第四章 奇縁、再び④
「…………」
同刻、天雅楼本殿にて。
アスリートウェアに着替えたかなたは訓練道場で一人、正座をしていた。
静かに瞳を閉じて沈黙している。
他には誰もいない。
唯一、赤蛇だけはチョーカーとしてかなたの傍にいるが、彼もまた無言だった。
そのまま一分、五分と時間が経過する。
そうして、
『……お嬢』
ようやく赤蛇が口を開いた。
『あの金髪嬢ちゃんのことを心配すんのは分かるが……』
「…………」
かなたは無言だったが、ゆっくりと瞳を開いた。
そして、
「別に心配はしていない」
淡々とした声で答える。
赤蛇は『……お嬢』と嘆息した。
表情からは分からないが、かなたがアレックスを心配しているのは間違いない。
フォスター家にいた頃、唯一、縁のあった人物なのだから当然だ。
「ただ少し不愉快なだけ」
かなたは続けてそう告げる。
「ゴーシュさまの対応が。何も真刃さまに伝えなくてもいいのに」
『それは仕方がねえよ。生死不明に行方不明。しかも現場からして攫われた可能性まであるとなったら、まずご主人の方に連絡があるだろ』
赤蛇は言う。
『ゴーシュにとってお嬢はご主人の女って認識だからな。まあ、将来的には確定してっからそこはいいんだが、もしお嬢に先に伝えて、そんでお嬢が別の『男』のために独断で行動したりしたらって考えたのかもしんねえ』
「…………」
『見捨てたくねえってぐらいには仲がいいんだろ?』
「……そこは否定しない。けど」
かなたは小さく嘆息した。
「国外で行方不明なら私にはどうしようもない。その考えは的外れな気がする」
『ゴーシュの野郎は、今こっちが臨戦状態なのも知らねえんだ。金髪嬢ちゃんが『女』ってこともな。的外れっつうよりも情報不足の結果だな』
赤蛇が蛇の姿になって、かなたの肩に移動した。
『どちらにしろ、お嬢はいま動けねえしな。ましてや渡米なんてあり得ねえよ。近衛隊がマジで大反対すっぞ』
一拍おいて、
『それが分かってんのにご主人がお嬢にこの件を伝えたのが不思議だな。まあ、ご主人も直感って言ってたか。ご主人は何か感じ取ったのかもな』
「…………」
かなたは無言だ。ただ一度瞳を閉じて小さな息を零した。
その時だった。
ガラガラと不意に道場の入り口が開かれた。
入ってきたのは、長い黒髪を白いリボンで結いだ、ポニーテールの少女だった。
――参妃・御影刀歌だった。
彼女も訓練に来たのだろう。かなたと同じアスリートウェアを着ている。しかし、真面目な刀歌にしては珍しく歩きスマホをしていた。
スマホを凝視しながら、道場に入ってくる。
凛々しく美麗な顔には、少し険しい表情を浮かべていた。
「刀歌さん」かなたは刀歌に声を掛けた。「歩きスマホは危ないですよ」
「……ん? あ、すまない」
かなたの声に刀歌が顔を上げた。
「つい、気になるチャットが来てな」刀歌は道場内に目をやった。「かなただけなのか?」
「はい」かなたは立ち上がって頷く。
「たまたまのようです」
「そうか……」
刀歌は眉根を寄せた。
「桜華師か杠葉師。もしくは芽衣がいれば相談したかったんだが……」
「彼女たちに何か?」
かなたがそう尋ねると、刀歌は「う~ん……」と腕を組んだ。
「もしくは綾香でも良かったが、多忙なあいつがいま訓練道場に来ることはないか」
「……大人組ばかりですね」
赤蛇を肩に乗せたかなたは、刀歌の元に近づきながら尋ねた。
「大人組に何か相談事があるのですか?」
「いや。相談事と言うより厄介事だな。エルナに相談してもいいんだが」
刀歌は頬に片手を当てた。
「実は剛人の奴が少し面倒なことに巻き込まれてるみたいなんだ」
どうもな、と続けて、
「あいつ。どこからか少女を拾って来たらしい」
「……はい?」
かなたは思わず眉根を寄せた。刀歌は渋面を浮かべつつ、話を続けた。
「私たちよりも少しだけ年上の引導師の娘らしい。話によると、かなりの厄介事に巻き込まれたらしい少女とのことだ」
「……そんな少女を拾ったと? まるで創作物の主人公のようですね」
かなたが率直な感想を零した。赤蛇も尾を揺らして『まあ、剛人っちは生まれながら主人公属性を持っていそうだしな』と同意する。
『定番だとそっから同居だな。そんでラッキースケベを多発してさ。ジャハハ。最後はトラブル解決して剛人っちの嫁入りか』
「……いや。そうもいかないらしい」
刀歌はスマホに視線を落としながら、かなたたちに告げる。
「剛人は危険な案件だと判断したようだ。それで私を通じて主君に相談したいそうだ」
「……それは賢明な判断ですね」
内心で感心しながら、かなたは言う。
「頼るべき時に誰かに頼ることは意外と難しいことですから」
「ああ」刀歌は頷きながら微笑んだ。「そこは私も感心している。特にあいつはどうしてか主君を嫌っている節もあったからな」
そこで一呼吸入れて、
「とはいえ、今はこちらもタイミングが悪いからな」
「それで真刃さまの前に、エルナさまか大人組に相談したかった訳ですか」
と、かなたは呟く。大人組で六炉の名前が出てこなかったのは、彼女はあまり相談相手として向いていないと刀歌が思ったからだろう。
『まあ、そこは後で連絡いれりゃあいいだろ。大忙しの綾香嬢ちゃんだけは流石に対応できねえかも知んねえが、それよりも』
赤蛇がかなたの腕を伝って、刀歌のスマホを覗き込んだ。
『肝心のその嬢ちゃんはどんな子なんだ? 写真はあんのか?』
「ああ。いま送られてきた」
言って、刀歌はかなたと赤蛇にスマホを見せた。
「どうやら日本人じゃないみたいだな」
「そうなのですか?」『へえ~』
かなたと赤蛇はスマホの画面を覗き込んだ。
そして数秒の間。
「『…………………え?』」
かなたと赤蛇は、目を瞬かせるのであった。
◆
同時刻。
とあるインターネットカフェの個室にて。
そこに今、一人の男の姿があった。
土蜘蛛である。
「………」
丸眼鏡の奥の双眸を細める。
彼の前には、デスクトップPCがあった。
だが、そこに映っているのはサブスクでも、ネット情報でもない。
とある屋敷の光景が映っていた。
――金堂家である。
まるでドローンのように、かなり上空から映した映像である。
土蜘蛛が、指先でPCのモニターに触れる。
途端、場面が移り変わった。
室内が映される。
そこには大柄な少年と、幼い少年。
そして四人の少女の姿があった。
「ほほう」
土蜘蛛は前のめりになって、モニターを覗き込んだ。
元々自らの花嫁にしようと考えていた少女と、新たな三人の少女たちを順に見やる。
恐らく引導師か。誰もが美少女レベルだ。
「これはこれは何とも」
ボフフと笑って、下あごを揺らす。
それから大柄な少年にも目をやった。双眸を細める。
「どこかのお人好しが匿うとは思っていたでござるが、大収穫でござるな」
ギシリと椅子の背にもたれて、口元を緩ませる。
そうして、
「順調、順調。さて。機が熟すのはもう少しでござるかな」
とても静かに、深く。
怪物はほくそ笑むのであった。




