第三章 エスケープ・シンデレラ①
某日の朝。
とあるホテルの最上階にて。
(……やれやれだ)
一人の男が、長い廊下を歩いていた。
年齢は二十代前半ほどか。碧眼と逆立つ金髪が印象的な青年だ。髪は後ろが少しだけ長く、うなじ辺りで纏めている。
服装は灰色のスラックスと黒いシャツ。その上に灰色のジャケットを羽織っていた。
――名付き我霊。《死門》のジェイである。
(結構頑張ったんだがな)
ジェイは歩きながら、あごに手をやった。
(ストック的には、ようやく3000ぐらいか)
つい先日まで世界中を飛び回って、集めて来た死体のストックだ。
今回は急ぎであり、質よりも量を優先したため、引導師の死体は全体の一割ほどだ。それ以外は一般人の死体である。
(俺史上、最弱の軍団だな)
ジェイは肩を落として嘆息した。
これでもコレクションには結構拘るタイプなのだ。
これまでは、ストックはすべて引導師で揃えたものだ。
敬愛する叔父貴の頼みでなければ、こんな最弱軍団を用意したりはしない。
(こんな貧弱集団なんて何かの役に立つのかね?)
流石に疑問を抱く。
引導師にとっては一般人のゾンビなど雑魚に過ぎない。
(まあ、叔父貴のことだから何か計画があるんだろうけどな)
ジェイは廊下を歩き続けた。
現在、このホテルの最上階は貸し切っている。
この街においてジェイたちの拠点であり、闇の集う万魔殿ということだ。
(とりあえず、叔父貴に顔でも見せとくか)
海外出張から戻ってから色々とあったため、まだ報告も出来ていない。
ジェイは叔父貴と敬う《恒河沙剣刃餓者髑髏》が滞在する部屋に向かうことにした。
すると、その時だった。
廊下に並ぶドアの一つが開いたのである。
丁度進む先だったので、ジェイは足を止めた。
ドアが開いた部屋からは二人の人物が出て来た。
「……あら。ジェイ」
一人は女性だ。ジェイもよく知る人物だ。
年の頃は二十代前半。頭頂部で冠状に結いだ黄金の髪に青い瞳。その抜群のスタイルを誇る肢体には白い紳士服を着けている美女だ。
餓者髑髏の妻であり、最強クラスの名付き我霊。《屍山喰らい》・エリーゼである。
「戻っていたのですね」
エリーゼが言う。
ジェイは「うす」と応えつつ、もう一人の人物に目をやった。
エリーゼに案内されるように部屋から出て来た男。
年齢は三十代半ばほどか。ボサボサの髪に丸い眼鏡をかけている。
ただそれ以上に印象的なのは体格だ。百八十センチはある大柄なのだが、顔も含めて明らかに不摂生が分かる体型だった。
特注サイズのシャツとズボン。それをサスペンダーで支えている。
「……姐さん」ジェイが問う。「そいつは?」
ジェイにとっては初めて見る人物だった。
直感で人外であることは察したが、それ以上は分からない。
「不敬ですわよ。ジェイ。けれど、あなたは初めてお会いするのね」
すると、エリーゼは傍らの大男に手を向けた。
「こちらの方はイノセンスファクトリーのCEOですわ」
「……ああ」
ジェイは双眸を細めた。
「この国の会社っすね。確かゲーム関連の。eスポーツの大会とかも世界規模で手掛けていたっすね。結構メジャーな大企業じゃねえっすか」
そこで肩を竦めた。
「つうか世も末っすね。そんな著名人まで名付き我霊だったってことっすか」
「……ボフフ。いえいえ。末どころか世はすでにチェックメイトでござるよ」
大男は頬を震わせて告げる。
「特にこの国はジエンドでござる。他国に比べ、傑物も久しく輩出なし。どこぞの誰かが創り上げた技術の恩恵をただただ享受するだけでござる」
大男はジェイの前まで移動した。
「ボフフ。まったく。自ら想像することを止めたヒヨッコばかりで困りますな。傑物たちが覇を競った戦国の世に比べ、嘆かわしいことでござる」
