第七章 奉刀巡礼⑤
――しゅるる、と。
夜。天雅楼に糸が舞う。
視認するのも難しい極細の長い糸だ。そんな糸が無数に舞っている。
引導師でもあっても気付かない。
仮に視界内に入っても、ただゴミが風に舞っているとしか思わなかった。
しかし、天雅楼の全方位から空を渡って入り込んだ無数の糸は、意志でもあるかのようにある場所へと向かっていた。
――そう。天雅楼本殿へと……。
同時刻。
剛人たちの和室にはさらに来客が訪れていた。
弐妃・杜ノ宮かなたと、肆妃『月姫』・蓬莱月子だった。
先に来ていた刀歌と桜華に並んで、四人の正妃は正座をしていた。
全員が驚くほどに姿勢が良い。つられるように剛人たちも正座で対面していた。
まあ、正座が苦手なラシャだけは胡坐をかいていたが。
「久しぶりだね。刀真君」
月子がほんわかと笑って、刀真に手を振った。
「私のこと、憶えてるかな? ドーンワールドで会った……」
「は、はいっ!」
刀真が背筋を伸ばして答える。
「つ、月子さん! お久しぶりです! 元気そうで何よりです!」
「うん。刀真君も元気そうで何よりだよ」
月子は優しく瞳を細めて返事をする。
普段と変わらない彼女の穏和な様子に、かなたを始め、刀歌も桜華も少し安堵する。
先程の妃会合の時、議題とは別に、月子の様子もそれぞれ密かに気にかけていたのだが、彼女が精神的に落ち着いたのは確かなようだ。
「積もる話もあります。ですが、まずは本題から済ませましょう」
かなたがそう切り出した。
「今回のオズの件、私は真刃様から全権を一任されています。ですので、オズ」
そこでかなたは、大太刀を横に置いて、綺麗な正座をするアレックスに視線を向けた。
「まずはあなたのお話から伺いましょう」
「……おう。分かったぜ」
表情を真剣なモノにして、アレックスは頷いた。
「そうだな。まずはオレが出くわしたくそったれ名付きの話からだな――」
剛人たちには話していた内容を、改めて、かなたたちにも伝えた。
流石にかなたたちも神妙な表情だ。
ややあって、
「……それは案外、自分たちと無関係ではないかも知れんな」
と、腕を組んで桜華が呟いた。全員が桜華に注目する。
「どういう意味です? 桜華師?」
刀歌が師にそう尋ねる。と、
「……気になるのは、アレックスを攫ったのが名付きだということだ」
桜華は腕を組んだまま、訥々と語り始めた。
「我霊が人を攫うことは不快ではあるが、よく聞く話だ。しかし、奴隷のように誰かに売りつけるという話は聞いたことがない」
「……確かにそうですね」
かなたが、アレックスの方を見やる。
「名付き我霊が人身売買をするというのはメリットがないように思えます。仮に売買する相手がいるとしたらそれは――」
「……恐らく人ではないだろうな」
かなたの台詞を桜華が継いだ。さらに桜華は言葉を続ける。
「そして、アレックスはこの地に送られてきた。わざわざ遠い異国。しかも、現在臨戦状態とも呼べるこの場所にだ。取引先として考えられる相手は想像がつく」
桜華は強く唇を噛んだ。
すると、
「……アレックスさんは……」
表情を微かに曇らせて、月子が呟く。
「何かしらの理由で、彼女たちの元に送られてきたということですか?」
それは、月子にしては珍しい淡々とした声色だった。
かなたたちは心配そうに月子を見やる。
その視線に気付き、月子は「……大丈夫です」と告げた。
「私はもう大丈夫。けど、アレックスさんが犠牲にならなくて良かったです」
そう言って微笑んだ。
その傍らで、アレックスたちは少し困惑していた。
かなたたちの会話の内容が、どうにも理解できないからだ。
「……なあ」
ラシャが振り子のように体を揺らして尋ねる。
「もしかして、あんたらは何か事情を知ってんのか?」
彼女らしい率直な問いかけである。かなたたちは、お互いの顔を見合わせた。
「かなた」妃の中で最年長者である桜華が言う。
「アレックスの件に関しては、真刃は全権をお前に任せている。情報の開示に関してもお前の裁
量で決めてもいいぞ」
「……はい」
かなたは頷いた。
そうして改めてアレックスたちを見やり、
「では――」
かなたは現状を伝えた。
三体の千年我霊に宣戦布告されている現状を。
それに加えて、その他の補足的な情報も大まかに伝えた。
真刃の素性。月子の因縁、ついでに杠葉や桜華の素性についてもだ。
その話には一瞬、アレックスたちもキョトンとするが、
「……へ? はあ!?」
