人物に目をやった。
年齢は十四歳ほどか。
スレンダーな肢体に灰色の隊服を着た、ボーイッシュな赤髪の少女だ。
腰に片手を当てて、アレックスを見据えている。
アレックスは重桜を鞘に納めて屋敷の方に向かった。
「おはよう。琴姫。それと確か茜だったか?」
「ええ。そうよ」
赤髪の少女――神楽坂茜が答える。
「あなたと同じ準妃隊員の神楽坂茜よ。今日から新人隊員になるあなたを迎えに来たわ。アレックス=オズ」