「……随分と変な口調だな」ジェイが眉根を寄せる。「ジャパニーズオタクって奴か? けど、最後の台詞だけは何故かしっくり来たな」
「当然でござる。なにせ実体験からの感想でござるからな」
と、大男は脂肪を蓄えたあごを撫でながら答える。
「……あんた。名前は?」
ジェイが表情を鋭くして問う。と、
「引導師どもに付けられた二つ名はすでに捨てたでござるよ。そうですな。拙者のことは『土蜘蛛』と呼ばれよ」
サスペンダーを指で引っ張り、バチンと鳴らしてそう名乗る大男。
対し、ジェイは「……おい」と片眉を上げた。
「……デブ。俺も叔父貴に世話になってからはこの国の怪異も知らべてんだぜ」
かなり険悪な眼差しで、ジェイは大男を睨み据えた。
「『土蜘蛛』ってのはこの国の妖怪だ。怪異名じゃねえか。千年我霊のみに許された名前だぞ」
「……ボフフ」
露骨な敵意を見せるジェイに、大男は頬を揺らした。
「拙者はすでに五百年の時を生きておるのでござる。いずれ第捌番として、かの方々の末席に名を連ねることになるでござる。ゆえに遅かれ早かれでござるよ」
「……見た目に反して相当なジジイってことか」
ジェイは眉根を寄せた。
持ち併せる異能による差はあるが、基本的に我霊は年月を経るほどに強くなる。
従って、五百年ともなると凄まじい大物だった。
「……姐さん」
ジェイはエリーゼに視線を向けた。
「これは叔父貴たちも認めてることなんすか?」
「ええ」エリーゼは頷いた。「五百年以上も生き延びている我霊は非常に希少ですわ。土蜘蛛さまにはお館さまたちもとても期待されていますの」
と、答えるエリーゼ。
「千年の時を迎えた暁には、祭神さまより改めて名を授けられることでしょう」
エリーゼはそう補足した。
千年我霊の名は、元々は引導師から名付けられたのが起源になるのだが、別に慣例という訳でもない。千年我霊の長が、新たなる千年我霊に名を授けても問題はなかった。
そして、今の時点で怪異名が確定しているほどに、土蜘蛛は期待されている『新人』ということでもあった。見た目と雰囲気からは全く想像も出来ないが。
「……そうっすか」
いずれにせよ、千年我霊たちの公認ということらしい。
多少の不満はあるが、ジェイは納得することにした。
「そんで、その期待の新人さんも今回のお祭りに参加ってことっすか?」
「ええ。そうですわ」
ポンと手を叩いてエリーゼは言う。
「土蜘蛛さまも快諾してくださいました」
「……当然でござるよ」
大男――土蜘蛛が言う。
「天の七座、お三方のお声掛けでござる。しかも、その内の二人はあのタマたんとUたそでござるよ。断るなど拙者にとっては切腹ものでござるよ」
「……いや」ジェイは土蜘蛛に半眼を向けた。「お前、天の七座を舐めてねえか?」
「Uたその御美脚ならば是非ともペロペロしたいでござるが……」
土蜘蛛はジェイを見据えて、眼鏡の奥で双眸を細めた。
「こう見えても天の七座への敬意は忘れたことなどないでござるよ。まあ、それはさておき、拙者はここ数ヶ月、別件で餓者髑髏どのと何度もお会いしていたのでござる」
一拍おいて、
「今日、訪れたのもその件でござるな」
「……あン? どういう意味だ?」
ジェイは眉根を寄せた。それからエリーゼの方を見やり、
「姐さん? どういうことっすか?」
「あらあら。ジェイ」
すると、エリーゼは呆れたような表情を見せた。
「もう忘れたのかしら。私たちが元々この地で行っていた事業のことを」
「事業って――あ」ジェイは思い出した。「そういうことっすか」
「ええ。そうですわ」
エリーゼは頷く。
そうして、
「実は土蜘蛛さまは――」
一拍おいて、彼女はこう告げる。
「『お見合い』の参加者のお一人なのです」