ようやく意味を理解した剛人が跳ねるように立ち上がった。
それから愕然とした様子で桜華を指差して、
「じ、爺ちゃん!? この人があの御影のひい爺ちゃんってことか!? うそだろ!?」
幼い頃に修行に付き合ってくれた御影家の曾祖父と、目の前の美女が全く結びつかない。
剛人としては唖然とするばかりだ。
「……『ひい爺ちゃん』は止めろ。刀歌同様にお前も『桜華師』と呼べ」
そんな亡き親友の曾孫に対し、桜華は嘆息してそう告げた。
「ともあれだ」
続けて、桜華はかなたの方を見やる。
「かなたが説明した通りの事態だ。現在この街は臨戦状態にあるということだ」
「え、えっと、それって……」
琴姫が手を上げて言う。
「要は、二万人もの巨大な引導師組織と、三体の千年我霊が率いる名付き我霊集団との全面抗争が近々勃発するってこと……?」
「……流石に二万人すべてを投入するのは難しいですが」
かなたが答える。
「そう思ってもらっても構いません」
「……無茶くちゃ大事じゃない……」セイラが青ざめた顔で呻く。
「そんなのほとんど戦争よ。どれだけ犠牲が出るのか想像もつかないわ」
「しかし、逃げる訳にはいきません」
淡々とかなたは告げる。
「引導師として。我霊から逃げては、私たちは存在意義を失いますから」
ですが、と続けて、
「犠牲を出すことを由とは考えていません。『使命に走るな。自分を愛せ』が引導師の在り方です。一般人を守り抜くことも含めて、最善は尽くすつもりです」
「そういうことだ」
刀歌が言う。それから剛人と琴姫の幼馴染二人と、弟の方に目をやって、
「今まで黙っていてすまない。出来ることならお前たちを巻き込みたくなかったんだ。時期になればお前たちには一時的にここから離れてもらおうと――」
そう説明しようとすると、
「――おい! なに言ってやがる! 刀歌!」
立ち上がったままの剛人が、強く腕を振って吠えた!
そして虎のような眼光で刀歌を睨み据える。
「ふざけんなよ! この馬鹿野郎が!」
刀歌に対して珍しいことだが、剛人はかなり本気で怒っていた。
「俺は蚊帳の外かよ! そういう時にこそ俺を頼れよ!」
「……剛人」刀歌が剛人を見つめる。
「……姉さま」
刀真も口を開いた。
「剛人兄さんの言う通りだよ。僕はまだ子供だけど、それでも引導師なんだ。僕にも何か出来ることがあるかも知れないんだ」
「うん。そうだよ。刀歌姉」
琴姫も言う。
「一人で抱え込んで決め込むのは刀歌姉の悪い癖だよ」
「……琴姫」
刀歌は琴姫に視線を移した。
「……すまない。では、三人とも力を貸してくれるか?」
「当たり前だ!」「うん」「OKだよ」
剛人たち三人が答えた。ラシャとセイラも、
「まあ、アタシらは剛人の女だしな」
「そうよね。夫を支えるのは妻の役目よね」
と、告げた。剛人は「お、お前ら誤解を招く台詞を!」と激しく動揺するが、刀歌は一切スルーして「感謝する」とだけ答えた。
一方、アレックスは、
「……なるほどな」
大太刀を手に取って立ち上がった。
「要は近々戦争が始まるってことだろ! いいぜ! むしろ大チャンスだ! ここで活躍してオレは一気に正妃入りしてやるぜ!」
握りしめた大太刀を前に突き出して、堂々と宣言するのであった。
「……それはともかく」
対して、かなたはアレックスに冷たい。
「オズも含めて今日はゆっくり休んでください。今日は皆さんも色々とありすぎて疲れていることでしょう。現状に対する詳細は、明日、改めてお話いたしましょう」
かなたはそう告げた。
アレックスたちは、その言葉に甘えることにした。
そうして、
「……結局、こうなってしまいましたか」
「ん? 何がだ?」
深々と溜息をつくかなたに、アレックスはキョトンとする。
「……マジでひい爺ちゃんなのか? なに、そのおっぱい。本物?」
「……不躾に見るな。自前の本物だ。それと桜華師と呼べ」
と、未だ困惑する剛人に、淡々と告げる桜華。
「元気だった? 刀真君?」
「は、はいっ! 月子さんっ!」
ほんわか笑う月子に、ガチガチに緊張した様子で刀真が答えていた。
「そう言えば、きちんと話をするのは初めてかもな」
「ええ。そうね」「ああ。意外と学校じゃあんま会わなかったしな」「琴も刀歌姉がこんな場所に引っ越してからは久しぶりかな?」
と、刀歌とセイラたちは、意外と楽しそうに盛り上がっていた。
そんなふうに少しばかり雑談に興じる一同だった。
しゅるる、と。
天雅楼本殿に、風が舞い込んでいることに気付くこともなく――。




